5月26日(土)晴れ暑し【約束の旅路】(日の出、著作権の問題がありパンフレットの写真は使えないと思いますので、願いをこめて日の出にしました。)
あなたは「モーセ作戦」をご存じですか。「ソロモン作戦」をご存じですか。
『約束の旅路』という映画で私は知りました。
「モーセ作戦」と「ソロモン作戦」とはエチオピア系ユダヤ人をイスラエルに救出するために行われた作戦のことで、1984年11月から85年1月にかけて行われた作戦をモーセ作戦といい、91年に行われたのをソロモン作戦といった。スーダンの難民施設から、モーセ作戦では8000人、ソロモン作戦では15000人のエチオピア系ユダヤ人が、旱魃の危機から救われてイスラエルに移送されたのである。
エチオピア系ユダヤ人はアフリカの黒人の中で唯一のユダヤ人である。彼等は先祖代々ユダヤ教を信じ、いつの日か聖地エルサレムに帰還できることを夢みていた。その日がついに来たのだ。
時のイスラエルを掌握していたメンギスツ政権はエチオピア系ユダヤ人(ファラシャー土地を持たない者ーと侮蔑的に呼ばれている)の移住を禁じていた。彼等がスーダンまで逃れてきたら、そこから飛行機で脱出させるという計画が、アメリカとイスラエルの支援を受けて実行されたのである。
彼等はエチオピアを抜け出しスーダンの難民キャンプに辿り着くまで、徒歩で数千キロもの旅を続けた。途中で多くの人々が飢餓や病気で死んだり、裏切りにあって殺されたり、苦難の旅路であった。
しかし難民の中には、旱魃から逃れてきた、ユダヤ人ではないエチオピア人も多くいた。その中にこの映画の主人公、シュロモ(9歳)がいる。シュロモの母はたった一人残った家族のシュロモを、エチオピア系ユダヤ人として偽り、イスラエルに逃れさせようとしたのである。この難民キャンプで暮らすより、よいところに違いないことを母は知っていた。ちょうど同じ年頃の息子を失ったエチオピア系ユダヤ人の女性が彼を息子と偽って飛行機に乗せてくれたのである。
シュロモの母は言った。母にすがりついて離れようとしない幼い息子を突き放して言った。「行きなさい、生きて、そして(何かに)なりなさい」と。
これが原題の”Va,vis et deviens"である。
決してユダヤ人ではないということを言ってはならない、とその母にも、またイスラエルに連れて行ってくれた母代わりの女性が亡くなるときにも、シュロモは約束をさせられた。ユダヤ人でないとわかれば、直ちにスーダンに送り返されてしまうのだから。
シュロモは理解ある養父母とその家族の愛を受けて、成長する。この映画は彼が少年から青年になり、「国境無き医師団」の医師の一人としてスーダンに戻るまでが描かれている。そして……(最後のクライマックスであり、作者が訴えたかったシーンはこれからご覧になる人のために書くのは控えます)
6月1日まで神保町の岩波ホールで上映されているので、観に行くことのできる方には是非お勧めしたいので、これ以上は書きません。
私はこの映画を観て、世界を知ることは自らを知ることである、とあらためて感じました。世界には苦難の道を歩んでいる地球人類としての同朋がどれほどに多いことか。あらためてこのたび日本人としてこの時代に生きている自分を照らし観ます。
そしてアフリカの難民の人々を思います。未だ戦火のやまないイスラエルとパレスチナの人々を思います。イラクの人々を思います。アフガンの人々を思います。北朝鮮に拉致された人々を思います。貧困にあえぐ人々を思います。圧政に苦しむ人々を思います。幼くして過酷な労働を課せられている子供たちを思います。普通の生活が全ての人々に得られますように。
*『約束の旅路』監督ラデュ・ミヘイレアニュ(ルーマニア系ユダヤ人)、2005年フランス映画
もし観に行けない方には小説もでています。
*『約束の旅路』ラデュ・ミヘイレアニュ、アラン・デュグラン著 小梁吉章訳、集英社文庫
あなたは「モーセ作戦」をご存じですか。「ソロモン作戦」をご存じですか。
『約束の旅路』という映画で私は知りました。
「モーセ作戦」と「ソロモン作戦」とはエチオピア系ユダヤ人をイスラエルに救出するために行われた作戦のことで、1984年11月から85年1月にかけて行われた作戦をモーセ作戦といい、91年に行われたのをソロモン作戦といった。スーダンの難民施設から、モーセ作戦では8000人、ソロモン作戦では15000人のエチオピア系ユダヤ人が、旱魃の危機から救われてイスラエルに移送されたのである。
エチオピア系ユダヤ人はアフリカの黒人の中で唯一のユダヤ人である。彼等は先祖代々ユダヤ教を信じ、いつの日か聖地エルサレムに帰還できることを夢みていた。その日がついに来たのだ。
時のイスラエルを掌握していたメンギスツ政権はエチオピア系ユダヤ人(ファラシャー土地を持たない者ーと侮蔑的に呼ばれている)の移住を禁じていた。彼等がスーダンまで逃れてきたら、そこから飛行機で脱出させるという計画が、アメリカとイスラエルの支援を受けて実行されたのである。
彼等はエチオピアを抜け出しスーダンの難民キャンプに辿り着くまで、徒歩で数千キロもの旅を続けた。途中で多くの人々が飢餓や病気で死んだり、裏切りにあって殺されたり、苦難の旅路であった。
しかし難民の中には、旱魃から逃れてきた、ユダヤ人ではないエチオピア人も多くいた。その中にこの映画の主人公、シュロモ(9歳)がいる。シュロモの母はたった一人残った家族のシュロモを、エチオピア系ユダヤ人として偽り、イスラエルに逃れさせようとしたのである。この難民キャンプで暮らすより、よいところに違いないことを母は知っていた。ちょうど同じ年頃の息子を失ったエチオピア系ユダヤ人の女性が彼を息子と偽って飛行機に乗せてくれたのである。
シュロモの母は言った。母にすがりついて離れようとしない幼い息子を突き放して言った。「行きなさい、生きて、そして(何かに)なりなさい」と。
これが原題の”Va,vis et deviens"である。
決してユダヤ人ではないということを言ってはならない、とその母にも、またイスラエルに連れて行ってくれた母代わりの女性が亡くなるときにも、シュロモは約束をさせられた。ユダヤ人でないとわかれば、直ちにスーダンに送り返されてしまうのだから。
シュロモは理解ある養父母とその家族の愛を受けて、成長する。この映画は彼が少年から青年になり、「国境無き医師団」の医師の一人としてスーダンに戻るまでが描かれている。そして……(最後のクライマックスであり、作者が訴えたかったシーンはこれからご覧になる人のために書くのは控えます)
6月1日まで神保町の岩波ホールで上映されているので、観に行くことのできる方には是非お勧めしたいので、これ以上は書きません。
私はこの映画を観て、世界を知ることは自らを知ることである、とあらためて感じました。世界には苦難の道を歩んでいる地球人類としての同朋がどれほどに多いことか。あらためてこのたび日本人としてこの時代に生きている自分を照らし観ます。
そしてアフリカの難民の人々を思います。未だ戦火のやまないイスラエルとパレスチナの人々を思います。イラクの人々を思います。アフガンの人々を思います。北朝鮮に拉致された人々を思います。貧困にあえぐ人々を思います。圧政に苦しむ人々を思います。幼くして過酷な労働を課せられている子供たちを思います。普通の生活が全ての人々に得られますように。
*『約束の旅路』監督ラデュ・ミヘイレアニュ(ルーマニア系ユダヤ人)、2005年フランス映画
もし観に行けない方には小説もでています。
*『約束の旅路』ラデュ・ミヘイレアニュ、アラン・デュグラン著 小梁吉章訳、集英社文庫