monologue
夜明けに向けて
 



 
 日月神示、五十黙示録 至恩之巻 
第二帖には
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フトマニとは大宇宙の法則であり秩序であるぞ、
神示では012345678910と示し、その裏に109876543210があるぞ、
○九十の誠であるぞ、合わせて二十二、富士(普字・不二)であるぞ。
神示の始めに示してあろう。二二(富士)は晴れたり日本晴ぞ。

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とあった。大宇宙の法則のことがわかるかと思って読んでみると
一読してわかるようで意味がよくわからない。
どうして012345678910と、その裏の109876543210が、
合わせて二十二、富士(普字・不二)であるのか。10と10を足せば20だったはずではないか。
この神様はこんな小学生クラスの簡単な計算もまちがうのだろうかと不思議になる。
「神示の始めに示してあろう」というので「日月神示」の有名な冒頭の1行目の原文をみよう。

「二二八八∂十二ほん八れ◎の九二のま九十の◎のちからをあら八す四十七れる」
これは「富士は晴れたり日本晴れ 神の国のまことの神の力をあらわす世となれる」と読むという。
「日月神示」の原文は筆で数字とかなと記号で殴り書きにされてまるで子供かアブストラクトの絵のような体裁であった。そのため書記した岡本天明にも読めなかったほど解読が困難な神示だった。
アルファベットのRにあたるラ行の文字には∂や@のような渦巻きのような印が使用された。
この「富士は晴れたり日本晴れ」というフレーズは最も重要なフレーズであったらしく巻が変わっても何度も繰り返される。
 なにしろフトマニとは大宇宙の法則であり秩序であるというので一筋縄ではゆかないだろうが
今回は問題を提示したにとどめて次回はできるかぎりその法則の秘密に迫ってわたしなりの答えを出したい。
次回は明後日。それまでご自分の頭でフトマニについてゆっくりお考えいただきたい。ヒントはわたしのホームページの「ピラミッド黄金太陽シリーズ」に…。
fumio




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 さて、日月神示が下ろされた時から人々が挑んだ岩戸開きの鍵「一二三四五六七八九十」の謎に対してあなたはどんな答えを用意されたであろうか。
 わたしはわたしなりの答えを以下に述べておく。
わたしはこれを「人、フタ見よ、いつ無に為すや、ここの戸を」と解いた。
「ひと」は霊止や火戸と書ける。「火戸」はよく見れば「炉」である。
このフタは炉のフタである。「ここの戸を」にその戸がある。
人はどんな戸を持っているのか。人が閉ざしている「ここの戸」とは…。
ここまでくればもうそれは自明であろう。「ここ炉」である。
心はここの戸であり、個々の呂でもあった。
 人は心のフタを閉ざし真の天照太神を呂に閉じこめてしまった。
もう、そろそろ「いつ無に為すや」という問に応えなければならない。
日月神示にたびたび登場する言答と書いてイワトと読ませるのはそのことの暗示であった。
天岩戸は実はわれわれの心にあったのである。
 それぞれが心のフタ(岩戸)を開き天照太神にお出ましいただく時が来た。
それが為せるならそれがわれら人類の再出発となることであろう。
fumio



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 「十種神宝」について述べた記事中の「一二三四五六七八九十」に興味を覚えて検索されている方もあるので
ここで日月神示(ひふみしんじ)を引用して「一二三四五六七八九十」を岩戸開きのパスワードとしている部分をお目にかけよう。この神示を下ろした、ひつくの神、(ニギハヤヒ)が「一二三四五六七八九十」について説明しているのである。
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 日月神示、五十黙示録 第五巻(昭和三十六年九月一日)
至恩之巻 全十六帖

第一帖
岩戸(言答)びらきと申してあるが、天は天の、地は地の、人民は人民の、動植物は動植物の、それぞれの岩戸をひらくのであるから、その立場々々によって違ふところがあるぞ、
それを自分のものさしで計って、岩戸ひらきとはこんなものぞと定めていると、いよいよ判らん時代となってくるぞ、気つけおくぞ。

第二帖
フトマニとは大宇宙の法則であり秩序であるぞ、
神示では012345678910と示し、その裏に109876543210があるぞ、
○九十の誠であるぞ、合わせて二十二、富士(普字・不二)であるぞ。
神示の始めに示してあろう。二二(富士)は晴れたり日本晴ぞ。

第三帖
判るように説いて聞かすから、今迄の智を一先づすてて、生れ赤児となりて聞いて下されよ。
天之鈿女(うづめ)の命が天照大神に奉った巻物には12345678910と書いてあったのぞ。
その時はそれで一応よかったのであるなれど、それは限られた時と所でのことで永遠のことではないぞ。

第四帖
この時代には一二三四五六七八九十の数と言葉で、死者も甦る程の力があったのであるなれど段々と曇りが出て来て、これだけでは役にたたんことになって来たのぞ。
岩戸開きの鍵であったが、今度の岩戸ひらきには役にたたんようになったのであるぞ。
始めに◎(○にヽ)がなくてはならん、◎(○にヽ)は神ぞ。

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 ということである。(○にヽ)は使用可能な文字にないので◎で代用したが日月神示では○にヽを入れることは重視されて繰り返し出てくる。
この内容はよく考えればわかる人にはわかるのだろう。このニギハヤヒの代名詞といえる「一二三四五六七八九十」をどのようにとらえるかをかれは時代の節目にいるわたしたちに挑んでいるのである。
それぞれの人がつぎの時代へと進むにふさわしい、それぞれの答えを出して見せなければ…。
fumio



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 今回はわたしのホームページの「炎で書いた物語」シリーズ中の「竹取物語」を考察しているページの閲覧数が多いので以下にその内容を掲載させていただく。
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 日本最古の物語文学、「竹取物語」の闇の部分に光を当ててみたい。
なにしろ、古典なので引用部分は読みづらいかと存ずるがご容赦いただきたい。

 まず、だれでも知っている梗概を「小学館、大辞泉」より抜き出して記しておく。
『竹取の翁によって竹の中から見いだされ、育てられたかぐや姫が五人の貴公子の求婚を退け、帝の召命にも応じず、八月十五夜に月の世界へ帰る』
 とまあ、このような話である。冒頭の部分からじっくりと考察してゆこう。
「いまは昔、竹取の翁といふものありけり、野山にまじりて、竹を取りつつ、よろづのことに使いけり」
 と「いまは昔」で始まるのは後の『平中物語』や『今昔物語』と同じであるがその嚆矢(こうし)がこの物語であることは興味深い。その意味については様々な説があるがぼくは、今でもあり、昔のことでもある、時間を超越した普遍的な物語、ということととっている。

 竹取の翁の名は「さかきのみやつこ、さるきのみやつこ、さぬきのみやつこ」である。「讃岐造」と書くという。この名前を覚えておいていただきたい。
「新潮古典文学アルバム3竹取物語・大和物語・宇津保物語」における藤井貞和氏の説によれば、
翁の仕事は籠作りなので根元の光る竹の筒の中から三寸ほどの人を見つけた時、翁は「わたしが朝ごと夕ごとに見る竹の中にあらっしゃるによって、分かったぞ。子(こ)とおなりになる人であるらしい」と思う。
この「子(こ)とおなりになる人」の子が籠(こ)とかかっているしゃれ、という。「籠(こ)とおなりになる人」ということである。この物語には、軽妙なことば遊びがあちこちにしかけてあるので、ぼくもこの説を支持する。
 
 もしそうであれば、タケノコが生長して籠になることのようだ。数霊は五(ゴ)であろう。 導入部ですでにこの竹の精が実は龍であり、最後に竹冠を脱いで天に昇ることを暗示している。見事な書き出しである。
「竹取」ということばに秘められているのは竹鳥であるらしい。
この鳥は飛び立って仲秋(穐)八月十五夜に月に帰ることになる。
三ヶ月で竹のように成長して一人前の成人女性の儀礼である、髪あげと裳着(もぎ)をして名付け親「三室戸斎部(みむろどいんべ)のあきた」に『なよ竹のかぐや姫』と命名される。
この名は一般には若竹のように輝く姫であるから、と解されているが実は、この名は結末の重要な伏線としてあるのだ。籠造りの籠屋の姫であるからカゴヤヒメ、とも思える。
 なよ竹は、弱竹や萎竹とも書かれるが、三ヶ月や三室戸斎部にみられるような三の数霊の使い方からから考えるとこれは七世(なよ)竹ではないかと思う。
この七は七五三の封印の七で四と三に分かれる。となれば四三、世竹であろう。
この世のものではない黄泉の世の竹と四三の桔界の中の竹という意味が考えられる。姫の名前は「籠八秘め」であった。出雲の数八を籠の中に秘めている。

 さて、この象徴的な名を付けた名付け親「三室戸斎部(みむろどいんべ)のあきた」とはどんな人物であろうか。
ここからは「人文書院、梅山秀幸『かぐや姫の光と影』」を参照しながら論を進めよう。
忌(斎)部氏とは竹取物語の作者と想定されている宗教的な祭祀を司った氏族であるとされる。
平安時代の『古語拾遺』には讃岐の国の忌部氏は毎年朝廷に竹を八百竿献上していた、とある。
この八百という数で忌部氏が出雲の霊統であることがさりげなく知らされる。
昔から、嘘の三八(さんぱち)とか嘘八百といって、この数が嘘の代表のように理由(いわれ)なく貶められている。

 江戸時代の国学者、加納諸平は『竹取物語考』において以下に引用するように「三室戸」を三輪山に比定している。
『神南備、三室は、いづれ神地にても有りべけれど、都より遠からず、はた、名も高く聞きたればなり、然らば、三輪大明神は、産土神にて、其社の祝部の中にて、親族なる斎部氏をよびたるにあらん。
抑人生まれて、氏神、産土神に詣づる事は、中古の書にも見え、今も然にて、いと古くよりの例なめれば、其社の祝部して祷言して、名を付けさするも、亦、古例なるべきを、今はをさをさ聞えず』

 ということは「三室戸斎部(みむろどいんべ)のあきた」とは大神神社の祝部ということになる。
「あきた」は穐田とかかれるのであろう。なんとここでも三輪山の祭神、大物主、饒速日尊が隠していた姿を現した。この物語はニギハヤヒの霊が忌部氏にチャネルして書かせたらしい。
竹取の翁の名は讃岐造(さかきのみやつこ、さるきのみやつこ、さぬきのみやつこ)であった。
「さかきのみやつこ」を「酒鬼(穐)の造」ととれば酒の神、大物主(ニギハヤヒ)である。
「さるきのみやつこ」は「去る鬼の三八つこ」でAMATERASUの逆読み「う去れ霊」を思い出さされる。
讃岐(さぬき)なら日向の数霊三を抜く宮つ子となる。
どうしてニギハヤヒがこのような物語を忌部氏に書かせたのかと考えるとその時代の為政者たちの愚かな行動を戯画化した風刺であったらしい。

 加納諸平は求婚する五人の皇子を
石つくりの御子-丹比真人島
くらもちの御子-藤原朝臣不比等
右大臣あべのみむらじ-阿部朝臣御主人
大納言大伴のみゆき-大伴宿禰御行
中納言石上のまろたり-石上朝臣麻呂
と比定して、みかどを707年に二十五才で夭折した繊細で感性豊かな天皇、文武天皇とみている。かれはそのたよやかな性ゆえにかれらの傀儡にされていた。

 この竹取物語の原典らしい民話を百田弥栄子氏が発見して話題になったことがある。それはチベット地方の説話『班竹姑娘(はんちくこじょう)』という求婚難題譚であった。内容はほとんど変わらないが大きな違いはチベットでは富士山が関わらないことである。

 竹取物語の結末はなぜか唐突に富士語源説話となり、それゆえ、かぐや姫はその神、木花開耶姫(コノハナサクヤヒメ)とみられている。
ここで、かぐや姫の正式名が「なよ竹のかぐや姫」であったことを思い出していただきたい。
「なよ竹の」は「よ(節、夜、世」「ふし」にかかる枕詞なのだ。
なよ竹のかぐや姫とは富士(不死)の姫ということを暗示する名前であったのである。そのことが結末において露(あらわ)にされる。
最後に、昇天するかぐや姫は不死の薬をおいてゆくがみかどはかぐや姫がいないこの世で不死の薬をのんで、長生きしてもしかたないので焼かせてしまう。そのことが文武天皇の夭折と重なる。不死の薬を飲んでいれば死ななかったかのようだ。
実際は傀儡を必要としなくなった者たちの呪術によって斃(たお)されたらしい。
この時代の皇位継承者たちは傀儡を操る者たちの策謀によってつぎつぎに夭折していった。
結末の原文を以下に掲げる。
『逢うことも涙にうかぶ我身には死なぬ薬も何にかはせむ
かの奉る不死の薬に、又、壷具して、御使いに賜わす。
勅使には、つきのいはかさといふ人を召して、駿河の国にあなる山の頂にもてつくべきよし仰せ給ふ。
嶺にてすべきやう教へさせ給ふ。御文、不死の薬の壷ならべて、火をつけて燃やすべきよし、仰せ給ふ。
そのよしうけたまはりて、つはものどもあまた具して山へ登りけるよりなん、その山をふじの山とは名づける。その煙いまだ雲なかへたち上るとぞ言ひ伝へたる。』
(日本古典文学大系『竹取物語・伊勢物語・大和物語』岩波書店より)

 以上のように最後に富士の語源が語られる。
士(つわもの)に富むからということと不死の二つの意味がかけられている。
その富士山の精、木花開耶姫(コノハナサクヤヒメ)の名を調べてみよう。
「コノハナサクヤヒメ」コはすでにみたように子であり、籠であろう。数霊では五である。とすれば「五の花咲くや姫」のようだ。かの女はこの世に五の花を咲かせるために地上に降りてきた。
みかど(直角三角)の封印の四を不にすれば五の花が開くはずであった。
しかし、みかど(三角)は不死(不四)の薬を拒否した。そのために、四の世が続いた。

 竹取物語の時点ではコノハナサクヤヒメは一応成女とはなったが大地の掟を統べることはできなかった。
しかし、月に帰った後ついに、大地の掟を統べる様になったのである。
 コノハナサクヤヒメに比定されるシバの女王とは数霊的には「四八の女王」なのだ。四から八へ末広がりに開く女王である。
 霊峰富士はこの世と霊界にかけて六芒星、ソロモンの封印を形づくっている。
そしてその中は士(つわもの)に富んでいる。
霊界で修行を積んだ士(さむらい)たちは今、封印を解かれて出番を迎えた。
**********************
以上、「竹取物語」とは籠に閉じこめられた龍が竹を取り天に昇るという物語なのである。ニギハヤヒは時代を超えて様々な物語の形をかりてインスピレーションをわたしたちに与えつづける。
籠に閉じこめられていた龍体日本列島が竹冠を脱ぎ捨て龍として天に昇る時が近づいているのだろうか。
fumio



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 今朝、フィギュアスケートのテレビを見て思わず万歳をした人が多いだろう。
トリノオリンピックの大会前メダル数予想で日本勢は合計2個という確立が高いと聞いて腹を立てた人たちも
大会が進んでメダルどころか予選に残って入賞すればましという空気になって暗澹たる気分が漂っていた。
そんな中でついに今大会日本人選手最初のメダルを獲得したのである。それもロシア勢のフィギュアスケート完全性制覇を阻んでの金メダル。久しく聴かなかった「君が代」と日の丸を目にして胸が熱くなった。
その立て役者荒川静香(あらかわ しずか)の経歴は
生年月日 1981年12月29日
身長 1メートル66
体重 53キロ
所属 プリンスホテル
出身地 仙台市
1981年12月29日東京都品川区で出生、神奈川県鎌倉市出身。
5歳でスケートを始め、仙台市泉区のダイエーレジャーランド(オレンジワン泉)に通い、
1997年、全日本フィギュアスケート選手権優勝。
私立東北高等学校1年で98年長野五輪出場(13位)。
早稲田大学教育学部社会科社会科学専修卒業。
2004年、世界選手権優勝
2006年、トリノオリンピック優勝。

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 ということである。
大会前、日本では後輩の安藤美姫や浅田真央がもてはやされて荒川にはあまりスポットライトが当たらなかったがかの女は海外のメディアで今大会の世界の美女ベスト10に選ばれていた。
日本ではかわいこちゃんタイプが受けるけれど海外では美の基準が違う。

 ”Beauty is only skin deep”
「美はたった皮膚一枚の深さだけ」といわれて優雅さ、滑らかさ、などに加えて自立し成熟した女性の魅力が世界を魅了するのだ。

 わたしはかの女が最後の演技をしているとき、童話の「みにくいアヒルの子」が大人になって白鳥に変わるのを目撃しているような気がした。観客は拍手とスタンディング・オベイションでその感動を表していた。荒川静香は感情を表情に出さないポーカーフェイスから「クールビューティー」と称されているがこれからはこのことばがはやりそうだ。
自立した女性の形容詞として…。
fumio



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 昨日の検索ワードをみると「サナート・クマラ」を検索している方があった。
この名もこれまで開かずの扉のひとつに隠れたままだったので一般の人には馴染みがないだろう。

 金星の王子、サナート・クマラは約650あるいは450万年前に
イザナギイザナミの子である人類初めの人(ヒルコ)の遺伝子治療のために下天したのである。
そのことを理解するには遺伝子科学の基礎知識が必要なのでわかりにくいかと思うが一応記してみる。
 「記紀」でイザナギがカグツチを十握(とつか)の剣で三段に切ったという場面は
塩基配列を切るときに使用する酵素(EcoRIなど)で四つの塩基、A(adenine)アデニン、U(uracil)ウラシル、G(guanine)グアニン 、C(cytosine)シトシンを三つずつの単位(トリプレット)にきったということである。この四つの塩基の頭文字を集めればCAGUになる。ツチは原料のことなのでそれでカグツチという名なのだ。
 こうしてできた遺伝暗号の一つの配列(コドン)を神とみなして斬った刀の血から八神が化成(な)る、と表現し、そして、斬られた軻遇突智(CAGUツチ)の体からもう八神がなった、と八で括って表現する。
八かける八で塩基配列の総数、六十四種類のことを示唆している。ありとあらゆる生物はこの暗号の組み合わせによってできあがるのだ。

 イザナミがミトノマグワイにおいて先に声を挙げたのが失敗の原因とされるのは開始信号の間違いだった。
スタートコードはAUGあるいはGUGなどのような数種の配列のコドンでなければならないのだ。
イザナギイザナミが失敗を重ねながら描いたヒルコの体の設計図は頚椎あたりにバグがあって神経の蛋白質合成が不調に終わったのだった。 それでヒルコは立ち上がれなかったのである。それを知った金星の王子サナート・クマラは下天してヒルコの脊椎の遺伝子配列をバイオ技術によって矯正したのであった。
 こうして、初めての人ヒルコはサナート・クマラの援助によって肉体的自立を果たしたのである。そして今またサナート・クマラすなわちニギハヤヒの援助によって人は精神的自立を果たして一段階上の存在に昇ろうとしているのだ。
 どうしてサナート・クマラがニギハヤヒとわかるのかといえば、かれは必ず手がかりを残して物陰に隠れる鬼なのだ。みんなが気が付かないで帰ってしまってはつまらないのでわかりやすいヒントを置いておく。サナート・クマラという変な名前もヒントだから解いてあげなければいけない。
 あっ、そうかサナート・クマラを数で表せば三七十九○になる、これは十九○に関係があるにちがいない。マコトであり、十九であるあの鬼ニギハヤヒさんだ、と指させば、
どうしてわかったの、と頭を掻きながら鬼はうれしそうに出てくるだろう。
fumio




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    1995年四月十三日の時点で、開かずの扉は残るは三つであったのだが
それから11年経った2006年現在、どうなったのだろうか。
時代は進み人々は様々に変化している。見えなかったものが見えわからなかったことがわかってきた。
十種神宝も開かずの扉のひとつなのだろう。前々回大まかなことを述べたが
実際にどんなものか具体的には不明であったと思うので、開かずの扉を開けるつもりで
十種神宝の内で最も重要な上図の品物比礼(クサグサノモノノヒレ)を採り上げてみたい。

 富士市、五十綱大神宮所伝、「飯綱本」、高野山所伝、「山本本」、京都二条家所伝、「都本」などのさまざまな文献にアヒルクサ文字のような古代文字によってその十種神宝の説明が附されている。
それを現代人の目で読めば十種神宝とは現在われわれの知っている機器で表せば「携帯電話、電磁波兵器、テレビ、DVD、送信機、医療器具、治療器具、地上防衛兵器、空中防衛兵器、工具類」などと
それらの機器を集中的に管理操作する未来型コンピューターとしての「品物比礼」との十種類のハイテク機器で構成されるというのだ。

 品物比礼のヒレは領巾(ひれ)という文字も使うのだがこれはひらひらするものの総称という。
古代には領巾を振れば、邪を払い願いがかなうと信じられていた。
それでこれまでは布きれや魚の鰭(ひれ)のような形状のものという先入観で読まれてきたのでなかなか真実にたどり着けなかった。
 その先入観を捨てたとき、ヒレということばは「振る」の枕詞のように使用されてそのヒレを振ることによって使用する機器を示していたことに気づくのである。つまりヒレとは装置、あるいは機器を意味する普通名詞であった。別にヒレのような形をしていなくともよいのだ。現代人はパソコンを使用しているので「品物比礼」の図を見たときそれが自分のパソコンの形状とそっくりであることに気づく。
よく見ると上に三本のアンテナがあり、モニターがあり、スピーカーがあり、キーボードがある。パソコンのない時代にはこれがなになのかイメージしにくかったはずだ。
それでこれが未来型コンピューターであるとわかることになった。今の時代だからこそそれがわかったのだ。時の封印が解けたのである。
他の機器も現在われわれのまわりを見渡せばわかるものが多い。わからないものはこれから開発される機器なのである。

 ところで品物比礼の使用方法であるが将来十種神宝が発見されても操作法がわからないとまさに宝の持ち腐れになってしまう。
その時のためにニギハヤヒはさまざまな文献の最後にかならずマニュアルとして次のことばを用意していた。

「謂一二三四五六七八九十
 而布留部由良由良止布留部、如此為之者、死人代生矣、
即是布留之言本矣」

 このままではなんのことかわからないが
一二三四五六七八九十という数列のあとに
 「而布留部由良由良止布留部、如此為之者、死人代生矣、即是布留之言本矣(しこうして、フルべユラユラとフルべ、このごとくにこれを為した者は死ぬ人も生まれ代わる、すなわち、それが本当に布留=饒速日尊の言という)」とあるのだ。

 以前の人々にはまだ見えなかったが現代を生きるわたしたちにはこれが暗証番号であることは明白である。
この品物比礼コンピューターのアクセスコードとして
一二三四五六七八九十すなわち、12345678910と打ち込み最後にゆらゆらと振ることで動作することになるというのだ。それがこのコンピューターのスタート法なのである。
ニギハヤヒ大王はわたしたちがこの十種神宝という未来型ハイテク機器類を発見し使用する日を楽しみに待っている。
早く目覚めて十種神宝を使用するにふさわしい人類になりたいものである。
fumio







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 にわかカーリング・ファンが急増している。
他のオリンピック競技の日本勢の不振が続いてがっかりしている人々が
大会前には期待されていなかったカーリングの健闘が伝えられて思わず声援している。
昨夜の真夜中に行われていた前回金メダルのイギリス戦は手に汗握った。
失礼ながらまさか勝つとは思わなかった人が多いだろう。
そして、今イタリヤに6対4で勝った。メダルの期待がふくらむ。
わたしはカーリングはビートルズが映画「ヘルプ」でこの競技で遊んでいるのを見たのが初めてだったのだが、あのときは日本が世界の強豪に伍して戦う日がくるなどとは夢想だにしなかった。
見出すと面白くてはまってしまう。
 カーリングのルールは「リード・セカンド・サード・スキップ」が1人2投ずつ、各チーム交互にストーンを投げて相手チームのストーンよりもハウス(円)の中心の近くに入ったストーンの数がそのチームの得点となるというものである。
 このハウス(円)の形が面白いことに日本の三大呪符紋とされる「直違(すじかい)紋、十字紋、蛇の目紋」の内の蛇の目紋とそっくりなのである。相撲の土俵も蛇の目と呼ばれるし、この形はニギハヤヒの目の図象化なので日本人にとってなじみ深い。
好成績をあげて大会終了時には「にわかカーリング・ファン」ではない、本物のカーリング・ファンが増えていることを期待したい。fumio


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今日のわたしのホームページの検索ワードベスト10を見て驚いた。
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1位、十種神宝
2位、 神皇本紀
3位、伊雑宮
4位、 YOU歌詞
5位、ニギハヤヒ
6位、I
7位、応神天皇
8位、わらべうた
9位、とおりゃんせ
10位、LOVE
***************
 となっていた。なんと「十種神宝 」が一位なのである。
これは「十種神寶」(とくさのかんだから)と読む。
われわれの祖先が天磐船(UFO)で地上に降りてきたとき、携えてきた未来型先進機器の名前なのである。
多くの人々がこの意味を検索しようとするのはいよいよそんな時代に入ったということなのだろう。
時代は変わった、と実感する。

 上に掲げた絵の「十種神宝 」は人類が順調に進化すれば神社の禁足地などに隠した天磐船などとともに封印を解かれつぎの時代のツールとして使用されることになるはずであった。
それは愛と平和を実現し精神的に進化した人々がその封印を解く鍵を手にするように設定されていた。

 ところが人類は期待に反して私利私欲に溺れ精神的にそれを使えるまでに進化しなかった。
幼稚園児にナイフやピストル、自動車などを与えるとどうなるか…。
私益、国益の追求に争いを繰り返し核エネルギーでさえまず大量殺戮のために使用したのだから「十種神宝」の封印を解けば地球生命全滅につながる危険性がある。
精神的に進化し自立するまでそんなものを使わせるわけにはゆかない。宇宙にまで迷惑が及ぶ。
それがいまだに「十種神宝 」の実物が見つからない理由なのである。
情けないではないか。
一刻も早く、この時代をクリアして愛と平和の世界を実現してしまわなければ…。
fumio

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 最近「燃え尽き症候群」ということばをよく耳にする。
期待に反してさっぱり、奮わないトリノオリンピックの日本選手団は「ナガノ燃え尽き症候群」ということだ。
こんな風に病名のように表:現されると長野オリンピックで燃え尽きた日本選手団には今回小火(ボヤ)を熾(おこ)す力も残っていないかのように思えて淋しい。残り火を煽り立ててなんとか奮起してほしいものだ。

 近頃の政治経済界でつぎつぎに明るみに出る不祥事は「小泉改革燃え尽き症候群」と称するらしい。
政権の終わりはどこでも似たようなものでレーガン大統領の末期は
レイムダック(弱って獲物として狙われやすくなった「足の不自由なあひる」)と呼ばれた。
この柴が燃え尽きたあと新たな柴を積み上げて火を熾すのはだれか。
それは愛に目覚め自立を果たした勇者たち。
かれらの血のモノリスは発現してそれぞれの魂が呼び合い夜明けを成就するのだ。
かれらは今、額に汗して黙々と柴を積んでいる。
何千年も燃え尽きることのない柴を。
fumio



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 最近、「中古典」がブームになっているという。
聞き慣れないことばだが第1回小林秀雄賞を受賞した文芸評論家斎藤美奈子氏の造語ということである。
中途半端に古いベストセラー小説のことで改めて読み直してみると意外におもしろいらしい。
ベストセラーは常に時代とセットになっているので十年後「電車男」を読んでもなにが受けたのかわからないかもしれない。それでも、結局繰り返し描かれるのは人間の性(さが)なので「中古典」とされる作品もたまに光を当てて読み返すとはまるのだ。
洋楽の世界では本の「中古典」にあたるのは「オールデイズ」かも。
でも、それは、現代のどの曲にもラップが入るヒップホップの曲に閉口したオジサンオバサンたちが集まってひとつのジャンルとして聴き続けている。かれらはヒップホップには食傷しても洋楽は好きなのだ。
「中古典」本も一時のブームではなく洋楽の世界の「オールデイズ」のようにひとつのジャンルを形成する日が来るのだろうか。
 斎藤美奈子氏は女性を元気にする「L文学」ということばも使用している。
レデイ、リブ、ラブなどのLだそうだが造語能力が高い新感覚の評論家だ。
今度はこのことばに脚光が当たりそうである。
fumio

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 情報断食 ということばがはやっている。
それはテレビ、ラジオ、インターネット、携帯電話、新聞、雑誌、などの媒体から流れ込む情報を一時的に遮断することという。
毎日一定時間、すべての情報機器と断絶して情報の断食状態とすることで、物事を自分で考え自分の頭で判断する習慣がつく。
現代を生きる人々は毎日発信される情報を知らなければ時代に取り残されるかもしれない、という不安に苛まれてとてもそんなことはできないと思ってしまう。

わたしの場合、何度か入院した時、強制的情報断食 の状態に陥った。
それでも別に時代に取り残されることはないことに気づかされた。
入院中に違う自分を発見する人もあるかもしれない。
世の中に溢れている情報の洪水の中で本当に必要なものはどれほどあるのだろう。
欲望を駆り立てるだけの情報の断食をしてみると自分に本当に必要な栄養素がわかる。
自分が生きている理由がわかるかもしれない。
舞台の陰でこのマリオネットの糸を手繰る存在に踊らされていることに気づいた時、自立が始まる。
fumio

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今年もアカデミー賞の季節に入って楽しみだ。
それは時代を写す鏡としての役割を担っている。
ハリウッドのメジャープロダクションの大作が影をひそめ、
インディペンダント系の問題作が多く候補にあがっているのがうれしい。
本命の「ブロークバック・マウンテン」ではこれまでの映画で男らしさの象徴としてしか扱われてこなかったカウボーイの同性愛的な面が描かれたのは時代ということか。
対抗の「クラッシュ」はロサンジェルスで事故にかかわった人々の群衆劇。
ロサンジェルスでは夜中に町中で撮影が行われることがよくあった。
ばかでかいライトがドカンと置かれていて夜空を照らしていて驚いたものだ。
ロサンジェルスは市民が協力的で町でロケができるのが強い。
インディペンダント系にはこういう作品が合っているので受章の期待が大きい。

 穴の「カポーティ」は「ティファニーで朝食を」で一世を風靡した作家、トルーマン・カポーティの「冷血」執筆にかかわる作品。「ティファニーで朝食を」のようなしゃれた雰囲気の作品の作者としてしか知らなかった当時のわたしにとって凄惨な犯罪実録小説「冷血」は衝撃的だった。作家カポーティは今回かれ自身が人々の興味をそそる 題材となった。

 大穴「グッドナイト&グッドラック」はマッカーシー議員による赤狩りの時代を描いている。
1951年、赤狩り「マッカーシー旋風」によってハリウッド映画関係者324人が共産主義者の疑いで解雇され、
映画俳優ギルド議長ロナルド・レーガン(のちの大統領)は情報をFBIに報告した。
「エデンの東」の監督エリア・カザンは議会での証言でリリアン・ヘルマン,ダシール・ハメット,クリフォード・オデッツ,パメラ・ミラー,モリス・カルノフスキー,フェオブ・ブランド,トニー・クレーバーらを共産主義者と名指した。以来、かれは後の人生を裏切り者として生きることになった。辛い人生だっただろう。
1998年、アカデミー賞生涯功労賞受賞が決定した時、
リチャード・ドレイファスらは反対表明し、会場ではかれの過去の「裏切り」に対して観衆の半数近くが拍手や起立しなかった。「赤狩り」はアメリカにとってもハリウッドにとっても辛い記憶である。
今もひりつく痛みが残っている。時間が癒しきるまでどれぐらいかかるのだろうか。はたしてどの作品が一番この時代を写す鏡とされるのか。
fumio




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 わたしのホームページ
「ようこそmonologueへ」のトップページに
「血のモノリス発現のための選曲集」を載せているのだが、その先月のダウンロード数ベスト10を
以下にコピーしておく。
*****************
1位、もっと自由に
2位、死ぬほどアイラブユー
3位、We all Need love
4位、素顔のマスカレード
5位、しあわせ未来形
6位、ひかりのくにへ
7位、水面に書いた物語
8位、自由の天地
9位、Never Giveup
10位、カリフォルニア・サンシャイン
11位、よそおう女たち
12位、わかりあえる日まで
13位、ハロー・エンドレスドリーム
14位、女優(スター)
15位、戦士たちは今
*********************
1位の「もっと自由に」と2位、「死ぬほどアイラブユー」は
なぜか香港からのアクセスなどもあって1位2位になったようだ。
多くの人が自由になろうとしている。
fumio

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蛇足  


もう充分かと思うが言わずもがなの蛇足を述べておこう。
馬琴の設定したプロット、
「八つの牡丹の痣がある霊犬で八犬士の父の名、八房。
八犬士を処女懐胎する母、伏姫(ふせひめ)」とは
なんだかキリストの父、YHVH(ヤー)とマリアの関係のようである。
キリスト教では救世主はひとり子イエスだけであるが八犬士は八人に分かれたキリストのようではないか。

 馬琴、解(トク)あるいは物部氏の祖ニギハヤヒが来るまで待っていた者たち、すなわち大和の地に集ったわたしたちそれぞれが一億以上に分かれた救世主として次の時代を開く役目を負って現代に甦ってきたのではないか。
ニギハヤヒはこの物語にそのことを託して馬琴に書かせたのだ。
ついに時(解き)の封印が解けてそれがわかる時代が来た。
fumio


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