北米先住民ホピ(平和の民)族がいう大きな世界的規模音楽イベントとは「第一回アジア太平洋わたぼうし音楽祭」のことだがそれに出場することが地球救済プロジェクトの重要なプロットになっているのでどうしても参加しなければならなかった。そのために無理矢理のような方法で障がい者という参加資格を満たしたのだった。障碍者としての修行は武蔵村山病院のリハビリ病棟で始まった。体幹神経を負傷した多くの人々が厳しいリハビリに日々を過ごしていた。同病相憐れむというように愚痴を言い合って集っていた。これという娯楽らしい娯楽はなかったがそれでも将棋が流行っていた。それでわたしは毎日消灯時間に自室で詰将棋を作った。朝一番に食堂に行って作った詰将棋を将棋盤上に並べて置いた。すると三々五々集まって来た人々がみんなで知恵を絞って解いた。そのようにして毎日詰将棋クイズを食堂のテーブルに置いておくとみんなが楽しみにして食堂に来るようになった。簡単すぎるともっと難しい問題を作れとリクエストされるようになった。わたしにはそれはそれで楽しい和気あいあいとしたリハビリ療養生活だった。
fumio
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