1月27日(金)晴れ【永井政之先生最終講義 「異類中行」私考】
昨日は駒澤大学で永井政之教授の最終講義がありました、定年で退職なさるときに、最終講義が行われます。演題は「異類中行」私考ー禅僧の民衆教化」でした。
この異類中行(いるいちゅうぎょう)という言葉は分かりづらい表現ではないでしょうか。『禅学大辞典』によれば「発願利生の菩薩が成仏して後、涅槃の本城に安住しないで生死の迷界、六道輪廻に身を転じながら一切の有情を済度すること。異類中に自己を投げ入れて利他行をすること」と記されています。
南泉普願(なんせんふがん748~835)に、南泉水牯牛(なんせんすいこぎゅう)という話があり、また潙山霊祐(いさんれいゆう771~853)に潙山水牯牛の話があります。
南泉がいよいよ最後の時、首座(しゅそ)さんが「和尚さんはどこにいかれるのですか」と尋ねると「山下の檀越の家の水牯牛になりにゆくか」と答えました。「それじゃ、私もついて行きます」と首座が言いますと、「ついてくるなら、藁一本持ってついておいで」と答えました。さらに「わしに去来があるなどと言うなよ」と言い終わって遷化(せんげ)されたと言います。
潙山も示寂(じじゃく)に臨んで大衆に言いました。「わしは百年後(死後の意味)、山下の水牯牛になるだろう。その脇腹には潙山僧霊祐と書いて生まれ変わるが、このとき、潙山の僧と喚ぶか、水牯牛と喚ぶか、潙山の僧霊祐と喚べば水牯牛だし、水牯牛と喚べば潙山の僧霊祐だ。おまえさんたちは、さあ、なんと喚ぶかね」
と、このような話が異類中行に関する話として残されています。上記の和訳は私の著書『中国禅僧祖師伝』(宗務庁刊)から抜き出しました。また自分でも改めてこの意味を参究したいと思って、読み返してみました。
永井先生の、異類中行とは、「仏教と関係ない人たちとどうやっていくか」、また「なかなか分かってくれそうもない人たちとどうかかわっていくか」という表現によって、私自身は得心いたしました。
『中国禅僧祖師伝』を書きながら、十分には理解していなかったと思っています。南泉も潙山も、生きているときも法を説き続け、死してなお、法を説き続けていく姿が、異類中行のさらに水牯牛の話であったかと、今、思っています。
永井先生は如如居士顔丙(にょにょこじがんべい1212示寂)という大慧の弟子の可庵慧然について得法した居士を紹介なさいました。僧侶ではなく居士でありながら、上堂もし、葬送も司ったそうです。また職業別にそれぞれの生活にあった修行方法を説いたという方です。
永井先生は大学を退職なさいますので、これからの御覚悟として、ご自身の道として異類中行を最終講義に取り上げてくださったのではないかと、私は思いました。
現在駒澤大学に学んでいる萩原欽一さんも、花束の贈呈をなさいました。実は、私も先生の「宗研に入らないか」の一言で、すでに高齢の私でしたが、曹洞宗総合研究センターの宗学研究部門に入ることができ、研究生活を送らせていただけましたので、花束をお渡ししたいところでした。同郷でもあり同年代ではありますが大先輩の最終講義で、本当に得心いくように学ばせていただいた講義でした。
写真を撮らせていただかなかったので残念でした。全く言葉の分からない我が家の異類の写真では申し訳ないですが。