風月庵だより

猫関連の記事、老老介護の記事、仏教の学び等の記事

子猫ルナのお留守番

2008-10-28 22:08:22 | Weblog
10月28日(火)晴れ【子猫ルナのお留守番】

三泊四日で小田原、岡山、山口と出かけましたので、その間最近家族に加わりました子猫のルナはどうしていたか、もしかしたら猫のお好きな方は気になさっていて下さったかもしれません。

母は私が留守の時は、やはり留守番は苦手なので、他所に泊まりに行きます。それでルナのことをなんとかしなくてはなりません。病院に預けようかとも思いましたが、大変に繊細なタイプなので、同じ家の中で、餌や面倒を見て下さる人がいてくださればベストの選択になります。

それが近所に高校時代の信頼できる友人が住んでいまして、その方も猫を飼っていますので、毎日世話をしに来て下さったのです。鍵を預けることができる人が近所にいるということは本当に幸運なことでした。

私もルナを飼うまでは、ペットのために苦労している人を見て、なんという贅沢な苦労かと思っていましたが、いざ自分が飼うことになりましたら、猫のために一番よい選択をしたいと思うことを理解することができました。

私のように子どもを生んだことも、育てたこともない人間にとって、「愛しい存在」という感覚も初めて味わっています。おそらくこのような記事も、ペットを飼っていない方には、何を言っているのか、と思われるのではないでしょうか。

やはり何事も体験をしなくては分からないものだ、ということを、ルナから教えて貰っています。

子猫にとって三晩一人いや一匹で過ごしたことは、どんなにか心細かったのではないかと、これは全くの想像ですが、人間的に想像してみました。はたして如何だったのでしょう。捨てられていたまま、死にそうな子猫でしたので、その境遇よりは良かったのではなかろうか、とこれも人間サイドの考えではあります。

三晩と四日の留守番をしてくれまして、今はまた私のような家族と、平和に暮らしているルナです。

山口瑠璃光寺

2008-10-26 16:30:17 | Weblog
10月26日(日)曇り【山口瑠璃光寺】

岡山県の奉詠大会の翌日、山口県の瑠璃光寺様に拝登させていただきました。私は器之禅師(1404~1468)という室町時代の禅師の研究をしています。その法嗣である大庵須益禅師(1406~1473)という方が瑠璃光寺のご開山様になります。

今年は二世の全巌東純禅師(?~1495)という方について、少し調べています。瑠璃光寺に、雪舟(1420~1506)の描いた三代の住職の頂相(肖像画に讃がつけられた軸)が残されているということで、それを是非拝みたいものと、拝登させていただいたのです。

生卒年を見ていただきますと、雪舟と大庵禅師、全巌禅師(この方の生年は辞典などでは?となっていますが、一応私の研究では推察がつきました。来月発表する予定です)はほぼ同時代人であることがわかりますし、雪舟は京都の戦乱を避けて山口に滞在していたことは確実ですから、この頂相は雪舟作であるということの信憑性は高いですし、認められていて、山口県の指定文化財になっています。

大庵禅師も全巌禅師も、そのお顔には、それぞれの特徴があり、行状を裏付けてくれるような趣きがありました。やはりその方の雰囲気がなんとなくわかることは、研究の励ましになります。文字だけの世界とは違う広がりがあります。

写真の無い時代、こうして描かれた肖像画があることは、なんという言語を絶することでしょうか。

瑠璃光寺様では奥様や副住職の渡辺博志師のご協力を頂き、さらにいろいろと収穫がありました。わずか三時間ほどの山口滞在時間でしたが、無理をしても伺って良かったと思いました。

これを研究に生かすには研鑽が必要ですし、文字の世界だけではない、ひらめきも決して無下にはできないと思います。過去を探っていく、歴史を探る姿勢には、綿密な研究と柔軟な思考が、時間の枠を越える役にたってくれると思っています。

瑠璃光寺様には『正法眼蔵』の「瑠璃光寺本」も残されています。『正法眼蔵』を書写したものです。これらの複製は瑠璃光寺の資料館で拝観することができます。またお寺の前には国宝の五重の塔もあります。

すぐ脇には、今NHKで放映されている『篤姫』にも出てくる長州の藩士たちが集まったお茶室もあります。

山口は歴史の街でもあり、この瑠璃光寺も五〇〇年以上も前からの歴史が今に伝わっている名刹です。

昨年もお参りをさせていただきましたが、開山様と二世様を改めて研究するにあたり、また拝登のご縁をいただきました。こういうことが研究の面白さかもわかりません。私は過去を学ぶ中にも、どこか人間くささを探し出して、そこに生きていた頃の息吹にあらためて触れたいと思っているのです。

瑠璃光寺様の紹介と、自分の研究の少し紹介をさせていただきました。



梅花講 岡山県奉詠大会

2008-10-26 15:34:12 | Weblog
10月26日(日)曇り【梅花講 岡山県奉詠大会】

10月16日(木)に、岡山県の備前高梁市で御詠歌の大会が開かれました。毎年開催されていまして、もう第42回目だそうです。300名以上の方の参加がありました。

私の尼僧堂時代の先輩である與木淳恵老師が今、岡山県の師範の会長さんをなさっています。そんなご縁で、この奉詠大会にご縁をいただきました。與木先生は岡山県で只一人の尼僧さんです。

私はこのような大会に初めて参加させていただいたので、井上慈紹梅花主事さんをはじめ僧侶の方々が力を合わせて大会を盛り上げていらっしゃる姿が印象的でした。

また登壇なさって、日頃の研鑽ぶりをご披露なさる梅花講の講員さんの姿にも、感心しました。こうして研鑽できることがあることは、とても幸せなことだと思いました。善江院というお寺の講員さんの中には93歳の方も登壇なさり、日頃の稽古の成果をご披露くださいました。

登壇して人々の前でご披露なさるということは緊張をともなうことでしょうが、この緊張が実は得難いことではないかと思います。この味は体験した者の味わえる曰く言い難い醍醐味ではないでしょうか。

自分をフレッシュに保てる効果もあるのではないでしょうか。

御詠歌を満喫させていただいた岡山県の奉詠大会でした。



空を駈ける雲

2008-10-23 10:50:19 | Weblog
10月23日(木)晴れ【空を駈ける雲】

先週は、空の雲も忙しそうに走っていますが、私も忙しくしていました。15日は本師の13回忌で、小田原の大雄山最乗寺に前晩から上がっていました。献粥諷経の導師は、東京渋谷の福昌寺、中根正賢老師がお勤めして下さいました。ご正当は最乗寺のご住職です。

小田原からすぐに岡山に向かいまして、岡山の梅花講ご詠歌大会に参加させていただきました。

翌日は、岡山からさらに山口に行きました。山口市にある瑠璃光寺様に拝登させていただきました。これは今研究している大庵須益禅師と全巌東純禅師について、何か資料を手に入れたいものとおうかがいしたのです。大変な収穫がありました。やはり現地に行かないと分からないことがあります。

いろいろとログを書きたいのですが、〆切の仕事がたまっていまして、今日は簡単な報告までにて失礼致します。

空の雲は、岡山の空を駈ける雲です。

チベットのジャンヌ・ダルクその4

2008-10-08 22:23:32 | Weblog
10月8日(水)雨後曇り【チベットのジャンヌ・ダルクその4】(ダライ・ラマ法王14世 撮影:亀野哲也師)

しばらく書けませんでしたので、ガワン・サンドルさんについての記事が途中で終わっていました。『囚われのチベットの少女』(フィリップ・ブルサール、ダニエル・ラン著、今枝由郎訳、トランスビゥー刊)をもとにして、ガワン・サンドルさんについてのご紹介を続けます。


11歳の少女ガワン・サンドルが、はじめに課せられた刑期は3年でした。それが前に紹介しましたように6年の追加、またさらに8年の追加で、17年の刑を勤めなくてはならないことになってしまいました。

彼女が兄に宛てた手紙の中に、なぜこれほどの犧牲を払って反抗し続けるのか、その原動力の源を伺い知れる言葉がある。「もちろんここでは戒を破らなければならないような状況がありますが、(中略)今まで以上に善業を積むことができました」と書かれています。祖国チベットのための活動は慈悲の行為とみなされているのだそうです。

彼女の抵抗の原動力となっているのは、祖国チベットの自由を奪い返すための監獄における不屈の戦いなのです。しかし、分別ある人から言わせれば、監獄で闘っても意味がないのではないかと言うのではないでしょうか。私も実はそう思います。監獄で闘ったところでそれはどこにも影響を与えないし、無駄なことではないかと思うのです。それよりもおとなしく刑期を勤めて、一日も早く監獄から出てきて外の世界で闘った方が有効な闘いができるのではないかと思うのです。ガワン・サンドルほどの強い意志があればいかなる状況にあろうとも戦えるのではなかろうかと思うのです。

しかし 、このように監獄で闘う自らを「私は今一切の幸せから縁遠い存在ですが、これは私の業で、それが現世に現れているのです」このように兄宛の手紙に書いています。

そして再び、監獄の中でガワン・サンドルも尼僧たちも叫んでしまったのです。それはチベットの空に赤い中国の旗が揚げられる日でした。政治犯たちは一斉に叫びました。「自由チベット万歳!」「私たちの地で中国人は中国国旗を掲揚する権利はない」「自由チベット万歳!」と。

この反抗活動に対して、また厳しい制裁が加えられました。ガワン・サンドルは首謀者とみなされ(まだ17歳の少女なのに)、兵士たちにベルトや竹棒で殴られ、大量出血し頭蓋骨がみえるほどに傷つき、意識も失ってしまうほどの状態となってしまいました。たらいに3杯もの出血があったそうです。それでも医者には診てもらえませんでした。少女だけではなく他の多くの人々も、虐待を受け傷つき倒れてしまいました。

監獄当局の者たちはリーダーは誰であるか、それを探し出そうと一人一人尋問しますが、誰しも自分の意志で叫んだと答えます。ガワン・サンドルに監督官が尋問します。「お前が首謀者だろう」と。そして少女は答えます。「そうです。私が責任者です」と。

この度の、監獄の中で「自由チベット」と、叫んだ尼僧たち6人は拷問によって死亡しました。他にも数人おそらく拷問によるものでしょうが、死亡しました。

そしてラサの裁判所でガワン・サンドルに下された刑は5年の延刑でした。これで22年の刑を勤めることになってしまったガワン・サンドルです。思想転向を迫る裁判官に彼女は言います。「私は変わりたくありませんし、変われません!たとえ死んだとしても、したこと考えたことは一切後悔しません」と。

次に裁判所に出頭するようなことがあれば、法律からいって死刑なのだそうです。度重なる拷問と暴行によってガワン・サンドルの健康は悪化し、度々の発作を起こしているそうです。それでも抵抗をやめようとしないガワン・サンドルは、百年戦争でフランスを勝利に導いたあのオルレアンの乙女、ジャンヌ・ダルクのように救国の思いに燃えて最後まで闘い続けるつもりなのでしょう。

もはや誰も彼女を止めることはできないでしょう。いかに分別ある説得をしようとも聞く耳は持たないでしょう。ただ祖国チベットに自由がもたらされるまではたとえ監獄の中であろうとも闘い続ける覚悟でしょう。しかし、治療も受けさせてもらえない少女の肉体は限界なのではないでしょうか。監獄から救出しなければ、焚刑されたジャンヌ・ダルクのように、命をおとしてしまうことになるでしょう。どうすればよいのでしょうか。

中国政府の人たちは、このような監獄の状況を知らないのではないでしょうか。

『チベットの囚われの少女』(トランスビュー刊)をもとに、チベットのガワン・サンドルをご紹介させていただきました。こうして私たちが自由に生きていられる同じ時間にラサの一隅で病んだ肉体を支えながら、チベット独立を願って闘っているガワン・サンドルはじめ多くの僧侶や人々がいることをせめて感じながら、息をしたいと思いつつ、この記事を終わらせて頂きます。

個展のご案内

2008-10-01 22:13:12 | Weblog
10月1日(水)晴れ【個展のご案内】(〈隅田川を行く〉(50号)写真と実際の色は多少違います。)

私事で恐縮ですが、姉が10月4日(土)まで個展を開いていますので、ご案内させて下さい。有楽町方面にお越しのかたがいらっしゃいましたら、お立ち寄りいただければ幸甚です。80点ほど展示しています。

【松山吉江油彩展】
所:交通会館(有楽町駅前)地下一階ゴールドサロン
時間:10:00~19:00(最終日は17:00)