monologue
夜明けに向けて
 

命日  



本日は妻の妹、成本末子の命日。1982年(昭和五十七年)二月十八日に二十四才で亡くなった。合掌…。
fumio

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修行  


わたしのシングル盤「カリフォルニアサンシャイン」を買ったお客さんはわたしの出演しているクラブに来て歌いたがった。
それでカラオケを作った。「カリフォルニアサンシャイン」をやろうかといわれるとテープをスタートする。するとアメリカを目指して海を渡ってくる場面をシンセやギターなど音で表現したイントロが始まる。わたしはバックコーラスと途中のエレキギターソロを担当して盛り上げる。店にいる人たち全員がコーラスの部分になると歌うのでクラブ全体がライブコンサート会場のように揺れた。それはそれでお祭り騒ぎのようで楽しかったけれどそんな生活を続けているわけにはいかなかった。予言の民ホピ族がいうようにわたしは日の昇る国へ修行に出なけければならなかったのだ。
fumio


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命日  


今日はファーイーストファミリーバンドのリーダー、宮下富実夫の命日、かれは2003年(平成15年)2月6日に54才で肺癌で逝去した。合掌…。
fumio


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日本の最初のレコード「アラビアの歌」「青空」のレコード会社ビクターの商標、蓄音機から聞こえる亡き飼い主の声に耳を傾ける犬は不思議そうにしていたが、今にしてみれば蓄音機がまだそれほど一般に普及していないあの時代によくレコード盤を沢山作って売れば商売になると考えたものだと思う。在米中のわたしはあの犬のように蓄音機の音の出る仕組みが不思議でレコードをどのようにして作成すればいいかわからなかった。しかしとにかくシングル盤を作ってみようとした。パサデナでレコーデイングマシンを購入してきて家で夜中に録音した。できあがった元テープを原版作成屋さんでスタンプの原版を作ってもらった。そのスタンプを工場に持って行って数百枚レコード盤を作って販売した。桃高ケイオンで修行した若者がアメリカに渡ってハリウッドでレコードを作るまでになったのだ。
fumio



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フィリピン女性と日本の最初のレコード「アラビアの歌」の話をして、一般のほとんどの日本人がまだ持っていなかった音楽などを聴く機械のことを説明する時「蓄音機」をどう訳せばいいか迷った。とにかくレコードプレイヤーと言ってみた。
相手の知らないことを単語を選んで通じるように話すのはむづかしい。「フォノグラフ」ではきっと通じなかっただろう。
「アラビアの歌」の裏面は「青空」でこれまた素晴らしい曲。堀内敬三氏がマサチューセッツ工科大学留学中にこの2曲の訳詞をNHKに頼まれたそうだがそれで日本のレコード産業が夜明けを迎えた。それでわたしはこの歴史的な最初のレコードの2曲を弾いて歌ってみてその日のギターの鳴り具合を試すのだ。
fumio

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