monologue
夜明けに向けて
 



  ***

 月の娘は、皿を割った
 木星王は嘆いた
 赤い目をした大地の子供は笑った

 夢魔は去った
 だが夢も去った
「SOUNDとこの部屋の仲間へ」より




 「夢魔は去った」
 
 第一連で見たようなあやまてる歴史の夢魔はもう去った。
 
 
 「だが夢も去った」
  ひとびとがこれまで夢と思ってきた中身のない夢も去った。  
  ニギハヤヒの新時代建設によって空虚な夢の時代は終わりを告げ、
  これからは真の夢と希望を持ちその実現を目指して生きるのだ。
fumio


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   ***

 月の娘は、皿を割った
 木星王は嘆いた
 赤い目をした大地の子供は笑った
「SOUNDとこの部屋の仲間へ」より


この「赤い目をした大地の子供」の特定は難しいが推量は可能である。
この連ではニギハヤヒをはじめに「月の娘」と呼びそして「木星の王」と呼び替えている。さすれば「赤い目をした大地の子供」もまたニギハヤヒの呼び替えの可能性がある。
もしそうであるならばどうしてそんなふうに呼べるのかが問題になる。
「赤い目」という表現は泣いたのかどうしたのか普通の状態の子供にふさわしくない。
「赤い目」という表現に似つかわしい存在とはなんだろう。「大地の子供」を普通に読んでいれば「ダイチのコドモ」だがここで地をツチと読み替えてみる。すると「大ツチノコ」が出現した。三輪山に祭られる蛇の精ニギハヤヒは「赤い目をした大ツチノコ」だったのである。
ニギハヤヒは新時代建設に着手し、嘆き、そして笑った。
fumio



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   ***

 月の娘は、皿を割った
 木星王は嘆いた
 赤い目をした大地の子供は笑った

 夢魔は去った
 だが夢も去った

 鎖で繋がれた巨人は
 大地の重みに堪えかねて
 自らの踵を噛んだ
 
  灰色の陰は大鷲の老いを示す
  飛び石の向こうには、
  約束された緑の大地は無い
 
  私は言葉を切り揃えはしない。
  私は音を大事にする。
  私は木の葉擦れの間で息をしよう。

  人よ、人であれ。
  他人の水晶を覗いて、
  嘆くのは止めよ。

「SOUNDとこの部屋の仲間へ」より


「木星王は嘆いた」 
木星は古代中国の天文暦学において神霊化して太歳(たいさい)と呼ばれる吉星。
饒速日尊(ニギハヤヒ)の名は幼年期、フル、青年期、トシ、そして「大歳」(おおとし)となった。神上がりした時、大にチョンがついて太歳(たいさい)となったものと考えられる。すなわち、木星王は饒速日尊(ニギハヤヒ)。「月の娘」と呼んだり、「木星王」と呼んでみたり、ややこしいがこの行は饒速日尊(ニギハヤヒ)は嘆いた、ということである。
fumio





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   ***

 月の娘は、皿を割った
 木星王は嘆いた
 赤い目をした大地の子供は笑った

 夢魔は去った
 だが夢も去った

 鎖で繋がれた巨人は
 大地の重みに堪えかねて
 自らの踵を噛んだ
 
  灰色の陰は大鷲の老いを示す
  飛び石の向こうには、
  約束された緑の大地は無い
 
  私は言葉を切り揃えはしない。
  私は音を大事にする。
  私は木の葉擦れの間で息をしよう。

  人よ、人であれ。
  他人の水晶を覗いて、
  嘆くのは止めよ。

「SOUNDとこの部屋の仲間へ」より


「月の娘」は「月呑む皇」で月讀としてのニギハヤヒ。
「皿を割った」は「新」を割るということで
立木と斤(まさかり)に割れる。「新」とは斤(まさかり)で木を割ること。それから建設が始まるのである。かれは雷神(饒速日尊)の武具である斤(まさかり)で新たな時代の建設を始めた。
fumio



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   ***

 月の娘は、皿を割った
 木星王は嘆いた
 赤い目をした大地の子供は笑った

 夢魔は去った
 だが夢も去った

 鎖で繋がれた巨人は
 大地の重みに堪えかねて
 自らの踵を噛んだ
 
  灰色の陰は大鷲の老いを示す
  飛び石の向こうには、
  約束された緑の大地は無い
 
  私は言葉を切り揃えはしない。
  私は音を大事にする。
  私は木の葉擦れの間で息をしよう。

  人よ、人であれ。
  他人の水晶を覗いて、
  嘆くのは止めよ。

「SOUNDとこの部屋の仲間へ」より


導入部である第一連と第二連はわりにわかりやすく書かれていたが
この第三連でいよいよ本来の宇宙神霊の預言らしくなる。一読してもなにがなんだかわからない。
「月の娘は、皿を割った」とはまるでメンスの娘さんがイライラして皿を割ったように読める。ただの日常生活のヒトコマのようだ。それがどうしたというのか。わけのわからない文章が続いている。はたしてわたしたちに真意が見出せるのだろうか。
fumio


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    **

 流河に何を見出すや?
 崩石に何を思わんや?

 轟く大地は何を生む?
 囁く風は何を置く?
 
 溶ける、溶けてゆく。
 流血の歴史。
 涙の歴史。

「SOUND とこの部屋の仲間へ」より


第一連は要約すれば、新時代のためにふさわしい人々を集め統治者がれぞれの役割分担して正しい歴史認識に基づいた繁栄を築こうというものであった。
この第二連が起承転結の承にあたるのであれば第一連で提起したことを承けて補っているとみられる。
このはじめの四行にはなぜか「「何」が四回も使用されている。
「何」は解字すれば「可人」(よき人、べき人、かの人)などの意味を含んでいるのだ。
流河に見出す「可人」、崩石に思う「可人」、轟く大地が生む「可人」、囁く風が置く「可人」、かれらが新時代を建設し、流血の歴史、涙の歴史はついに溶けてゆくのである。
fumio


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B>
    **

 流河に何を見出すや?
 崩石に何を思わんや?

 轟く大地は何を生む?
 囁く風は何を置く?
 
 溶ける、溶けてゆく。
 流血の歴史。
 涙の歴史。

「SOUND とこの部屋の仲間へ」より

なんだか奇妙なひらがなばかりであった第一連を受けてこの第二連は一転して普通の詩のような形で記されている。一見自然の姿になにを感じるかと問うているようである。それだけでは預言といえないような気がする。あなたはこの詩の奥になにをみるのだろう。
fumio


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    *

  いましいます、ありとしありて 
  ゆめ を はむ もの 
  かいなる もの は、かい として 
 さらなる うまち を あつめむとす 
 かすたりて みすみ を しょうく し
 ほしみ は、ほし を
  ちもり は、ち を
  くうなる そは、くうへ
  あやまてる、れきし
  あやまてる、たみ を うむ

  かくや、すきさりし えいか
  なに を もとめむ

 
「SOUND とこの部屋の仲間へ」より



まず小手調べのようにひらがらで書かれた第一連を
漢字交じりの文章にしてみる。

「居まし 居ます 在り歳在りて
夢を食む者
魁なる者はカイとして
更なる美霊を集めむとす
数足りて 三角を招来し
星見は星を
地守は地を
空なる祖は空へ
過てる歴史
過てる民を生む
かくや過ぎ去りし栄華
何を求めむ」


大体以上のように思われる。
このままでも一応意味が通じるが若干の説明が必要である。
歳はニギハヤヒの青年期の名。三角はミカドとも読んで統治者の意味。
全体では、はじめにニギハヤヒの存在を強調し、夢を実現しようとする者、
魁(さきがけ)となる者は魁として、さらにすばらしい人々を集めるという。
その数が足りれば中心人物を招き星見は星を地守は地を、とそれぞれの役割分担をする。
しかし「空なる祖は空へ」と偽りで中身のない祖はもともとの空へと戻す。
これまでの過った歴史が過った民を生む。そのようにして過ぎ去った栄華でこれから何を求めるというのか。言外に日本 の正しい歴史を知りその上に繁栄を築いて行こうという意図が感ぜられる。
fumio

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    *

  いましいます、ありとしありて 
  ゆめ を はむ もの 
  かいなる もの は、かい として 
 さらなる うまち を あつめむとす 
 かすたりて みすみ を しょうく し
 ほしみ は、ほし を
  ちもり は、ち を
  くうなる そは、くうへ
  あやまてる、れきし
  あやまてる、たみ を うむ

  かくや、すきさりし えいか
  なに を もとめむ

 
    **

 流河に何を見出すや?
 崩石に何を思わんや?

 轟く大地は何を生む?
 囁く風は何を置く?
 
 溶ける、溶けてゆく。
 流血の歴史。
 涙の歴史。


   ***

 月の娘は、皿を割った
 木星王は嘆いた
 赤い目をした大地の子供は笑った

 夢魔は去った
 だが夢も去った

 鎖で繋がれた巨人は
 大地の重みに堪えかねて
 自らの踵を噛んだ
 
  灰色の陰は大鷲の老いを示す
  飛び石の向こうには、
  約束された緑の大地は無い
 
  私は言葉を切り揃えはしない。
  私は音を大事にする。
  私は木の葉擦れの間で息をしよう。

  人よ、人であれ。
  他人の水晶を覗いて、
  嘆くのは止めよ。

「SOUND とこの部屋の仲間へ」


さて、この詩編はアステリスクで三連に分けられている。
導入部の第一連は、ひらがなばかりでまとめていて漢字が入っていないと読みづらい。
適当な漢字に直さないと意味がわからない。さまざまな可能性があって絞るのが困難なのが出題者の狙いのようだ。実力を試されているのかもしれない。どうぞ自分なりの方法でお考えいただきたい。明日はわたしなりの答えを記してみよう。
fumio

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    *

  いましいます、ありとしありて 
  ゆめ を はむ もの 
  かいなる もの は、かい として 
 さらなる うまち を あつめむとす 
 かすたりて みすみ を しょうく し
 ほしみ は、ほし を
  ちもり は、ち を
  くうなる そは、くうへ
  あやまてる、れきし
  あやまてる、たみ を うむ

  かくや、すきさりし えいか
  なに を もとめむ

 
    **

 流河に何を見出すや?
 崩石に何を思わんや?

 轟く大地は何を生む?
 囁く風は何を置く?
 
 溶ける、溶けてゆく。
 流血の歴史。
 涙の歴史。


   ***

 月の娘は、皿を割った
 木星王は嘆いた
 赤い目をした大地の子供は笑った

 夢魔は去った
 だが夢も去った

 鎖で繋がれた巨人は
 大地の重みに堪えかねて
 自らの踵を噛んだ
 
  灰色の陰は大鷲の老いを示す
  飛び石の向こうには、
  約束された緑の大地は無い
 
  私は言葉を切り揃えはしない。
  私は音を大事にする。
  私は木の葉擦れの間で息をしよう。

  人よ、人であれ。
  他人の水晶を覗いて、
  嘆くのは止めよ。

ARIONの詩編(SOUND とこの部屋の仲間へ)より


 これはわたしがニフテイの世紀末フォーラムにおいてSOUND というハンドルネームで預言解読に携わっていた頃、 1996年5月23日に宇宙神霊ARIONが発した預言詩である。これが解読できるかい、という挑戦のように感じたものだった。「光の黙示録」以外の預言がどんなものか参考のためにお目にかけておきたい。あの頃は難解に思ったけれど現在はこのブログの読者のかなりの方に意味が伝わるのだろう。
fumio

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<21>

蟹星の夜に降りる星
朱き星の力の裏に、こっそりと降りる星
これが、私達の * の星
これが 私達の暁の星
真空の空に風が起こり
胎児は 再び私達の手の中に
死か生か
三番目の鐘は もうすぐに鳴り終わる
受け入れるか 拒むか
新たなる蕾か 古い蕾か
巨石の輪 元の力を得るか 否か
石像の中の真の姿を見る者よ
静かに 静かに 時を待つ事
何もせずとも 全て行われる
用意の時を静かに待つ事
その日が近い

1986-4-15


(引用者注:「*」記号は、原文では「+」と「×」を重ね合わせた記号とな
      っています。該当する記号が打ち出せないので*で代用しました。)

「光の黙示録」より



この詩句の解読は今年の正月10日から始めて昨日20日まで10日もかかってずいぶん時間がかかったようだが付されている日付をみると1986-4-15である。わたしはその1986年4月に米国から帰国した。もう20年経過したことになる。あまりにも情報量が多すぎてまとめにくいが無理にまとめると全体では八芒星の降下による第三ステージの終わりとつぎのステージの始まりを預言しているようだ。
そしてそれは古代の力を甦らせるイザナミ(イシス)、ニギハヤヒ(ホルス)の霊的継承者の時代。
その日が近い。期待して待とう。
fumio

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<21>

蟹星の夜に降りる星
朱き星の力の裏に、こっそりと降りる星
これが、私達の * の星
これが 私達の暁の星
真空の空に風が起こり
胎児は 再び私達の手の中に
死か生か
三番目の鐘は もうすぐに鳴り終わる
受け入れるか 拒むか
新たなる蕾か 古い蕾か
巨石の輪 元の力を得るか 否か
石像の中の真の姿を見る者よ
静かに 静かに 時を待つ事
何もせずとも 全て行われる
用意の時を静かに待つ事
その日が近い
「光の黙示録」より



ほとんどほどけてきたはずのこの詩句を見直すと
まだ「朱き星の力の裏に、こっそりと降りる星。」の一行が残っていた。
考えてみると「朱き星の力の裏に」という表現がよくわからない。
「朱き星」とはなんのことだろう。現代かなづかいの「朱い星」ではいけないのか。なんだか「裏に」がヒントになっているような気がする。「朱き星」を裏にせよ、ということなのか。では音霊逆転法で裏返してみよう。
するとAKAKIHOSIの逆でISOHIKAKAとなる。へんなことばだがそれらしい漢字を当てはめてみれば「石霊母」となった。そんな呼び方が似合うのはやはりホルスの母。イシスとしてのわれらが母、イザナミ。なるほど同じようでも「朱い星」なら音霊逆転してもAKAIHOSIの逆でISOHIAKAとなって「石霊赤」ぐらいでイザナミの母性が浮かび上がらない。宇宙神霊は慎重に一字一句を選んで預言していたのだ。
私達の星はイザナミの星の力に守られて降りるのである。
fumio

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<21>

蟹星の夜に降りる星
朱き星の力の裏に、こっそりと降りる星
これが、私達の * の星
これが 私達の暁の星
真空の空に風が起こり
胎児は 再び私達の手の中に
死か生か
三番目の鐘は もうすぐに鳴り終わる
受け入れるか 拒むか
新たなる蕾か 古い蕾か
巨石の輪 元の力を得るか 否か
石像の中の真の姿を見る者よ
静かに 静かに 時を待つ事
何もせずとも 全て行われる
用意の時を静かに待つ事
その日が近い
「光の黙示録」より


時間がかかったがやっとこの詩句もほとんどほどけてきた。
まだほどけていない「用意の時」とはなにか。それは意を用いる時。
「意」とは音(のん)の心。宇宙を始めた音神が心を用いる時。
音神が心を用いる時なにが始まるのだろうか。
fumio

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<21>

蟹星の夜に降りる星
朱き星の力の裏に、こっそりと降りる星
これが、私達の * の星
これが 私達の暁の星
真空の空に風が起こり
胎児は 再び私達の手の中に
死か生か
三番目の鐘は もうすぐに鳴り終わる
受け入れるか 拒むか
新たなる蕾か 古い蕾か
巨石の輪 元の力を得るか 否か
石像の中の真の姿を見る者よ
静かに 静かに 時を待つ事
何もせずとも 全て行われる
用意の時を静かに待つ事
その日が近い
「光の黙示録」より





「石像の中の真の姿を見る者よ」の「石像」は特定しにくい。世界には石像が多すぎてこれと思い当たるものがない。「イシの像の中の真のス型」と無理矢理直してみるとこじつけのようだが再臨するイシスのような気がする。真(マコト)は前にもみたように音霊逆転法を使えばmakotoの逆でotokam(音神)である。そして「姿」は解字すると次の女。それはだれなのか。やっとその隠されていた名前が特定できそう。
神道系の宗教では毎月行う儀式を月次(つきなみ)祭という。すなわち次はナミと読むのだ。「次の女」とはイザナミなのである。世界各地の石像の中に素知らぬ顔で隠れている音神であるイザナミ(イシス)を見る者とはわたしたちのことであった。
fumio


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<21>

蟹星の夜に降りる星
朱き星の力の裏に、こっそりと降りる星
これが、私達の * の星
これが 私達の暁の星
真空の空に風が起こり
胎児は 再び私達の手の中に
死か生か
三番目の鐘は もうすぐに鳴り終わる
受け入れるか 拒むか
新たなる蕾か 古い蕾か
巨石の輪 元の力を得るか 否か
石像の中の真の姿を見る者よ
静かに 静かに 時を待つ事
何もせずとも 全て行われる
用意の時を静かに待つ事
その日が近い
「光の黙示録」より


「巨石の輪」といえばだれでも思い出すのはイギリス、Wiltshire(ウィルシャー)州Salisbury(ソールズベリ)平原のStonehenge(ストーンヘンジ)である。なぜあんなに変わった形なのだろう。
 別に奇をてらっているわけではなくそれはトリリトン(三石塔)と呼ばれる門のような形をしている。上に渡されている石は木偏に眉、で目草(まぐさ)石という。その形はどうみても鳥居のよう。
 夏至の日にそこから太陽が昇るように設計されていて、そのとき、太陽が眉の字のチョン、鳥居の額束(がくそく)の部分から昇る。それは籠の中の鳥が大空に昇って行く姿である。すなわちあの「巨石の輪」は太陽の再生装置として機能していたのだ。
日本(ひのもと)に生まれる胎児は世界の太陽として再生しその元の力を再び得るか否か。
fumio






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