1月30日(水)晴れ【セカンド・オピニオン】
今頃ですが、あけましておめでとうございます。
なかなかブログの記事が書けませず、ご訪問の皆様には申し訳ありません。本年もよろしくお願いいたします。さて、タイトルは大層な感じですが、母と私に関して、今年に入ってから経験したことを書かせていただきます。
母は頭の丁度百会といわれるあたりに瘡蓋ができまして、病院に連れて行きました。最初の病院の医師は、「これはなんでもないよ」といって、ビリッとピンセットで剥がそうとしました。母が「痛い」といってもかまわず半分剥がしてしまいました。私が停める間もありません。でもきれいに半分はがれました。「もう先生やめてください」と母が言いましたので、半分はそのままに残りました。
「これはなんでもないよ。頭をよく洗いなさい」と言います。母は瘡蓋が気になって洗えないと言いますと、「シャンプーをつけて洗えばいいんだ」と邪険に言いました。
それでゲンタシン軟膏という抗生物質の軟膏をだすように処方箋を書いてくれたようです。この間3分くらいでした。
しかし、母は、この先生のあまりに乱暴な処置と、不親切な応対に、信用ができません。この先生ではダメだ、もしかしたら頭の上の瘡蓋なので、これで死んでしまうかもしれない、と心配しています。
それで、すぐに皮膚科の専門病院を探して、そこに連れて行きました。その先生は、おもむろに母の頭を見まして、「これは、心配しなくても大丈夫ですよ、そのうちとれますから。気を付けて頭を洗ったりしているうちに、ふやけてとれますよ」
「何かでちょっと傷がついて、それが瘡蓋になったかもしれないけれど、頭を洗ったほうがよいですよ」と、優しく母に言い聞かせてくれました。母はすっかり安心しました。
二人の先生は、同じことを言っているのですが、患者にとってはずいぶん安心感が違います。安心感を与えてくれたり、同じことでも納得できるように言ってくれることは、何よりの治療だと思いました。
私も、今月一年に一度の血液検査を受けましたところ、薬をだしましょう、と言われたので、私は薬は飲みません、と言いました。するとその医師は、怒ったように「それじゃ、検査をする意味がないじゃないか」と言いますので、私も意地になりまして「いいえ、薬は結構です」と言いました。
それでも、以前住んでいた街の信頼のおける医師をたずね、血液検査の結果をみてもらいました。すると「一つだけもう少し低い方がよい数値はあるけれど、あなたの場合は総合的に見て、薬を飲む必要はないから、大丈夫。」と、判定してくださいました。毎年、同じようなことを、この先生にも、さらにその前に住んでいた街の先生にも言われていたのですが、素人判断は大事な命に関わることなので、避けようと思い、二人の先生の意見をお聞きしたわけです。
このように二人の先生で、違う意見がある場合もありますし、母の場合は同じ見立でも患者への安心感を与えるか否かの違いもあります。
この場合のように、それほど命にかかわらない場合はよいですが、癌など重大な病の場合、必ず二人以上の医師に調べてもらう必要があると思います。一病院の医師に、癌です、手術のしようもありません、と言われたとしても、他の病院の医師に診てもらったら、これならば治療法がありますよ、というケースもあるのではないでしょうか。自分の命に関わる一大事なのですから、貪欲になってもよいと思います。二カ所以上の病院の二人以上の医師が、もう手の打ちようがありません、と言われたとしても、代替療法もありますから、希望を捨ててはなりません。
私自身のことならば、20歳代から、自然療法に親しんでいますので、躊躇なく自然の療法を最初からとりますが、普通は西洋的医学の治療を受けられるものならば、緊急にその処置をとる選択もあると思います。
とにかく私が言いたいのは、命に関わるほどの見立については、一カ所の医師の言うことだけではなく、、二人以上の医師のご意見を聞いた方が、悔いを残さないであろうと思うのです。
母や私のように、大したことでもなくとも、二人の医師のご意見が必要でした。まして重篤な病に苦しんでいる人がいらっしゃるなら、必ず二人以上の医師の意見を聞いた方がよいのではないかということを新年早々に言いたかったのです。
この命あってこそ、楽しんだり悲しんだり喜びあったり、ということもあります。一つしかない命です。大事にいたしましょう。一昨日、お骨あげに立ち会って、つくづく思いました。自分にも必ずこうなる時が来る、悔いのないように時を過ごさなくては、と思ったのです。
皆さまのこの一年、どうぞ、お体お大切に、お過ごしくださいますよう。
本年もよろしくお願いいたします。(写真をPCに取り込むコードを紛失してしまいましたので、残念。ルナもタローも元気です)