2月7日(火)雨【人間是非一夢中の非】(今朝は雨ですが)
今日は煙るような雨です。昨日来久々の雨です。
さて、以前このブログで、良寛様の一首の詩をご紹介しましたが、一句間違っていまして、ご訪問くださる方にご指摘頂きましたので、あらためたいと思います。
回首五十有余年 (首〈こうべ〉を回〈めぐら〉せば五十有余年)
是非得失一夢中 (是非得失一夢〈いちぼう〉の中〈うち〉)
山房五月黄梅雨 (山房、五月黄梅の雨)
半夜蕭蕭灑虚窓 (半夜蕭々〈しょうしょう〉として虚窓〈きょそう〉に灑〈そそ〉ぐ)
過ぎにし五十余年を振り返ってみれば、是だ非だとか得か失かなどと振り回されたが、それは儚い一夜の夢のようなものだとわかった。この山房には五月雨(さみだれー陰暦五月ごろにふる長雨、梅雨)が、(目をさました)真夜中にもの寂しく窓に降り注いでいることだ。
五合庵で、真夜中にふと良寛様は目を覚まされたか、それとも過ぎにし日々を思い出して寝付かれなかったか、窓にふりそそぐ雨の音をお聞きになっているのだろう。
そうして「是非得失一夢中」と、しみじみとお思いになったのであろう。
さて、この「是非得失一夢中」を「人間是非一夢中」と、私は書いてしまいました。これは本に探さないで、ネットから探してしまいまして、この間違いを指摘していただいたのです。早速本棚に良寛詩集を探しまして、確認しましたら、やはりご指摘の通りでした。私の手元にあるのは飯田利行先生の『良寛詩集訳』(名著出版1989年)です。ネットでつい調べてしまいますが、やはり確認には本を探さないといけないと思いました。安直に書いてしまい、申し訳ありませんでした。
一行物では「人間是非一夢中」と書かれる、ともご指摘頂きました。本師もよくこの一行をご揮毫なさっていました。私がこの一行をお願いしましたら、なぜか「人間萬事一夢中」とお書きになり、「違います」と申し上げましたら、「これでよいのじゃ」とおっしゃいました。その時はなんだか良寛様の一句の間違いのように思いましたが、あらためて今、本師の「人間萬事一夢中」をこれでよいのだ、と味わっています。