12月31日(火)晴れ【大晦日 除夜の鐘】
今日は気温もあがりましたが、当寺の近辺は突風が吹いて、山門にかけた幕も、自由に踊ってしまって、張り直しをしなくてはなりませんでした。今夜は除夜の鐘を撞きます。今年はまだ頑張れそうです。
皆様、一年間お世話になりました。有難うございました。
どうぞ、よいお年をお迎えくださいますよう。
(鐘楼の屋根の上に白く光っているのはお月様です。)
12月31日(火)晴れ【大晦日 除夜の鐘】
今日は気温もあがりましたが、当寺の近辺は突風が吹いて、山門にかけた幕も、自由に踊ってしまって、張り直しをしなくてはなりませんでした。今夜は除夜の鐘を撞きます。今年はまだ頑張れそうです。
皆様、一年間お世話になりました。有難うございました。
どうぞ、よいお年をお迎えくださいますよう。
(鐘楼の屋根の上に白く光っているのはお月様です。)
12月28日(土)晴れ【ソウル訪問記その8 法輪】
(曹渓寺本堂前の法輪)
今日は、28日です。お正月のために本堂内や向拝につけるお飾りを手伝っていただきました。
「くんち飾りはダメ」と母から言われていましたので、29日は避けています。
また、一夜飾りもダメということで、31日はそのようなことはできません。
そうしますと28日と30日だけが、新年のお飾りのできる日になります。
また、新年のご祈祷に参拝の檀家さんに記念品を渡しますので、その袋詰めを二人の人に手伝ってもらいました。
なんでも一人ではできません。
「法輪本転無剰無欠(法輪本より転じて剰ること無く欠くること無し)」本師がよく揮毫なさった言葉です。
この文言は 道元禅師の著わされた『仏祖正伝菩薩戒教授戒文』の中、第四不妄語についての文言です。
「法輪本転無剰無欠。甘露一潤得実得真也。」
法輪はお釈迦様が説かれた教えのことです。教えを説かれることを法輪を転じる、と言います。お釈迦様の教えはお釈迦様がお亡くなりになった後も、説かれ続けていますので、法輪は転じ続けられているのです。曹渓寺(チョゲサ)の本堂の前の、法輪を象徴した石造の輪には「八正道」の文字が刻まれています。
不妄語の直訳の意味は、「嘘をつきません」ということですが、道元禅師様は「嘘をつけないようにできている」とお説きなのです。
天地の姿がここに現れているのだから、嘘をつきようがないのだ、という解釈です。ですから、天地の現れに過不足はない、転法輪は真理をお説きなのですから真理に過不足はない、ということになります。甘露は仏の説かれた説法が甘露の法雨ですから、甘露の法雨が天地を潤して真実がわかる、ということになりましょうか。
今日は、朝からめまいに襲われていましたが、来客に継ぐ来客であまりに忙しく、めまいどころではありませんでした。しかし、めまいは胃からきている、とこの頃わかりましたからなんとかお湯を沸かして梅肉エキスを飲みました。さらに千ぶりを飲みました。そうしてあまりにお腹が冷えている感じがありましたので、ホカロンをあてましたら、めまいが収まりました。以前念の為に、脳のMRIをとりましたら、大変きれいな状態です、と言われましたので、心配はしていませんが、あまりに多くのことをこなさなくてはなりませんので、脳の中の交通整理は必要かもしれませんね。年末は仕事が多すぎますので、新年祈祷会は再来年からは止めようかと今から、再来年のことを思ったりしています。
皆様、くれぐれも御身お大切に。
12月25日(水)曇り【ソウル訪問記その7 韓国の精進料理】
今日も寒いですね。お正月のお札書きは終わりました。午前中は、応援の力を借りて、本堂にお参りの檀信徒の皆さんの為に椅子ならべを致しました。このお寺に入寺してから、少しづつ買い集めてきた椅子を総て並べました。お蔭様でいつのまにか檀信徒数が増えましたので、本堂一杯に椅子を並べました。
これから、まだまだ新年祈祷に向けて準備する仕事はありますが、ちょっと一休みしまして、ソウル訪問記の〆を書きたいと思ってブログを開けました。
その途中で、本覺スニムから電話が入りました。こういう一致が生きていてなんとなく面白いことですね。
さて、上の写真はお料理を並べた風景です。韓国では漢字を当てれば「寺刹飲食」という字になるようです。まことに多くの料理がテーブル一杯に並びます。それを自由に自分が食べられるだけ一皿に盛ります。僧堂では日本の僧堂にように鉢を使うでしょうが、お寺の中では、今はお皿を使います。とても合理的でもあります。僧侶だけではなく、信者さんもみな同じです。
そうして、それぞれのお寺でも精進料理です。ベジタリアンというだけではなく牛乳や卵もほとんど食べないと思います。ケーキなどに使われているのはそれは大丈夫です。牛乳や卵も食べないのは、西洋ではベジタリアンのなかでもヴィーガンベジタリアンというのでしょうか。(私もほとんど牛乳や卵をたべませんが、一か月に一個くらいは卵を食べることはあります。また私のことで恐縮ですが、魚はたまに食べます。)
日本の僧堂においては、ほとんど精進でしょうが、日本の場合はほとんどの僧侶は、僧堂から戻りますと、今は何でも食べますので、日本の精進料理はその場限りですが、韓国のお寺の料理は常に精進です。ですから寺刹の料理イコール精進料理ということになります。本音と建て前の違いが日本は、総てにおいてありますが、韓国の精進料理はその場限りではなく、正真正銘の寺刹の料理が精進料理です。伝統がありますので、比丘尼や比丘の健康を保つために料理に工夫が凝らされていますし、とても美味しいです。
また韓国の比丘尼の方々も比丘の方々もしっかりした体格です。私は精進料理はとても健康にも精神にもよいです、とお勧めしますが、私はとても痩せていますので、説得力にちょっと欠けます。ただいつも元気で跳び回っている姿だけは説得力になりますが。
今でもあるお寺を訪ねたときご馳走になったキムチはとても美味しく忘れられません。お寺ではニンニクは使いません。また特筆すべきことは、食事時でしたら、お寺の食堂でだれでも食事を食べさせてもらえます。
先日、宗務庁で曹洞宗総合研究センターの研究発表で、精進料理の特集がありました。各国、といいましてもヨーロッパやアメリカの精進料理を紹介していましたが、西洋では、お寺の精進料理というよりはマクロビオティック料理が意外と浸透していますので、その感覚の料理が多いと思いました。これはジョージ・オーサワ(桜沢如一)という日本人が、はじめ広めた健康法としての食養料理になります。(私は50年前、桜沢先生の奥様だったリマ先生の時代に学びました。)
韓国の寺刹料理は食養的でもあり、精進料理になります。食物の陰陽について研究なさっているかどうか分かりませんが、そのようなことも研究なさっていてくださると素晴らしいと、思います。なんといいましても、釈尊の教えを布教するためにも、比丘尼の皆様に健康であってほしいと願っています。
日本の僧侶の方々にも勿論健康を願いますが、一番問題は甘いお菓子が大敵ではないかと思っています。お寺は甘いお菓子を仏様にいただくことが多いので、それを全てご馳走になっていては、体は弱ります。陰陽で言いますならば、お砂糖はお塩より陰性が強いです。もともと頑健な陽性タイプの人や労働する人は、多少、陰性な食べ物でも体に害はないでしょうが、簡単に言いますならば、弱弱しい体の方には甘いお菓子は害になるでしょう。
精進料理にしても、白砂糖は厳禁と思います。私はほとんど、全くと言ってよいほどお砂糖は使いません。
とにかく現在あまりに癌でお亡くなりになる人が、檀信徒の方にも多く、残念に思っています。抗がん剤治療をしてお亡くなりになる方が多いので毎日の食事こそベストの薬であると常々思っています。あなたと健康社の東城百合子先生のもとでも三年間みっちり教えを受けましたが、食べ物がいかに重要であるか、痛感しています。その意味でも韓国の寺刹料理は大変優れていると思います。
寺刹料理のご紹介から、食養料理についてもちょっと書かせていただきました。皆様、どうぞご健康にご留意されて、大宇宙から任されてあるそれぞれのこの一度の身命お大事に。良いお年をお迎えくださいますよう。
12月24日(火)晴れ【ソウル訪問記その6 仏歌合唱団の衣装】
仏歌合唱団?と表現するとは思いませんが、わかりませんので勝手に便宜上つけさせていただきました。
この写真の前の男性たちはちょっとお邪魔なのですが、この方々が前に出る前の写真を撮りませんでしたのですみません。
今回は「祝歌」の多くを歌ってくれました。お祝いの場合であるかもしれませんが、皆さんの衣装がとても晴れやかです。
私は常日頃から思っていることですが、日本の梅花講の方々の制服がとても地味すぎるのではないでしょうか。
九年前に亡くなってしまった与木淳恵さんという梅花の特派布教をしていた親友にいつも言っていたのですが、もう少し梅花講の制服を洒落たデザインにできないのと。
私は御詠歌は致しませんので、門外漢なのですが、一般的な意見として、そのように思っています。
御詠歌の講員さんも若い方々はあまり入らないと、九年前にも聞いていましたが、現在もその傾向は変わらないようです。
韓国の合唱団の服装をご覧ください。とても華やかです。この頃はチマチョゴリは、日本の和服と同じで、巷ではあまりお召しになっていませんが
このような舞台では、きれいでよいのではないでしょうか。
美しくて、あのような衣装ならば着てみたい、という視点からも、現代の若い方々に御詠歌の講員さんを勧誘するために参考にしてはどうかしら、と思いブログに紹介しました。
誰か、こんな意見に賛同してくださる人はいませんか。
12月22日(日)曇り【ソウル訪問記その5 お米3000キロ贈呈】
比丘尼会に3000キロのお米を贈呈してくださったのは、江南区の区長さんです。日本ではこのような光景は見ることがないのではないでしょうか。
韓国のお寺は、日本の伝統宗教のお寺と違い、檀家制度はありません。信者さんたちによって成り立っていますので、日本の新宗教のようでありながら、長い歴史を持っています。何世代か前の、おそらく李大統領か、この大統領は儒教の信奉者でしたので、各家庭にあった仏壇を総て排除、廃棄させてしまいました。その結果今でも個人の家には仏壇がないそうです。
南北戦争以後アメリカ資本がドッと入ってきて、同時にキリスト教も入ってきました。そうして、多くの仏教寺院は街を出されて、山間部や田舎に追いやられてしまったそうです。ソウルの市内にも多くの教会が建ち十字架が目に入ります。それでも1700年の歴史を持つ仏教は根強く、多くの人々は仏教徒です。クリスチャンと仏教徒は半々かもしれません。
3000キロのお米を寄付してくださる奇特な方もいらっしゃるのです。この区長さんは仏教徒ということになります。
また、多額なご寄付を下さった方もいたそうですが、「年寄りがお金をただ持っていてもどうなるでしょう。このようなことに寄付するためにお金はあるのです」というようなことをおっしゃる方もいるそうです。まことに羨ましい限りです。しかし、それも日頃から、人々の信仰心を大事にしているからではないでしょうか。
信者さんによって成り立っている、と書きましたが、まことに一人一人の方の信仰心を大事にしていることは、説法をなさっているときの姿勢で、たとえ韓国語がわからない私にもよく伝わってくる場面を、今までも何回も目にしています。
私も本当に学びたいと思っています。
さて、今夜は日本の私が守っているお寺あたりも雪が降りそうです。皆さん風邪を引かないようにお気を付けくださいますよう。
韓国語でサル20㎏と書かれているので、これは一袋お米20キロが入っているようです。比丘尼会館の入り口に積まれていました。
12月20日(金)晴れ【ソウル訪問記その4 就任の辞 続き】
上の写真は、本覚会長とともに比丘尼会をけん引していく役員の方々です。
30人以上の役員が皆、会長とともに働きたいという喜びが溢れていました。
本覚会長のためならば、それぞれのお寺は弟子さんたちに任せて、比丘尼会館に泊まり込んで全国の比丘尼の為に働こうという方々です。本覚さんにそれだけの人望があるのです。
少し話は別のことになりますが、韓国の人々を日本人の一部の方々は誤解しているかもしれません。
韓国の人々は大変にプライドの高い民族だと私は受け取っています。
また、反日の運動をしている人々は、ごく一部の人たちであり、学校教育もかつての日本のX教組のような偏った思想の人々が扇動しているきらいがあります。記憶力のよい韓国の人々は、豊臣秀吉からの恨みは忘れていませんが、この地球の片隅で隣国同士助け合って生きていきたいとひたすらに願っています。
さて、本覚会長の就任の辞の続きをご紹介します。
また比丘尼僧伽の跳躍のための人材育成に尽力いたします。未来を準備する長い目で、多様な研修プログラムと伝法活動に適用できる教育プログラムを導入して、比丘尼僧伽の修行伝統の基礎となる初心行者と沙弥尼たちの教育環境を念入りに調べて、1700年間、悠々と続いてきた比丘尼僧伽の法脈が綿々とつながるように尽力いたします。
そして、社会問題に積極的に対処することで、わが社会の疎外されたところまで仏様の慈悲光明が照らされるように努力します。社会福祉の分野で活躍している比丘尼スニムたちの力量と成果をもとに、両極化・女性の労働・人権・階層間の葛藤など、わが社会の多様な問題に対する解決法を提示し、韓国仏教が持っている大乗の価値を具現する時代的な使命を果たします。
さらに4次産業革命の時代を迎えて、韓国仏教の志向点を提示する比丘尼僧伽を作っていきます。比丘尼僧伽の長い伝統を受け継ぎ、韓国社会の精神文化を培った歴史をもとに、韓国仏教の新しい地平を切り開いていくつもりです。寺刹飲食(精進料理)、テンプルスティ(Templestay)分野での活躍をきっかけに、世界から注目を集めている韓国比丘尼スニムたちの歴史にスポットを当てる様々なデジタルコンテンツを開発し、全国比丘尼会に所属する比丘尼僧伽研究所を再稼働して第4次産業革命時代を先導する全国比丘尼会を作っていきます。
比丘尼僧伽を支える力は、まさに比丘尼スニム皆が僧伽の一員だという自負心を持つことです。私が出馬を決意した時、スニムたちと約束したそれを誠実に履行して、我々の比丘尼スニムたちが自負心を持って、修行と仏法弘布に邁進できるよう手助けします。現在、比丘尼スニムたちは修行、教育、布教、社会活動などのいろいろな問題を、一人で悩み、苦しんでいます。これに対して、全国比丘尼会館は閉じた門をぱっと開けて、担当者が常に居ながら、相談、法律諮問を通じ、スニムたちのお悩みに耳を傾け、一緒に解決していくように心を合わせます。
この壮大な課業は私一人の力では足りません。比丘尼僧伽が跳躍するためには、一緒に歩む力強い道伴(同伴)が必要です。その道伴こそまさに皆様です。私が行おうとする道に関心と激励を送ってください。そして未熟なことについては愛情のこもった批判と叱責をお願いいたします。
これから私は4年という任務期間の間、絶えず精進して比丘尼僧伽と韓国仏教の新しい歴史を切り開いていきます。全国比丘尼会の新たな跳躍のため、皆が和合する大きな誓いで、心を合わせてください。 ご清聴まことに有難うございました。
佛紀 2563(2019)年11月13日 大韓仏教 曹渓宗 第12代 全国比丘尼会 会長 陳 本覺
*佛紀 2563ということは、韓国仏教では、釈尊のご入滅は紀元前544年ということなのだろうか。
最近 森章司先生たちの研究で、詳細に論証されていますので、いつかご紹介させてもらいます。
12月17日(火)雨【ソウル訪問記3 就任の辞】
本覚スニムの就任の辞を次に紹介します。日本に留学していたスニムが訳してくださいました。
まことに心打たれる就任の辞です。私も自分でパソコンに打ち込みながら、改めて感動しています。言葉通り実行なさる方であると、長い交流によってわかっています。
二回に分けてご紹介します。韓国の尼僧界を垣間見せていただくこともできます。何回も韓国には訪問し、このブログにもそのうちの何回かは書いてきましたが、いつも案内してくださっていたスニムが会長になられたのです。
誠実な真実の言葉をお読みくださいませ。
就任の辞
韓国の比丘尼僧伽の新しい跳躍を熱望しながら、私がこの場に立つことができるように支えてくださった、6千余りの比丘尼スニムたちに御礼申し上げます。また、4年間、全国比丘尼会の発展と安定のために努力してくださった第11代全国比丘尼会会長六門スニムはじめ前執行部にも感謝と尊敬のお言葉を申し上げます。
第12代全国比丘尼会会長という役割を担った今日、私は何よりもまず、重い責任を感じております。変化を望む比丘尼スニムたちの願いと熱望をよく知っているので、全国比丘尼会会長として踏み出す一歩一歩が大変重要です。これから私は慎重ながらもためらわない足取りで、比丘尼僧伽の発展のために最善を尽くすつもりです。
まず”疎通と和合、そして努力”という価値が、比丘尼僧伽に根を下ろせるよう努力していくつもりです。第11代全国比丘尼会が成し遂げた業績を踏み台にして、これからは疎通の力で、新たな跳躍を準備しなければならないです。大衆公議によって運営される開いている、全国6千余りの比丘尼たちが信じて頼れる全国比丘尼会を作っていきます。そのために、比丘尼僧伽の力を結集できる効率的な組織と行政体系を造成し、実践力を担保します。
比丘尼スニムたちが安定的な修行と伝法に邁進できるよう、福祉体系も補います。安定的な修行の環境は、”伝法実現と仏法弘布”という出家の初発心を守り抜くことができる最も基本的な条件です。これまで、基本的な医療サービスや老後の住居などで、疎外されていた比丘尼スニムたちの苦しみが繰り返されないよう、努力いたします。
(以下 続)
12月13日(金)曇り夜は晴れて月美しい【これは何でしょうか】
ソウル訪問記を書きたいのですが、なかなか時間が取れません。
さて、上の写真のザルは何だとお思いですか。
すぐお分かりかもわかりませんが、これはゴキちゃん除け、です。
仏間にゴキちゃんが出ることがわかり、生け捕りしたことがありましたが、
やはり食べるものを長く置いておく場合心配ですので、このようにザルをかぶせることにしました。
湯気の立っている間、お供えしておくのがよいですが、少しゆっくりあげておきたいものもあります。
このようにザルをかぶせてはどうか、と考えた次第です。
今夜も寒いですね。お月様がとてもきれいでした。
今夜は同じ年の檀家さんのお通夜でした。とても家族を大事にし、仕事を誠実にやり遂げた方でした。
彼を送る引導法語を書けましたので、一筆皆様に風邪のご用心と、健康にご留意くださいますようにとお伝えしたくブログを更新しました。
他人ごとではないあの世への旅立ち、いつも送る側の私ですが、そのうち送られる側になることでしょう。
そうして、このようにゴキちゃん除けのお供えをしてもらうようになるかもしれませんね。
#ゴキブリ除け