monologue
夜明けに向けて
 



  昔、The Troggsという札付きバンドがあった。ビートルズやローリングストーンズが出てきた頃に大活躍したロックグループで、猥褻であると烙印を押された Wild Thing を全米1位に送り込んで以来つぎつぎにヒット曲を連発したが I Can't Control Myself も放送禁止になった。なんか変だった。別に歌詞がそれほどエッチとも思えないしドアーズのジム・モリソンが捕まったように歌い方やパフォーマンスがいやらしかったのだろうか。オールデイズ番組でもかれらのヒット曲を耳にすることはあまりない。忘れ去られたのかと奇妙に思っていた。

   ところが1989年のアメリカ映画「メジャーリーグ」(Major League) で「X」というバンドがカバーした「Wild Thing」が印象的に使用されて以来「Wild Thing」が大リーグ全体のテーマソングのようになってしまった。
なにが起こるかわからないと思った。名曲はいつかどこかで甦るものらしい。知らない若者はあの曲は大リーグの応援歌のように思っていることだろう。まさか猥褻で放送禁止とは。時代が変われば人の心も変わる。何事もその時にはわからないものである。
fumio

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私的カウントダウンアルバム「水面に書いた物語 」 収録曲の今週のアクセス聴取ランキング

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2月19日(金)~2月26日(金)
ヒット数: 1,062件中
    
順位( )内は前週の順位< >内は前々週の順位 

第1位(3)<3>ごめんなさい
第2位(1)<1>水面に書いた物語
第3位(2)<2>あやかしのまち  
第4位(14)<14>素顔のマスカレード
第5位(12)<12>それってⅨじゃない
第6位(9)<9>女優(スター)
第7位(4)<4>ラスト・ランデヴー
第8位(6)<6>ときめきFALL IN LOVE
第9位(10)<10>はるかなるメロディ
第10位(5)<5>軽々しく愛を口にしないで
第11位(8)<8>オーロラの町から
第12位(15)<15>わかりあえる日まで
第13位(13)<13>Sentimentallady”M”
第14位(11)<11>恋すれば魔女
第15位(17)<17>しあわせになれる
第16位(7)<7>マイ・スィート・ライフ
第17位(18)<18>まことのひかり
第18位(19)<19>プロセス
第17位(16)<16>NEVER GIVE UP!
第18位(20)<20>Stay with me
第19位(-)<->打ち上げ花火
第20位(22)<24>もっと自由に
第21位(-)<->日々の夕べに
第22位(21)<21>We all need love.


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 今週はひさしぶりに水面に書いた物語 をかわしてごめんなさい が首位についた。そして最後尾のほうには打ち上げ花火やブログ本文に連動して日々の夕べにが入ってきた。ご愛聴感謝。
fumio

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   わたしは4年前にこのブログに クールビューティ と題する記事を書いたのだがあの時、ISUの定めた年齢制限に87日足りず、代表資格を得られなかったので出場できなかった浅田真央選手が今回は日本の旗を背負っている。女性の場合はある年齢に達して成熟すると大きなハンディをもつことになるので年齢制限が必要なのである。

   夏のオリンピックでは競技の性格上、子供のような肢体をもつ女性が跳んだり跳ねたりするのに有利とされる体操競技において1964年の東京オリンピックで、平均台、跳馬と個人総合で金メダルを獲得したチェコのベラ・チャスラフスカ (Věra Čáslavská)選手は22歳で立派な大人の女性だった。あの頃、日本はチャスラフスカのもつ成熟した大人の女性の魅力に魅了された。かの女はその後変動する国際政治に翻弄されながらも自立した女性として生きたのである。女子から女性への境で演技するスケート選手を見ていてそんなことをふと思い出した。わたしはやはり大人の女性の魅力をもつ安藤美姫選手を応援したい。
fumio

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1960年代半ば、グループサウンズと呼ばれるバンドブームが日本にも到来した。ほとんどがビートルズやローリングストーンズのコピーバンドだった。そしてたまにビージーズの曲を演奏するバンドもあった。しかし当時のビージーズのヒット曲「ホリデイ」 「マサチューセッツ」 などは感傷的にすぎて軟弱と見られてロック少年たちに毛嫌いされたのだ。オーストラリアのグループでたしかにその頃主流であったリバプールサウンドではなかった。わたしはかれらの歌では To Love Somebody が一番好きでよく弾き語りしたものだった。

 そんなビージーズが1977年に「映画「サタデー・ナイト・フィーバー」 の音楽を担当してディスコミュージックの旗手として登場してきた時はこのサウンドがあのビージーズかと本当に驚いたものである。ほとんど忘れられていたバンドが最新のリズムに乗って時代の最先端を走っている。なにが起こるかわからない、と思った。一時期消えたように見えてもその間かれらは研鑽し見えないところで努力を重ねていたのだ。そうでないと復活してからすぐ息切れせずにあれほど活躍できなかった。もうかれらを感傷的とか軟弱と評す洋楽ファンはあまりいないだろう。60年代からモーリスの亡くなるまでかれらの息の長い活躍に敬意を表したい。
fumio

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高校時代のわたしがアメリカのヒットランキングをノートにつけていた1965年のブリティシュ・インヴェィジョンの頃、Moody Bluesという英国のバンドの Go Now という曲がヒットした。おきまりのリズム&ブルースを基調にしたロックバンドだと思っていたのだがのちにポ-ル・マッカートニーに誘われてウイングスに参加するギターのデニー・レインが脱退してから採り上げる曲想が Tuesday Afternoon のようにがらりと変わってしまった。それからかれらの音楽はプログレッシヴロックと呼ばれるようになった。ヒットを目指すのではなく独特の思想性や内省的な世界観を表現しているようだった。よくわからないけれどポップソング好きのわたしにもそのサウンドは耳に心地よく響いた。今思えばそれがわたしにとってのプログレッシヴロックの入り口だったようである。


  そしてそれから10年ほど経て渡米したわたしとプログレ好きのギタリスト中島茂男が出会い一緒に作り宮下富実夫がプロデュースするSFのアルバム「プロセス」 のミックスダウンに選んだスタジオがマリブの丘にかれらムーディ・ブルースが作ったインディゴランチスタジオ だったのである。なにかみんなプログレッシヴロックの細い糸で縁が結ばれていたような気がする。そう、ムーディ・ブルースは高校時代以来、今もなおわたしのお気に入りのバンドのひとつなのである。
fumio

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 わたしは4年前2006年02月20日にこのブログに にわかカーリング・ファン という記事を書いたのだが4年後のオリンピックで奮戦する日本チームを見ているとふたたびカーリングのことを採り上げたくなった。このゲームを見ていると幼い日に遊んだ、石蹴り、ビー玉やメンコを思い出す。あの頃はまだそこいらに広場(広っぱ)があって子供達が戸外で自由に遊べた。カーリングは子供の遊びを大人が氷上で大げさな道具と格好でプレイしているように見えるのである。カーリングにとどまらずオリンピック競技とはみんなそうなのかもしれない。大人といっても年取っただけで結局、魂は子供のままだし知識をいくら蓄積してもやることはあまり変わらない。文明 は進んでも文化は形を変えるだけで進むことはないのかもしれない。オリンピックは参加することに意義があって勝ち負けは問題ではないのだとだれかのことばを反芻しながらもやっぱり日本チームの選手の活躍に思わず声援を送る自分がいる。人は遊ぶためにこの世に降りてきたのだろう。それゆえ遊びに全てをかける選手達は尊く映るのだ。
fumio

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テレビを見ていてふと思った。テレビの開発される以前のわたしたちの世代のエンターティメントといえば紙芝居だった。毎週なのか何日おきなのか知らないが自転車のおじさんが廻ってきて「黄金バット」や「お伽噺」「クイズ」「漫画」などを活動写真の弁士のように喋り演じた。駄菓子を買うと前のほうで見られたがわたしは買わずに離れて見た。演じるおじさんによって同じ話しが面白かったりつまらなかったりした。面白ければ拍手が湧くし悲しければ涙も出る。最後にクイズがあって当たれば上等な駄菓子が貰えるのだが子供相手なのに難しかった。まず、暗い影の人物が幕末に松下村塾を開き多くの立派な人物を育て安政の大獄で処刑される紙芝居を見せ、はたしてその影の人物は誰かというものだった。子供達みんな考え込んだ。だれも答えられずおいしそうな賞品の菓子は貰えず去って行くおじさんの自転車を見送った。次の紙芝居の日の最後に前回の答えが「吉田松陰」であると教えられた。みんなその時初めてその名前を聞いた。それでも知らなかったことを知ることができてなんだかうれしかった。ことほどさように幼時に見たエンターティメントの記憶は数十年を経た脳に記憶として強く刻まれている。年いって、えらそうな顔をして見えてもわたしたちは紙芝居で育ったのである。


  テレビが発売されて紙芝居はほとんど駆逐されてしまったが映画、演劇、漫画、お笑い、クイズなどすべてのエンターティメントの要素を含んだ大衆芸術の一分野として子供達のために紙芝居は復活してほしいと感じる昨今である。
fumio

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私的カウントダウンアルバム「水面に書いた物語 」 収録曲の今週のアクセス聴取ランキング
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2月12日(金)~2月19日(金)
ヒット数:1,195件中
    
順位( )内は前週の順位< >内は前々週の順位 

第1位(1)<1>水面に書いた物語
第3位(3)<2>ごめんなさい
第2位(2)<6>あやかしのまち  
第7位(7)<9>マイ・スィート・ライフ
第5位(5)<3>軽々しく愛を口にしないで
第4位(4)<4>ラスト・ランデヴー
第6位(6)<5>ときめきFALL IN LOVE
第9位(9)<7>女優(スター)
第8位(8)<10>オーロラの町から
第12位(12)<16>それってⅨじゃない
第14位(14)<11>素顔のマスカレード
第18位(18)<19>まことのひかり
第13位(13)<15>Sentimentallady”M”
第11位(11)<20>恋すれば魔女
第16位(16)<21>NEVER GIVE UP!
第10位(10)<8>はるかなるメロディ
第15位(15)<13>わかりあえる日まで
第20位(20)<12>Stay with me
第17位(17)<17>しあわせになれる
第19位(19)<14>プロセス
第21位(21)<->We all need love.
第22位(22)<24>もっと自由に

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 今週もまたまた水面に書いた物語 の首位は続いている。そして最後尾にはのほうにはWe all need love.もっと自由に などがなんとかひっかかっている。ご愛聴感謝。
fumio

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晩鐘  


美術は美術でも絵画でわたしに最も強い影響を与えたのはジャン=フランソワ・ミレーJean-François Millet,)の晩鐘である。小学校の図書室で読んだ本にその絵が掲載されていたのだ。鐘の音がその絵から聞こえるようで敬虔な気持になった。その他の絵もわたしの感性にぴったりでミレーという画家が大好きになった。そしてわたしは生長して音楽に目覚めて自分で歌を作り始めた頃、ミレーの「晩鐘」をモチーフにして歌を作った。それがアルバム「カリフォルニア・サンシャイン」 の一曲「日々の夕べに」 なのだ・小学生の頃、受けた感動が何十年かを経て歌という形に結晶したというわけである。音楽にインスピレーションを受けて絵画を制作する画家は多いだろうしアートは互いにリンクしあって世の中に送り出されるのだろう。
fumio

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美術の分野でわたしに最も強い影響を与えたのはフランソワ=オーギュスト=ルネ・ロダン(François-Auguste-René Rodin)である。ロサンジェルスのラ・ブレア・タールピッツ にある美術館博物館群(美術館、近代美術館、博物館)には、その頃まだアメリカには余裕があってそれらの施設の入館料がタダだったのでよく通ったものだった。美術館(LAカウンテイ・ミュージアム ) はゆっくり見てまわると一日かかるほど多くの作品が展示してあったがとりわけ豊富であったのがロダンの作品群だった。初めて美術館に入った日一般の展示作品を見て回ってから階上のロダンの作品の展示場へ行くと雰囲気が変わった。ロダンの熱い息吹を感じたのだ。よく知られている「地獄の門」「考える人」や「カレー市民」にはそれほど心を奪われなかったが、それ以外の作品にそれまでの自分の常識的感性をひきはがされるような衝撃を覚えその造形に眼を奪われた。世の中にこんなすごいアーティストがいるのかと驚いた。以来、その美術館にゆくたびにロダンの作品をじっくり見るのが楽しみになった。そのうちだんだん慣れてめまいのような感覚は薄れていったがそれでも初めてロダンの展示場に入った時に受けたかれの熱い息吹はわたしのどこかに財産として残っているのである。今、この時点にも世界のどこかでロダンの作品を初めて眼にしてわたしと同じような衝撃を受けている人がいるのだろう。
fumio

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 さてそれではわたしに最も強い影響を与えた映画はなにだったのか。それはご他聞に洩れず黒澤映画だった。日本で見たのではなくサンタモニカのリバイバル映画専門館で見た黒澤作品である。その劇場では年に何回かクロサワウイークがありその間は黒澤の作品だけを上映するのである。その期間にUCLAの映画科の学生であったフランシス・フォード・コッポラやジョージ・ルーカスがまとめて見て勉強したのだろう。わたしたち夫婦もクロサワウイークに「生きる」 を見に行った。満員の劇場で英語字幕の映画を息をつめて見た。ブランコで志村喬が自分自身に対して、そして観客に対して、生きているうちになすべきことをなせと「命短し恋せよ乙女」と歌う姿が眼に焼き付いた。映画が終わるとまわりの観客が立ち上がり拍手しだした。それはこの素晴らしい傑作を作った黒澤明監督に対するスタンディングオベイションだったのだ。今もあの劇場ではクロサワウイークのたびにスタンディングオベイションが起こっているのだろうか。それとも時代の流れで劇場自体がなくなっているかも…。
fumio

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思春期から青春期にかけてのわたしに最も強い影響を与えた歌は村田英雄 の柔道一代であったけれど文学ではなにだったのかと振り返ってみる。それは三島由紀夫の 「金閣寺」だった。作品中に盛られた禅の公案などは青春期のわたしには到底理解不能であったけれど三島の言わんとする美の哲学はわかるような気がした。のちにかれの名前ががノーベル文学賞候補に挙げられたとき当然と思った。そして受賞できなかったことも当然と感じた。かれの域に達して強く推す審査員は少ないだろうからと。

 そして文学ではないけれど書物として最も惹かれたのは世阿弥の「風姿華傳」つまり「花伝書」 だった。それは一見能楽の指南書のようであり実はありとあらゆる表現者にむけての秘伝書であった。ずいぶん昔読んだはずだが「秘すれば花」や「時分の花」のように今でも折に触れて甦ることばがある。この書はわたしに限らず日本民族全体の大切な財産なのだろう。こんな書物を残した世阿弥という人物を過去に輩出したことをわたしたちは誇っていいのではないかとさえ思う。とにもかくにもこの二冊が青春時代のわたしの精神形成に大きくかかわったようである。
fumio


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子供の頃、寒い日、手袋をしていると「手袋を逆さに言ってごらん」と言われて考え考え「ロクブテ」というと「そうか、それじゃロク打(ブ)つよ」と六回叩かれたことがある。なんか変だった。言えと言うから言っただけなのにと思った。

業界用語に逆さ言葉 なるものがある。以前芸能界や音楽業界で流行ったものである。あまり品の良くない話しをするとき便利だったのだろう。しかしそれが普段の会話に紛れ込むとわけがわからなくなる。あるとき、宮下富実夫が音楽関係者とシリアスな話しをしている時、相手が「最近、モホーが多くて困る。わたしはモホーはイヤなんだ」と言い出した。宮下は、それが曲の模倣のことなのかその頃の業界のモホ-状況つまりホモ(ゲイ)を逆さに言っているのか判断がつかなくて困ったと言っていた。しばらく話しをしていてもどちらの意味でも通じているのでとにかく賛意を示しておいてお茶を濁したらしい。しかし最近の業界は様変わりして模倣はサンプリングになり、ゲイはひとつの文化になって花開きべつにモホーと隠語にする必要がなくなってしまったような気がする昨今である。
fumio

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私的カウントダウンアルバム「水面に書いた物語 」 収録曲の今週のアクセス聴取ランキング
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1月5日(金)~2月12日(金)
ヒット数:1,042件中
    
順位( )内は前週の順位< >内は前々週の順位 

第1位(1)<1>水面に書いた物語
第2位(6)<5>あやかしのまち  
第3位(2)<2>ごめんなさい
第4位(4)<6>ラスト・ランデヴー
第5位(3)<3>軽々しく愛を口にしないで
第6位(5)<7>ときめきFALL IN LOVE
第7位(9)<8>マイ・スィート・ライフ
第8位(10)<9>オーロラの町から
第9位(7)<4>女優(スター)
第10位(8)<10>はるかなるメロディ
第11位(20)<14>恋すれば魔女
第12位(16)<16>それってⅨじゃない
第13位(15)<13>Sentimentallady”M”
第14位(11)<11>素顔のマスカレード
第15位(13)<18>わかりあえる日まで
第16位(21)<21>NEVER GIVE UP!
第17位(17)<19>しあわせになれる
第18位(19)<22>まことのひかり
第19位(14)<15>プロセス
第20位(12)<12>Stay with me
第21位(-)<->We all need love.
第22位(24)<->青春
第23位(25)<->ふるさと
第24位(23)<25>わが人生(いのち)の日々

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 今週もまた水面に書いた物語 の首位は続いている。そして最後尾のほうには預言的アルバム 「プロセス」から わが人生(いのち)の日々 そして青春などがたむろしている。ご愛聴感謝。
fumio

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  わたしは音楽の力を信じている。世界は音楽で変わると…。ジョン・レノンの「「イマジン」 やマイケル・ジャクソンの「ヒール・ザ・ワールド」 は今、現在人々を感化し影響し続けている。それゆえ為政者は戦争を遂行しようとするとき、「イマジン」その他の目障り耳障りな歌を放送禁止にするのだ。

 わたしの場合最も影響を受けた歌はなにかと思いめぐらすとそれは洋楽ではなく、なんと村田英雄 の柔道一代であった。

 それはテレビドラマ「柔道一代」の主題歌だった。そのドラマはその頃流行った「姿三四郎」「柔」などと並ぶ柔道ものドラマのひとつでのちのスポーツ根性物ドラマのハシリのようなドラマだった。嘉納治五郎と講堂館四天王の師弟愛、友情、技の研鑽努力など柔道の黎明期を描いていた。柔道少年であったわたしはこの番組を毎週楽しみに見ていたのである。

 そしてわたしはそのドラマの主題歌の一番の歌詞にある「この世の闇に俺は光を投げるのさ」というひとことに大きく反応した。そのことばはなぜかわたしをふるい立たせた。その部分を聞くたびに勇気が湧くように感じた。今もなにかあるとこのフレイズを思い出す。もう一度言おう。わたしは音楽の力を信じている!それゆえ音楽にかかわっているのである。
fumio


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