風月庵だより

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苦しみからの解放

2019-01-26 20:03:30 | Weblog

1月26日(土)晴れ後曇り 大変寒い【苦しみからの解放】

このところ、私は苦しんでいました。いかにしてこの苦しみを乗り越えるか、仏弟子として釈尊の教えに真摯に向き合いました。

なぜ苦しんだのか/それは自分の望んだようにはならなかったからに他なりません/私の描いていた青写真がズタズタになったからに他なりません/それも最も私がそうなってはほしくない、という方向にいったからに他なりません/つまりこの苦しみは私が創り出したものに他なりません/私の思いが裏切られたのであり/その人間は私を裏切ったわけではないのです/その人間は自分の望み通りの道を歩いていきたいだけなのです/

世の中の親たちは、子供が自分の思うとおりに生きてくれないと、さんざん苦労して育てたのに、と苦しむことでしょう。

しかし、望まなければ、どこにも苦しみは生じないのです/夜中にふと目が覚めて/どうしてなのか/と、怒りにさえ近い思いが沸き上がってきていました/そうして、このような思いは一体どこから湧いてくるのだろうか/この頭の中からだろうか/胸の中からだろうか/思いの湧き出る元は/この心身のいずこからなのか/と、思ったりしていました/とにかく、自分の全く望まない方向に行ってしまわれて/がっかりしてしまったのです/我が人生でこれほどがっかりしたことがあろうか、/と思うほどがっかりしたのです/

しかし、苦しみのもとは、外にあるのではなく、自身の願望があったことで、この願望をなくせばよいのだ、と釈尊の教えに従いました。

四聖諦(ししょうたい)の教えこそ、釈尊のお説きくださった、人間が身も心も健やかに生きられる教えなのです。

苦諦ー現実世界はみな苦であるという真理/集諦(じったい)ー苦の因は煩悩や渇愛によるという真理/滅諦(めったい)ーそれを止滅についての真理/道諦(どうたい)-止滅させるための手段や修行についての真理/道諦では八正道が説かれる/

*今、『法華経』の現代語訳を読んでいるが、その中にわかりやすい表現がありました。(それぞれの如来も)…略…すなわち声聞たちのために、生・老・病・死・憂・悲・苦・悩・哀の超越のための安らぎ(涅槃)を究極とする四つの聖なる真理(四聖諦)と結びつき、縁起によって生じた法(十二因縁)を説かれた。(植木雅俊訳『法華経』)

自分が最も望まない方向にあることが行ってしまったが/それを苦しむのは/自身の願い思惑があったからで/それを捨てればすむことだ/他の者の人生はその者にお任せ/

私自身自分の思うように生きてきました

と、いうことで、皆さんもいろいろな苦しみはあるかもしれませんが、なんとか脱出を試みてくださいませね。

今日は寒かったですね。

(外猫ちゃんたちが、やっともとのように小屋に帰ってきてくれました。猫小屋の板も取り替えたり、敷物を新しくしたり、以前に使用していたこの子たちの匂いのついた寝床を置いたり、猫和尚は努力しました。猫ちゃんたちが、小屋に帰ってきてくれて嬉しかったです。子狸はどうしているか。)

 


子狸に泣く

2019-01-21 10:12:03 | Weblog

1月21日(月)晴れ【子狸に泣く】

外猫ちゃんたちの小屋に「おはよう」と声をかけたら/ 布団の中に見なれぬ毛色の動物の背中が見えました/つついてもビクともしません /他の猫ならば脱兎のごとく逃げ出すはずです /ホットカーペットをはがして見ましたら /子狸のようです /外に出そうとしましたが /全く出ようとしません/猫小屋中狸の臭いが充満しています/私が子供の頃/近所のおばさんが狸を2匹飼っていて/その家には狸の臭いがいつも充満していました/子狸はガリガリに痩せています/暖かい猫ちゃんたちの寝床でやっと寝ていたのです/

丁度総代さんがやってきてくださり、「布団ごと林に逃がしましょう」/小屋から出たがらない狸ちゃんを/やっと布団でくるみこんで/お寺の北の林に運んでくれました/布団から出された子狸は/一目散に林の方に逃げていきました/

哀れな子狸よ/あんたは生きていけるのか/食べ物をあげてももう食べられないでしょう/と総代さんは言う/狸を見なれていて/わかるのだろうか/たとえ食べる力があったとしても/食べ物をあげることはできない/猫ちゃんたちがやられてしまうだろうし/臭い狸ちゃんを飼うことはできないのだから/可哀そうだね/可哀そうだね/可哀そうだね/あんたを助けてあげられなくて/私は無慈悲だね/偉そうなことは言えない/一匹の子狸を助けられないお坊さんか、私は/芭蕉の言葉を思い出す/汝の性(さが)の拙(つたな)きに泣け/富士川のほとりで泣いていた捨て子/芭蕉は袂から食べ物を投げてやり/ただこれ天にして、汝の性の拙きに泣け/と野ざらし紀行に/書いていた/あーあ、私は無慈悲だ/皮膚病なのか、毛の抜けてやせ細った/病の子狸よ/生き延びよ、とは思わない/暖かい布団の中で眠ることのできた/それを冥途の土産にして/あまり苦しまないで旅立っておくれ/

芭蕉の野ざらし紀行の一文を、学生時代に読んだとき、芭蕉は何と冷たいのか、と思ったが、その時はわからなかったのだ。芭蕉は心の中で泣いていただろうと、私は、今、思う。

#子狸

#芭蕉

#野ざらし紀行

 


朝日を食べる効用ーストレス対処法

2019-01-15 18:17:23 | Weblog

1月15日(火)晴れ【朝日を食べる効用ーストレス対処法】

今日は良く晴れた日でした。この晴れた空のもと、ご葬儀をつとめさせていただきました。親から頂いたものは健康な体一つ、裸一貫と言いますが、一代で工場を起こし、働きに働いて、家族を守り、仕事を愛し、生き切って命を終えたという感じの方でした。

私は、このような人生を送られた方の、ご葬儀をつとめさせていただくことを、まことに有難いと思っています。お子さんもお孫さんも兄弟も親戚も、この方を慕い、愛しているとつくづく感じます。一からの出発ですから、どんなにか大変であったことでしょう。しかし、古いようですが、「艱難、汝を玉にす」

人生はかくありたい、と思います。生前、一度だけ写経にいらっしゃってくださいました。亡き奥様の納骨のためでした。

さて、私は、このタイトルのように以前から、朝日を口いっぱいに開けてご馳走になっています。このところ、少々辛いことがありまして、精神的にダメージを受けていましたが(お坊さんのくせに精神が弱いですね)、やはり坐禅やお拝や朝日や食事や、日々のできごとに支えられながら、ダウンしきらずに立ち直っているようです。

皆様は私のような弱虫ではないと思いますが、時に人間は弱いものです。そんな時、ここにご紹介した対処法をどうぞお試しくださいませ。そうでした、千ぶりの効用もご紹介しましたね。頭を抱えているだけでは、精神的な苦痛はなかなかやわらがないものです。人生は山あり谷あり、信頼していた者からの裏切りもあるものです。なにがあっても落ち込み切らないで、空を見たりして乗り越えましょう。

そうそう、空を見上げる効用、というのもありますね。寒いですが、くれぐれも風邪にはご注意なさってください。睡眠は健康を支えるためにも大事です。

#朝日の効用

#ストレス対処法

 

 


千ぶりの効用-ストレス対策

2019-01-12 20:23:34 | Weblog

1月12日(土)曇り【千ぶりの効用ーストレス対策】

今日は寒かったですね。法事とご葬儀が続いているので、とにかく風邪を引かないように気を付けています。かなりの精神的なダメージは、百拝や、坐禅や、修行者として、できる限り、これから抜け出ようと努力しています。

胃も一瞬にして、荒れてしまったようですが、千ぶりを飲んで、なんとか乗り越えられたようです。千ぶりとはなんぞや、とご存じない方に少々説明しますと、薬草です。

千回振り出してもまだ苦味は出るというほど、なので、千ぶりというのだそうです。戦後、叔父が戦争から帰ってきたとき、すっかり胃をやられてしまっていたというので、祖母が千ぶりを飲ませて治した、という話を母から何回か聞いています。我が家では何かというと千ぶりを飲んでいたことを思い出しまして、保存している缶を見つけ出して飲みました。

一回分を適当にコップに入れましたら、それに何回も熱いお湯を淹れまして、何回でも飲めます。お蔭様で今朝あたりから、胃が荒れていたのが治った感じがあります。それにしましても、あまりのストレスで一瞬にして胃に穴が開く、ということがあるそうですが、想像できます。

期待するから、裏切られたような感じがして、ダメージを受けてしまうのです。期待しなければ、何でもないことなのです。もともとは自分の勝手な期待によるものです。

皆さん、ストレスを抱えていたら、それからなんとか逃げる方法がいろいろとありますから、それを実行してみましょう。私もなんとか抜けられそうです。

「去る者は追わず」

(電線に止まっている鳥たち、スズメより大きい?去年お寺の横で撮影しました。飛び立つ時は壮観ですが、とてもカメラにはおさめられません。飛び立つエネルギーは強いです。止めようとしてもとめることはできませんし、鳥自体も飛び出してしまえば、自ら止まることはもはやできないでしょう。)

#ストレスからの脱却方法

#千ぶりについて


お拝の効用

2019-01-07 08:51:19 | Weblog

1月7日(月)晴れ【お拝の効用】

今日は七草です。皆さんお食べになりましたか。私は少し食べました。実は檀家さんの方が作ってお持ちくださいました。一度目のお粥は、なんとお鍋ごと割れてしまい、無残にもアスファルトの上にめちゃめちゃになっていました。

「お気持ちだけいただきます」と申し上げました。

しばらくすると、またチャイムが鳴りまして、先ほどの男性がお鍋を持って、玄関口に立っていました。と、いうわけで、そのお粥さんを一口ご馳走になりました。

この一年も無病息災でありますように。実はこの二日間まったく眠れず、不眠の苦しみを味わっています。あることがありましてあまりに辛く、あまりに苦しく、あまりに残念なことのために体の中の気が入れ替わってしまいました。

とにかく健康を維持するために大事なのは、体の中の気の流れと血液の流れです。この感情の苦しみをいかに乗り越えるか、僧侶として自分の心身を通して学んでみます。常は気楽に、機嫌よく生きていますので、実はあまりに苦しい状態からどのように抜け出すか、この頃は実感が少なくなっていました。

かなり昔、信頼していた友人に裏切られて、あまりに苦しく、それから自分自身を救うのに、一日中お拝をしたことがあります。そのときお拝で救われました。嘘のように胸あたりにきりきりとあった苦しみが消えていました。大丈夫、生きられる、と思いました。理屈では心髄に入り込んだ苦しみから救い出すことは、かなり難しいです。これから百拝をしようと思っています。

自殺したいほど苦しいことのあるお子さんや人々に、ひたすらに仏様の前で五体投地のお拝をすることをお勧めいたします。さて、今回の結果はいかがでしょう。今夜は母の介護がありますので、この状態を続けていては体が持ちません。苦しい感情に負けているわけにはいきません。

(お賽銭を守っていてくれる外猫ちゃんたちです。ニャーニャー、オメデトウ)

#お拝

#自殺防止の百拝


除夜の鐘

2019-01-02 19:16:07 | Weblog

平成31年1月2日(水)晴れ【除夜の鐘】

皆様、あけまして おめでとうございます

もう新しい年の2日目です。いまさら除夜の鐘の記事も変ですが、当寺も除夜の鐘をつきました。私が入寺してから6回目の大晦日を迎えまして、ようやく除夜の鐘を復活することができました。実に30年ぶりだそうです。

30年前は、総代さんたちが一晩中つききりで番をしてくれていたそうです。しかし、その総代さんたちもお年をとって代替わりしたり、撞木も取り外されていましたので、長い間除夜の鐘の音は絶えていたのです。

今年は、知人のお寺の方が「つき札」を作成してくれまして、つきに来た方々に1番から108番まで番号のふられたお札を渡すこともできました。

まだ照明が十分でありませんので、あまり宣伝をしませんでしたが、今年の暮れは参道にも照明をつけたり、工夫をしたいと思っています。

必ず祈ってから鐘をついていただきました。私の祈りは「世界の平和」です。危うい世界の動きを危惧いたします。経済が一番、お金が一番としか考えられない愚かしい人々がトップにいるからに他なりません。

今日一日の平和の中に生かされたことを感謝し、今日も夕刻の鐘をつきました。憂国の鐘となりませんよう。