9月16日(火)晴れ 【お骨洗い】
この度故郷のお墓を改葬することになり、父と叔父の骨壺をかろうとから出しました。お骨箱の中のお骨は泥水が一杯入っていました。泥水をだしたり、草なども入り込んでいたので、何回も水をかえてお骨を洗いました。ほとんどのお骨は粉々になっていて、一つ一つ洗いましたが、小さいなりにお骨として形を成しているお骨は、三分の一にも満たないほどでした。
父が亡くなってから32年、叔父は40年がたちます。今のお墓のつくりはあまり雨水などが入らないようになっているでしょうが、ほとんどのお墓や骨壺は雨水が自由に入ってしまう造りでしょうから、長い間にお骨は粉々になってしまうのだろうとわかりました。
昨日、ある霊園の樹木葬というのを、参考に見に行きませんか、と誘われて行ってきましたが、一本の桜の木の下に芝生があり、千体のお骨を埋めることができるのだそうです。この形は骨壺に入れませんので、やがて粉々になってしまうので、また掘り出して、さらに粉々にしてしまうので、千体ものお骨を埋めることができるというようなことでした。
最近、樹木葬という形が流行っているようですが、私は、一本一本の木の下に、納骨すると思っていましたので、合同に一本の木の下に納骨する形は、あまりに経済的すぎるような気がしました。そして決して安い金額ではありませんので、あまりに霊園の商売という感じがしました。
しかし、海に散骨してしまう方法もあるのですから、どのようにお骨をお祀りするかは、それぞれの自由に任されています。こちらはお寺ですので、お墓への埋葬をしていただく選択肢をとっていただくわけですが、お墓に埋葬する場合、骨壺の中に雨水や泥が入り込まないような方法を取り入れたいと思いました。
将来合同の永代供養墓を建てる予定ですが、無縁さんになっているお墓も整理して、そちらに埋葬しなおしてあげたいと思っています。やはり骨壺の中のお骨は、粉々になっているかもしれませんね。またお骨洗いをすることになるでしょう。
生きている間は生きている間のこと。死んでからのことは死んでからのこと。たまたま生きていた身体を支えていたのが、生きている間は骨(ほね)であり、死んでからはお骨(こつ)といいます。これを生きていた証し、象徴としてお墓に埋葬し、亡き人に手を合わせる縁(よすが)にするわけです。歌にもありますように、お墓の中にいるわけではありませんが、その人を思い、手を合わせる縁(よすが)です。「拠り所」と言ってもよいでしょう。
多くは粉々になった父のお骨ですが、納骨の時に「南無阿弥陀仏」と書いた頭のお骨はきれいに残っていました。すっかり忘れていましたが、この字は私の字です。私が書いたのですね。
これらのお骨が父を支え、人間として生き、人生を夢のように送ったのだと、しみじみと思いました。
「是非得失一夢の中」良寛さまの詩の一句がふと浮かびました。
私にとっては懐かしい父ですが、家族にとっては、辛い思い出の多い父でした。
お日様に干したお骨を一つ一つ白布の上に置きながら、久々に父を懐かしく思い出しました。皆さんは錯覚と思うかもしれませんが、空に父の面影そっくりの白い雲が浮かんでいました。