風月庵だより

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五七日忌

2019-07-31 20:44:06 | Weblog

7月31日(水)晴れ猛暑【五七日忌】

母が旅立ってより、はや三十五日も経ってしまいました。毎日母の不在に泣いています。喪主としてご葬儀の準備やら、その当日や、懸念の仙台講演が終わりましたら、どっと自分の親不孝であったことが自覚されてきて、ほとんど毎日母に詫びていました。そうして泣いていました。亡くなられて、いかに母が大事な存在であったか、その思いが募っています。

もっと母のことを思いやればよかった、と、後悔をしています。特にこの数カ月、母のことを第一に考えなくてはならなかったのに、他の問題があり、そちらに意識が行き過ぎていました。弟子の人を大事と思うあまり、母のことを二の次にしてしまっていました。母がまだまだ生きていてくれるような甘い考えでいたのです。

母が骨折する前のこの数カ月が、母の最晩年の日々になるとは思いもよらず、油断をしてしまったと悔いています。母にもっと心を傾けていれば、もっと楽しい日々を送らせてあげることができたのに、残念です。申し訳なくて、申し訳なくて、泣いて悔やんでいたのです。

しかし、七七日忌までもう僅かの日々です。私が嘆き悲しんでいては、母が安心して帰り切れないでしょう。「うまく帰れるかな」と、母は亡くなる数日前に心配していたのですから、なんとかうまく帰ってもらいたいと思い直しています。自分の親不孝はしばらく置いておいて、楽しかったことを母と語ろうと思います。このような気持ちになれたのは、実は先週の木、金、土と三人の方々に弔問していただいたお蔭です。

木曜日には、台湾の尼僧様が朝から来てくださり、一日中、いろいろと話してくれました。この方は大学院に留学していた時、母がよく精進料理を作ってご馳走したそうで、それをとても有難がってくれていて、日本で博士号を取得して台湾に帰ってからも、よくお手紙を母にくださっていました。今回は、半年も前に日本に来る飛行機の切符を予約してあったそうですが、それは奇しくも母のお通夜の日でした。ですからお通夜、ご葬儀と参列してくださることができたのです。この方は、本当によく修行のできた僧侶で、私は本当の出家者と尊敬しています。この方は、『阿含経』に書かれた教えを深く参究し、そして実践しています。学ぶことが多いです。

金曜日には、中学時代、母によく食事を作って食べさせてもらったり、成長してからも母からいろいろと教えていただいた、と、言って有難いと思ってくれている女性です。私が寺子屋をやっていたころの教え子ですが、この女性とは長く縁が続いているのです。また一日いてくれて、私を慰めてくれました。「お母さんは、先生に感謝していますよ」と真実込めて言ってくれました。この女性はとても感心するほど親を大事に一生懸命生きているのですが、プライバシーに関わりますので、詳細は控えます。

この二人には、母に何が食べたいか、と聞いたところ、「かんぴょうの海苔巻き」と言っていましたので、インターネットのレシピを見ながら、沢山作って、母と一緒に食べてもらいました。今は毎食、母の遺影の前で食べています。あの世にいよいよ旅立つまで、一緒に食べたいと思います。

土曜日には、中国の友人のご家族です。大学院時代、たぶん三年間くらい、ほとんど毎日、母の作ったお弁当を彼に届けました。それを彼は大変に有難いことと思っていてくれて、何くれとなく母と私に義理をはたしていてくれているのです。今では教授になっています。学識豊かであり、出家はなさっていませんが釈尊の教えを道心を持って、学生に説いてくれています。私にとっては、母のお蔭でさらに深い友情の縁を頂いている人です。母と中国旅行に行った時にも、奥さんとも会っていますし、縁の深い家族です。やはり私が孝行が足りなかったことを嘆きますと、「十分なさいました」と真実込めて言ってくださいました。

この三組の友人たちのお蔭で、私はなんとか立ち直ることができました。しかし、三日続けてこのような弔問を受けることができたのも、不思議とさえ思います。お蔭様だと思っています。

長々と私個人のことを書き並べましたが、お読みくださいます皆様、お付き合い有難うございます。

あまりの暑さですから、お気を付けくださいますよう。

(くちばしの赤い子ガラスは、親が与えてくれる食べ物しかまだ食べないようです。頂戴、頂戴と鳴いています。)

 


『仏遺教経』に学ぶ

2019-07-11 23:23:58 | Weblog

7月11日(木)雨【『仏遺教経』に学ぶ】

先週の金曜日に、現職教育講師として、仙台に行ってきました。母のご葬儀が3日でしたので、なんとか一日だけ学び直す時間をとれまして、翌日は講演を勤めさせていただきました。

内容は、『曹洞禅グラフ』に連載させていただいた『仏遺教経』の解説でした。この講演のために改めて学び直して、つくづく考え至ったことは、『阿含経典』を学び直す必要性です。あまりに学ぶことが多すぎて、『阿含経典』まで手が出ないと、思っていましたが、釈尊が説かれた修行を怠らないようにという『仏遺教経』の中の大事な文言ですが、はたしてどのような修行だったのか、また初転法輪で、アヌルッダを度し、とありますが、どのように度されたのか、そこを私は知りたいと思いました。

道元禅師も『正法眼蔵』の中に「三十七品菩提分法」巻をお説きです。「只管打坐」にあまりに重点を置くあまり、釈尊が説かれた、道元禅師も説かれている三十七の修行方法を改めて見ていなかったということに、我がことながら、気が付きました。

釈尊の教えは、どこまでも、一人一人、お前のことだよ、ほかの人のことではないよ、自分自身を観なさい、ということであると、改めて気が付いた次第です。

仏弟子の修行方法について書かれているのは、『阿含経典』だけのようです。これを見落としていたと気が付きました。

講演の機会を頂いたお蔭で、考えの足りなかったことを学ぶことができました。母の介護で全く時間は取れませんでしたが、一日だけ時間を与えられて、まことに有難いことでした。母の御葬儀に関しましては喪主をはじめて勤めましたので、喪主の仕事はかなりこまごまとありました。それでも母が一日の時間を与えてくれたのだと思っています。

釈尊が、涅槃に入られようという最期の最期まで、弟子のことを思い、説法をしてくださった場面が目に浮かびます。他人ごとではなく、仏弟子である私にも、説き続けてくださっていることに感謝し、もっとしっかりと修行しなければと思った次第です。ここに書ききれませんが、来年までには一冊にまとめさせてもらいたいと思っています。学ぶことが山ほどありますね。来世も僧侶として生まれたいと願っています。