9月29日(月)雨寒し【チベットのジャンヌ・ダルクその3】
今日は寒い一日でした。あやうく風邪を引いてしまいそうなほどでした。今日は姉の個展が有楽町の交通会館で開かれていますので観に行ってきました。80点ほどの作品が並べられていました。私は絵については全く審美眼がありませんが、楽しく鑑賞してきました。このようなことを楽しめる自由をつくづくすごいことだと改めて感じた次第です。
それからのガワン・サンドルはどうなってしまったでしょうか。牢獄でのそれまでの労働は気絶しそうなほど暑い温室の仕事でしたが、この仕事は他の受刑者との接触があるので、梳き毛の労働に回されることになりました。一日に7キロの規定量を梳けるまでは、夕食も食べさせてもらえないし、羊毛を肺一杯に吸い込んで喉が渇いても、水一杯もらえないという、これも過酷な労働のようです。
規定量を生産できないときはまた拷問を受けるのだと言います。電気棍棒を口に押し込むという拷問もあるそうです。しかし、何年もの延刑の原因となった尼僧たちの歌は中国の監視の目をくぐってヴォイス・オブ・アメリカで放送されたのだそうです。そしてこのとき14歳であったガワン・サンドルのことも知られることになりました。
外の世界のこととは無縁に、ガワン・サンドルは無情な看守たちとの間で、非人道的な扱いの繰り返しの日々をおくっていました。ある日、些細なことに言いがかりをつけられて監督官が襲いかかってきました。それに対してついにガワン・サンドルは反撃をしたのです。監督官の襟につかみかかって叫びました。
「友よ、私たちはみんな連帯しています。同じ理由で同じ目的のためにここにいるのです。一緒に叫びましょう。独立!独立!独立!」と。彼女の叫びに同じ房にいる尼僧たちは呼応しました。「ポ・ランツェン(チベット独立)!」「ポ・ランツェン」
このあとの結果は火を見るより明らかなのに、どうして叫んでしまったのでしょう。押さえきれない抑圧の日々の鬱屈が堰を切ってしまったのでしょうか。
ガワン・サンドルは6ヶ月の独房入りになってしまいました。このとき一緒に独房入りをさせられた尼僧が、後にインドに逃れてこの独房の状態について語っています。独房は2メートル×3メートルくらいの広さで、そのなかに用をたすための一角もあり、それは汲み取られないので、腐った尿と糞の臭いが部屋には充満しているそうです。
とても寒い時期にもかかわらす二重の毛布だけ、食事もごくわずかで飢えと寒さに凍える独房の隔離刑の後、裁判が開かれました。17歳のガワン・サンドルにくだされた刑は果たしてどのような刑だったでしょうか。
8年の延刑!でした。
8年の刑に満足でしょう、という監督官に彼女は答えます。「そう、満足です。私は決して考え方を変えませんから。チベットの独立闘争は絶対にやめません。ここダプチで、必要なら死ぬまで闘い続けます」と。
この飽くなき信念の強さに驚かされます。このような話はインドに逃れてきた人々の話などをもとに書かれているそうですが、名前は後の問題がありますので伏せられています。
今夜はこの辺で失礼いたします。こうしている時間にもこの同じ地球上で苦しんでいるガワン・サンドルや多くのチベットの人々がいることを感じながら。
今日は寒い一日でした。あやうく風邪を引いてしまいそうなほどでした。今日は姉の個展が有楽町の交通会館で開かれていますので観に行ってきました。80点ほどの作品が並べられていました。私は絵については全く審美眼がありませんが、楽しく鑑賞してきました。このようなことを楽しめる自由をつくづくすごいことだと改めて感じた次第です。
それからのガワン・サンドルはどうなってしまったでしょうか。牢獄でのそれまでの労働は気絶しそうなほど暑い温室の仕事でしたが、この仕事は他の受刑者との接触があるので、梳き毛の労働に回されることになりました。一日に7キロの規定量を梳けるまでは、夕食も食べさせてもらえないし、羊毛を肺一杯に吸い込んで喉が渇いても、水一杯もらえないという、これも過酷な労働のようです。
規定量を生産できないときはまた拷問を受けるのだと言います。電気棍棒を口に押し込むという拷問もあるそうです。しかし、何年もの延刑の原因となった尼僧たちの歌は中国の監視の目をくぐってヴォイス・オブ・アメリカで放送されたのだそうです。そしてこのとき14歳であったガワン・サンドルのことも知られることになりました。
外の世界のこととは無縁に、ガワン・サンドルは無情な看守たちとの間で、非人道的な扱いの繰り返しの日々をおくっていました。ある日、些細なことに言いがかりをつけられて監督官が襲いかかってきました。それに対してついにガワン・サンドルは反撃をしたのです。監督官の襟につかみかかって叫びました。
「友よ、私たちはみんな連帯しています。同じ理由で同じ目的のためにここにいるのです。一緒に叫びましょう。独立!独立!独立!」と。彼女の叫びに同じ房にいる尼僧たちは呼応しました。「ポ・ランツェン(チベット独立)!」「ポ・ランツェン」
このあとの結果は火を見るより明らかなのに、どうして叫んでしまったのでしょう。押さえきれない抑圧の日々の鬱屈が堰を切ってしまったのでしょうか。
ガワン・サンドルは6ヶ月の独房入りになってしまいました。このとき一緒に独房入りをさせられた尼僧が、後にインドに逃れてこの独房の状態について語っています。独房は2メートル×3メートルくらいの広さで、そのなかに用をたすための一角もあり、それは汲み取られないので、腐った尿と糞の臭いが部屋には充満しているそうです。
とても寒い時期にもかかわらす二重の毛布だけ、食事もごくわずかで飢えと寒さに凍える独房の隔離刑の後、裁判が開かれました。17歳のガワン・サンドルにくだされた刑は果たしてどのような刑だったでしょうか。
8年の延刑!でした。
8年の刑に満足でしょう、という監督官に彼女は答えます。「そう、満足です。私は決して考え方を変えませんから。チベットの独立闘争は絶対にやめません。ここダプチで、必要なら死ぬまで闘い続けます」と。
この飽くなき信念の強さに驚かされます。このような話はインドに逃れてきた人々の話などをもとに書かれているそうですが、名前は後の問題がありますので伏せられています。
今夜はこの辺で失礼いたします。こうしている時間にもこの同じ地球上で苦しんでいるガワン・サンドルや多くのチベットの人々がいることを感じながら。