10月29日【山口の旅4 龍文寺歴住の墓所】(龍文寺墓所)
龍文寺歴代住職の墓所は山門の前の山の中にあった。開山竹居禅師から器之禅師や現在まで51代の住職の卵塔の並ぶ墓所で、一時間も過ごしてしまった。ほとんど朽ちて字は一切残っていない器之禅師のお墓であるが、他の単純な形の卵塔に比べて、あまりに洒落ていた。4世の弟子大庵須益禅師が建てた、当時のものかどうかは分からない。開山と2世の墓はあっさりとした卵塔である。
器之禅師の語録は大阪、奈良、京都、静岡などのお寺に書写したものが残されていることからも分かるように、日本の各地から雲衲が集まって教えを受けていたことが推察される。器之禅師が遷化なさったときはおそらく教えを受けた禅僧たちが駆けつけたのではなかろうか。弟子の大庵禅師は大寧寺から馳せ参じたという記録が残されている。この度バスや電車を使って、長門の大寧寺から周防の龍文寺まで訪ねてきたが、当時は峠を越えたりしての徒歩によるルートもあったと思うが、船を使っての往来も盛んであったろうことが現地を訪問して実感できた。
大内氏の対韓貿易を盛んにできたのも、船が充分に往来していたからであろう。龍文寺の脇には錦川が流れているが、この川を使って木材の切り出しも盛んになされたそうで、建物を造るだけでなく、造船にも大いに役に立っていたのではないかと想像する。すぐに駆けつけるにしても船に乗って来た可能性が高い。
さて、器之禅師は晩年、視雲亭という隱居所を建てて、悠々と空行く雲を友として遊んだ、ということが資料から読むことができるが、その跡は、今は一切残っていない。
そう言えば私も雲が好きで、いつも雲ばかり眺めている。器之禅師には及びもつかないが、趣味だけは似ていたようである。思いがけない類似点からの縁が、500年前からの縁を運んできたのかも知れない。禅師はかなりの学僧でその時代では有名であったようだ。そのような人の跡を追いかけるのは、そろそろやめようかと思っていたが、この山口行きで、もう少し頑張ってみようかという気がしてきた。現地を味わうと500年前のその人が少し身近に感じられるということは面白い。器之禅師さん、あらためまして、こんにちは、という感じである。しかしそこからなにを学ぶのかが問題だ。知識が増えるだけでは先行き短い命を賭ける意味がないだろう。
歴代の墓所に佇んで、この地で修行した禅僧たちの目指したものはなんであったかと思いを馳せた。器之為璠の伝言は何か。禅僧としていかに生きたか。それを学んで如何に生きるか。
龍文寺歴代住職の墓所は山門の前の山の中にあった。開山竹居禅師から器之禅師や現在まで51代の住職の卵塔の並ぶ墓所で、一時間も過ごしてしまった。ほとんど朽ちて字は一切残っていない器之禅師のお墓であるが、他の単純な形の卵塔に比べて、あまりに洒落ていた。4世の弟子大庵須益禅師が建てた、当時のものかどうかは分からない。開山と2世の墓はあっさりとした卵塔である。
器之禅師の語録は大阪、奈良、京都、静岡などのお寺に書写したものが残されていることからも分かるように、日本の各地から雲衲が集まって教えを受けていたことが推察される。器之禅師が遷化なさったときはおそらく教えを受けた禅僧たちが駆けつけたのではなかろうか。弟子の大庵禅師は大寧寺から馳せ参じたという記録が残されている。この度バスや電車を使って、長門の大寧寺から周防の龍文寺まで訪ねてきたが、当時は峠を越えたりしての徒歩によるルートもあったと思うが、船を使っての往来も盛んであったろうことが現地を訪問して実感できた。
大内氏の対韓貿易を盛んにできたのも、船が充分に往来していたからであろう。龍文寺の脇には錦川が流れているが、この川を使って木材の切り出しも盛んになされたそうで、建物を造るだけでなく、造船にも大いに役に立っていたのではないかと想像する。すぐに駆けつけるにしても船に乗って来た可能性が高い。
さて、器之禅師は晩年、視雲亭という隱居所を建てて、悠々と空行く雲を友として遊んだ、ということが資料から読むことができるが、その跡は、今は一切残っていない。
そう言えば私も雲が好きで、いつも雲ばかり眺めている。器之禅師には及びもつかないが、趣味だけは似ていたようである。思いがけない類似点からの縁が、500年前からの縁を運んできたのかも知れない。禅師はかなりの学僧でその時代では有名であったようだ。そのような人の跡を追いかけるのは、そろそろやめようかと思っていたが、この山口行きで、もう少し頑張ってみようかという気がしてきた。現地を味わうと500年前のその人が少し身近に感じられるということは面白い。器之禅師さん、あらためまして、こんにちは、という感じである。しかしそこからなにを学ぶのかが問題だ。知識が増えるだけでは先行き短い命を賭ける意味がないだろう。
歴代の墓所に佇んで、この地で修行した禅僧たちの目指したものはなんであったかと思いを馳せた。器之為璠の伝言は何か。禅僧としていかに生きたか。それを学んで如何に生きるか。