風月庵だより

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世田谷の悲しみ

2007-12-30 16:29:18 | Weblog
12月30日(日)晴れ一時雨【世田谷の悲しみ】

先ほど、年賀はがきを買うために、日曜日でも開いている成城郵便局まで歩いて行ってきました。途中で道を間違えてしまい、世田谷でご一家が事件に巻き込まれたお家の前に出てしまいました。お家はテレビでもよく放映されていますので、すぐにそれであることは分かりました。一人のお巡りさんがその家の前に見えました。お家の脇の道から手を合わせていましたら、そのお巡りさんに、どうぞこちらに、と促されましたので、家の前までいきましたら、お焼香台が設けられていました。

お焼香をさせていただき、お経をあげさせていただきました。おそらく30日の夜のことでしょう。宮澤さんのお家に兇漢が侵入したのは。突然の災難。四人のご冥福を祈りました。皆さんがご存じのように、この事件の犯人はまだ逮捕されていません。四人にとって、犯人が捕まったとしても無念が晴れるということではないでしょうが、せめて犯人を逮捕してほしいでしょう。

裏の公園側から、しばらくお家を見ていました。指紋も残されていたし、多くの遺留品があるのにも拘わらず犯人が特定されない、この事件のような場合、こういうとき、霊能があるという方々がなんとか活躍をしては下さらないものかと、夢のようことを漠然と思ったり致しました。お姉さんたちが住んでいたというお家と二軒続きですが、裏側から見ますと、お姉さんのお家はどの窓にも格子がはめられていました。宮澤さんのお家の方は、犯人が侵入したとされる窓にも、他の窓にも格子はありませんでした。窓に格子があるのは刑務所のようで嫌ですが、現代において一考したほうがよいことなのかもしれません。悲しいことですが。

もうすぐ新年を迎えるブログのお終いが悲しい事件の話で、恐縮ですが、何事もなく新年をお迎えできるだけでも、実はどんなにか得難いことなのか、あらためて思ったことです。皆様の平穏な日々をひたすらに願います。

私の耳鳴りもどうもまだおさまりませんが、これは身からでた錆ですから諦めましょう。加齢を甘く見て、眼の酷使をしすぎました。反省しつつ今年を見送りたいと思います。まがりなりにも働くことができて、一年を過ごせましたことに感謝致します。

VDT症候群

2007-12-24 18:27:24 | Weblog
12月25日晴れ【VDT症候群】

このところパソコンを使う仕事が忙しく、論文作成や、印刷所に渡すためのグループ研究の原稿の作成などを、華麗なる加齢のことも忘れて、根を詰めてしてしまった。なんとか仕事の年越しをしたくないと思い、連日遅くまで頑張ってしまったのだが、夜の9時頃、ちょっと疲れたか、と思ったと同時くらいに耳鳴りが始まった。それから一週間以上たつが、ときどき耳がおかしくなり、目の奥もおかしくなっっている。

それはVDT症候群ではないかと、ある人に言われたので、インターネットで調べてみた。皆さんはすでにご存じかもしれないが、私は初めて知った。VDT(Visual Display Terminals)症候群はパソコンの画面などを長時間見続けていると、かかってしまう症状で、目の疲れや、体の変調、さらに精神的疲労による鬱状態もおこしてしまう諸症状をさすようである。今も耳のおくがぷつぷつといっていて体調が悪いので、これ以上書くのはやめるが、皆さんもパソコンを打つときは長時間連続して働かないようになさってください。一時間以上は続けないで必ず目に休憩をさせてください。

私もついつい休まずに仕事をしてしまう癖があるので、それはこれからはやめようと思います。そんなでしばらくブログはお休みさせていただきますが、来年も一ヶ月に一度くらいはブログの更新はしたいと思います。やめないで続けたいとは思っていますので、たまにご訪問下さい。

本当は、今年出版された、奥武則著『論壇の戦後史ー1945-1970』(平凡社新書313、平成19年)についてご紹介したかったのですが、本のタイトルのみ書いておきます。戦後生まれの者にとって、自分たちが育った時代はどのような思想が、社会をリードしていたのか眺めるのに、手頃な好著であると思ったので、書名のみ記載しておきます。興味のある方は是非ご一読下さい。

今年ももうあと数日を残すところとなりました。皆様くれぐれもお体お大切に、よいお歳をお迎え下さいますよう。ときどきのご訪問有り難うございました。皆さんもブログをお読み下さるのに、目がお疲れになりませぬように。今夜は十六夜の月がきれいですね。月でも眺めながら、目をいたわりましょう。

VDT症候群防止法及び手当法:防止法は50分パソコンをいじったら、10分は休憩、軽い体操をしましょう。光線についてはいろいろと情報を入手して、目に負担のかからない方法をとりましょう。時々は遠くを見ましょう。時々は目薬も必要でしょう。ブルーベリー入りの栄養補助食品を飲むのもよいでしょう。それぞれご研究下さい。
手当法としましては、首の後ろを温めて、目は冷やすそうです。耳鳴りなどがしますと、精神的のもイライラしたり、なにをするのも嫌になり、思いがけず鬱状態になったりしますから、くれぐれもお気をつけ下さい。いろいろな手当法もあると思いますが、なるべく無理のない手当をしましょう。安直に薬を飲み過ぎないようにしましょう。
ときどきはボーっとしましょう。このごろボーっとすることの好きな私ですが、ボーっとすることが少なかったことが、体調不良の一因でした。皆さんもお気をつけ下さい。

普通に生きられるということ

2007-12-16 23:20:44 | Weblog
12月16日(日)晴れ風寒し【普通に生きられるということ】

両親は離婚し、さらに高校生のとき母親が家をでたまま帰らずに、ずっと独りぼっちで生きてきた岩井青年(仮名)、身元引受人がいないので、アルバイトの職にも付けず、路上生活をし、ゴミ箱から漫画雑誌を拾い出し、それを売って一日一食の焼きそばを食べていた青年、「誰も信じていないからね」と言っていた。NHKの「ワーキングプア」の番組に登場していた青年のことを、母と時々あの青年はどうしたろうかと心配していた。

先ほどの今夜の番組で、その後の岩井青年が出てきたので、仕事の手を止めて番組を見た。青年は三鷹の道路清掃の仕事につくことができて、一日7千円、月に10日働けるのだという。食堂に入って大盛りの温かい御飯を食べていてくれた。よかったね、と母と言いながら観ていた。以前は公園の水道で洗っていた頭も体も、温かい銭湯に入って頭を洗い、温かいお風呂に入ってゆったりとしていた。二日に一回入れるようになったのだという。よかったね、よかったね、とそれを観ながら母と言い合う。しかし、それでもまだ帰る所は路上の高架下のダンボール。

「社会復帰できたとき、生まれてきてよかったって言えるんじゃないの」と青年は言った後で、突然黙ってうっぷしてしまった。しばらくして、おもむろに頭をあげながら、目頭を拭いていた。彼は自分の言葉に、思わず涙が溢れるのを押さえられなかったのであった。「人を信じられるようになったからね、人間としての感情が戻ってきたんじゃないの。以前だったら絶対に泣かなかった」と言った。

この青年が、何時か必ず、普通に就職ができて、屋根のある家に住めるようになりますように。ホームレスの炊き出しのボランティアに行って、仕事がないホームレス仲間に、自分の分を与えてしまっていた青年、「自分には苦労している人の気持ちがわかるから、いつかそのような人の助けになりたい」(この言葉は書き留めなかったので少し違っているかもしれない)というようなことも言っていた。

普通に、屋根のある下で生きていられる幸せ、職のある幸せ、関わり合う人のいる幸せ、それが家族ならば尚更の幸せ、温かい御飯が食べられるという幸せ、温かいお風呂に入れるという幸せ、温かい布団に寝られるという幸せ、それが満たされている人にとっては、なんでもないことを、岩井青年は幸せと知っていることだろう。

今夜は寒そうだ。青年が必ず温かい布団で寝られる日の来ますように。祈るばかりで許されよ。きっとどなたか身元引受人が出てくれると信じている。

隣人になにができるかービルマのこと

2007-12-16 19:44:18 | Weblog
12月16日(日)晴れ【隣人になにができるのかービルマのこと】(某寺の観音様)

ビルマ(日本で活動している方々はこの呼称を使っている。ミャンマーは軍事政権が登録した国名であるので、ミャンマーでなく、ここではビルマとしておきたい)は今どうなっているのであろうか。長井さんが銃弾に倒れた当時はテレビにもビルマ情報は少しは流れていたが、今は全く報道されていない。日本だけではないかもしれないが、どのテレビ局も同じような事件を、同じ時期に、一緒に追い回しているだけで、種種の事件がその後どうなったかの報道は実に少ない。ビルマ情報についても、現在僧院や僧侶がどうなっているのか、人々はどうなっているのか、全く報道されない。情報が入手できない、ということもあるだろう。

そこで今シンガポール在住のビルマの高僧、パンニャバンサ長老と、アメリカ在住のスジャナバンサ長老が来日されて、各地で現状報告と支援協力を求めてシンポジウムをひらいているので、その会に参加した。12日の水曜日には夕方から築地本願寺の一室でシンポジウムが開催された。これは全国青少年教化協議会及び超宗派の僧侶らでつくるNPO法人アーユス仏教国際協力ネットワークの後援、またビルマ僧侶の平和的民主化運動を支持する会2007、エンゲイジド・ブッディズム研究会、ビルマ市民フォーラムの共催によるものであった。

通訳は田辺寿夫先生、司会は神仁師、また日本には11年滞在経験のある、現在はアメリカで会社を経営しながら、ビルマの民主化運動をしているチョウティン氏が二人の長老と共に出席され、多くの参加者に、ビルマの現状報告がなされた。パンニャバンサ長老は、ササナモリ(仏教最高長老評議会)国際ビルマ仏教僧協会の団長もなさっている。長老はアメリカ、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、台湾、イギリスなど各国にビルマ仏教を伝え、各地にビルマ寺院をつくり、ビルマの人にはよく知られている高僧である。八〇歳という高齢であるが、七日から一八日までの日本滞在中、名古屋、横浜、東京と各地に足を運んで、故国ビルマの惨状を救うために、懸命に活動なさっている。

軍事政権の政府報道では死者の数も二〇人程度とされ、その中の僧侶は二,三人とされているが、現状は全く違い、殺された人の数は200人以上、おそらくそれ以上多くの人々が殺され、怪我をしている人でも、そのまま焼かれるという残虐なことも行われているということである。想像を絶する残虐さである。

また多くの僧院が破壊されて、僧院からほとんどの僧侶の姿がなくなっているということや、高齢の高僧たちも、僧院を追われてそれぞれの故郷に帰されているという報告がなされた。また政治的に活動しようというのが長老たちの目的ではなく、ビルマから仏教を滅ぼしてはならない、ということが長老たちの願いであること。そして民衆の平和な生活が得られることが願いであることなどを訴えられた。

また昨日15日には、この二人の長老とチョウティン氏とビルマからの留学生を招いてのSOTO禅インターナショナル(SZI)の方々との会合が東京駅近くで行われた。私はこちらの会にも参加させていただき、さらにお話を伺う機会を得た。チョウティン氏は曹洞宗からも抗議文が出ていることを何度も有り難いと御礼を言ってくれていた。このような抗議文を日本の各宗派から出されているが、全世界の仏教徒としてビルマに対して抗議の声を大にしなくてはならないと思う。それがどれほどの効果があるかは別問題としても。

昨日の模様についてはkamenoさんのブログに詳細が紹介されているので、是非そちらにご訪問下さい。
http://219.121.16.30/blog/archives/001013.html

日本の皆さんにモラルサポートとしてビルマの現状を理解していただき、政府やミャンマー大使館にも抗議文を届けて貰いたいことも願っていたので、日本の外務大臣の住所をここに書いておきますので、それぞれの抗議文をお送りいただければと思います。築地本願寺に参加された方のなかには、七〇〇〇名の署名を集めて国連に抗議文を送った人もいました。
〒100-8919 千代田区霞が関2-2-1
         外務大臣 高村正彦 殿

ビルマに平和の火がともされることをひたすらに祈りましょう。拘束されている僧侶の皆さんや、拘束されている人々が一日も早く自由の身になれますようにと願いましょう。希望を失わずにビルマの皆さんが生きていかれるように応援のエールを送りましょう。

*長老たちのお写真はkamenoさんのブログでご覧ください。

この銀杏の向こうにあるもの?

2007-12-13 22:19:33 | Weblog
12月13日(木)雨【この銀杏の向こうにあるもの?】

この銀杏の木は「芝公園グランド前」交差点にある木です。この写真は先週撮影したのですが、今日は既にほとんど散り落ちてしまっていました。さて芝公園をご存じない方に少しこの公園の素晴らしさをご紹介します。

私はこの芝公園にある研究所に通い初めてから三年になります。その間、この銀杏の向こうにある素敵な空間のことは全く知りませんでした。芝公園という地名なので公園があることは知っていましたが、駅から研究所の間に公園があるのではないので、公園に散歩に行くこともなく三年がたちました。しかし、「華麗なる加齢」?によって足が痺れるようになりましたので、これは大変と一ヶ月前から芝公園を散歩することにしました。

そしてこの銀杏の向こうに、かつて古墳であった岡があることを知りました。石の階段を登っていくと、百畳敷き位(もっと広いかもしれません)の均された地面がありました。さらに階段を上がると、二百畳敷き位(もっと広いかもしれません)の均された地面がありました。そこは欅や種種の木々に囲まれた別世界でした。鳥もさえずっています。すぐ近くであるはずの往来の車の騒音は届いてきません。

このような空間があることを今まで知らないで来ましたけれど、「KAREI」のお陰で知りました。あと一年の研究所通いもとても楽しくなりました。時々猫とも遊びます。そしてたまにはチョウゲンボウを助けたりもします。皆さんも、気が付けば、すぐ傍らに、何かがあるかもしれませんね。メーテルリンクの『青い鳥』のように。いいえ、私が言うまでもなく、賢明な皆さんは、もうお気付きの人生を歩まれているのでしょう。

この古墳の名前ですが、「芝丸山古墳」と言います。お近くにいらっしゃったら、是非お立ち寄り下さい。今年も12月の半ばになりました。お忙しいかもしれませんが、お体お大切に。インフルエンザには御用心下さい。

韓国比丘尼教団の紹介

2007-12-09 18:24:43 | Weblog
12月9日(日)晴れ【韓国比丘尼教団の紹介】(いつか韓国の写真にしますが、とりあえず世界共通の今朝の太陽)

先週韓国の友人が来日してから、あっという間に一週間以上たってしまった。この友人の研究発表やら、友人についての紹介などをしたいと思いながら、時間が猛スピードですり抜けていってしまったようだが、「ちょっと待って」と捕まえて、このことについて少々書かせていただきたい。

さて友人の名は本覚尼師(陳永裕)と言う。(本名を書くことの承諾は頂いている )。今回は東アジア仏教研究会から招かれて研究発表をなさった。本覚尼師は中央僧伽大学の教授であり、金寺の住職でもあり、韓国仏教研究会の会長もなさり、ラジオで仏教法話の放送をほとんど毎日ということを何年もなさった。また多くのお弟子さんを育てていて、一人何役もこなしている、法のために、それこそスーパー僧侶としての活躍をなさっている、といえよう。またご兄弟姉妹六人全員出家なさったという韓国でも珍しいご一家の一員でもある。

駒澤大学で一九九一年に学位を取得された。学位論文は『華厳観法の基礎的研究』である。華厳の教学だけでなく、実践を重んじる観法を研究なさったことは、今多くの人々を、法によって導いている尼師の生き方に通じていると思われる。韓国における比丘尼の人数は沙弥尼の千人を入れると七千人いるという。日本の尼僧界にとっては驚きの人数であるかもしれない。日本と比べるのは、受け入れ態勢も異なるので、単純に比較することはできないが。

今回の本覚尼師の発表は『韓国比丘尼僧伽の特性及び役割』という題でなされた。韓国における比丘尼の初めは五世紀初めころのようである。因みに日本では六世紀に善信尼が初めての出家者として『日本書紀』にも登場している。 韓国には儒教が強い時代も長く続いたり、仏教界自体が苦難の時代を送っているが、比丘尼の歴史にもかなり大変な時代があったようだ。

本覚尼師の研究によれば、「仏教が危機に直面し混乱をきたしていた時期には、仏教を立て直すために数回に及ぶ結社運動が起こった。」という指摘がある。8世紀には念仏結社、12世紀には定慧結社と白蓮結社等等の結社運動が起こり、「既存仏教の堕落や矛盾に対しての批判運動」を展開したことなどを、本覚尼師は紹介された。そしてその精神の流れを汲んで1947年には性徹禅師によって、鳳巌寺結社が結制され、「御仏の教えに従い生を営もう」という目標が掲げられた。日本植民地時代に影響された肉食妻帯を排し、独身の出家修行者中心の韓国仏教を再建したことも改革のひとつである。そして正しい仏の教えとして「禅仏教」の伝統を確立させることに、性徹禅師は尽力なされたそうである。

この禅師のお弟子である仁弘長老尼(1908~1997)は、御仏の教えに従った結社精神を引き継いで比丘尼宗立特別禅院、石南寺を創設なさった。今に韓国比丘尼教団に「厳格かつ崇高な出家精神」が生かされているのは、この結社精神の伝承であると、本覚尼師は結社運動を評価している。

韓国における比丘尼の教育制度は、比丘尼講院において四年間四段階の過程で構成されていて、この四年間で中国禅師の語録や経典、論書などを学ぶそうである。さらに教学を学びたい人にはその道が開かれ、坐禅生活を送りたい人には基本禅院が設置されている仕組みになっているようである。「修行と伝法と慈悲の実践」を重んじる僧侶教育がなされていることはまことに大事なことである。きちんとした仏教の学びがないと、自己流の判断を是としてしまうおそれがある。また自身を常に仏教に照らして見る軌道修正する灯りがないと、せっかくの発心が鈍ってしまうおそれがある。さらに韓国では僧伽考試があり、4段階の階位があり、さらに法臘によって二段階の階位が設けられているそうだが、このような試験は、比丘、比丘尼ともに日本でも考慮に入れてもよいのではなかろうか。

本覚尼師が自身の弟子のみならず、他の比丘尼に対しても私心なく指導する姿にいつもながら感動を覚えるほどであるが、この度の発表でも多くのことを教えて頂いた。特に指導的立場に置かれている者は、私心には気をつけなくてはならないだろう。20年前、電車の中で知り合ってより、韓国をお訪ねしたり、私の庵にもいらして頂いたりの交友を今に至るまで続けているのだが、教えられることばかりである。

当ブログのご訪問者の方々にも、韓国比丘尼教団の一端なりともお伝えしたく紹介させていただきました。それぞれの国の状況に合わせて仏教の形態はありますが、日本には日本の状況の中で、「御仏の教えに従って」の精神を忘れずに歩んでいきたいと願っています。益々混迷を深める世界情勢の中にあって、御仏の教えを大事にしたいと思います。

ダライ・ラマ14世講演録-kamenoさんのブログ紹介

2007-12-02 22:52:40 | Weblog
12月2日(日)晴れ【ダライ・ラマ14世講演録-kamenoさんのブログ紹介】

ダライ・ラマ14世(1935年7月6日生まれ)が11月に来日されていた。全日本仏教徒会議神奈川大会の特別記念講演での講演録を、kamenoさんがまとめてくださった。そのブログを風月庵だよりにご訪問下さった皆様にもご紹介させていただく許可をいただきましたので、kamenoさんのブログにここからご訪問下さい。おまとめになるのは大変なご苦労であったと存じます。大変に素晴らしい講演録です。
Kameno's Digital Photo Log

その前に、ダライ・ラマ14世について少しだけプロフィール:法名はテンジン・ギァツォ。2歳の時、転生の活仏ダライラマ14世と認められる。5歳より在位。チベット仏教ゲルグ派の最高位の仏教博士号(ゲシェ・ラランパ)を持つ。1949年中華人民共和国の人民解放軍がチベットに侵攻してくる。チベット独立運動を展開するが、1959年にはインドに亡命する。ダライ・ラマ14世がインドに亡命したあとのチベットは中華人民共和国に統合されてしまっている。現在はインドのダラムサーラにチベット亡命政府を樹立している。1989年、ノーベル平和賞を受賞。中国のチベット侵略と現在も行われているチベット人への人権侵害に対して批判をし続け、チベット問題の平和的解決を世界に訴え続けている。

(この土曜と日曜日は、20年来の友人である韓国の陳本覺(永裕)法尼ー中央僧伽大学教授ーが来日していて、昨日は東アジア仏教研究会での研究発表と、今日は東京見物を楽しみましたので、ブログの記事は書けませんが、kamenoさんのブログに委ねます。)