昨日,地霊の声を聞く実地見聞のために戸塚安行駅あたりの小宮山城、戸塚城址を妻と何度もまわってみたが開発され宅地になっていて以前の城の跡らしきものは全く見当たらなかった。立て札などもみんな撤去されて今ではあの場所に城があったなどとはわからなくなっていた。戸塚城がなぜ龍賀城と呼ばれたのか。あたりの標識には「TOZUKA」とあったが。本当は「TATUKA」であったのではと考える。あのあたりの西立野、や立山という名称も一般に読まれているような西TATENOやTATEYAMAではなく西竜TATU)野や竜(TATU)山なのだと思った。その龍は「戸塚」というなんでもなさそうな名称に巧妙に隠されてきたらしい。そろそろ小さい宮の山からお出ましの時が来たのだろうか。
fumio
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