3月16日(火)晴れ【仲間の死】
今のお寺の住職になって以来、お寺を守っている私とともに、いつも一緒にお寺を守ってきてくれた仲間に、亡くなられてしまいました。
ここのコンクリを打ち直したいが、と言えば、、すぐに「俺がやるよ」と答えてくれて、間もなくコンクリを打ってくれたり、4メートル幅の参道を7メートル幅の参道に直し、ブロックもフェンスも60メートルに渡って直す時も「俺がやるよ」とさっさとやってくれ、寺に入ったときから白い塀を作りたいと構想を練っていたのですが、機が熟して塀をこしらえる時も、「俺がやるよ」と、左官屋さんや、瓦職人さんの仲間を集めてくれて、ご自分は鉄筋を入れて土台をさっさと作ってくれて、役所の許可がでたので撤去したいブロック塀を壊したいときも、「俺がやるよ」と言って、さっさと撤去して、アスファルトを打つ業者を探してきてくれて、山林の草がぼうぼうに伸びてしまった時も、「俺がやるよ」と草刈りの車をトラックに積んで持ってきて、さっさと草を刈ってくださいました。
境内を見渡せば、あちこちに岩田さんの「お働き」が生きています。
車庫の前に雨がたまって困ったと言ったら、さっさとコンクリを打ってくれて、大雨が降っても車の出し入れも楽々です。
山林にもっと木を植えるように、市役所から指導を受けた時も、植木屋さんの知人を紹介してくださり、それを植えるのは手間賃がもったいないから「俺がやるよ」と言って、木の植え付けまでやってくれました。
私が枝垂桜があるといいが、と言えば、「俺が寄付してやるよ」と言って苗木を買ってきて、それも植えてくれました。間もなくその桜も咲くころです。
晋山式の時の角塔婆を立てるための土台も、自分で工夫してうまく安全に立てられるようにしてくれましたし、庫裏から本堂に行くのに雨に濡れないでいけるように屋根を工夫して作ってくれて、衣を濡らさないで本堂に行けるようにしてくれました。
水場が一カ所しか無いので、奥の墓所の人たちに不便だからと言えば、一緒に大きな資材売り場に連れて行ってくれて材料を買って、さっさと水場を拵えてくれました。
数え上げれば数々のお蔭さまが、お寺一杯にあります。
つい12月までは元気にゴルフにも行けたというのに、1月にははや手遅れということで、私に会いたいからと、連絡があり、信じられない気持ちでご自宅に会いに行ったのです。
いつも元気いっぱいの岩田さんが、ちょっと弱ったという感じで、ベッドに横たわっていました、しかし、2時間も話し込んでも全然疲れた様子がありません。食べ物が全く嚥下することができなくなり、点滴だけでしたが、まだまだ声にも元気がありました。
もはや手遅れのお体とは、信じられないほどでした。その後も時々、元気な声のお電話がありました。お亡くなりになる二日前になりますが、もうそろそろではなかろうか、と思い、お電話をしたときは、微かなお声を聞かせてくださいました。
昨日はお通夜でした。岩田さんは真言宗のお寺の檀家さんです。お通夜の前にご自宅に伺い曹洞宗のお経で、お礼のお別れをしました。お棺の中には、私の手紙を奥さんが入れておいてくださいました。
このコロナのご時世ですが、お通夜に会葬の方は、200人以上であったと思います。
すでに最後の日は近いことは分かっていましたから、信頼できる葬儀屋さんを息子さんに紹介して、当寺でご葬儀の打ち合わせをするようにお勧めしておきました。今までさんざんお世話になった岩田さんを、焦らないで立派にあの世にお送りできるように、私のできるせめてもの手助けでした。
今日は、もうあのお元気で力持ちの岩田さんのお体は荼毘にふされ、お骨だけがこの世に残りました。
本当に有難い「仲間」でした。このお寺を守るために、共にいろいろとお働きくださった大事な「仲間」でした。
有り難い人でした。岩田成吉(昭和15年12月19日~令和3年年3月10日、享年81歳)
(晋山式の角塔婆を立てるための土台を)
(草刈り作務を自前の草刈り機で)