10月26日(土)晴れ【友ヨゼフの死】
昨晩は、高校時代の友人の葬儀ミサがありました。友の洗礼名はヨゼフですので、ここではヨゼフと呼ばせてください。とても紳士的な方でした。
高校時代は全く交流の無い方でしたが、私が3年前に永平寺での高祖大師(道元禅師)献供諷経の焼香師をつとめさせていただいたとき、随行してくださったのです。なぜわざわざともに永平寺まで行ってくださったのか。いまでも不思議に思っています。
彼がクリスチャンであることは、後で知りました。そうしてこの度、彼がお亡くなりになり、ミサがあるという知らせを、高校時代の友人が、知らせてくれました。たしか永平寺に一緒に行ったと思うので、ということで教えてくれたのです。
その友人も列席すると思っていましたら、自分は高校時代全く接点がなかったから行かない、ということでした。それから私は急にヨゼフという名の友と、おそらく前世からの縁があったのではないか、という思いが強くなりました。
ヨゼフのミサに列席してさらにその思いを強くしました。彼が所属していた教会は、フランシスコ会でした。やはり彼は正真正銘のクリスチャンで、勿論洗礼も受けていましたし、ご家族も全員洗礼を受けていることを、パンを司祭様から頂きにでたのでわかりました。そのような彼が永平寺に共に行ってくださったのは、永平寺という禅寺自体に興味があったのかもしれませんが、都内のご自宅から、2時間ちかくかけて私が住職をしているお寺まで来てくださり、それから貸し切りバスで永平寺に伺ったのです。今でもどういう縁なのだろうかと不思議にさえ思っています。
たまたまフランシスコ会の教会員ということですが、私はイタリアのアッシジに聖フランチェスコを慕って、半月ほど滞在したことがあります。サン・ダミアノ教会もポルツィウンクラの小聖堂も、フランチェスコが祈りを捧げ続けた洞窟も鮮明に記憶にあります。
ヨゼフも私も前世において、共に道を求めていた修行者の灯が入っているのかもしれません。生まれ変わりという表現は安直にできませんが、来世もさらに学び続けようと共に誓ったエネルギーも入り込んだのではないかと感じました。ヨゼフさんは、キリスト教に。私は仏教に。私も中学時代はキリスト教の日曜学校に真剣に通っていました。
ミサではヨゼフのために多くの讃美歌を一同で歌い、司祭様の先導で、葬儀ミサでお唱えする聖書の一節一節を唱え、ヨゼフの死を讃えました。
仏教のご葬儀の式次第とは、全く違いますね。また、死に対しての受け取り方も違います。それぞれと思います。
友ヨゼフの冥福を祈ります。私もそのうちに天に帰ります。そしてまた来世生まれくるどなたかの新しい命の火に、再び道を求める願いを吹き込める炎になりましょう。
初めに歌った讃美歌の歌詞を、紹介しておきます。
讃美歌 445番 「世を去る友」
1、世を去る 友をば かえりみたまえ 死こそは 神への 門出(かどで)なりせば
2、愛の みあるじよ かなしき わかれ み旨と あおぎて 忍びて あらなん
3、主に 賜わりては 主に 召さるるぞ 此上(こよ)なき 御恵み(みめぐみ) おもうも なみだ
4、とうとき 御陰(みかげ)を たのみまつりて 逝きにし 霊(たま)をぞ 御手(みて)に ゆだねる
たまたま昨日は、御苑の隣にある高校の前にある建物に出かける用がありました。何十年ぶりかの学び舎は、木造の2階建てであったときの風貌はすっかり変わってしまっています。滅多に新宿には出かけませんが、たまたまこのように重なることは、縁を感じます。
お寺に帰って来てから、永平寺を参拝した時の集合写真を開いてみました。まことに温厚な紳士然としたお顔を改めて拝みました。また来世でお会いできますように。
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