風月庵だより

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永井政之先生最終講義 「異類中行」私考

2017-01-27 11:02:47 | Weblog

1月27日(金)晴れ【永井政之先生最終講義 「異類中行」私考】

昨日は駒澤大学で永井政之教授の最終講義がありました、定年で退職なさるときに、最終講義が行われます。演題は「異類中行」私考ー禅僧の民衆教化」でした。

この異類中行(いるいちゅうぎょう)という言葉は分かりづらい表現ではないでしょうか。『禅学大辞典』によれば「発願利生の菩薩が成仏して後、涅槃の本城に安住しないで生死の迷界、六道輪廻に身を転じながら一切の有情を済度すること。異類中に自己を投げ入れて利他行をすること」と記されています。

南泉普願(なんせんふがん748~835)に、南泉水牯牛(なんせんすいこぎゅう)という話があり、また潙山霊祐(いさんれいゆう771~853)に潙山水牯牛の話があります。

南泉がいよいよ最後の時、首座(しゅそ)さんが「和尚さんはどこにいかれるのですか」と尋ねると「山下の檀越の家の水牯牛になりにゆくか」と答えました。「それじゃ、私もついて行きます」と首座が言いますと、「ついてくるなら、藁一本持ってついておいで」と答えました。さらに「わしに去来があるなどと言うなよ」と言い終わって遷化(せんげ)されたと言います。

潙山も示寂(じじゃく)に臨んで大衆に言いました。「わしは百年後(死後の意味)、山下の水牯牛になるだろう。その脇腹には潙山僧霊祐と書いて生まれ変わるが、このとき、潙山の僧と喚ぶか、水牯牛と喚ぶか、潙山の僧霊祐と喚べば水牯牛だし、水牯牛と喚べば潙山の僧霊祐だ。おまえさんたちは、さあ、なんと喚ぶかね」

と、このような話が異類中行に関する話として残されています。上記の和訳は私の著書『中国禅僧祖師伝』(宗務庁刊)から抜き出しました。また自分でも改めてこの意味を参究したいと思って、読み返してみました。

永井先生の、異類中行とは、「仏教と関係ない人たちとどうやっていくか」、また「なかなか分かってくれそうもない人たちとどうかかわっていくか」という表現によって、私自身は得心いたしました。

『中国禅僧祖師伝』を書きながら、十分には理解していなかったと思っています。南泉も潙山も、生きているときも法を説き続け、死してなお、法を説き続けていく姿が、異類中行のさらに水牯牛の話であったかと、今、思っています。

永井先生は如如居士顔丙(にょにょこじがんべい1212示寂)という大慧の弟子の可庵慧然について得法した居士を紹介なさいました。僧侶ではなく居士でありながら、上堂もし、葬送も司ったそうです。また職業別にそれぞれの生活にあった修行方法を説いたという方です。

永井先生は大学を退職なさいますので、これからの御覚悟として、ご自身の道として異類中行を最終講義に取り上げてくださったのではないかと、私は思いました。

現在駒澤大学に学んでいる萩原欽一さんも、花束の贈呈をなさいました。実は、私も先生の「宗研に入らないか」の一言で、すでに高齢の私でしたが、曹洞宗総合研究センターの宗学研究部門に入ることができ、研究生活を送らせていただけましたので、花束をお渡ししたいところでした。同郷でもあり同年代ではありますが大先輩の最終講義で、本当に得心いくように学ばせていただいた講義でした。

写真を撮らせていただかなかったので残念でした。全く言葉の分からない我が家の異類の写真では申し訳ないですが。

 

 

 

 


長年の相棒 カーナビダウン

2017-01-20 15:41:59 | Weblog

1月20日(金)曇り【長年の相棒 カーナビダウン】

今日は寒いですね。やはり雪が降るかもしれません。世は、トランプ大統領就任式を控えて騒がしいようです。これから世界情勢はどうなることでしょう。反対のデモをすることによって、トランプさんの人種差別意識に少しでも抑制がきくと、デモをする意味もあるかもしれません。今の日本人には、トランプさんのような人が、政治家として表舞台で活躍することは、理解しにくい現象ではないでしょうか。しかし、戦前は、かなり無謀な考えの政治家や軍人が大手を振って表舞台で活動していた時代もありました。

現時点では人種差別意識といえますが、あと数時間で人種差別政策になっていくと怖いですね。そうならないことを願うのみです。日本人は、まさか自分たちは問題外と思っているかもしれませんが、黄色人種として差別されないともかぎりません。

さて、長年使っていましたカーナビが壊れてしまいました。2001年に購入したパナソニックKX-GT30という代物です。まだそんな古いのを使っていたの、と言われるかもしれませんが、今まで全く問題なく大活躍をして、私の仕事を助けてくれました。実はさいたま新都心駅の近くを走っているときに、急に赤とんぼが動かなくなりました。新都心駅を離れましたので、電源を入れ直しましたが、全く反応しなくなりました。

以前、やはり新都心駅の周辺で赤とんぼが動かなくなってしまったのですが、駅の周辺を離れましたら、また動き始めましたので、同じ不都合かと思っていたのですが、お寺に帰ってから、接続を抜いて入れ直しをしたりしましたが、全くデータを読み込めなくなりました。ついにダウンしてしまったようです。

私は新都心のあたりは官庁が移転してきて、なにか電波障害のようなことがあるのだろうか、と素人考えでいたのですが、ある人は、大型トラックの無線による障害ではないか、という意見もあります。とにかく長い間、あちこちの仕事に行くのを助けてくれたカーナビですし、時折は全くとんでもない遠回りをさせられることもあり、時折は「その道はダメ」などとナビに怒ったりしたこともありますが、「運転が長時間に及んでいます。しばらく休憩をしませんか」と心配もしてくれた相棒です。この相棒のお蔭で、私は知人のお寺のお手伝いで、あちこちのお宅にお経に伺い、糊口を凌いできた時代もありましたし、いろいろと難問を解決しなくてはならないときもあり、分かりづらい場所にも行かねばならないときなど、本当に助けられてきました。

新しいカーナビをつけました。あまり遠出はもうしないでしょうが、これからは新しい相棒とともに、運転には気をつけたいと思っています。

カーナビの故障でしたら、カーナビを取り替えれば問題は解消しますが、GPSがもし問題を起こしましたら、一大事です。世界の舵取りを、どうぞ、トランプ大統領さん、あまり世界を狂わせないように、しっかりと舵取りをしていただけますようにと、願ってやみません。

 

 


ルナのご挨拶

2017-01-08 17:18:58 | Weblog

1月8日(日)曇り【ルナのご挨拶】

今日は、寒いです。ご訪問くださる皆さんの街は、いかがですか。もしかしたら今夜は雪かもしれません。でもお陰様で、5日の新年の御祈祷会も本日の「写経と法話の会」も雪の降らないうちに勤めることができました。私にとりましては、これからようやく一息つけるという一年の始まりです。

当寺の御祈祷会は、檀家さんたちも一緒に、一年の初めの修行を勤めるという差定にしています。お釈迦様の御名も唱えます。曹洞宗は、浄土宗や浄土真宗のように「南無阿弥陀仏」とおとなえすることも、日蓮宗系のように「南無妙法蓮華経」とおとなえすることもないのですが、「南無大恩教主本師釈迦牟尼仏」と当寺はおとなえします。

『般若心経』と『修証義』もおとなえします。御祈祷太鼓にあわせて、僧侶だけがおとなえするお経もあります。略三宝(十方三世一切諸仏 諸尊菩薩摩訶薩 摩訶般若波羅蜜多)もご一緒におとなえします。前後の三拝ももちろんご一緒にいたします。

住職である私は、ほかにも御祈祷の諸々をします。法要は、僧侶の独壇場では、ならないと思います。それでは檀家さんたちは、ただ有り難く(?)眺めているしかないでしょう。そうではなく、ともに信仰を身をもって表し、体験しなくては信仰は育たないと思います。檀家さんたちの信仰を置き去りにしてはならないでしょう。

と、口幅ったいことを申しまして、失礼いたしました。多くのお寺で、そのような法要がなされていると思います。

ご訪問の皆様で、仏教に興味のある方は、是非私の著書であります『修証義解説』(佼成出版社)を、ご一読いただければ幸甚です。アマゾンで扱われています。

タイトルは、ルナのご挨拶ですので、久々にルナを登場させていただきます。皆様のこの一年も、どうぞ諸災消除、諸縁吉祥でありますように。

 

 


新年祈禱

2017-01-01 15:47:16 | Weblog

平成29年1月1日(日)晴れ、暖か【新年祈祷】

ついに新年です。元旦祈祷を午前12時1分から始めました。いつも3時間くらいかかります。三が日の間は、檀信徒の皆様の顔やその家のことを思いながら、御祈祷をします。毎年だんだんに、御祈祷の方法が深まっていく感じがします。

自分の力で、祈願をしようというのではなく、仏菩薩のお蔭をいただいて、お勤めさせていただいています。

しかし、今は、ちょっと眠くなりました。

皆様の本年の身体健全と諸縁吉祥を願っています。

今年も年賀状をこれから書き出すという状態です。毎年いつもぎりぎりに準備で追われています。

五日の檀信徒の人たちとの新年祈祷を迎えるまで、気が抜けません。

今年こそは、少し余裕のある日々になりますように、努力したいと思います。

先ほど、作りなおした不老帽をお被りのお地蔵様より、あけましておめでとうございます。