7月31日(土)晴れ【壮大なる無駄ごと】
本師が口癖のように「全て壮大なる無駄ごとじゃ」とおっしゃっていましたが、どのような場面であったか、思い出そうとしても思い出せないので、本師の御著書を久々に開いてみました。この言葉が語られている箇所は見つかりませんでしたが、どのページにも本師の珠玉の言葉が綴られていました。この言葉は、人間がああだこうだと言ったり、行ったりしているすべてのことについておっしゃった言葉であったかと思います。
なんでこのような言葉を思い出したかと言いますと、先日来、パソコンに関しての無知によるヤフーIDの喪失をなんとか復活させられないかともがいて、無駄な抵抗をしたことです。
恐れ多くも、本師がおっしゃったような宗教的な深い意味とは全くかけ離れていることなのですが、愚かな無駄ごとをしたものだとつくづく思っているのです。今朝、再び電気屋さんのテクニカルサポートを受けに行きました。失ったヤフーIDを取り戻すことは諦めました。メル友の皆様のアドレスは、新しいメールアドレスを一人一人に連絡して再び登録させてもらいましょう。(海外の友人のだけはちょっと面倒です。)
パソコン用語が分からない、というよりも、覚えようとしない、自分の怠慢から、面倒なことになりました。無駄なことに、貴重な時間を使い、貴重なお金も使いました。
全く壮大ではない無駄ごとを、この数日間やっていたのですが、本日は、取り戻せないことを全く諦めまして、新しい方針を立てて、やり直しをしたわけですが、なぜか、お師匠様の「全て壮大なる無駄ごとじゃ」というお言葉を思い出したという次第です。
もうちょっと、宗教的にも深いところで、お師匠様の言葉を思い出せればよいのですが、失礼致しました。
でも一つの懸念を払うことができましたので、次のステップに移ります。(懸念を辞書で引きますと、仏語としては、一つのことに心を集中させること、とあり、気にかかることと、というような意味とは違うようですね。)
今日の夕焼けは、なぜかちょっぴり 切ないものがありました。壮大な無駄ごとの中の一幕です。
生きている事
死んでいく事
不思議な事
不思議な中の
今日の一日