風月庵だより

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老々介護記 脱水症状

2015-03-19 17:46:30 | Weblog

3月19日(木)雨 【老々介護記 脱水症状】

今日は、理学療養士さんが来てくれました。母の体温が37.8度もあるので、心配してくれました。昨日の看護師さんも、やはり母の体温が高かったので、どうも熱がこもってしまっているので、脱水症状になると大変ですから水分をもっととってください、と同じようなアドバイスをしてくださいました。

母は寒がりなので、電気毛布も高温でないとダメと言いますし、いつも暖かい遠赤外線のドームにもよく寝ています。あまりその中で寝ると水分がとられてしまうから、水分補給も大事だし、ベッドの方で寝るようにと言っているのですが、私の言うことには耳を傾けません。専門の看護師さんや理学療養士さんによく説明してもらって、やっと納得してくれたようです。

体温が高いので、体もだるいですし、だるいから寝てばかりいますし、寝てばかりいるからさらにだるくなりますし、水分補給もあまりしませんので、体温が高くなってだるくなる、という悪循環をしているということが分かりました。

介護保険を使えるので、看護師さんや理学療養士さんに来てもらえるようになり、このような具体的なアドバイスをしてもらえるので、本当によかったと思います。

以前住んでいた東京のS区では、介護度3くらい母の状態が悪いことがあったのですが、私が一緒に住んでいるので、介護保険は使えません、と言われて、大変でした。埼玉の地に越してきて、介護保険を使えることになり、私一人ででも在宅介護をなんとかできそうです。自治体によって、介護保険の適用がずいぶん違いがあるのですね。

ところで、皆さんのなかで、介護をなさっている人は、本当に大変でしょうが、知りえた情報でお役にたちそうなことは、私も発信していきたいと思いますので、頑張りましょう。

昨日からお彼岸の入りで、お参りの人は昨日は多かったですが、今日は足元もあまりよくないので、静かなお寺です。久しぶりにようやく買い物に出ることができました。猫の餌が無くなっていましたし、あらたにトイレの関連商品もいくつか必要になりました。いつも山のようにトイレットペーパーを母のために購入していましたが、さらに使用料が増えましたので、思い切って大量に購入してきました。

老々介護の私の右足もいつも痺れているのですが、まだなんとか頑張れそうです。皆さんのなかには、やはりご自分の体調のあまり芳しくない方もいらっしゃるでしょうが、お大事にどうぞ。

(今は亡きモカちゃんと、今でも元気なタロー君です。モカのことを思わない日はありません。)

 

 


老々介護記 随処に主となる

2015-03-18 14:49:19 | Weblog

3月18日(水)晴れ、暖か 【老々介護記 随処に主となる】

今日はすごく暖かいですね。寝てばかりいる母をなんとか起こしまして、外の散歩ができるほどでした。以前は15分きっちりと自分で計って、植木の周りを歩いていたのですが、本日は三廻りだけしてくれました。二廻りで「もう疲れた」と言ったのですが、少し深呼吸をしてもらって、もう一度廻ってもらいました。

今は看護師さんが訪問してくれて、お通じの助けをしてくれています。高齢になると腸の動きが鈍くなりやすいようで、いつも大の問題が大問題なのです。特に母は五十年以上便秘に苦しんでいて、ほとんどのお金を便秘の解消に使い切ってきたのではないかと思うほどです。私もいろいろとあれがよいこれがよいと努力してみましたが、あまりこれぞというほどの手伝いはできていません。

母の問題は栄養補助食品を飲みすぎるのではないかと思うのです。カプセル入りの補助食品が多いですし、食事よりも栄養補助食品を食べているに近いとり方をしています。やめた方がよいと言っても聞き入れませんので、諦めていました。

しかし、この頃介護保険のお世話になって、看護師を頼みましたら、看護師さんたちが実に見事にお通じを出してくれます。こんなことならもっと早くに頼めばよかったと思うほどです。

母を見ていて、つくづく思いますが、人間最後は大、小便がスムージにでて、口からの食事ができさえすれば、それで十分だと思います。

母は、つい最近まで、あれが欲しいこれが欲しい、こうしたい、ああしたい、という欲があったのですが、この頃は何をしたいという気が全くなくなって、ベッドに横たわるようになってしまいました。

同時期に、これから新しい道に入っていく若い女性をしばらくお寺に預かって、得度式までを勤めさせてもらいましたが、老いて枯れていく女性と、未知の世界に飛び込んでいく若い女性の間にあって、学ぶことが多かったです。

なぜか、臨済義玄の「随処に主と作る」という言葉を思い出します。「どんなときにも、どんなところでも、主体性をもって事にあたれ」というような意味になるでしょうか。毎朝自分に向かって「主人公はおるか」と言った和尚さんがいたという話をよく本師から聞かされましたが、まことに生きる指針となる臨済の言葉だと痛感します。

この言葉の意味を、どこででも主人公になって、他人より抜きんでなくてはならないのか、と勘違いしないようにしなくてはなりませんが、賢明なご訪問の皆さんにはいらない説明とは思いますが、念のため。

臨済の言葉をもう少し紹介しますと「随処に主と作れば、立処皆な真なり」ということで、「いかなる場でも、自らの主体性を持って生きれば、どのような場でも真実を生ききることができるのである」と私は訳しておきます。

若い女性に送る言葉でもあり、母にも送りたい言葉であり、なにより私自身に送りたい言葉である。母の意に反して、あちこちにウンチがたれてしまっていましたが、それを拭くことが私の仕事として、これからも多くなることでしょう。

 

 

 

 

 


香り

2015-03-03 13:21:55 | Weblog

3月3日(火)晴れ【香り】

今日はお雛祭りです。女の子のいる家ではお雛様を飾ってお祝いをしているでしょうか。この頃は少ない風習になっているかもしれませんね。早くにしまわないと、娘がいつまでも結婚できないということも言うようですね。飾る花は桃ときまっていますが、このあたりでは桃はまだ咲いていません。梅が満開から、はや、散り始めてもいますが、良い香りがしています。花はどういうわけか、枝に触ったりしますと、よけいに香りを出す感じがあります。

さて、『ダンマパダ(発句経)』のなかに次のような一句があります。

「花の香りは風に逆らわず、栴檀、タガラ、ジャスミンも。善き人の香りは風に逆らい、あらゆる方位に善き人は薫る。」(発句54)

花の香りならば、風に逆らわずに薫ります。でも善き人の香りは風にも逆らい、どこにでも薫ることができます。善き人とは、仏の教えを信仰し、守り、不殺生戒等の戒を守る人をここでは意味します。

この願いを込めて、実は一人の女性の得度のきっかけの師として、「香」という一字を含んだ安名をつけさせてもらいました。当寺での4か月ほどの沙弥の期間を過ごして、昨日僧堂安居の修行に送り出しました。

尼僧として、どのような出家の日々を送ることでしょう。

みな自分の命は、自分にまかされた命、責任をもって生ききることをまかされた命ですから、諸縁に感謝しつつ、どうぞ、ご精進を、と祈っています。

(右の真ん中あたりにある白い丸はお月さまです。仏教では月は真理のたとえです。指月という言葉がよく使われますが、真理を指す指、つまり仏教の教えのことです。) 

 

 


老老介護

2015-03-02 16:30:33 | Weblog

3月2日(月)晴れ【老老介護】

月になり、今日は少し暖かですが、私の住んでいるところは風と砂埃が名物なので、その中にスギ花粉でも混入しますと、体調はかなり大変なことになります。ついにスギ花粉の季節が始めりました。それなりに対応することが必要です。

それなりの対応という姿勢について、実はこの頃思うことがあります。一つに今まで自分の足のサイズは22センチだから、冬用も22センチの靴を履いていました。厚めの靴下をわざわざ靴に合わせて、薄い靴下に履き替えたりして、そのことになんの抵抗もなく、この歳(?)まで続けてきたのです。
それがつい最近、23センチの靴と長靴を買うことに気が付いたのです。全くもって気が付いたとしか言いようがありません。厚手の靴下を脱ぐ必要も無く楽々と靴を履くことを楽しんでいます。
気が付けば、こんな当たり前の知恵も無かった自分にあらためて驚いてもいます。また思い込みの恐ろしさもあらためて反省しています。

 ところで、話は変わりますが、母がついに「お前、私の小銭、どうして全部使っちゃったの」と言いだしました。私は飛び上がらんばかりに驚きました。
さらに「財布の中にお金が全然ないよ」とも言います。全部使ってしまったようで、ないのでしょうが、「お母ちゃん、なにかに使ったでしょう。なにに使ったの」と聞きましたら、「さあ」と言います。

「私は幾つだったかね」とも。

さあ、大変です。母はなんとか痴呆症にならずに歳をとっていってくれるものと、日頃の様子から思い込んでいたのですが、このところ、脚が痛いといって寝込むことが多かったので脳の働きが鈍ってしまったようなのです。

すぐにケアマネージャーさんに連絡をとって、看護師さんや、リハビリの人を頼むことにしました。介護ベッドも必要になりました。
今まで、まめに書いていた大学ノートの日記帳も空白が多くなりましたが、傍についていて、今日は何日か、何があったか、書いてもらうようにしたり、なんとか境内を一回でも歩いて回ってもらうようにしたりしています。

まだマダラボケという状態なので、これ以上、マダラボケ状態が進行しないようにつとめていますが、今まで起きていすぎるので、少し横になった方がよいよ、と言ってさえいたのに、この頃は、「お母ちゃん、少し起きていた方がよいよ」と一日に何回も声をかけています。

98才のつい最近まで、一人でお風呂にはいれていたのですが、この頃は、傍についていてお風呂にいれるようになってしまいました。
大好きだった境内の散歩も、大好きだったお風呂も、自分からは絶対にしたくないという状態になってしまいました。
思い込みはやめて、いろいろな変化に対応したり、好ましくない変化を呼んでしまう前に、少しでも回避できるように対応していかなくてはと思っています。
諸行無常です。
本格的な老老介護のはじまりです。