【5月10日のこと(土)晴れ、韓国の旅(10)師と弟子】
(金寺の薬師三尊像 佛師は慶州在住。お名前を書き留めませんでしたが、心ある有名な方です)
また再び韓国の旅の続きを書きます。10日の土曜日の朝は、金寺では布薩という行事が行われたことを数日前に書きました。その続きです。
この日は、朝10時から曹渓寺の会館で、佛教学研究会の学会が開かれました。尼僧、男僧、在家の学者さんたち等多くの研究者が集まって盛会です。ここで日本に留学していた2人の友人とも思いがけず出会うことができました。
(進善門、撮影曉昔法尼)
学会の時間中は、本覺法尼は学会の会長さんなので、忙しいですから、曉法尼と曉昔法尼が
昌徳宮(チャンドックン)に案内してくれました。私のデジカメはバッテリーが切れてしまい、この写真は曉昔法尼がメールで送ってくれた写真です。
(
仁政殿、文禄・慶長の役にも焼失している。現在の建物は1804年に建てられたもの。国宝)
さて昌徳宮は、とても広くて短時間では見物しきれません。半日は時間を取りたい場所です。とても広くて老人には歩ききれませんが、曉法尼がやはりずっと
車椅子を押してくれましたので、母も疲れることなく見物ができました。この法尼の、母に対しての心配りには本当に頭が下がる思いがしました。
(『チャング
ム』という韓国ドラマで、チャングムと王が散歩をしたという芙蓉池にも行きました。その写真が見つかりません。この写真は左手の門は仁政門、奥は粛章門)
さて、今日も
曉法尼と
曉昔法尼がずっと一緒に廻ってくれましたが、二人の心からの親切には時々に処々に感心しました。
相手を疲れさせない親切です。これ
は、その人自身の心掛けもあるでしょうが、師匠譲りのところもあると思います。師匠の本覺法尼は、自然にあふれ出る親切心(これを慈悲というでしょうか)
を随所に見せてくれる人です。いつも傍にいてそれをみている弟子たちは、自然にそれを倣うでしょう。ここで少し韓国の出家制度について書いてみましょう。
〈
韓国の出家制度〉
他のお寺のことは分かりませんが、金寺のお弟子さんは一年間は師匠のもとで育てられます。この間は見習いとして、まだお袈裟もつけられません。その後
四
年間僧堂修行に行きます。この四年間の僧堂修行は韓国では一律に決められています。この間は
沙弥の期間で、まだ正式な僧としては認められていません。
沙弥
の期間は、襟が茶色ですから、金寺には二人います。その一人曉根さんとは、有髪の時に会ったことがありますが、今の僧形がいかにもピタリ、一番この方に似合う髪型と思いました。もう一人はこの日一緒に昌徳宮を廻ってくれた曉昔法尼です。
僧堂修行のあとはじめて、出家として
比丘尼戒を受けることができます。その後は、さらに坐禅修行に出る者、大学に行って勉強する者(留学する者)、お寺に
戻る者、のように自由に選択できるようです。勿論師匠の意向もいれられるでしょうが。
金寺ではミャンマーに留学しているお弟子さん、中央僧伽大学に学ぶお弟子さん、僧堂修行中の沙弥、見習いの人などがいます。古参のお弟子さんの1人、徳
曉法尼(法尼の誦経の声には、さすがに修行歴が滲み出ています)は、夏安居に坐禅道場に行きます。またお寺を守っているお弟子さんとそれぞれの修行をさせ
てもらっています。
「
私は自分の弟子たちを、幸せにしてあげたいのです」と、本覺法尼は言いました。出家したことの真の幸せ、佛法を学ぶ者の幸せ、世俗を離れた出家者として
の幸せ、ご自分の弟子たちにそれを伝えてあげたいという師匠の言葉です。
金寺は住職の徳に集まってきた雲水たちで、自然に叢林が形成されていて、
叢林の生きた姿をここでは見ることができます。
そして、また私の母のように90歳過ぎた者が、この叢林の中にいても、自然に皆が大事にしてくれて、穏やかに、そして楽しく時を過ごすことができたのは、
住職の人柄が、実に慈悲深いお人柄だからでしょう。お弟子さんたちも自然に師匠に倣って、皆自然に親切です。本覺法尼のお姉さんの寂照長老も、修行僧を育
てるのに厳しい親切心と、母のような歳を取った者には優しい親切心のある方です。仏教的な慈悲という言葉に通じますが、なにより人
情があります。人情のないところに、仏教も生きないと私は思います。人々から遊離してしまっていては、いかに素晴らしい教えであっても受け入れがたいで
しょう。
この師匠有って、この弟子たち有り、という 金寺の住職とそのお弟子さんた ちです。