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人はどのように輪廻転生するのか

2006-02-28 13:29:32 | Weblog
2月26日(日)雨【人はどのように輪廻転生するのか

フクロウ博士に講義を受けて、再び輪廻転生についてまとめてみたい。この一文は輪廻転生について私の意見を論じようというのではない。私にはそれを論じられるだけの材料も学びもないので、老尼が自らのために輪廻転生について、なんとか自分の言葉で理解しようという試みだとご了承下さい。なおフクロウ博士は学問的にも深い所を講義してくださるのだが、私が理解しきれないのでお許し頂きたい。

フクロウ博士がブログを立ち上げましたのお知らせします。http://plaza.rakuten.co.jp/savaka
原始仏教を学ぶ人にとって、釈尊が輪廻転生を説いたということは学習されていることである。なぜならば原始経典に輪廻転生を説いた教典が多く存在するからである。逆に輪廻転生は無いと説いた教典は存在しない。

先ず輪廻転生を説いた教典の該当箇所を挙げようと思ったが、ブログをお読み下さる気力が無くなる感じがしたので、該当箇所は文末に挙げておくこととする。
文末に挙げたようにパーリ仏典には「四の聖諦を如実に/観ぜざるによりて/久しく処処の生に/輪廻したりき/此等の[聖諦]を観じたれば/有索を滅し/苦の根本を断ち/更に後有を受けず」とある。「四聖諦を如実に観ることができたので、また後の生存は受けない。」ということは、つまり釈尊の輪廻転生はこれで終わり、ということだ。四聖諦を観じていない間は輪廻転生していたと明言している箇所である。

また片山一良先生の訳による『中部経典』には《私の解脱は不動である。これは最後の生まれである。もはや再生はない。》とある。この箇所についてはあらためて言い直す必要はないほど明瞭である。文末の引用箇所を読んでいただけば分かるように、智と見が生じたことによって、もはや再生はないのである。とすると逆に言えば智と見を生じない間は再生があるということになる。

漢訳の『中阿含』はほぼ片山先生の訳されたパーリ仏典と同じような内容である。また『増一阿含経』の引用箇所はパーリ仏典の「大品-第六薬犍度」と同じような内容となっている。

このように四聖諦を自覚せず、智と見(一切知智)を生じないうちは、輪廻転生すると書かれた原始経典がたしかに存在しているのである。これをどう読み解くか、そこが学者によって意見の異なるところである。学説が種種あるので、どの説をとったらよいか悩むところになるわけである。簡単な分類としては輪廻説肯定論と輪廻説否定論とに分けられよう。「輪廻してきた」「これは最後の生まれである」という経典を読んだとしても、輪廻否定論は出てくる。輪廻否定論については文末にフクロウ博士のコメントを転載させて頂きましたのでご参照下さい。)

輪廻肯定論として、今の生が誰か過去世の人の生まれ変わり、というような神秘的な受け取り方があるが、フクロウ博士はそのようなものではない、と言われる。例えば蝋燭の火を受け継ぐように生が受け継がれていく。完全に尽きた蝋燭はそれでお終い、全く新たな蝋燭に火がともっていくのである。また例えばコピーを考えてみると、コピーした用紙とコピーされた用紙は全く同じことが写し出されてはいるが、コピーした元がコピーされた用紙に乗り移ったわけではなく、厳然と二枚の用紙は存在している。このような輪廻の形であろうということになろうか。『ミリンダ王の問い』には火の譬えやマンゴーの譬えが具体的に書かれているが、理解するに簡単ではない。輪廻の方法を「識が流れ込む」といい「結生」と南伝のアビダルマでは言うそうだ。

誰かの生まれ変わりというと生まれかわる主体があることになるので、釈尊は主体が無いことを説いたのだから、それは矛盾することになる。片山先生の訳されたパーリ仏典「大愛尽経」*のなかに「私は世尊がこのように法を説かれたと理解する。すなわちこの識は流転し、輪廻し、同一不変である」このように釈尊の言葉を受け取っていたサーティ比丘の過ちを釈尊が叱る箇所がある。釈尊は言われた。「縁がなければ、識の生起はない」と。つまり輪廻は乗り移りのようなものではないことを釈尊が説かれている箇所である。生まれ変わりという輪廻は、神秘的であり理解しやすい形ではあるが、私もそのような輪廻転生はおかしいと思っている。

しかしダライラマやパンチェンラマたちの生まれ変わりを説くチベット仏教では、独自の理論があり、簡単に生まれ変わりというようなことではないようだ。ダライラマやパンチェンラマのような活仏は仏祖の化身というとらえかたであり、チベット仏教では霊魂不滅の観念があるといえよう。


とにかく中国禅や日本の禅宗では輪廻転生説を問題にさえしない傾向がある(牛に生まれ変わる話はあるので、またこれに関しては後日書かせて頂きたい)が、仏教について切り口の違いと言って、輪廻転生の問題から逃げずにそれぞれ考えるのは大事であると思うので、フクロウ博士が分かりやすいと言われる本を参考として、いくつかあげておきますので、それぞれお読みください。おまかせします。

輪廻転生に関する現時点での私の総括としては、次のようなところである。私の火を未来にバトンタッチするのなら、少しでもより楽しい火をバトンタッチしたいものであり、もっと楽しい人間になれるように努力したいものである。僧侶としては、四聖諦をよく観察し、八正道をできる限り行じるようにして、ということになろうか。
次の注記も含めこの程度の紹介で申し訳ありませんが、ご容赦下さい。

      ************************
フクロウ博士のコメント
去年の終わりごろに、仏大の並川孝儀先生が『ゴータマ・ブッダ考』(大蔵出版)をお出しになられました。皆様にも是非ともお読みいただきたいと思いますが、このご著書の第3章は「原始仏教にみられる輪廻思想」と題されるもので、原始仏教聖典のうちでも「古層」および「最古層」とされている文献資料の分析を通して、釈尊の輪廻観を明らかにしておられます。先生は、特に「最古層」の記述から、〈・・・輪廻に対する態度は消極的であり、仮に輪廻に関する用語を使用しても、ものの考え方や見方はあくまで現世に力点を置くという態度を示していたことが読み取れた〉(pp.128-129)と述べておられます。

なお、同書に対しては、輪廻否定論者を自認する評論家の宮崎哲弥氏が、アサヒコムに2006年02月05日付けの書評を公表しており、〈ブッダ自身の輪廻観は飽(あ)くまで否定的であったと推すことができるのだ。・・・当時から流布していた輪廻という観念の因襲を、無我の思想を立てて解体しようとしたブッダの姿を、本書は見せてくれる〉と述べています。

私は、原始仏典(初期仏典)の「古層部」「最古層部」とか「新層部」とかといった区分は、学者たちによって便宜的に設定されているものにすぎず、絶対的かつ確定的なものではないことを承知しております。よくいう「韻文古層説」も、便宜的なものにすぎません。もちろん、それぞれの学者たちは、それなりの根拠を提示して新古の層の線引き基準を立てており、そうした根拠には、傾聴に値する話も少なからず含まれますので、新古の議論(推論)そのものが戲論であるとは考えません。しかし、そうした便宜的な線引きに基づいて導き出された考証結果は、仮説の域を出ないということを忘れてはなりません。

話題は変わりますが、中村元先生の『ブッダのことば』(岩波文庫)があります。有名な本で、愛読者も多いかと思われます。これは、パーリ語で伝承された仏典『スッタニパータ』を翻訳したものです。『スッタニパータ』は、大部分が韻文(詩句)で書かれております。原始仏典に属するとされ、比較的古い文献の一つとされております。それはさておき、その『スッタニパータ』の第1146偈の注記において、中村博士は、〈・・・最初期の仏教は信仰(saddhaa)なるものを説かなかった。何となれば信ずべき教義もなかったし、信ずべき相手の人格もなかったからである。『スタニパータ』の中でも、遅い層になって、仏の説いた理法に対する「信仰」を説くようになった〉(p.431)と述べております。釈尊が存命中のうんと古い時代には、仏であれ法であれ、そのようなものは信仰の対象ではなく、したがって、信仰など説かなかったというのです。この説に対しては、後にあるところで大きな議論を生むことになり、論駁されるのですが、新古の線引きがひとり歩きした結果もたらされた原始仏教論としか思えません。

我々は、釈尊の教えとは何であるのか、仏教とは何であるのか、ということを考えるに際して、これまで近代仏教学が積み上げてきた成果を十分に踏まえるとともに、いまいちど批判的に再検討していく必要があると思います(大変なことですけれど・・・)。
追記 (Dr. Owl) 2006-02-26 17:40:26

長文の書き込みで申しわけございません。若干の追記がございます。上述の論駁とは、村上真完「「信を発せ」再考 ―Pamuncantu saddham―」(国際仏教徒協会『佛教研究』第22号所収)などにおけるものである。

なお、中村博士は、『スッタニパータ』の第1147偈に対する注記で、〈この詩および前の詩から見ると、最初期の仏教では、或る場合には、教義を信ずることという意味の信仰(saddhaa)は説かなかったが、教えを聞いて心が澄むという意味の信(pasaada)は、これを説いていたのである〉(p.431、「この詩」とは第1147偈、「前の詩」とは第1146偈を指す)と述べております。しかし、saddhaa(信仰)とpasaada(澄浄、浄信)が、インド語の使用法において厳格に峻別されているのかどうか、疑問の残るところです。


*道元禅師の輪廻、中国禅に出てくる輪廻については項をあらためてまとめたい。
*参考図書
石飛道子著『ブッダ論理学五つの難問』講談社、『春秋』2005.12,2006.1月号「仏教と輪廻」
宮本啓一著『ブッダが考えたこと-これが最初の仏教だ』春秋社、『春秋』2005.11月号「倫理的要請としての輪廻」

*輪廻転生について説かれた該当個所
○パーリ仏典「「大品-第六薬犍度」
29-1 時に世尊は拘利村に到りたまえり。此に世尊は拘利村に住したまへり。此に世尊は比丘等に告げて言いたまへり、「比丘等よ、四聖諦を了悟せず通達せざるによりて此の如く我も汝等も久しく流転輪廻せり。何をか四と為すや。比丘等よ、苦聖諦を了悟せず通達せざるによりて此の如く我も 汝等も久しく流転輪廻せり。苦集聖諦を[…乃至…]苦滅聖諦を[…乃至…]順苦滅道聖諦を了悟せず通達せざるによりて此の如く我も汝等も久しく流転輪廻せり。

29-2 比丘等よ、今や苦聖諦を了悟し通達せり、苦集聖諦を了悟し通達せり、苦滅聖諦を了悟し通達せり、有愛を断じ有索を尽くし更に後有を受けず。
四の聖諦を如実に
観ぜざるによりて
久しく処処の生に
輪廻したりき
此等の[聖諦]を観じたれば
有索を滅し(*この語の訳が不明であるが、原語は再有なので再びの生存となる)
苦の根本を断ち
更に後有を受けず
      『南伝大蔵経』巻3「律蔵」404~405頁

○パーリ仏典『中部(マッジマニカーヤ)中部根本五十経篇Ⅱ』
 そして比丘たちよ、私は自ら生まれる法の者でありながら、生まれの法に危難を見て、不生の、無上の無碍安穏の涅槃を求めつつ、不生の、無上の、無碍安穏の涅槃に到達したのです。
自ら老いる法の者でありながら、老いの法に危難を見て、不老の、無上の無碍安穏の涅槃を求めつつ、不老の、無上の、無碍安穏の涅槃に到達したのです
自ら病む法の者でありながら、病いの法に危難を見て、不病の、無上の無碍安穏の涅槃を求めつつ、不病の、無上の、無碍安穏の涅槃に到達したのです。
自ら死ぬ法の者でありながら、死の法に危難を見て、不死の、無上の無碍安穏の涅槃を求めつつ、不死の、無上の、無碍安穏の涅槃に到達したのです。
自ら憂う法の者でありながら、憂いの法に危難を見て、不老の、無上の無碍安穏の涅槃を求めつつ、不憂の、無上の、無碍安穏の涅槃に到達したのです
自ら汚れる法の者でありながら、汚れの法に危難を見て、不汚の、無上の無碍安穏の涅槃を求めつつ、不汚の、無上の、無碍安穏の涅槃に到達したのです
 さらにまた私に智と見が生じました。〈私の解脱は不動である。これは最後の生まれである。もはや再生はない。
片山一良訳(大蔵出版)46頁
        
○漢訳仏典『中阿含経』巻56「羅摩経」
我求無病無上安穏涅槃。便得無病無上安穏涅槃。求無老無死無愁憂感無穢汚無上安穏涅槃。生知生見。定道品法。生已尽梵行已立。所作已弁不更受有知如真。
『大正大蔵経』巻1ー777頁a段

○漢訳仏典『増一阿含経』
有此四諦。實有不虚。世尊之所説。故名爲諦。諸有衆生二足・三足・四足。欲者・色者・無色者。有想・無想者。如來最上。然成此四諦。故名爲四諦。是謂。比丘。有此四諦。然不覺知。長處生死。輪轉五道。我今以得此四諦。從此岸至彼岸。成就此義。斷生死根本。更不復受有。如實知之爾時。世尊便説此偈
今有四諦法如実而不知 輪転生死中終不有解脱
如今有四諦以覚以暁了 以断生死根更亦不受有           『大正大蔵経』巻2-631頁*この箇所は愚禿氏の指摘箇所
○漢訳仏典『大般涅槃経』巻上
有四聖諦。當勤觀察。一者苦諦。二者集諦。三者滅諦。四者道諦。比丘。苦諦者。所謂八苦。一生苦。二老苦。三病苦。四死苦。五所求不得苦。六怨憎會苦。七愛別離苦。八五受陰苦。汝等當知。此八種苦。及有漏法。以逼迫故。諦實是苦。集諦者。無明及愛。
能爲八苦而作因本。當知此集。諦是苦因。滅諦者。無明愛滅絶於苦因。當知此滅。諦實是
滅。道諦者。八正道。一正見。二正念。三正思惟。四正業。五正精進。六正語。七正命。
八正定。此八法者。諦是聖道。若人精勤。觀此四法。速離生死。到解脱處
              『大正蔵大藏経』巻1、195頁b段

○文中*印「大愛尽経」:パーリ仏典『中部(マッジマニカーヤ)中部根本五十経篇Ⅱ』(大蔵出版)234頁~239頁参照。

○『長阿含経』1「大本経」(『大正蔵大藏経』巻1、1~10頁)和文を参考になさりたい方は『長阿含経Ⅰ』(『新国訳大蔵経』(大蔵出版)67~116頁)

○『長阿含経』13「大縁方便経」(『大正蔵大藏経』巻1、60~62頁)和文を参考になさりたい方は『長阿含経Ⅱ』(『新国訳大蔵経』(大蔵出版)45~59頁)


再び輪廻転生について書く前の前置き

2006-02-25 23:59:01 | Weblog

2月25日(土)晴れ【再び輪廻転生について書く前の前置き】
輪廻転生についてもう少し学んでみたい。愚禿さんという方からコメントを頂いたことも参考にし、またフクロウ博士にお教えいただいたことなど、咀嚼できたところを書きとめたい。

その前に一言。仏教と一言で言っても、なにが仏教なのかを説明しようとすると一言ではすまない。昨日電車の中で、インド人の五歳ぐらいの少女と一緒になった。少女のつぶらな瞳に「おはよう」と言ったら、「何を読んでいるの」と尋ねられた。『ミリンダ王の問い』(中村元・早島鏡正訳、平凡社)を読んでいたのだが、「ぶっきょうの本よ」と答えると、「ブッキョウ?それは何?」と、オウム返しに聞かれた。答えようと思っているうちに少女とパパの降りる駅に着いてしまった。「また会いましょうね」「バイバイ」と別れた。あの後、パパが仏教について何か教えて下さっただろうか。少女にとって初めて耳にしたであろう言葉、「ブッキョウ」について。

「お釈迦様が教えて下さった教え」その後になんと言おうか。キリスト教なら「イエス様の教えて下さったのは、神の愛よ」と一応説明がつくだろう。勿論キリスト教にも難しい教義はいろいろとあるであろうが。

私は二人の師匠のもとで坐禅修行を修行した。そして『正法眼藏』(道元禅師の著作)と『従容録』(宋代の禅僧宏智正覚が百則の問答に頌をつけた『宏智頌古』に南宋の禅僧万松行秀が解説-示衆・著語・評唱-を加えたもの)の提唱(講義)を聞いて育った。師匠なき後、仏教という教えがどうもぼんやりとしているようで、このままでは死ねないと思い駒澤大学に学んだのである。せめて師匠に教えられた『従容録』だけでも、もう少し理解したいと思い、私は主に中国禅を学んだ。

今は研究所で道元禅師の著作を学ぶことも多いし、室町時代の禅僧の語録を訳さなくてはならないので、一日の殆どを語録の研究で終わってしまっているのだが、簡単にいうと日本の禅を学んでいるということになる。

お釈迦様の教えにアプローチするのには、実にいろいろな道がある、いやありすぎると言わせて貰いたい。この頃は、釈尊の説かれた直接の教えを学ぶには原始仏教を学ばなくてはならない、ということを特に思っている。しかしである。悲しいかな、私は原始仏教系の著作を読むと頭がくらくらしてしまうのである。書いてあることが頭に入ってこないのである。フクロウ博士に言わせると基本的なことが分かれば読みやすいと言われるのであるが、あまりに理論的な展開に私の頭脳がついていけないのである。それがフクロウ博士に説明を受けると、よく理解できるのである。どうして原始仏教について書かれた書物は難しいのであろうか。

前置きが長くなったが、いよいよフクロウ博士から学んだ輪廻転生についてまとめてみたい。しかし話を聞いているときは分かったような気がしたのだが、それを書くと言うことはまた別の作業になる。今日は前置きだけで、はぐらかすようで申し訳ないのだが、本題に入るのはまた後日とさせて頂きたい。

次に愚禿さんからの情報を転載させて頂きたい。輪廻転生について興味のある方の参考になると思います。

《モークシャーカラグプタという人が書いた『タルカバーシャー』という仏教論理学の書があります。梶山雄一先生が『論理のことば』と題して、全文を邦訳していらっしゃいます(中公文庫)。この『タルカバーシャー』に「輪廻の論証」(梶山訳)という一節があります。輪廻の有無を直接知覚的に「立証」するのは不可能かもしれませんが、論理的に証明する「論証」は可能なのではないでしょうか?。対象の認識手段は直接知覚(現量)だけではないからです。》


祈りのスケーター村主章枝選手

2006-02-24 23:26:19 | Weblog
2月24日(金)曇り【祈りのスケーター村主章枝選手】
荒川静香選手が金メダルに輝いた。村主章枝選手は4位、安藤美姫選手は15位にそれぞれ輝いた。
本当にそれぞれ素晴らしい演技で魅了された。

私はルールはあまりわからないのだが、フィギアスケートのファンである。観ているだけで楽しい。特に村主章枝選手の祈りにも似た滑りにはいつも感動している。クリスチャンであろうかと思っていたら、小学校からのミッションスクールの出身であるという。「あれこれ随想記」で『人間は遺伝か環境か?遺伝的プログラム論』(日高敏隆著、文春新書)を紹介されていたが、村主章枝選手が醸し出す宗教的雰囲気はたぶんに小さい頃からの環境に負うところが多いのではなかろうか。今回のフリーでは、ショパンの「幻想即興曲」を選曲されたが、思いっ切り宗教的な曲でも村主さんなら滑れたのではないかと思った。なんと言ってもイタリア、ローマ法王のお膝元でのオリンピックなので、そんな選曲も面白かったかもしれない。メダルこそとれなかったが、素晴らしい滑りであった。インタビューの時の涙は何であったのだろうか。(祈りの後は是非爽やかな歓喜の笑みが次には見たいですね。)

荒川選手は、とにかく日頃の目に見えない一歩一歩の努力と不屈の精神が、今日の晴れ舞台の結果でしょう。そして荒川選手の選曲のイタリア歌劇「トゥーランドット」は開会式のときにも歌われた曲だそうだ。選曲の時点ではそのことを知らなかったようだが、「なにか運命的なものを感じました」とご本人も言っていたようだ。

安藤美姫選手も、失敗はしたが思いきって四回転にチャレンジしてそのことの後悔はないだろう。チャレンジしなければ、順位は上であったろうが、きっと後悔していたであろう。

感動を与えてくれて有り難う。

前に紹介したアメリカのジョーイ・チーク選手はまだ二十六歳の若さなのに、三月のW杯で引退するそうである。スピードスケート男子500メートルで金メダル、1000メートルでは銀メダルをも手にした。アメリカ・オリンピック委員会から、その報奨金四万ドルを貰うそうだが、人道支援組織「ライト・トゥ・プレー」に寄付」するという。四月にはアスリート大使として、ザンビアに行くそうである。「競技はある意味、自己中心的な行動だった。今度は僕が誰かを助ける番」とチーク選手は話しているという。

家に帰ったら「難民を助ける会」から「ザンビアエイズ対策活動」の活動報告会の案内が届いていた。エイズ患者の悲惨な状況のザンビアで、チーク選手は活躍をしてくれるのであろう。有り難いことだと思う。

いろいろな感動があって、オリンピックもまもなく幕を閉じる。自らの感動のために自分も日々の努力を惜しむまい。

貧者の一燈

2006-02-23 01:19:35 | Weblog
2月22日(水)曇り【貧者の一燈

任天堂の創業者のお一人である山内溥(ひろし)氏(78)が、京都大学医学部の付属病院に私財70億円を寄付なさったという。たいしたことであると思った。それにしても隨分お金をお持ちの方がいるものであるとも感心をした。しかしお金があっても社会に寄付をしない方もいるので、やはりすごいことだと思う。

ここで仏教者なら「貧者の一燈」の話しを思い浮かべる人もいるだろう。私はそれを思い出した。『阿闍世王授決経』(大正蔵14巻777頁)の冒頭にこの話しは出てくる。(*律部にこの話の原形があると、ふくろう博士のご指摘を頂きましたので、この文の末尾に引用を掲載しておきます。)阿闍世王が仏に供養の燈明をあげることになった。常日頃から仏に供養したいと願っていた老婆はそれを耳にしたのだが、いかにしてもお金がない。「佛生難値百劫一遇。我幸逢佛世而無供養。」(「仏に値えるというのは百劫もの長い長い間にようやく一度遇えるようなものであるが、私は幸いにして仏の世に出逢えたのに供養するものが何も無い」)と嘆いた。そこで他の人から二銭をもらった。そのお金で麻油膏を二合買え、さらに麻油家の主人が特に三合サービスしてくれたので五合の膏で燈を供養することができた。そして風が吹いて全ての燈が消えてしまったというのに、老婆の一燈は消えなかった。その上老婆は三十劫ののちに須弥燈光如来になることの証明を授けられるという話である。

金額の多寡に拘わらず社会に寄付をすることは大事なことだと思う。山内氏の70億円と私の千円ぐらいが匹敵するであろうが、私も少しでも社会に貢献したいと願っている。この度日本人として生まれ、現金収入のある社会情勢のお蔭で、母と二人なんとか生かされている。生活を犠牲にするほどの寄付はしないが、微々たる金額でも寄付をするように心がけている。

災害のある度に寄付を募っているので、郵便局から送金する方法が割に簡単な方法の一つだろう。郵便局に尋ねると日本赤十字などの口座番号はすぐに分かるし、送料もかからない。また慈善団体の会員になる方法もある。私は相馬雪香女史が会長の「難民を助ける会」の微力な会員を続けている。この度のオリンピックでも、スピードスケート男子500メートルで金メダルをとったアメリカのチーク選手が、優勝金を難民救済に寄付するということをチラッと耳にした。それぞれができる範囲で社会に貢献することが大事であると思う。寄付に対して懐疑的な人もいるかもしれないが、信用できそうな団体を探して、信頼しておまかせすることであろう。この地球に生き合う人間同士として当然の助け合いだと思う。

子供たちにも百円でも二百円でも災害時に寄付をするようなことを、大人が教えてあげてはどうだろう。テレビに映る災害のシーンを、御飯を食べながら見ているだけでは、子供たちに御飯の有り難さは分からないだろう。このブログをお読みの方も私の情報など必要ないくらい、社会活動をなさっていると思うが、任天堂の内山氏の寄付の記事を目にして、貧者の一燈も臆するものではないことを書かせて頂いた。七十億円と千円のコラボレイションである。

「難民を助ける会」電話03-5423-4511、FAX03-5423-4450
*『阿闍世王授決經』の「貧者の一燈」に関する箇所を掲載しておきました。この文の後は、華を仏に供養して覚華如来の授記を受ける男の話が続きます。阿闍世王はやっと心からの供養が大事なことを悟らされ、淨其所部如来となることの授記を受けることになります。短いお経ですので、この後も引用を掲載したほうがよければコメントして下さい。大正蔵をわざわざ引かなくてもここからコピーができるでしょう。(授決は未来に必ず成仏する証明を仏が授けること。授記に同じ。受記は受けること。)
*この文中「乞食」という言葉がありますが、人権上問題ですが、訳の上で注意を要します。
*「貧者の一燈」という語を寄付する側が使うのは問題ありませんが、寄付をあおぐ側が使用することは不適切です。
『阿闍世王授決經』 西晉沙門釋法炬譯 聞如是。一時佛在羅閲祇國耆闍崛山中。時阿闍世王請佛。飯食已訖佛還祇洹。王與祇婆議曰。今日請佛。佛飯已竟更復所宜。祇婆言。惟多然燈也。於是王乃敕具百斛麻油膏。從宮門至祇洹精舍。時有貧窮老母。常有至心欲供養佛而無資財。見王作此功徳乃更感激。行乞得兩錢。以至麻油家買膏。膏主曰。母人大貧窮。乞得兩錢何不買食。以自連繼用此膏爲。母曰。我聞佛生難値百劫一遇。我幸逢佛世而無供養。今日見王作大功徳。巍巍無量激起我意。雖實貧窮故欲然一燈爲後世根本者也。於是膏主知其至意。與兩錢膏應得二合。特益三合凡得五合。母則往當佛前然之。心計此膏不足半夕。乃自誓言。若我後世得道如佛。膏當通夕光明不消。作禮而去。王所然燈或滅或盡。雖有人侍恒不周匝。老母所然一燈光明特朗。殊勝諸燈通夕不滅。膏又不盡至明朝旦。母復來前頭面作禮叉手卻住佛告目連。天今已曉可滅諸燈。目連承教以次滅諸燈。燈皆已滅。惟此母一燈三滅不滅。便舉袈裟以扇之燈光益明。乃以威神引隨藍風以次吹燈。老母燈更盛猛。
乃上照梵天。傍照三千世界悉見其光。佛告目連。止止。此當來佛之光明功徳。非汝威神所毀滅。此母宿命供養百八十億佛已。從前佛受決。務以經法教授開化人民。未暇修檀。故今貧窮無有財寳。卻後三十劫。功徳成滿當得作佛。號曰須彌燈光如來至眞。世界無有日月。人民身中皆有大光。宮室衆寳光明相照如忉利天上。老母聞決歡喜。即時輕舉身昇虚空。去地百八十丈。來下頭面作禮而去。王聞之。問祇婆曰。我作功徳巍巍如此。而佛不與我決。此母然一燈便受決何以爾也。祇婆曰。王所作雖多心不專一。不如此母注心於佛也。
(T14-777b29)

『根本説一切有部毘奈耶薬事』巻12(全文を掲載できませんので、一部分のみ)

僃苾時有一女。貧苦憔悴。以乞濟活。聞此喧聲。問諸人曰。何故喧聲。報貧女曰。勝光大王。於三月日。佛爲上首。與**芻僧伽。供養衣食湯藥臥具。施一一苾芻。價直百千衣服。於今夜中。爲然燈會。表心珍重。所以有此喧聲。時彼乞女聞斯事已。作如是念。此勝光王。修福無厭。我何能爲。宜可隨處。求乞一燈。供養世尊。(T24ー55c14)






供養記 葬式無用そして白洲次郎

2006-02-21 20:17:08 | Weblog
2月19日(日)晴れ【供養記  葬式無用そして白洲次郎

今日は、ある家のご長男の一周忌であった。長男の家族が法事をしないというので、両親が施主となっての法事である。長男の奥さんや娘たちとは没交渉になってしまったのだという。どの家にもそれぞれ家族の事情があるので、何とも言えないことだが、没交渉ということは残念なことである。奥さんはともかく、娘さんはお孫さんにあたる。この初孫をおそらく生まれたときから、おじいちゃん、おばあちゃんは可愛がったことであろう。

長男の家族は無宗教なのだという。しかし年をとった両親にとっては、戒名もつけない、法事もしないということは、いかにしても受け入れがたいことなのだ。お仏壇には、両親が作ったという戒名のついた長男のお位牌がまつられていた。

ご両親の気持ちが少しでも落ち着いてくれたら有り難いと願い、ご法事をつとめた。私も母より先に逝った兄のことを思うと、他人事ではないので、この家のご両親の気持ちが痛いほどに察せられる。法事が終わって失礼するときに、お母さんが「お蔭さまで気持ちが落ち着きました」と言ってくれた。勿論私でなくとも、僧侶の誦経と法話には癒されるものがあるだろう。誦経には癒しの波動があると思う。

無宗教で葬儀をしなかったり、法事をしないというのも、確かに一つの選択肢である。死んでいく本人や家族の気がすむのであれば、それはそれとして否定されるものでもなかろう。亡くなった人に充分な供養となることが、宗教者が導師を勤めるご葬儀の他にあるのなら、という条件付きで、私はよいと思う。決して宗教的なことだけが、死者を送るに相応しい方法とは限らないだろう。

しかし、この家の場合、両親の気持ちは、先祖からの仏教的な法事や祀り方をしないことに、少しも安らぎがなかったのであるから、長男家族がとった無宗教、法事無用という方法はよいとは決して言えない。親の気持ちが一番尊重されるべきであろう。

さて、その夜、机に積んである本の中から、たまたま『白洲次郎 占領を背負った男』(北康利著)を手にとった。白洲次郎氏は私の好きな随筆家白洲正子氏の夫である。吉田茂首相の信頼を受け、終戦連絡事務局次長、貿易庁長官などを歴任し、占領下の日本を背負った男の一人である。占領軍相手に少しも怯むことなく堂々と、日本のために張り合ってくれた人である。また東北電力の代表取締役や軽井沢ゴルフ倶楽部の理事長などをつとめ、おおいに信念を持った活躍を果たした人である。

その人の遺言は「葬式無用、戒名不用」である。丁度今夜読んだ頁にこのことが書かれていたので、面白い符合だと思った。「葬式無用、戒名不用」は本人の意志であり、遺言書も残されている。「知りもしないやつらがお義理で来るのなんか真っ平だ」とも言われたという。家族もこの意志を受け入れて、その人に相応しい見送り方がなされた。棺を囲んで古い友人たちが集まり、一晩中お酒を飲んで、故人を偲んだという。故人の思い出話に泣いたり、笑ったりしながら、名残りの見送りをしたのである。

こんな洒落た見送りができるには、故人もその家族もその友人たちも、それぞれ役者が揃わないとできないことである。人生を燃焼し尽くした人にしてできる選択の一つであろうと私は思う。

昨年、葬式無用と遺言を残した人のご葬儀を頼まれた経験がある。なるべく故人の遺志をいかした式にして貰いたいと注文を受けて、その方法に頭を痛めたが、見送りの基本は変わらないので、誠を尽くしてお見送りをした。白洲氏の言葉どおり「プリンシプルを持って生きていれば、人生に迷うことは無い。」と同じことである。


それぞれ自分の望むように人生の幕引きを演出するのもまた楽しからずや

偏見の壁 

2006-02-20 01:09:37 | Weblog
2月19日(日)晴れ【偏見の壁
金曜日に悲しい事件が起きてしまった。幼稚園に通う佐野迅ちゃんと武友若奈ちゃんが同じ幼稚園児のお母さんに殺されてしまった。なんと言ってよいか分からない気持ちである。こんなことをしてしまった犯人は中国の人だという。

このような事件によって中国の人たちに対して偏見を持たれることが恐い。広島の事件はペルーの人であったが、やはりこのようなことで日本に来て頑張っている他のペルーの人たちに対して偏見を持たれることが恐い。

現在日本には多くの外国籍の住民(ニューカマ-)が住んでいる。2004年12月現在で2万8000人いるそうである。そのうち中国の人は2828人であるという。約一割が中国の人たちである。私の良き友人にも中国籍の人が数人いる。

言葉の壁、宗教の違いによる壁、文化の違いによる壁、この狭い地球の中で多くの壁はあるが、それを乗り越えてよりよい共存の形を社会全体で考えていかなくてはならない。そしてこの度のような事件に対して、国籍の違いにその原因をもとめすぎることは危険な考えであろうと思う。それぞれ個人の起こした事件であり、中国人だからでもペルー人だからでもないことを認識しなくてはならない。

今ヨーロッパではムハンマドの風刺画で一騒動が起きている。昨日もリビアでイタリア大使館に対しての暴動が起きて、死傷者が出たほどであるという。イスラム教に対しての偏見は人間として恥ずべき事だと思う。かくいう私もかつては偏見を持っていた。イスラム教に対する漠然とした恐れである。それがある経験を通して氷解した。

それは用事があって香港に向かう飛行機の中での出来事であった。その頃私は直感力が割に強い時であった。1月7日に【ロドス島とmediumそして人類の滅亡】について書いたが、人類の滅亡についてのメッセージを受けていた頃のことだったかと思う。「今、Aさんはヨーロッパから帰って来たから、電話をするように」と心に信号が届いたので、すぐに香港に電話を入れたらたら「今帰ってきたばかり、玄関に入ったばかりなのにどうして分かったの」と驚かれたのであるが、そんな状態の時であったと思っていただきたい。

私の隣の座席に坐ったのは、中近東系の男性であった。宗教の話になって、彼の宗教はイスラム教であると言った。その時「キリスト教は天の愛、仏教は天の慈悲、イスラム教は天の力」という声が私の心に聞こえた。その声によって私のイスラム教に対する偏見が一気に取りはらわれたと言ってもよい。過酷な気候条件の風土に住む人々には、人々が一つに団結する強い結束が必要であろう。そうでなくては人々が生きていけないことが多いに違いない。だから天は力を教えたのだ。私はそう解釈した。

「キリスト教は天の愛、仏教は天の慈悲、イスラム教は天の力」はたしてこのような表現が適切かどうかは、何とも言えないが、私にとっては受け入れられる表現であった。単純な私の直感であるので。どのような宗教でも縁のある宗教に導かれて、この人生を送ればよいだろう。そしてお互いを尊重しあって、地球人として平和に生きたい、と願う。

私は時々自分の海外の経験をこのブログに恐縮ながら書くのであるが、私は二十歳頃までは、国粋主義に近いほどの狭い考えの人間であった。日本に来るのだから外国人でも日本語を話さなくてはならない、とまで思っていたのである。そのような狭量な考えであったので、かえって多くの海外の友人たちと交流しなくてはならないような天の配剤に遇ってしまったのだろう。時々に海外での経験なども書かせていただくが、ご寛容にお読みいただきたい。

いろいろな人種、いろいろな言語、いろいろな文化、すべてこの地球の彩りであろう。だからそれぞれの文化、それぞれの言語も大事に守りながら、融合して生きていくことがこの地球を楽しくすることだろう。そのなかでもスポーツは一つの共通な表現手段である。オリンピックは参加することに意義がある。あまりメダルにはこだわるまい。イタリアでのオリンピック、平和にこの祭典が終わりますように。

世界の平和のためにも、失礼極まりないムハンマドの風刺画など決して描かないで頂きたい。イエスの風刺画をキリスト教圏内の人が描くのとは次元が違うことの認識を持たなくてはならない。
偏見の壁を打ち破り、お互いを尊重しあえば、穏やかな平和がおとずれるだろう。壁はそれぞれの心のなかにある。

輪廻転生について

2006-02-17 15:01:34 | Weblog
2月15日(水)曇り夕方一時雨六月の暖かさ【輪廻転生について】涅槃会の日に


2月13日投稿の【若くして逝きし人】の記事のなかで、輪廻転生について少し触れたが、もう少しきちんと書いてみたいので、智慧袋のふくろう博士に講義を受けた。しかしなかなか咀嚼しきれないが、咀嚼できたところを少し書いてみたい。

近年、輪廻転生説が誤りであることを論じたのは、和辻哲郎氏(1889~1960)であるという。「無我説と輪廻転生説は相容れない」ということを学説として明確に打ち出したのである。釈尊は無我を説かれた。我(実体)が無いのだとすると、輪廻するということは理論上成り立たない、ということであろう。このことは和辻氏の『原始仏教の実践哲学』に書かれているそうである。

しかし木村泰賢氏(1881~1930)は無我説と輪廻転生説は両立していることを主張したが、氏は早くに亡くなってしまったので、和辻氏の主張が強い影響力を仏教界にも及ぼして、大勢として輪廻転生説は否定されるところとなったのであろうと、ふくろう博士は説明された。木村氏の「原始仏教思想論」(『大乗仏教思想論』)にその件については述べられているそうである。

また『雑阿含経』に死後について「無記」とある。

尊者阿難答言。隨意所問。知者當答。倶迦那言。云何。阿難。如來死後有耶。阿難答言。世尊所説。此是無記。復問。如來死後無耶。死後有無耶。非有非無耶。阿難言。世尊所説。此是無記。倶迦那外道言。云何。阿難。如來死後有。答言無記。死後無。死後有無。死後(簡略にこれを訳せば-阿難に倶迦那が質問をした。「如来に死後は有りますか、無いのですか」と。阿難は答えた。「世尊の説くところは、無記である」と。)

無記とは有とも言わず無とも言わない、ことである。ここの場合、如来とは仏のことではなくtathagata(thの後のaの上-)は衆生及び有情のことをさすのである。とすると衆生を一慨には考えられないから、死後の有無をひっくるめて答えようがないので、無記なのであった、とふくろう博士は説明する。つまり、衆生が煩悩のある存在と煩悩のない存在によって、死後の有無は異なるのであるから一つにはできないということである。

この無記をもって輪廻転生はあるという説をたてる人はいないが、輪廻転生を否定する人によっては、ここを一つの論拠とした(する)こともあるようである。

しかし経典には輪廻を否定している経典はないが、輪廻を肯定していると読むことのできる経典は存在するそうである。釈尊が悟りを開かれたとき、「生まれは尽きた」と言われたという。つまりそれまでは輪廻していたことの裏付けと解釈できる、ということである。今その箇所が見つからないが、またふくろう博士にお教え頂いてから、お知らせしましょう。

『般若経』で説かれる「空」は全ての存在は「空性」である、ということであり、輪廻を否定することとは別のことである。輪廻が空(実体がないこと)だから解脱がありうるのだ、と言うことはできる。とふくろう博士は言われる。

近代において和辻氏が説かれたところは、西洋的合理主義に基づいた切り口であり、合理的な認識論のほうがわかりやすいかしれないが、果たして真実はどうなのであろう。

私は十六歳の頃、ロブサン・ランパというチベット僧の『第三の眼』という本を読んだことがある。今から四十年以上も前のことであるが、よく覚えている。少年時代にラマ僧になるように選ばれて、高僧たちのミイラの前を案内されることになった。、一体のミイラの前に立ったとき、体中が異様な震えを覚えたという。その時、案内の僧が言った。「この方はお前の前世の姿である」と。

当時、そういうこともあるだろうと素直に読んだことを思い出す。
ロブサン・ランパはその後、額に第三の眼をうえつけられ、人間の体から出るオーラが見えるようになったと書かれていた。そのオーラの色によって、その人の心の状態を読み取ることができたという。

この本に書かれていることはデタラメだということをいう人もいた。真偽の程は私には分からない。しかし人間の体からオーラが出ているのではないかということについては、三十年ほど前にザルツブルグというところで、手のキルリアン写真というのを撮ってもらった経験があるが、手から光りのようなものが出ているのが映し出されていた。これについても私には正確なところは分からない。(これはロシアのキルリアン兄弟によって発見されたので、キルリアン写真と名付けられているという。)

私の知人にはオーラが見えると言った人がいたが、その人は自分の死期を予告して、自殺ではないが、予告通りに亡くなった。このことについても私には分からない。

分からないことは多くある。特に私には多くある。なにが真実か、真理はなにか、釈尊の教えの真実はなにか。この世のことで事実さえも分からない場合が多い。
このように分からないことは多いが、一つでもなにか分かったら有り難いことである。学び続けていきたいと願っている。

私がこの世を生きていくのに、宇宙と一つになれるような広々とした気持ちになれることを学んでいきたいと願っている。そして静かに消えてゆこう。その後のことは分からない。厳然としてわかることは、我が命、今、此処に在り。このことを見据えて生きていこう。






オリンピック 成田童夢選手と井上メロ選手に

2006-02-15 10:41:27 | Weblog
2月14日(火)【オリンピック 成田童夢選手と井上メロ選手に】
2月10日から26日までの日程で第二十回冬季オリンッピクが、イタリアのトリノで開催されている。日本の選手もそれぞれ皆よく健闘している姿が、毎日テレビに映し出されている。メダルはまだないが、あまりそのことばかりにこだわらない方がオリンピックを楽しめるように思う。しかし日頃の努力の成果が本番で十分に発揮できない場合は残念である。

ハーフパイプの成田童夢選手がテレビ画面に映された。滑り始める前から映し出されたが、腕を上に上げて手を叩いていたように思う。その様子を見て、私はこれは残念だが、うまくいかないのではなかろうかという予感がした。日本ではそのやりかたで通用したかもしれないが、オリンピックの重圧には耐えられないであろうという予感である。しかし最後まで演技しきれなくなるほどだとは想像できなかった。

女子のハーフパイプでも今井メロ選手がスタートの前に拳をあげて声を発した。結果は残念にも失敗してしまい、怪我までしてしまったようで気の毒でたまらない。二人とも実力が発揮できなかったということは悔いが残ることだろう。実力が発揮できてもメダルに届かないのであれば、潔い諦めがあるだろうが。

しかし勝負の前に腕を上にあげることは、私はやめたほうがよいと思った。二人の今までのスタイルであろうし、今までそれで勝ってきたのであろうが。私の意見も聞いてください。せっかく体中に漲っている闘志と集中力を、腕を上げることによって発散してしまうと感じたのである。勝負の前の闘志は腹にしまいこんでおかなくては、これから始まる本番で力を発揮できないのではなかろうか。

アニマル浜口さんの「気合いだ!」も、その拳は上から下に振り下げられている。気合いを入れるときの拳は上には上げられていない。気合いはグッと腹にこめ、そして全身に漲らせるものだろう。拳を上に上げて、更に声を出すと、腹が凹んでしまい、集中力がゆるんでしまうのではなかろうか。

拳を上に上げるのは勝負を終えたときの、燃焼を果たしたときまで押さえた方が、勝負師としてはよいのではなかろうかと思った次第である。闘志は静かに燃やすものという美学は、古い奴と若いお二人には言われてしまいそうだが。

呼吸はお腹に(丹田)に吸い込み、お腹から吐く腹式の呼吸が集中力を高めるのにはよいであろう。坐禅の時の呼吸も腹式である。
私は小学、中学と卓球の選手、高校では山岳部、大学では馬術部と、少しはスポーツをやっていたので、このアドバイスもあながち門外漢の見方ではないと思うので、書きました。
日頃の成果が発揮できないのは、あまりに気の毒で、見ていて何か言わずにはおれませんでした。

成田童夢選手も井上メロ選手も謙虚な気持ちを忘れずに NEXT CHANCE 頑張ってください

若くして逝きし人

2006-02-13 09:24:52 | Weblog
2月11日(土)晴れ【供養記 若くして逝きし人
今日は二十歳のお嬢さんの四十九日を勤めさせていただいた。長い闘病生活のあとに亡くなられたのだという。三人娘の真ん中のお嬢さんであるが、「一番良い子でした」と言ってお父さんは泣いた。病気の子ほど不憫さが募ることもあるだろう。どの子も良い子であろうが、そういってやりたい親心だろう。

弱い体でありながら、よく二十歳まで頑張って生ききってくれたと、思いましょう、と私は慰めた。本当にそう思う。何回もの手術に耐えたそうだが、肉体的にも精神的にも大変な苦しみであったことと思う。その苦しみから解放されてよかったと、思ってあげることも供養かもしれない。

「幸福でした」とお嬢さんの写真が言っているように感じた。娘思いのお父さんとお母さんに育てられ、看病してもらい、可愛がってもらい、幸福であったと感謝の言葉を言いたいことであろう。姉妹にもまして親の涙は渇くことはないであろうが、娘さんが幸福であったことを知っておいてもらえば、涙の底に安心があるだろう。

姉さんや妹さんに、亡くなった人の分まで頑張って生きてね、と言おうとしてすぐにそのあやまちに気がついた。誰にも代わってもらえる命ではない。彼女は彼女の全分を生きたのだと。どのような亡くなりかたであれ、命の長短はどうであれ、それぞれの全分を生ききっているのだ。

二人の姉妹に私が伝えてあげられることは「自分ができない分までお父さんお母さんに孝行してね」ということではなかろうか。そう伝えたら、お父さんが「この子はそれを心配してくれていました」と言われた。きっと自分の死期を知っていた娘さんは「親孝行をしないでごめんね」と言ったことでもあったのだろうか。優しいお嬢さんであったのだろう。

「でもお嬢さんは充分に親孝行をしていってくれましたね。娘としての多くの思い出を残していってくれましたから」その分一層親の悲しみは深いだろうけれど、私はそう言って若くして逝く人を慰め、四十九日の見送りをしてあげたいのだ。
我というものは無いのであるから、死後個的な霊体のような存在はないとするのが仏教の教えである。しかし私は四十九日の間は、念のようなものが中有にあるのではないかという説をとりたい。

死後のことについては仏教にも、諸説があり、迷わされる最大の問題ではなかろうか。まことしやかに何を言っても立証されることではないのであるから。チベットの『死者の書』は読んだ人も多いだろうが、中有における死者の霊を清めて転生を助けることが説かれている。チベット仏教では輪廻転生が明白に説かれているのであるが、立証はできないことだ。『雑阿含経』には、釈尊は死後の有無については「無記」と書かれている。無記とは是とも非ともお答えにならなかったということではあるが、これをもって輪廻を否定する一つのよりどころとしている説もあるが、これも分からないことだ。解決不能なことを論じることは避けるべき事であろう。

帰りの車を運転中ふいに「おねえちゃんに悪かった」と聞こえた。どういうことだろうか。今日のご法事のお家の事情は全く知らないが、一歳違いのお姉ちゃんは、体の弱い妹の犠牲になることが多かったのではなかろうか。両親はつい病気の娘に夢中で、姉は我慢しなくてはならないことが度々あったのかもしれない。私の神経が研ぎ澄まされていたら、今日の法事の場で伝えてあげられたのに、申し訳なかったと思った。

亡き人の声が私の胸に届くような気がすることが度々にある。それは四十九日までの間だけのことであるが。しかし私は霊能者ではないので、亡くなった人の言葉ではなく、私の直感のようなものかもしれない。それでも人に害を与えることでは無かろうから、ご容赦願いたい。

若くして逝きし人
今日の命を生ききりて
きっぱりと終わりを迎え
光に抱かれて空に帰せり

心から冥福を祈りたい。

鹿を指して馬と為す

2006-02-10 17:59:42 | Weblog
2月10日(木)晴れ【鹿を指して馬と為す】
七日に紀子様のご懐妊が発表された。それによって皇室典範の改正を強行しようとしていた小泉首相は、今国会での法改正は取りやめたという。皇室典範の改正内容はともかくとしても、小泉首相のやりかたは強引に過ぎるように見受けられる。

郵政民営化問題についても小泉首相の強引な手法には独裁政治を思わせる匂いがする。多くの人もこのきな臭さは感じているであろう。

突然ではあるが、「馬鹿」の話を紹介させて頂きたい。秦の始皇帝の死後、二世皇帝になった胡亥は享楽的な無能の人間であったそうである。実権を握っていたのは丞相趙高という人物であった。趙高は胡亥に鹿を「馬でございます」と言って献上した。胡亥は「鹿だろう」と当然言い、周りの者に尋ねたところ、鹿という者と、馬という者と意見が分かれた。そして鹿と言った者は 趙高に殺害されてしまったのである。皆懼れをなして趙高に逆らう者はいなくなったそうである。

馬鹿の話の出典としては他にもあるようだが、これも出典の一つと言われているようである。

日本の政治におおらかさがあってほしいものと願う。たとえ正しいことをしようとしているにしても、反対意見に耳を貸す余裕がなくては民主主義とはいえない。

当たり前のことを書きましたが、紀子様のご懐妊がタイムリーではありましたが、強権発動の政府のやりかたを今回は見ないだけでも、有り難いことでした。