monologue
夜明けに向けて
 



11月8日(日)の朝にやっと完成した、退院する患者さんを祝福して送る歌「きみよ、幸せに」をその日の11時前に退院する木村玉雄氏に歌って初めてのパフォーマンスは一応終わったのだが、そのシナリオはその二日後まで続いていたのである。
その日、11月10日火曜、重要な役どころを担う照屋恵美看護師が、須賀正雄氏が10時半に退院すると教えてくれた。
その時間になって御家族がやってきてあれこれ退院の用意をしている時、照屋看護師が、山下さんが須賀さんのために歌を歌います、と紹介してくれた。それでパソコンをカラオケにして「きみよ幸せに」を心を込めて歌って退院してゆく須賀さんを祝福した。最後の繰り返しの部分で裏声にするか迷ったが一応満足に歌えた。わたしの歌うパフォーマンスでその時その空間はちょっとしたお別れセレブレーションイベントに昇華した。集まってきた看護師、療法士、ヘルパーなどのオーディアンスがみんなはけたあと、しばらくして、御家族が歌の礼を言いにきてくれた。それでただの「おめでとう、それじゃ、バイバイ」ではなく歌うパフォーマンスをした甲斐があったと思った。須賀氏が将来、入院生活を思い出す時、退院の日どこかのだれかが自分のために歌を歌って病院の仲間みんなが祝福して送ってくれたことを思い出して楽しい気持ちになってくれればうれしい。
fumio


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アルバ ム「水面に書いた物語 」、「プロセス」「カリフォルニア・サンシャイン」「ひかりのくにへ」「現代の愛 」シリーズインストルメンタル曲集「夢神楽」などの今週のアクセス聴取ランキング
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1月23日(金)~1月29日(金)
ヒット数631件中  
 順位前週前々週 
第1位(1)<1>祭りの夜
第2位(3)<7>水面に書いた物語
第3位(4)<24>ラスト・ランデヴー
第4位(22)<6>オーロラの町から
第5位(2)<16>はるかなるメロデイ
第6位(20)<20>軽々しく愛を口にしないで
第7位(5)<2>あやかしのまち
第8位(12)<->女優(スター)
第9位(9)<10>ごめんなさい
第10位(-)<->Stay with me
第11位(8)<12>夢の旅
第12位(10)<11>マイ・スィート・ライフ
第13位(13)<5>そしてなにが残った
第14位(-)<->素顔のマスカレード
第15位(-)<->ときめきFALL IN LOVE
第16位(21)<23>それってⅨじゃない
第17位(-)<->Wake you
第18位(6)<->
第19位(24)<8>小舟がひとつ
第20位(-)<->恋すれば魔女
第21位(11)<->月とラクダ
第22位(-)<->水の中で
第23位(-)<->わかりあえる日まで
第24位(17)<->だれもが幸せに
第25位(14)<18>UFO ROCK

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今週のランキングを見ると上位より17位以下の曲がなかなか面白い。
ご愛聴感謝。
fumio

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犬塚健市氏(ワンちゃん)が退院して抜けたあとの入口左のスペースに他の病棟から移動してきたベッドが入ったので病室の入り口の名札で確認すると「木村玉雄」とあった。

作曲ソフトに織物を織るように音符と歌詞を打ち込んで、退院する人を祝福して送る歌「きみよ、幸せに」の1番がやっとできあがった、11月6日の朝、担当の照屋恵看護師が近づいてきてわたしが毎日、パソコンに向かってしていることに興味を示したので、退院する人を祝福して送る歌を作っている、と説明してイヤフォンで聴いてもらった。作曲ソフトの譜面の音符と歌詞を見ながら聴き終わると感動したといって泣いていた。病院で働く人の胸には実感をもって迫るようだった。
リハビリにやってきた川上政孝PTにも制作中の曲と説明して聴かせると「名曲の誕生につきあっている」と反応が良かった。それからその夜ウトウトしながら2番の歌詞にとりかかった。翌7日(土)一日中、2番と間奏などをまとめてその夜中にその歌「きみよ幸せに」がほとんど完成した。それで8日日曜の朝、夜勤明けの照屋看護師に聴いてもらった。
するとその日担当の吉田ゆう子看護師が、木村玉雄氏が11時前に退院するというので、退院する人を祝福して送る歌を作ったから歌うと説明してパソコンのイヤフォンを抜いて音を出してパソコンをカラオケにしてできたての「きみよ幸せに」を歌って祝福した。どこから聞いてきたのかその時、病室の外の廊下は看護師、療法士、ヘルパーのみなさんが鈴なりになって聴いていた。それが初めてのパフォーマンスだった。木村玉雄氏は歌ができあがるのに合わせてやってきてその歌に送られて風のように退院していったのである。なにか用意されていたシナリオをわたしたちが演じたようで不思議といえば不思議…。
fumio

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11月1日2時からのリハビリで山田眞莉OTが手首を曲げ反らしして麻痺した手の指の握り開きする動作の練習をしてこれを「テノデーシス・アクション」といいますと言うのでずいぶんむづかしいことばだなと思った。リハビリテーションでは基礎的な知識なのだろうが聞いたことがないのでパソコンに入っている辞書で調べたけれど載っていなかった。久貝健士郎OTに尋ねると日本語で「腱固定効果」と教えてくれた。

退院後、ネットで調べると
○tenodesis
[ten-od´ĕ-sis]
suture of the end of a tendon to a bone.とあった。和訳すれば骨と腱の端の縫合のようだ。
○ten·od·e·sis
(ten-od'ĕ-sis),
Stabilizing a joint by anchoring the tendons that move that joint, thereby preventing any further excursion of the tendons.ともあって、腱を固定し関節を安定して腱がそれ以上動くのを保護するということのようだ。

○[teno- + G. desis, a binding] と単語の成立も載っている。これはtenoが腱を表しdesisが縛り固定するということらしい。とにかくわたしにはむづかしい単語だったがやっとすこしわかったような気がした。
fumio

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病棟で曲を作るなどという行為は前代未聞でだれもトライせず無理のはずだった。
なぜかといえば音を出せない。そしてなにかと邪魔が入り集中できないから。
病棟は6人部屋なので他の患者の迷惑にならないということが求められた。テレビもみんなイヤフォンで音を聴いている。わたしは締め切った窓に面してベッドに端坐位でパソコンにヘッドフォンやイヤフォンをつけて音を聴いていた。時々看護師がやってきて「音が漏れている」と厳しく注意しに来た。そんな時わたしはイヤフォンのプラグがパソコンの差し込み口から抜けているのを発見して謝って慌てて差し込み直して外に漏れる音を消した。曲を作る時困るのは楽器がないことと音を出せないことだった。歌もまともに声を出して歌えない。
一度だけ声を出して歌ったことがあった。パソコンに入れてある「朝日の当たる家」のカラオケファイルをチェックして声を出さずに口ずさんでいる時、その日担当の金久保かおり看護師が「なにしてるの」と訊くので「カラオケをチェックしている」と応えると「声を出して歌ってよ」という。ヘルパーや看護師が集まってきたのでわたしは集まったオーディアンスに向かって立ち上がり「朝日の当たる家」を歌った。歌い終わると「この歌、聴いたことある、映画で聴いた」とか「鳥肌が立った」とかみんな口々に感想を述べていた。

曲作りは、作曲ソフトの譜面にピアノ音を一つずつ打ち込むのだが音がひとつではその音がどの高さなのかわからず困った。ふたつ音を打ち込むとどちらかが高いので上下がわかった。それを動かし動かしつないでゆく。声には出さないでその音の流れを口ずさんでメロデイを確かめる。それに夜中に作った歌詞をはめる。そんな作業を毎日続けたのだった。
fumio

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みんなに親しまれていた長期療養患者、89才の犬塚健市氏(ワンちゃん)が退院した時かけた、「おめでとう」や「お元気で、素晴らしい余生をお送りください」などのことばになにか伝えきれないもどかしさ、物足りなさ、虚しさ寂しさを感じ、退院する人をみんなで祝福して楽しく送る歌を作ることを決めてから、あれやこれやで日々を重ねるうちに本気で歌詞を考え始めた。入院を表すことばを実際に患者となって入院して初めて実感したベッドが身体に馴染む、という表現で表すことにした。それからだれにも邪魔されることなく集中できる夜中に頭の中で歌詞を練り上げた。そしてパソコンにインストールしてある作曲ソフト「シンガーソングライター」にメロデイを打ち込み始めたのはもう神無月が過ぎ去り霜月と呼ばれる11月1日だった。8月の終わりに入院して季節は夏から秋を通り越そうとしていたのである。
fumio


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10月20日火曜に石垣恵美子という名札を付けた掃除担当の女性がわたしのベッドの左前にある換気扇を掃除しながら、昨日が自分の71歳の誕生日と言うので「ハッピーバースデイ」を歌って祝福した。それから石垣さんの顔をみるたびに「石垣恵美子さん、こんにちは」と声をかけた。すると石垣さんはそばにいる人に「この人、わたしの名前覚えているんだよ」と自慢した。わたし以外の患者に名前を呼ばれたことがないようだった。掃除のおばさんにはだれも注意を払わず名前を呼ぼうとしなかったのかも。わたしが「71才になったんですよね」というと人差し指を口の前に立てて年を言うな、という合図をした。70才を超えても女性は年齢に思い入れが深いらしいと感心した。病院のどこででも石垣さんが働いているのを見るとわたしは「石垣恵美子さん、いつもありがとう」と声をかけた。石垣さんはそのたびにうれしそうに返事した。たまに「石橋さん」と間違うと「石垣よ」と訂正した。退院後一度外来で訪れた時、玄関ロビーで石垣さんが掃除していたので「石垣恵美子さん、こんにちは、お元気ですか」と久しぶりに声をかけると、わたしが退院したあとわたしのベッドのところへ行ったけれどわたしがいないのでがっかりしたという。ちょっとさびしそうだった。
fumio

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10月8日に妻がやって来てゴーマン美智子(Miki Suwa Gorman 、旧名:諏訪美智子)さんが80才で9月19日に亡くなったというニュースを伝えてくれた。。ゴーマンさんは羅府第二学園というロサンジェルスの日本語学校で先生をしていてうちの息子を教えてくれたので親しく付き合って学芸会や運動会を仲良く楽しんだ。その頃がゴーマンさんの一番幸せな日々だったのだろう。命日の9月19日といえば、その日、大塚真代OTとのリハビリ中スポーツの話をしているうちに大塚OTがホノルルマラソンを目指している、というのでわたしはゴーマン美智子という人がボストンマラソン、ニューヨークシティマラソンで2回ずつ優勝してその活躍が「走れ、ミキ」という本やドラマになって現在の女性アスリートブームの草分けになったと話したことを思い出した。ゴーマンさんのことを思い出したのはずいぶん久しぶりだった。あの日9月19日にゴーマンさんは亡くなって、わたしたちにマラソンの話をさせて自分の死をわたしに報せに来たのだと感じた。それで次の日の朝病院のベッド上で涙がこぼれて耳に入った。ゴーマンさんはわたしが入院しているので探しにくかっただろうと思った。その日の大塚真代OTとのリハビリ中わたしはゴーマンさんのことを話して、ふいに嗚咽した。人前で泣いたことなんかないのに…。
fumio

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アルバ ム「水面に書いた物語 」、「プロセス」「カリフォルニア・サンシャイン」「ひかりのくにへ」「現代の愛 」シリーズインストルメンタル曲集「夢神楽」などの今週のアクセス聴取ランキング
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1月15日(金)~1月23日(金)
ヒット数611件中  
 順位前週前々週 
第1位(1)<1>祭りの夜
第2位(16)<5>はるかなるメロデイ
第3位(7)<3>水面に書いた物語
第4位(24)<->ラスト・ランデヴー
第5位(2)<6>あやかしのまち
第6位(-)<->
第7位(-)<->ノスタルジックジャイヴ
第8位(12)<17>夢の旅
第9位(10)<4>ごめんなさい
第10位(11)<10>マイ・スィート・ライフ
第11位(-)<->月とラクダ
第12位(-)<->女優(スター)
第13位(5)<8>そしてなにが残った
第14位(18)<->UFO ROCK
第15位(-)<->夜明けの鐘が鳴る
第16位(-)<->モニカの朝
第17位(-)<->だれもが幸せに
第18位(-)<->プロセス
第19位(-)<->Looking for love
第20位(20)<11>軽々しく愛を口にしないで
第21位(23)<12>それってⅨじゃない
第22位(6)<9>オーロラの町から
第23位(-)<->歌入りマホロバ回帰
第24位(8)<20>小舟がひとつ
第25位(-)<->オクラホマシテイナイト

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今週の最新曲だれもが幸せに は17位に入ってきた。
ご愛聴感謝。
fumio


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10月6日火曜に週に一回の入浴をさせてもらった。若いふたりの女性ヘルパーに洗ってもらった。
何才に見えると訊かれて困った。女性の年齢はむづかしい。当てても当たらなくても失礼したと思う気持ちが残る。
年上の磯山真緒ヘルパーは22才で斉藤瑛(あきら)ヘルパーはまだ19才という。びっくりした。ふたりとも看護師を目指していた。ヘルパーをしながら病院の仕事を覚えて看護師になろうとしているのだ。立派な若者だった。かれらが将来の看護界を背負うことになるのだ。
fumio

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犬塚健市氏の退院に際して、わたしはなにかできることはないか、と考えた。病院で一番のイベントは退院なのにそれに見合ったことができない。歌でも歌ってあげたかった。
誕生日なら「ハッピーバースデイ」を歌って祝福できるけれど退院する患者さんに対して祝福する歌がない。ヘルパーや看護師はどれだけ仲良くなって気持ちが通じ合ってもそれをうまく表現することができずただ「おめでとう」や、「お元気で」といって送るだけで秋に枯葉が落ちたあとの寂しさを感じる。わたしは「おめでとうございます、これから素晴らしい余生をお過ごしください」と声をかけたけれど犬塚氏が去ってしまうとやっぱり置き去りになったようななにかを失ったような感覚を覚えた。歌でも歌って祝福して楽しく送ってあげたかったけれどその祝福する歌がないのなら自分で作らなければと思ったのである。
fumio

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2015年12月11日午後5時からの東川口病院2階A病棟ナースステーションでの退院セレブレーションでみんなでコーラスした歌「だれもが幸せに」をアップロードしたのでどうぞお聴きください。最後の「だれもが幸せに」の部分でコーラスして銀河系宇宙太陽系第3惑星のヒューマノイド形住民より大宇宙の同胞へのメッセージとして歌った。「だれもが幸せに」という祈りは届いただろうか。
fumio


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しばらく、2A06病室で生活していると犬塚健市氏が退院するという声が聞こえてきた。
犬塚健市氏は89才という高齢の患者でヘルパーや看護師に「ワンちゃん」と呼ばれて親しまれていた。
わたしが前にいた、2B06病室の場合は急性の患者を収容していたので入院後すぐに治って退院する患者があった。わたしはその時、名前も知らないうちに退院する患者に、良かったね、という祝福の気持ちと残される者として羨ましく感じたり仲間の去る一抹の寂しさを感じたりしたものだった。

2A06病室の犬塚健市氏は慢性期の患者でかなり療養生活が長かったようだ。担当医師やヘルパーや看護師は「ワンちゃん」の退院をどのように感じているのか「おめでとう」や、「お元気で」と普通に送るだけなのだろうかと思った。それではなにか物足りないような気がした。その日が来て退院の前に看護師が犬塚氏の検温をすると体温が高かった。それで犬塚氏は静養することになりその日の退院が見送られたのだ。みんな、退院の日に風邪をひいてはいけないとかなんとかいいながらなんだかほっとしたような雰囲気が漂った。わたしはその時、犬塚氏はよほど親しまれていたのだなと思った。
しかし、やっぱり退院の日は来て犬塚氏は今度は熱を出すこともなかった。わたしは入口左の犬塚健市氏のところへ車椅子で行って「おめでとうございます、これから素晴らしい余生をお過ごしください」と声をかけた。
fumio



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2A06病室は入口左から犬塚健市氏、高山秀夫氏、須賀正雄氏、
入口右から坂本健司氏、渡辺重夫氏、山下富美雄とベッドが並んでいた。
わたしは奥のベッドからリハビリやトイレに車椅子で連れて行ってもらうたびにそれぞれの患者さんの姓名を呼び「須賀正雄さん、おはようございます、山下富美雄リハビリにいってまいります。」と挨拶した。帰ってくるとまたそれぞれの人の姓名を呼び「須賀正雄さん、高山秀夫さんただいま、帰ってまいりました」と挨拶した。初めはうるさいと思っただろうが、いわゆる「寝たきり」の人々でも姓だけではなく名前まできちんと呼ばれて挨拶されると頭を動かして返事した。「礼に始まり、礼に終わる」日本の教育を受けた人には無視することはむづかしいのだろう。毎日続けていると自分の名前を呼ばれるのを心待ちにする人もいて渡辺重夫氏などはわたしに大きく手を振るようになった。姓名は生命に通じるようだ。
fumio

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2A06病室は2階のA病棟の6番目の6人部屋で、急性期ではなく慢性期の俗にいう「寝たきり」の状態の患者が療養していた。
病棟が変わると人の名前を憶えるのがむづかしかった。顔を合わせる人全部に名前を訊いた。
その日挨拶したヘルパーは勝又淑子(よしこ)ヘルパー、遠藤薫ヘルパー、高倉美穂子ヘルパー。
しばらくすると薬剤科の二瓶豊氏が挨拶に来た。
わたしのベッドは一番奥の窓際に置かれていた。わたしは夜以外は寝そべることなく一日中端坐位で窓に向かって座った。その位置で食事を摂り、ノートパソコンを開いて操作した。部屋が変わって回復期の療養生活が始まったのだ。
fumio

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