5月29日(火)曇り【休眠お知らせ】
皆さん、もうすぐ6月ですね。お元気でしょうか。このところブログをあまり更新できませんので、いつもご訪問くださる皆さまには申し訳ございません。
6月の末まで恐縮ですが、休眠させて頂きます。宜しくお願い致します。
気候不順な折、くれぐれもご健康にはご留意くださいますよう。
5月29日(火)曇り【休眠お知らせ】
皆さん、もうすぐ6月ですね。お元気でしょうか。このところブログをあまり更新できませんので、いつもご訪問くださる皆さまには申し訳ございません。
6月の末まで恐縮ですが、休眠させて頂きます。宜しくお願い致します。
気候不順な折、くれぐれもご健康にはご留意くださいますよう。
5月25日(金)曇り【爽やかな五月はどこに】(ドウシタノ、とルナ)
今年は五月を感じませんでした。あまりに忙しくしすぎているからでしょうか。
忙しくしているのは、自ら招いたことです。すべてに「ノー」と言っていれば、火中の栗も拾わなくてすむものなのです。
少々気が萎えている状態です。こういう状態は、一日おきに数十キロを運転してかなり体力が消耗しているからでしょう。体力の衰えは、気の衰えを呼びます。
我が事ながら、お気を付けを。
今、風邪を引いて、長引いている人が私の周りに二人ほどいます。皆さんもどうぞお気をつけください。
5月13日(日)晴れ【猫のお泊まり】
この2日ほど、キヨちゃんとタローちゃんが、我が家にお泊まりに来ています。キヨとタローのお家の人たちは、2日ほどお出かけです。
それで我が家のルナちゃんは、たぶん大喜び?か? 猫の気持ちは正確にはわかりません。
私はタローもキヨも可愛いので、大歓迎です。ただ、朝、3時半には3匹の鳴き声に起こされます。キヨとタローは外にでる習慣があるので、おそらく朝のおつとめでしょうか。
タローはすぐに帰ってきます。キヨちゃんは、しばらく帰ってきません。今はキヨは押入で寝ています。昼間、活動してくるので疲れたのでしょう。この可愛いキヨとタローとお別れするのが、一番辛いです。でも、気になっていたお施食の随喜と、法事が終わりましたので、これからいよいよ引っ越しの準備にかかります。
定年後は、自分の好きな人とだけつきあえばよいのですし、私もこれからはある程度そんなつもりでいましたが、これからは多くの方々とおつきあいしなくてはなりませんので、少々細い神経は疲れるかもしれません。キヨとタローそしてルナの心配だけをしていられたら、悠々たる日々だったのですが。
乗りかかった舟から降りることは、もはやできません。
「波も引き風もつながぬ捨て小舟、月こそ夜半のさかいなりけり」
これは道元禅師の和歌です。この解説は、来月平凡社から『別冊太陽』の 道元禅師の特集が出ますので、お読み頂ければ幸甚です。私は道元禅師の詩歌を担当しました。
私も気弱にならないで、僧侶としてもう少し頑張りましょう。
皆さま、お互いにそれぞれ大変なことと存じますが、お体お大切にお暮らしくださいませ。
5月8日(火)曇り【枯れた紅葉は本当に枯れたのか】
昨年、紅葉を移植しました。プロの植木やさんに頼みました。プロに頼みさえすれば、移植してもきちんと根付くと思っていました。勿論多額の費用も使いました。
しかし、紅葉は芽吹いてはきません。葉が枯れないうちに移植したら駄目なのだ、という人がいました。そんなことはプロならば元より承知の事と思っていました。
プロの仕事に信頼をおいていたのですが、残念です。
立ち枯れのままおいておくわけにもいきませんので、仕方ないので片づけてもらうことを同じ植木やさんに頼みました。こういうとき、職人さんは詫びるということはないのですね。枯れちゃったね、の一言でした。そういうものなのでしょうか。
でも、まだもう少し様子をみましょう、生きかえってくれると思う、という意見もあり、しばらくこのままにしてあります。なんとか生きかえって貰う方法はないものでしょうか。植木に詳しい人がこの記事をお読みでしたら、是非アドバイスをお願い致します。
5月2日(水)雨【宗教の風光(九)二途にわたらぬこと】
本師余語翠巖老師の『宗教の風光』(中山書房仏書林刊)より、宗教の風光という表現を使われて、道を説かれている箇所を、時々ご紹介していますが、この頃はご無沙汰していました。それで、何回目のご紹介かも忘れていましたが、今回で九回目でした。
私の解説を付けずにご紹介させて頂きます。お読みくださいます皆さまの心の世界にお任せしたいと存じます。
「人はせっかくこの世に生まれたからには、意義ある人生を送らねばならぬと考えるのが当然であるように思っているが、どのようなことが意義あることなのか、定かにはわかりはしない。
一人一人の絵模様を、意義あるものと意義なきものとに分けるのは、人間の妄想のはなはだしきものである。つまらぬことに精を出すことをやめて、もっと意義あることに精を出すと考えることが、分別の所産というべきである。
二途にわたらぬ、とういことが安楽の法門と言われる所以である。それが至極の道理というものであり、「菩提(ぼだい)を究尽(ぐうじん)するの修証(しゅしょう)なり」と示される。宗教の風光とはそういうものである。」(『宗教の風光』第二章「普勧坐禅儀のこころ」より)
*妄想(もうぞう、と仏教的には読みます):とらわれの心によっって、真実でないものを真実であると誤って考えること。またその考え。(『大辞泉』の訳)
*絵模様:老師はよく絵模様とか綾模様とかの言葉を使われましたが、その意味は老師自身の言葉から「坐するすがたが目当て自身だとする信は、人間の生涯が何かの手段でないと同じように、何十年かの人生のカンバスの上に描き出す一人一人の絵模様は、それがどのようなすがたであっても、そういうすがたをした天地のかざりである」
*二途:二つの道、二つの方法。
*菩提:さとり
*解説はしないつもりでしたが、少し解説をつけますと、この文章は、道元禅師の〈普勧坐禅儀〉という、坐禅についての教えを、老師が説いてくださっている箇所です。ですから、安楽の法門も、至極の道理も、「菩提を究尽するの修証なり」も、つまりは坐禅のことを言っているわけです。十分にお分かりの方には、不要の解説で恐縮ですが、仏教の学びにはあまり縁のない方も、お読みくださっていますので老婆心ご容赦。
*お互いに他と比較することなく絶対の安心に生きることを、老師は常にお説きでした。
5月1日(火)曇り後雨、夕方雨上がる【猫たち】
荷物を運ぶこともあり、車が多いのですが、修理に出しましたので久しぶりに、電車に乗りました。代車はやめました。運転が下手ですので、慣れない車で、事故を起こしては大変です。
電車ですと、やはり体の疲れが違います。それで、久々に三匹の写真を撮りました。
タローです。
キヨです
ルナです。
みんな元気です。でも、もうすぐタローとキヨとお別れです。それが辛いです。