monologue
夜明けに向けて
 




なぜか川村デデさんのことをふと思い出して検索すると2012年に亡くなっていた。
かれはイギリスから帰国して1973年に近畿放送と改称する前のKBS京都テレビで「POPS IN PICTURE(ポップス イン ピクチャー)」という番組を始めた。この番組が日本の洋楽ヴィデオ番組の端緒だった。当時はヴィデオ機器が高価で洋楽ヴィデオ自体がほとんどなかった。わたしたち洋楽ファンはそれまで「ミュージックライフ」などの音楽雑誌やラジオで情報を得るだけでライヴを見に行く以外にはアーティストの演奏する姿を見る機会がなかったのだ。入手困難な多くの海外のアーティストの映像をデデさんが見せてくれたことでその後の日本のミュージシャンの感性が育った。わたしも大きく影響を受けた。感謝している。「ポップス イン ピクチャー」でスレイドのヴィデオを繰り返して流していたのでわたしもスレイドが大好きになった。デデさんは川村龍一という名前も使用していたがこの番組「ポップス イン ピクチャー」では自分を川村尚(ひさし)、愛称をデデと言っていた。わたしが毎週日曜に一時間演奏していたライヴ喫茶でデデさんがラジオの生放送をしたこともあった。その時実際の顔を見た。亡くなっていると知らず今頃どうしているかと気になったのだ。洋楽の種蒔き人、デデさん、ありがとう…、合掌。
fumio

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コメント
 
 
 
この番組のおかげで。 (恵美子 ハービー)
2016-10-20 12:22:57
まず最初に川村龍一様のご冥福をお祈りいたします。
急にこの番組のことが頭にうかび検索して初めてこのことをしりました。若かりし頃私は初めてクイーンの存在をこの番組でしりました。
その翌年に初来日。私の青春はクイーンとともにあるといっても過言ではありません、それも彼らを紹介してくださったデデさんのおかげです。本当にありがとうございます
 
 
 
Good-bye Sue (fumio)
2016-10-22 14:46:28
恵美子 ハービーさん、こんにちは。
クイーンもこの番組で紹介していたので本国イギリスより日本でまずクイーンはヒットしたのでした。
そうですね。この番組でクイーンは世に知られたのでしたね。川村デデさんの感覚が当時の洋楽界をリードしていました。
ぼくはこのヴィデオのスレイドとスージー・クアトロにしびれました。それであの頃、
スレイドの「グッバイ・ジェーン」とスージーを合わせてGood-bye Sue
http://fumio.music.coocan.jp/sue.htmという歌を作って歌っていました。
川村デデさんは日本洋楽の恩人です。感謝の念を捧げます。
 
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