monologue
夜明けに向けて
 



9月4日(金)の朝のリハビリは川上政孝PTが上尾中央医療専門学校の岸田燎実習生を連れてきた。
理学療法士や作業療法士を目指す若者たちは学校で多くのことを学ぶが実際の現場でどのような作業が行われているかを最終的には実習によって体得する。その時の指導者との関係によって及第点を与えられないこともあって苦労するらしい。最終ペーパーテストよりこの実習が最大の難関ということだった。岸田燎実習生は息をつめてわたしたちのリハビリの様子を見守りところどころメモしていた。初めてなので表情が硬かった。「燎」という名前の由来を訊くと火のように燃える男になれ、という期待が込められているということだった。そんな人生を生きるのだろう。
fumio


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作業療法で一番面白かったのはミラーセラピだった。ダンボール箱を「ミラーボックス」として使用して左手と右手が入る穴を開け箱の中央に鏡を立てて自由に動く左手が鏡像では麻痺している右手に見えるようにピッタリの位置に調整して、左手をさまざまに動かすと麻痺している右手が自由に動いているように見えてくる。動かないはずの右手がまるで脳からの命令によって動いているように脳に錯覚させるというリハビリだった。脳をだますという発想がおもしろかった。脳は命令すれば右手も動くと思って命令を発していつか実際につながって動くのかもしれない。手足をなくした人が感じる幻肢痛も脳の錯覚だし脳には解明されていない多くの秘密がありそうだ。
fumio


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毎回、拘縮した右手にかけてもらったがよく知らなかった超音波治療について考察すると、イトー の超音波治療器にはULTRA SOUNDという名称がついていた。英語で超音波はultrasonicで超音波発生器は ultrasonic generatorと思っていたがultrasoundとも呼ぶようだ。広辞苑によれば、超音波とは「振動数が約2万ヘルツ以上で、定常音として耳に聞こえない音波。水晶やチタン酸バリウムを用いた発振器によって発生させ、物質の乳化・超音波探傷子・ソナー・診断などに応用。」とあった。そして入院時に検査を受けた、エコー検査についても「超音波検査(エコー検査)(ultrasonography / echography)人の耳に聞こえない高い周波数の超音波を体内に発信し、その反射波から臓器の形や内部の構造などについての情報を得る検査法。魚群探知器で海の魚の位置を見出すのと原理は同じ。」と記述されていた。勉強になった。超音波治療中はあまり効果を感じなくとも実は1秒間に2万回以上細胞組織を振動させて活性化させているのだ。なるほどと思った。
fumio

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温水ジェット水流バイサタイザー(BITHATIZER)検温浴療法器はこの病院では「バイブラ」と呼ばれていた。気泡を吐出する温水浴器のことを治療関係者はバイブラバスというらしいがまだ世間一般に認知されている用語ではなく違和感があった。もっと人口に膾炙されて辞書に載っていればそれでもいいのだろうが辞書には「バイブラ」は「鉄琴」のこととある。わたしたちのバンド「SF」のアルバム「プロセス」でも中島茂男が「MIND SHIP」という曲でビブラホン(バイブラ)を演奏していたので「バイブラ」といえば鉄琴を思い出したのである。
fumio

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9月2日1時半から初顔合わせの大塚真代作業療法士(OT)が手のリハビリをしてくれた。かの女がわたしの本当の担当で昨日は休みだったのでの久貝OTが代理でリハビリをしてくれたということだった。翌日、大塚真代OTは9時半にやってきてリハビリ室に車椅子で連れて行ってくれた。。温水ジェット水流ミナト医科学バイサタイザー(BITHATIZER)BT-6N検温浴療法器で拘縮した右手を温め刺激しながら指一本一本開き、そして水を拭きとってからジェルを塗って伊藤超短波株式会社の超音波超音波治療器 イトー US-750で超音波治療を行った。そして箱の中に鏡を立てて左手の動きを見ながら右手を動かすミラーセラピを行った。病院にウクレレ部が新しくできたので大塚OTも参加したけれどウクレレのチューニングができないのでしてほしいというのでわたしがチューニングした。この病院には運動会や院長のバンド(マレット・フィンガー)のライヴコンサートなど色々なアクティビティがあっていい病院だなあと思った。
fumio


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アルバ ム「水面に書いた物語 」、「プロセス」「カリフォルニア・サンシャイン」「ひかりのくにへ」「現代の愛 」シリーズインストルメンタル曲集「夢神楽」などの今週のアクセス聴取ランキング
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12月18日(金)~12月25日(金)
ヒット数340件中  
 順位前週前々週 
第1位(-)<->祭りの夜
第2位(-)<->水面に書いた物語
第3位(-)<->そしてなにが残った
第4位(-)<->小舟がひとつ
第5位(-)<->わんだふるわーるど
第6位(-)<->愛し疲れて
第7位(-)<->ごめんなさい
第8位(-)<->素顔のマスカレード
第9位(-)<->あやかしのまち
第10位(-)<->はるかなるメロデイ
第11位(-)<->マイ・スィート・ライフ
第12位(-)<->しあわせになれる
第13位(-)<->UFO ROCK
第14位(-)<->
第15位(-)<->夢の旅
第16位(-)<->月とラクダ
第17位(-)<->オーロラの町から
第18位(-)<->ときめきFALL IN LOVE
第19位(-)<->オクラホマシティナイト
第20位(-)<->それってⅨじゃない
第21位(-)<->光闇ツアー
第22位(-)<->愛と光のテーマ
第23位(-)<->Looking for Love
第24位(-)<->_Good bye Sue
第25位(-)<->マホロバ回帰

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8月30日に入院して療養中ネットにつながらず休んでいた カウントダウンの復活 。
果してこのカウントダウンは現代の人々の心を写す鏡なのか。ご愛聴感謝。
fumio



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1991年の脳内出血での入院時と東川口病院は大きく変わっていた。
なにが変わったか、というとリハビリテーション科の創設である。前回は緊急手術した脳が治って切り取って腐らないように右大腿部に埋めてあった骨を取り出して頭に再び嵌め込む手術を終えて治癒するまでしばらく療養したあと、リハビリテーションなどすることなく退院した。あとは家庭で日常生活をしながら完全に治るのを待ったものだった。
ところが今回はリハビリテーション科ができていて入院するとすぐリハビリテーションが始まった。スタッフが50人もいてその充実ぶりはケアマネージャーなどの福祉関係者間で評判になっていた。
これからの時代を見据えた改革をすでに実施していたのだ。
fumio


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東川口病院には1991年11月30日にも脳内出血で入院している。その脳の 手術後の回復期、「われは龍神なり、崇凰(すうおう)という名で勞(はたら)く」とわたしは宣言して大暴れして点滴に鎮静剤を入れられておとなしくさせられた。そんな記憶がある。
その時手術してくれた脳外科医藤原医師は脳出血で亡くなったと以前のことを知る事情通のヘルパー小口和代さんに聞いて愕然とした。わたしを救った命の恩人がわたしと同じ病いで亡くなっていたのである。偶然とは言い切れないなにかを感じた。合掌。
fumio

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8月31日( 月)の昼頃、妻がこのノートパソコンと着替えなどを持ってきてくれた。
それで日誌に病院での出来事や人の名前などをつけはじめた。しかし、病室ではネットにつながらないのが残念だった。
翌日9月1日(火)午前中に小川政明医師ではなく池田信整形外科部長が回診に来た。
それからリハビリテーション科の川上政孝主任理学療法士がやって来て初めて顔を合わせた。いい友になれそうな人だった。
そして午後3時前に沖縄出身という久貝(くがい)健士郎(けんしろう)作業療法士が手のリハビリをしてくれた。名前を聞いて思わず「お前はもう、死んでいる」と叫んでしまった。幼い頃から同じ冗談を聞き飽きているだろうに。「北斗の拳が好きなんです」とにこやかに大らかに応えてくれてほっとした。
理学療法士はフィジカルセラピストでPTと呼び、作業療法士はオキュペーショナルセラピストでOTと呼ぶそうだった。手の運動によって神経を活性させるリハビリ後、握力計で計ると左手が26キロで右が10キロだった。いつのまにか知らないうちにずいぶん力が落ちていると思った。たまには計るといいようだ。
それから小川医師がやってきて骨折した右足の患部を石膏で固めるギプスをしてくれた。
fumio


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救急車からまず東川口病院2B病棟の部屋に運びこまれた。
2というのは2階のことでBは緊急性のある患者の病棟だった。
担当医師は整形外科小川政明医師に決まった。担当看護師は山我(やまが)久美看護師。
そしてまず検査のために1階のレントゲン、エコー検査CT撮影にストレッチャーに乗せられて行った。
それで腓骨骨折と診断された。腓骨(ひこつ)とは膝から足首までの外側の骨。
完全に折れているわけではなくヒビが入ったような状態ということだった。
「ヒビですか?」と安心したように問うと
「ヒビといっても折れていることに変わりはないんです」と言われてがっかりした。
fumio


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入院  




「ただ今!」というべきか。
今年2015年(平成27年)12月12日(土曜)午前9時に東川口病院を退院して帰宅。
ところが風邪をひいて帰ってきたもので動くことができなかった。ただ安静にして過ごして戸外にも出なかった。
気力と体力が回復してきてやっとこのブログを再開できる状態になったのでなにが起こったのか以下に記しておく。
今年8月30日( 日曜)午前5時半頃、シャワーを摂ろうと洗面脱衣洗濯部屋に一歩入ると転んで右足がメキっと鳴って倒れた。
折れたかと思って妻が降りてくるのを待った。
右足に触ってもらうと妻が熱いから折れていると判断して救急車を呼んでくれた。
それで東川口病院に運び込まれたのである。それから約3ヶ月と少し、入院療養生活を過ごしたのだった。
fumio


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