12月29日(木)青空【地球の滅亡】
この頃あまりに痛ましい事件が多すぎる。広島のあいりちゃんの事件、まだ犯人の見つからない栃木の吉田有希ちゃんの事件、京都の学習塾の講師に刺された堀本紗也乃ちゃんの事件、そして耐震強度偽装事件等々、人間の歪んだ感覚と考えによって引き起こされたそれぞれの事件である。あまりに痛ましく、この頃はテレビを観ることが自然に遠のいている。それは単なる現実逃避にすぎないであろうが、三人の霊に祈りを捧げる方が忙しいと言わせてもらおうか。
私は出家してから七年近く、テレビもラジオも新聞も読まない時期があった。そうした方が修行生活にふさわしいと思っていたのである。小さな寺に一人で住んでいるときである。寺の信者さんの家に、毎月それぞれの新しい仏さんの命日にあわせて供養にうかがい(これを月参りまたは月経ーつきぎょうーという)、寺子屋を開いて近所の子供たちに勉強を教えるという静かな生活をしていた。
世の中でなにが起きていても、あまり耳にはニュースは入ってこなかった。それにも関わらず私の耳に届いたのは「地球滅亡」のニュースであった。
そのニュースは、正確に言えば、私の心に聞こえたのである。「地球は必ず滅亡する」というその声は、耳ではなく心臓の少し上あたりから聞こえたのである。
当然私は驚いた。私は霊能者タイプの人間ではないと思っているが、その声は凛とした声であり、確かにそのように聞こえた。「本当ですか」私は声を出して尋ねてみた。
「残念だが、滅亡する」と、答えが返ってきた。
「それはいつですか」
「遅くない。まもなくだ」と、答えが返ってきた。
その声はいつも聞こえるわけではない。私は狂った様子もなく月参りもつとめ、信者さんのお家の人たちとも普通に言葉を交わしていた。寺子屋の子供たちに、算数や英語や国語の勉強も相 変わらずに教えることができた。それでも時折に地球の滅亡をささやく声の訪れがあった。
たびたびに耳元ならぬ胸の中で言われると、それは全くあり得ないことでもないように思えてきた。今思うとマインド・コントロールの一種であろう。自分の心の中から聞こえる声なので、自分が自分でマインド・コントロールにかけているようなものである。地球が滅亡するとなると、この子供たちが大きくなる頃には地球はないのか、と思うと、寺子屋の子供たちがそれぞれの家路につくとき、たまらない気がしたものである。そうして子供たちを、夕焼けがきれいに見える、広々とした空き地によく連れて行った。みんなでお日様に「さよなら」と、感謝をこめて見送ることをした。子供たちは知らないけれど、地球が滅亡すれば、こんなこともできなくなるだろう。少しでも勉強以外のことを伝えたかったのだ。夜空を見に行ったこともある。その空き地から空いっぱいの星が見えた。時々流れ星も見えた。流れ星に興じる子供たちの傍らで、私は、地球もあの流れ星のように滅亡していくのだろうか、と思っていた。
いつ滅亡するか判らないが、気も違っていないような私が、このようなメッセージを受け取っているのだから、どうもあり得ないことではないような気がする。私は本当に地球の滅亡を思って、日々を送っていた。その件が一段落をするまでにはいろいろとあったが、「成住壊空」の四劫 を学んで一番落ち着いたように思う。いつか地球も滅亡するときが来るであろう。それは宇宙の生成を考えたとき、自然の変化なのだ。それを受け入れたとき落ち着いたように覚えている。
四劫 は 成劫 住劫 壊劫 空劫のことで、宇宙の成立・存続・破壊・空無のこと。)
スピルバーグの『A.I』という映画があったが、その中で地面が海の底に沈んで、自由の女神も海の底に横たわっていたシーンが印象的であった。いつかそういうときも来るかもしれない。また地球の滅亡の前に、人類が滅亡するということもあるかもしれない、と私は思ってもいるが、動揺はしていない。ただできうればなるべく人類が地球で遊べる日の長いことを祈っている。
母なる大地と父なる大空から人類を含めて一切の生物は生み出されている。
それにしては人類は不遜にも大地も大空も汚しすぎてはいないか。
今日の空は青かった。出家する前、ギリシャのロドス島にスイス人の友人たちと一ヶ月過ごしたことを思い出した。ロドスの空の青さは抜けるような青さだが、東京の空にしては今日の空は青かった。一昨日、『ロードス島攻防記』を書いた塩野七生氏の本を買ったこともロドスにつながったように思うが、地球滅亡のメッセージはロドスから発していたように今は分析している。これを書くと長くなりすぎるので、またいつか書いてみたい。
来年こそイラクが平和になりますように。
佳いお年をお迎えください。
この頃あまりに痛ましい事件が多すぎる。広島のあいりちゃんの事件、まだ犯人の見つからない栃木の吉田有希ちゃんの事件、京都の学習塾の講師に刺された堀本紗也乃ちゃんの事件、そして耐震強度偽装事件等々、人間の歪んだ感覚と考えによって引き起こされたそれぞれの事件である。あまりに痛ましく、この頃はテレビを観ることが自然に遠のいている。それは単なる現実逃避にすぎないであろうが、三人の霊に祈りを捧げる方が忙しいと言わせてもらおうか。
私は出家してから七年近く、テレビもラジオも新聞も読まない時期があった。そうした方が修行生活にふさわしいと思っていたのである。小さな寺に一人で住んでいるときである。寺の信者さんの家に、毎月それぞれの新しい仏さんの命日にあわせて供養にうかがい(これを月参りまたは月経ーつきぎょうーという)、寺子屋を開いて近所の子供たちに勉強を教えるという静かな生活をしていた。
世の中でなにが起きていても、あまり耳にはニュースは入ってこなかった。それにも関わらず私の耳に届いたのは「地球滅亡」のニュースであった。
そのニュースは、正確に言えば、私の心に聞こえたのである。「地球は必ず滅亡する」というその声は、耳ではなく心臓の少し上あたりから聞こえたのである。
当然私は驚いた。私は霊能者タイプの人間ではないと思っているが、その声は凛とした声であり、確かにそのように聞こえた。「本当ですか」私は声を出して尋ねてみた。
「残念だが、滅亡する」と、答えが返ってきた。
「それはいつですか」
「遅くない。まもなくだ」と、答えが返ってきた。
その声はいつも聞こえるわけではない。私は狂った様子もなく月参りもつとめ、信者さんのお家の人たちとも普通に言葉を交わしていた。寺子屋の子供たちに、算数や英語や国語の勉強も相 変わらずに教えることができた。それでも時折に地球の滅亡をささやく声の訪れがあった。
たびたびに耳元ならぬ胸の中で言われると、それは全くあり得ないことでもないように思えてきた。今思うとマインド・コントロールの一種であろう。自分の心の中から聞こえる声なので、自分が自分でマインド・コントロールにかけているようなものである。地球が滅亡するとなると、この子供たちが大きくなる頃には地球はないのか、と思うと、寺子屋の子供たちがそれぞれの家路につくとき、たまらない気がしたものである。そうして子供たちを、夕焼けがきれいに見える、広々とした空き地によく連れて行った。みんなでお日様に「さよなら」と、感謝をこめて見送ることをした。子供たちは知らないけれど、地球が滅亡すれば、こんなこともできなくなるだろう。少しでも勉強以外のことを伝えたかったのだ。夜空を見に行ったこともある。その空き地から空いっぱいの星が見えた。時々流れ星も見えた。流れ星に興じる子供たちの傍らで、私は、地球もあの流れ星のように滅亡していくのだろうか、と思っていた。
いつ滅亡するか判らないが、気も違っていないような私が、このようなメッセージを受け取っているのだから、どうもあり得ないことではないような気がする。私は本当に地球の滅亡を思って、日々を送っていた。その件が一段落をするまでにはいろいろとあったが、「成住壊空」の四劫 を学んで一番落ち着いたように思う。いつか地球も滅亡するときが来るであろう。それは宇宙の生成を考えたとき、自然の変化なのだ。それを受け入れたとき落ち着いたように覚えている。
四劫 は 成劫 住劫 壊劫 空劫のことで、宇宙の成立・存続・破壊・空無のこと。)
スピルバーグの『A.I』という映画があったが、その中で地面が海の底に沈んで、自由の女神も海の底に横たわっていたシーンが印象的であった。いつかそういうときも来るかもしれない。また地球の滅亡の前に、人類が滅亡するということもあるかもしれない、と私は思ってもいるが、動揺はしていない。ただできうればなるべく人類が地球で遊べる日の長いことを祈っている。
母なる大地と父なる大空から人類を含めて一切の生物は生み出されている。
それにしては人類は不遜にも大地も大空も汚しすぎてはいないか。
今日の空は青かった。出家する前、ギリシャのロドス島にスイス人の友人たちと一ヶ月過ごしたことを思い出した。ロドスの空の青さは抜けるような青さだが、東京の空にしては今日の空は青かった。一昨日、『ロードス島攻防記』を書いた塩野七生氏の本を買ったこともロドスにつながったように思うが、地球滅亡のメッセージはロドスから発していたように今は分析している。これを書くと長くなりすぎるので、またいつか書いてみたい。
来年こそイラクが平和になりますように。
佳いお年をお迎えください。