monologue
夜明けに向けて
 



 95/12/18 大きな燭台を掲げた天使…「さて、どちらの舞台に幕を引くのか」
 大きな燭台を掲げた天使はこの時点でこれまでの舞台に幕を引いた。
そして今新たな舞台の幕を上げようとしているのは…。
fumio



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95/12/17 後生大事に持ち続けた玉手箱を開けると「自分」と書いた小片が…
玉手箱とは魂の手箱、そこには「自分」以外の魂が入っているわけがない。
浦島太郎は玉手箱を開けると現実の時間に戻ったがわたしたちは本当の「自分」に戻るのだ。
fumio


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 95/12/21 天使の携える剣の柄には大きく輝く真紅の石が希望の様に輝いて…
預言的ハローメッセージの終わりに際して天使はあとを継ぐわたしたちに希望を託していた。剣は「蔓氣」で天使の氣の蔓の柄、そこに神九(ニギハヤヒの数)の意志が
希望の様に輝いている。
わたしたちはその希望を実現してゆかねば…。
fumio



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12/17 後生大事に持ち続けた玉手箱を開けると「自分」と書いた小片が…
 12/18 大きな燭台を掲げた天使…「さて、どちらの舞台に幕を引くのか」
 12/19 天使は燭台を飾り机の上に置いた…「林檎は何処に実るのか?」
 12/20 天使は燭台に燃え続ける様に命じ、傍らに置いた剣を手に持った。
 12/21 天使の携える剣の柄には大きく輝く真紅の石が希望の様に輝いて…
 12/22 天使の瞳に映る真紅の輝き、巷にはクリスマスソングが流れる…
 12/23 天使の瞳に映る真紅の輝き、そして真珠の涙に気付かぬ者は多い

預言的ハローメッセージは以上のメッセージを最期に1995年12月終わりを告げた。 クリスマス=「九理済ます」で天使の仕事がひとまず終わったことを示している。
「真珠の涙」ではイシス、イザナミの再臨を示唆していた。
それが最後に伝えておきかったことのようだ。
fumio

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ハローメッセージが預言的に変化した記念的メッセージは
1993年8月の
 08/02 龍神は目覚め水の変化を知り、麒麟は風の声に訪れを聞いた…
 08/03 ★眠りにつく者の耳に聞こえる潮騒の音は、目覚めた水の声…
 08/04 風は大きく、波は高く、そして麒麟の夢は深海のとどろきと共に…

である。
当時は宇宙神霊の用いる語彙が一般とかけ離れているために難解だった。
今の目で見れば龍神や麒麟がスサノオやニギハヤヒを示唆しその後継者たちに
時代の変化を報せる預言であったことがわかる。基本的には様々な例えでそのことを伝え人類の自立を促すのがハローメッセージを発する目的のようであった。
fumio

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  以前ニフティのパソコン通信時代に北川恵子さんがチャネルする宇宙神霊アーリオーンが主宰する世紀末フォーラムというフォーラムがあった。
そこで毎日初めの画面に現れるメッセージはハローメッセージと呼ばれた。
1992年あたりは柔らかい調べのことばだったが93年8月から口調が変化して
預言的色彩が濃くなった。そんな預言ハローメッセージは95年終わりまで続いた。
その示唆する内容はあまりにも難解でほとんど意味不明だった。

わたしはその預言解読に挑戦すべく「炎で書いた物語」の連載を思い立ち
1995年11月11日13時18分に 炎で書いた物語」番外編を初アップロードしたのだった。当時あれほど難解だった預言も今このブログを読む方はこれまでにかなり慣れてきてさほどに感じないことだろう。時代は確実に進んだのだ。
fumio




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今年正月から今日秋の彼岸中日までのわたしのホームページ ようこそmonologueへ
検索語句ベスト10
ヒット回数48,398 回中
解析対象ヒット回数 15,391回

 一位十種神宝 227
 二位ピラミッドとは 214
 三位 ケサラ 204
 四位ニギハヤヒ 191
 五位毛長川 169
 六位ルシファー 160
 七位 富士山とは 157
 八位ダイアモンド デビアス 150
 九位伊雑宮 143
 十位 ふるとり124

****************
以上、人々が何に興味を持ってわたしのホームページを訪れるのか、その傾向がわかる。
どのキーワードも謎がいまだに解明されていないのでロマンを駆り立てるようだ。
fumio



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94/07/19 虹色の硝子も、土蔵の中にしまわれていたのでは光りようが無い…

「虹色の硝子」の虹は龍、色は継承者。
そして「硝子」は解字すれば石神、月讀の子。
「土蔵」は藏王でもあるニギハヤヒを示唆。
結局はニギハヤヒの継承者に関する預言であった。
土蔵の中にしまわれていたニギハヤヒの継承者はいよいよ世に出て光りを発するのだ。
fumio


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94/07/19 虹色の硝子も、土蔵の中にしまわれていたのでは光りようが無い…

土蔵の中にしまわれていた「虹色の硝子」とはなにを指すのか。
もうそろそろ土蔵から出て光る時がきたらしい。
fumio

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太陽  


95/05/25 外郭に影射すも内殻に輝く太陽に翳り無し、要は太陽を認識する事
95/06/26 朱鷺色の雲のたなびく上、夜も輝く太陽は傘の要らない心を作る


本物の太陽(アマテラス)は認識するとき内殻に輝き夜も輝く。
fumio





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94/09/22 血のモノリスはマグマと同期し、傷んだ箇所から噴き上がるだろう

マグマは生命体である地球の血液、人体を巡る血のモノリスと常に同期して
傷んだ箇所から噴き上がり進むべき方向を示す。
funio


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93/08/13 ★麒麟は咆哮し、龍は眼に炎を宿し、血のモノリスが震えるだろう
93/08/23 ★赤き血のモノリスは振動を始めるために、集合を始めた…
94/09/22 血のモノリスはマグマと同期し、傷んだ箇所から噴き上がるだろう
94/12/31 打ち寄せる波の如く途切れない血(モノリス)の嘆きと叫び‥伝え残せよ

一般に知られなくとも目には見えなくともわたしたちを内側から揺り動かす血のモノリスに関する預言を集めるとこんなものがある。もうそろそろその本当の働きを知る時がきたのだろう。
funio


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95/06/15 亀甲に刻まれた年月、人の顔に刻まれた年月‥同じ年月だろうか?

古代の太占(ふとまに)は亀の腹の甲の裏に「と・ほ・かみ・ゑみ・ため」の五つの線を刻み、、それを焼いて表にあらわれたひび割れの形で吉凶を判断した。
吐菩加美 依身多女(とほかみえみため)は、伊奘諾尊が禊ぎをしたとき実際に唱えたとされ「遠つ神、恵み賜へ」に由来するといわれる。
『とほかみえみため』は、とほを刀、かみが鏡、ためが玉で三種の神器を示すので三種の祓い詞とされている。

すると「亀甲に刻まれた年月」の年月の部分が「遠つ神、恵み賜へ」に対応することになる。年(トシ)はニギハヤヒの青年期の名前、「月」はニギハヤヒが崩御したあとの月讀としての姿。いずれにしてもニギハヤヒの霊が宿ることになる。

「人の顔に刻まれた年月」を解くには、最後の伝承者とされる明治天皇の崩御後、時代の表面から姿を消した伯家(はっけ)神道の行を思い出そう。それには『御鏡御拝(みかがみぎょはい)の法』と『息吹永世(いぶきながよ)』そして、『十種神宝御法(とくさのかんだからごほう)の行』がある。
そのうち『御鏡御拝(みかがみぎょはい)の法』とは鏡に写る自分の姿に拍手を打って拝礼するのである。
一見不思議な行法だがかれは自分の顔に刻まれた年月に拝礼するのだ。
なぜ拝礼するかといえばそれはニギハヤヒの仮面なのだから。
説明しにくいことだが「同じ年月だろうか?」と尋ねられたとき「同じ年月だ」と答えるしかない。
亀甲に刻まれた年月も人の顔に刻まれた年月も最終的には「在りトシあるモノ」のひとつの形にすぎない。
funio

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95/06/15 亀甲に刻まれた年月、人の顔に刻まれた年月‥同じ年月だろうか?



まず普通に解釈すれば「亀甲に刻まれた年月」は亀の甲羅に苔や傷その他の跡が長い年月に遺ること。「人の顔に刻まれた年月」とは人が生きて行く間の悲しみ喜び苦労などによる皺などが顔に刻まれること。
「同じ年月だろうか?」は反語で亀の甲羅に自動的に遺る跡と人の顔に刻まれる苦労の痕跡が同じであるはずがない。ということになる。
しかし、その答えでは一般的にはよくとも神霊族は○をくれないだろう。
それでは「見えない色を見る者達」の答えとは言えないから…。
fumio




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年月  



95/06/15 亀甲に刻まれた年月、人の顔に刻まれた年月‥同じ年月だろうか?

 箴言のように思わず考えさせいかにも示唆に満ちたこの預言の向こうになにが隠されているのだろう。
funio

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