テレビを見ていてふと思った。テレビの開発される以前のわたしたちの世代のエンターティメントといえば紙芝居だった。毎週なのか何日おきなのか知らないが自転車のおじさんが廻ってきて「黄金バット」や「お伽噺」「クイズ」「漫画」などを活動写真の弁士のように喋り演じた。駄菓子を買うと前のほうで見られたがわたしは買わずに離れて見た。演じるおじさんによって同じ話しが面白かったりつまらなかったりした。面白ければ拍手が湧くし悲しければ涙も出る。最後にクイズがあって当たれば上等な駄菓子が貰えるのだが子供相手なのに難しかった。まず、暗い影の人物が幕末に松下村塾を開き多くの立派な人物を育て安政の大獄で処刑される紙芝居を見せ、はたしてその影の人物は誰かというものだった。子供達みんな考え込んだ。だれも答えられずおいしそうな賞品の菓子は貰えず去って行くおじさんの自転車を見送った。次の紙芝居の日の最後に前回の答えが「吉田松陰」であると教えられた。みんなその時初めてその名前を聞いた。それでも知らなかったことを知ることができてなんだかうれしかった。ことほどさように幼時に見たエンターティメントの記憶は数十年を経た脳に記憶として強く刻まれている。年いって、えらそうな顔をして見えてもわたしたちは紙芝居で育ったのである。
テレビが発売されて紙芝居はほとんど駆逐されてしまったが映画、演劇、漫画、お笑い、クイズなどすべてのエンターティメントの要素を含んだ大衆芸術の一分野として子供達のために紙芝居は復活してほしいと感じる昨今である。
fumio
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