9月14日はわたしが所属した劇団の原発事故を採り上げた劇の稽古でわたしが首の骨を折った「頸椎損傷記念日」だった。
そして翌日、BSドキュメンタリーで1954年3月1日ビキニ環礁で行われた、米国の史上最大15メガトン水爆実験「ブラボ-」による放射能被害を受けた、ビキニから180km離れたロンゲラップ島民の現状をレポートしていた。それは広島原爆の千倍の威力をもつ地球生命絶滅兵器だった。避難した島民は3年後、米国原子力委員会の「安全宣言」を信じて、実験当時島にいなかった島民も一緒に、帰島した。その後、奇形児や流産などの異常出産、甲状腺ガンや白血病で島民は次々に斃れて行った。それで1985年、放射能汚染のひどい故郷を離れたロンゲラップ島民は200km離れたクワジェレン環礁のメジャット島に脱出した。アメリカはマーシャル政府と結んだ自由連合協定によって実験の時被曝した島に1億5千万ドルの補償金を出しているが被曝者個人に対しての補償はなく請求権さえも永久に放棄させられている。メジャットの島民は以前みな「ロンゲラップに帰りたい」と望郷の念にかられていたが50数年が経過した最近除染が終わり自然に放射線量が減ったとして帰郷を勧められている。しかし低線量被爆でも癌が多発した実態を目にしてきた島民たちはすぐに帰島に踏み切れないのである。ひるがえって日本では福島第一原発の事故後の除染が終わったあと福島の避難民は政府を信じて帰郷できるだろうか。
事故当時「人体にただちに影響の出ないレベル」と繰り返した枝野幸男現経産相は、建設中の大間原発について、建設などの許可を取り消す考えはないことを明らかにした。経済を優先し地球自殺推進の姿勢にはかわりがないようだ。
fumio
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