わたしはその頃ミッキーカーテイスのバンドが世界でツアーしているという海外ニュースを見て海外でのライブに憧れていた。それでロックやリズム&ブルースの本場アメリカでトライすることを決めた。その前の一時期、毎日午後になると宇治から自転車で伏見桃山の音楽喫茶「ジョイ&マリ」まで走り、そこでひとしきり音楽仲間と交流したりして午後6時を過ぎると桃山の坂を桃山城へ登っていった。そこにある桃山高校の定時制の先生は生徒の顔を全部覚えているわけではなかったので一般社会人のわたしもクラブが始まるまでその日の最後の授業に参加して待った。授業が終わると急いで机やイスを片付けて軽音の部室からボーカルアンプやドラムセットを運んできた。それからクラブメンバーたちが集まってきてきっちり1時間練習した。窓から夕闇の桃山城が覗いて信長が覗いているようだった。ローリングストーンズなどのコピーバンドとJポップバンドと女性フォークグループがあった。わたしはブルーマウンテンブルースバンドというバンドで練習して女性フォークデユオは「打ち上げ花火」というわたしの歌を歌いたいといって練習していた。高校の軽音としては盛んだった。わたしはアメリカに渡ってロックミュージシャンになりベースの川井鶏三はナベプロに入ってジャズミュージシャンとなってロサンジェルスのわたしの家に遊びにきたりした。
fumio
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