11月30日(月)曇り【尼僧堂】
先週27日に、名古屋の愛知専門尼僧堂で、送行生の会である第34回城林総会が開催されました。
あまりうろうろと写真を撮れませんので、法要風景は一枚だけですが、掲載させて頂きます。私にとりましては、送行以来25年ぶりの法堂です。大変に懐かしく当時のことが思い出されました。辛かったことも、走馬燈のように思い出されましたが、「月日は百代の過客にして」皆流れていきます。今こうしてあることに感謝できれば、何もかにもがこの時の為にあったのだと、思うこともできましょう。常に「今」と「過ぎにし時」のことを、そのように思えれば有り難いことです。
しかし、このお蔭で私は尼僧堂から離れて、自分の道を歩んできましたので、決してマイナスとは思っていません。しかし、どの世界にも理不尽なことや、愚かしいことはありますね。私は、当時、あまりの悔しさで、名古屋から埼玉の師匠のお寺まで、行脚して帰るという得難い経験もしました。36年前の話です。今でしたら、尼僧の一人旅など物騒かもしれませんね。人生いろいろなことがありますから、皆様も負けずに生きてくださいませ。
実は、この総会に先立ちまして、私がお話をさせていただく機会を得ました。「高祖の尼僧一番弟子、了然尼について」です。この発表のために、倉吉の了然尼ゆかりの地にお住まいの子孫をお訪ねしたり、あれこれと資料を調べましたり、千葉にお住まいのやはり子孫である角紀子先生をお訪ねしたりしました。文字からだけでなく足で歩いて、750年前の大先輩の人物像までも探ってみました。当初、あまりに資料がありませんので、ほとんど新しいことは発表できないのではないかと思っておりましたが、やはり、研究はするものだと実感しています。いろいろとこうではなかろうかということに思い当たりました。一時間ほどの発表時間を頂いたのですが、とても足りないほど報告することがありました。
了然尼につきましては、宗務庁から出版されます『宗学研究』52号と『宗学研究紀要』23号、そして『城林』誌に発表させて頂く予定ですので、来年詳しいことを、このログにも報告できると思います。
了然尼の研究をすることによって、道元禅師に少し近づけたような気がしています。今までずっとはるか上にいらっしゃった道元禅師が、大変に包容力があり、自然体であり、かつ人間的な方だったのではないかと思えるようになったのです。道元門下として、さらに研鑽したいと思っています。それが私の「我の執着」を除いてくださる手だてと理解しています。