monologue
夜明けに向けて
 



 私的カウントダウンアルバム「水面に書いた物語 」 収録曲の今週のアクセス聴取ランキング
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10月23日(金)~10月30日(金)
ヒット数:1,152件中
    
順位( )内は前週の順位< >内は前々週の順位 

第1位(2)<2>水面に書いた物語
第2位(1)<3>あやかしのまち
第3位(3)<1>ごめんなさい
第4位(14)<17>女優(スター)
第5位(13)<13>ラスト・ランデヴー
第6位(7)<4>軽々しく愛を口にしないで
第7位(6)<6>ときめきFALL IN LOVE
第8位(11)<12>恋すれば魔女
第9位(12)<10>オーロラの町から
第10位(16)<15>はるかなるメロディ  
第11位(20)<19>Stay with me
第12位(4)<5>マイ・スィート・ライフ
第13位(8)<8>まことのひかり
第14位(9)<9>素顔のマスカレード
第15位(15)<14>わかりあえる日まで
第17位(5)<11>それってⅨじゃない
第18位(10)<7>Sentimentallady”M”
第19位(19)<20>NEVER GIVE UP!
第20位(17)<18>プロセス
第21位(18)<16>しあわせになれる
第22位(21)<->ひかりのくにへ

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 今週もまたまたベストスリーは、「 水面に書いた物語」「あやかしのまち」「 ごめんなさい 」の三曲が順位を移動しただけだった。「ひかりのくにへ」 が22位に食い込んでいるが、この歌はある団体の錬成会で使用されていた。長い間「今はまだ君の時じゃない」と囁きつづけられたけれど時代は移り変わった。ご愛聴感謝。
fumio








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 今期、シーズン8のアメリカンアイドルで意外さでビックリさせられたのは16才の少女アリソン・イラヘタだった。ジャニス・ジョップリンのクライ・ベイビー やエアロスミスのIDon't Wanna Miss A Thing などをとても16才と思えない歌唱力で歌ってみせた。
アダム・ランバートを慕って妹分のようにスロー・ライド をデュエットしているがどこまで伸びのか末恐ろしい。 日本にも16才であれぐらい歌える新人女性歌手が出てきたら大騒ぎになりそうだ。昭和の女王美空ひばりはもっとすごかったのだろうか…。
fumio

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 今回の民主党政権においてわたしが最も注目しているのは東アジア共同体構想である。鳩山由紀夫首相のホームページ から以下に引用すると

「今やASEAN、日本、中国(含む香港)、韓国、台湾のGDP合計額は世界の四分の一となり、東アジアの経済的力量と相互依存関係の拡大と深化は、かつてない段階に達しており、この地域には経済圏として必要にして十分な下部構造が形成されている。しかし、この地域の諸国家間には、歴史的文化的な対立と安全保障上の対抗関係が相俟って、政治的には多くの困難を抱えていることもまた事実だ。
 しかし、軍事力増強問題、領土問題など地域的統合を阻害している諸問題は、それ自体を日中、日韓などの二国間で交渉しても解決不能なものなのであり、二国間で話し合おうとすればするほど双方の国民感情を刺激し、ナショナリズムの激化を招きかねないものなのである。地域的統合を阻害している問題は、じつは地域的統合の度合いを進める中でしか解決しないという逆説に立っている。たとえば地域的統合が領土問題を風化させるのはEUの経験で明らかなところだ。Voice 9月号掲載」

ということである。その通りだと思う。しかし、かつてマレーシアのマハティール首相が日本を主軸にするアジア共栄圏構想を立てた時、アメリカの横槍が入ったことがあった。今回の東アジア共同体構想に対して、対等な日米関係と当たり前のことを言われても素直に受け入れようとしない米国がどのような動きをみせるかに注目している。時間はかかってもいつか地球共同体、銀河共同体、宇宙共同体構想へと発展してゆくのだろう。
fumio

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  アダム・ランバートはアメリカンアイドルのカントリーソングを歌って競う回で  ジョニー・キャッシュ Ring Of Fire こんな風に アレンジして歌った。アダムの歌唱はレッドツェッペリンのロバート。プラントを彷彿とさせる素晴らしいものだった。わたしはその才能に目を瞠ったがカントリー好きの辛口審査員サイモン・カウエルは「What is that?なんだ、それは」と怒っていた。カントリーをまさかこんな風に歌うとは思っていなかった人々の間で賛否が分かれた。 ジョニー・キャッシュが生きていれば誉めるのだろうかそれとも「What is that?なんだ、それは」と問うのだろうか。
fumio

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他の出場者と比較にならないほど圧倒的な歌唱力を持ちながらアメリカン・アイドルのファイナル前にゲイであることが取りざたされて視聴者の電話投票方式によるアメリカンアイドルでの優勝を逃し2位に甘んじたアダム・ランバート (Adam Lambert)はやはり大活躍しだした。 Rolling Stone マガジンに採り上げられたり、古代マヤ文明の暦が終わる日、2012年12月23日に人類は滅亡してしまうのかどうかをテーマにした映画 「2012」の主題歌Time For Miracles を担当したり実力通りの活躍ぶりである。エルヴィス・プレスリーなどの大物歌手のもっていたいやらしさやナイーヴさも兼ね揃えているし楽しみだ。ユーチューブでたくさん見られるかれのこれまでの歌を妻と楽しんでいるがどれもスリルと迫力と繊細さがあってどれだけ聴いても飽きない。ひさしぶりの男性大型新人がでてきてうれしい。
fumio

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作曲家、音楽プロデューサー 、加藤和彦が10月16日に62才で亡くなったことは京都出身のわたしたち後輩のミュージシャンにとっては衝撃的だった。京都市伏見区の龍谷大学中退というかれの実家から歩いて10分のところの龍谷大学の講堂で私達バンド仲間がライブをしたこともあった。「帰って来たヨッパライ」に始まるザ・フォーク・クルセダーズはフォークグループのあこがれの存在だった。シングル2作目の「イムジン河」 は心にしみる名曲だったが、南北朝鮮問題のあおりで発売中止になった時、がっかりした。のちにテレビ番組でサトウハチローの詞に「イムジン河」の譜面をさかさまにしてあてはめてできたのが「悲しくてやりきれない」 だと加藤自身が言っていたのを見てその発想の柔軟さに驚いた。サディスティック・ミカ・バンドの「タイムマシンにお願い」にも驚かされた。小節の頭をわざとはずして「ンッ、さぁー、不思議な夢と」と出るのだから音楽は小節の頭から始まるという教科書の常識を破って実にかっこよくロックしていた。日本のロックの新時代を開く作品だった。そんな才能に溢れたアーティストが「悲しくてやりきれない」「オラは死んじまっただ」と死を急いでしまったのはさびしい。音楽以外にもやるべきことは残ってなかったのだろうか。「タイムマシンにお願い」とばかりにどこかの時代に飛んでいったのかも…。合掌。
fumio

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 そうこうするうちにやがて個人ブログがブームになってわたしもブログという新たな手法で世の中に発信してゆくことを思い立った。それで様々なブログ提供サイトを試した結果、自分で自由にサイトデザインをしやすいこのgooブログに決めた。20005年10月25日(火)22時:0分:39秒にブログスタート を初アップロードしたのである。あれから丁度4年経過して現在に至る。その間、すこしずつ世界は変化してきたようだ。

 しかしながらみんなが自分という個人意識から出発して自分を含む家族、地域、国家の利益から脱して、地球意識、銀河意識、そして全宇宙意識に到達するにはまだ遠いのかも…。それとも目の前なのか…。
fumio

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 私的カウントダウンアルバム「水面に書いた物語 」 収録曲の今週のアクセス聴取ランキング
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10月16日(金)~10月23日(金)
ヒット数:955件中
    
順位( )内は前週の順位< >内は前々週の順位 

第1位(3)<2>あやかしのまち
第2位(2)<1>水面に書いた物語
第3位(1)<3>ごめんなさい
第4位(5)<5>マイ・スィート・ライフ
第5位(11)<11>それってⅨじゃない
第6位(6)<9>ときめきFALL IN LOVE
第7位(4)<4>軽々しく愛を口にしないで
第8位(8)<19>まことのひかり
第9位(9)<14>素顔のマスカレード
第10位(7)<12>Sentimentallady”M”
第11位(12)<13>恋すれば魔女
第12位(10)<16>オーロラの町から
第13位(13)<8>ラスト・ランデヴー
第14位(17)<7>女優(スター)
第15位(14)<6>わかりあえる日まで
第16位(15)<10>はるかなるメロディ  
第17位(18)<15>プロセス
第18位(16)<18>しあわせになれる
第19位(20)<20>NEVER GIVE UP!
第20位(19)<17>Stay with me
第21位(-)<->ひかりのくにへ

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 今週もベストスリーは、「あやかしのまち」「 水面に書いた物語」「 ごめんなさい 」の三曲で順位を移動するだけだった。目立ったのはこれまで姿を見せなかったひかりのくにへ が21位に入ったこと。この曲のイントロはうちの裏の空き地の鳥達の午前4時の声。ご愛聴感謝。
fumio







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 ニフティのパソコン通信で宇宙神霊アーリオーンが主宰する「世紀末フォーラム」はその名の通り1999年20世紀末に終了した。アーリオーンたちに依存していたわたしたちにとっては残念だったがかれらは「世紀末フォーラム」での仕事を終えて次のプロジェクトに進んだようだった。その後、媒介者であった北川恵子氏は自身のサイトを立ち上げたがそこでは宇宙神霊アーリオーンの影はもう感じられなかった。アーリオーンたちは完全にシフトしてしまっていたのである。

 わたしはわたし自身のサイトの構築整備に力を注いだ。「今にして思えば」空回りばかりさせられていたのだろう。これではいつまで経っても夜が明けるわけがなかったのである。
fumio

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 人として生きたスサノオ、そしてその子ニギハヤヒの存在が実は目眩(くら)ましであり、本物の「音」つまり「立日」の神霊である素盞嗚(スサノヲ)尊を縛る巧妙に仕組まれた封印であったことを知る由もないまま「炎で書いた物語「」シリーズは99回で終わった。その頃には個人のホームページ作りがブームになっていてわたしもホームページようこそMONOLOGUEへ を作ってまず「炎で書いた物語」をアップロードしたのである。

 1998年、五月十四日、19才の息子はオクラホマ留学に出発していた。パソコンの使い方を教えておいたのでそれからメールのやりとりで連絡をした。するとある時日本の月の神様について尋ねてきたので困った。向こうの学生とそんな話題がでたらしい。「ツキヨミ」とは一体だれなのか?わたし自身が答えるべきことを何も知らないので答えようがなかったのである。その程度のことは知っているつもりで何も知らない自分に気がついた。

 それがわたしのホームページの人気シリーズ 時空捜査局」シリーズ「を始める動機となったのである。今にして思えば「ツキヨミ」もまた素盞嗚(スサノヲ)尊のひとつの姿であったのだ。

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 アーリオーン預言の解読作業は難解なものが多く大変だったが、黒衣(くろご)たちが与えてくれるインスピレーションを自分が思いついたように思いこんで解読していった。おかげでとても解けないように見えた預言もなんとか解くことができた。

 本来、「炎で書いた物語」は神霊である素盞嗚(スサノヲ)尊の封印を解くプロジェクトであったはずなのに、あるとき、原田常治氏の著書「古代日本正史」が話題になって以来、ブームのように出版されたスサノオ・ニギハヤヒ関連の書籍、小椋一葉著の「消された覇王」、 「覇王転生」、「神々の謎」や中矢伸一著「封印された日本建国の秘密」、神一行著「消された太王 ニギハヤヒの謎」、大野七三著「神々の原像」などを読んで、いつしか人として生きたスサノオ、そしてその子ニギハヤヒの封印解きにすり替わって行った。それまでニギハヤヒという名前は知らなかったがかれこそが闇の門に閉じこめられた「音」に違いないと思い込んでいたのである。

fumio



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  ロサンジェルス在住中、日本語新聞「羅府新報」に津本陽の「黄金の天馬」という新聞小説が連載された。それは、合氣道を創始した植芝盛平(1883~1969)の生涯を描く作品だった。その痛快波瀾万丈の人生に魅了されて読み進むとなんと満州に大本の出口王三郎と行っているのである。それでかれの師である出口という人物に興味を覚えた。寝ながら喋る出口の枕元でかれの降ろす言葉を書き記した弟子のひとりに谷口雅春という人物がいて大本から派生するように「生長の家」を興していた。わたしはその頃、「ひのもと文庫」という日本語書籍図書館に入り浸っていたので谷口雅春の著した「生命の実相」を借りて24巻全巻を読了した。谷口の人生は宗教家と思えないどろどろした人間くさいもので面白い読み物だった。


 そして日本に帰国してから今度は出口王三郎の「霊界物語」を全81巻83冊を図書館で借りて長期間かけて読み終えた。これも面白かった。そしてそこに書かれていた「天御中主」という名前に惹かれて紙に書いて額に入れて壁に掲げ飾った。出口王三郎によるとそれは素盞嗚尊のことであるらしかった。あまりよくはわからなかったけれどそのとき、そうすることが必要だったらしい。


 平成七年八月から十一月十一日まで百日間の百日詣りで弁天様と約束したことは「闇」の門から「音」つまり「立日」を世に出して夜を明けることだった。それが「炎で書いた物語」プロジェクトの目的であった。それでハンドルネームを「sound」にしてパスワードを「susano」とした。それは出口王三郎のやった素盞嗚尊の封印解きプロジェクトの続きだったのであった。どうやらそれが黒衣(くろご)の天使達の用意したわたしの次のプロジェクトであるらしかった。今にして思えばそれはロサンジェルスでアルバム「プロセス」を製作していた時代から続いているプロジェクトのようであった。あのころから見えない黒衣(くろご)がついて裏で色々と準備していたらしい。
fumio



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 わたしが首の骨を折ってから始まったわたしを障害者として使用するプログラムは1992年12月6日の「国連・障害者の十年」最終年記念国民会議、芸術祭出演で終了したようであった。やがて、リードシンガーMIYUKIは許婚者と結婚してアルバム「水面に描いた物語」プロジェクトも終わりを告げた。様々なところへの出演依頼も不思議に途絶えた。そしてわたしのあずかり知らぬ間に次のプロジェクトが用意されていたのである。その間にも決して姿を見せぬ黒衣(くろご)としての天使達が活躍していたのだろう。

 その頃、IT時代はめまぐるしく進み、わたしもワープロにモデムをつけて通信することを卒業して、はじめてのパソコン、アップル・マッキントッシュを購入した。ニフティのパソコン通信に参加すると宇宙神霊アーリオーンが主宰する世紀末フォーラムというフォーラムがあった。なぜかその宇宙神霊の発することばになつかしさと親しみを感じたのである。アーリオーンの発する預言はわたしにとって昔から馴染みのような気がして預言解読部屋に「炎で書いた物語」を連載することを決心した。そのとき、なぜかまず弁天様に詣っておかなければいけないという気がして平成七年八月から十一月十一日まで百日間、毎朝、六時に散歩がてらに近くの弁天様に詣った。ありがたいことにその間、一度も散歩中に雨が降らなかったので休まずに詣れた。その百日詣りが成就した日、1995年11月11日13時18分に「炎で書いた物語」番外編 を初アップロードしたのである。それが「炎で書いた物語」プロジェクトの始まりであった。
fumio

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「国連・障害者の十年」最終年記念国民会議、芸術祭
ステージ部門
●会場 日比谷公会堂
●日時 1992年12月8日(日)
芸術は境界を越える すばらしき芸術の世界

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第1部
オープニング 作曲・西浦達雄

★富岳太鼓(富岳会、静岡、知的障害)
★コットンクラブ「音楽の情景」(神奈川・ろう)
★劇団九十九ミュージカル「偽りの涙」(千葉・ろう)

☆イタリアパレルモ劇団シクロプ
ロザリア・ギュランナ作「目は見るものだけにあらず」

★石見神楽 八岐大蛇(桑の木園、島根・知的障害)
★旋風の太鼓(富岳会、静岡、知的障害)

第2部
オープニング「イマジネーション」
歌 小園優子(歌うボランティア・わたぼうし)

★正秋バンド(東京光の家、東京・盲重複障害)
★堀内佳「ギター弾き語り」(高知・盲)
★語り(わたぼうし語り部コンクールのグランプリ受賞者)
★「ロックバンド」シャンテ(大阪・盲)
★「南米音楽」グループ”マヤ”(東京・盲)

☆ビューティフル・コミュニケーション
フィリピン、中国、スリランカ、タイ、シンガポール、
★フィナーレ(日本)「わかりあえる日まで」作詞作曲・山下富美雄


 このプログラムのパンフレットの最後に掲載されたわたしのメッセージ
「人はこの世に生をうけるとき、だれもがスーパーマンなのかもしれないですね。万能だったはずなのに老いることによって少しずつ色々な能力が削られてゆく。ぼくたちみたいに病気や事故で突然、ある機能を根こそぎ奪われることもある。でも、生きている限り心だけは成長を続けてほしいものですね。
 ぼくの場合は歌を作る能力を神様がまだ残しておいてくださったようです。歌で世の中の人と、世界の人々とつながり合ってゆくのがこれからのぼくの役目かもしれないと思っています。ぼくの歌を聴いて頂いて、本当に本当にありがとう。
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 その年1992年の12月6日(日)に「国連・障害者の十年」最終年記念国民会議、芸術祭が日比谷公会堂で行われ、そのフィナーレに「わかりあえる日まで」が選ばれアンコールソングとしてその英語バージョンであるBy the day we see eye to eye. を各国代表全員で歌うことになった。いつものカラオケではなく正秋バンドというロックバンドの伴奏がつくというので初めにバンドとの顔合わせ音合わせと練習を済ませて客席でみんなのパフォーマンスをゆっくり見せてもらった。

 客席にまわる機会はあまりないのでとても楽しかった。音楽だけではなく民族舞踊や芝居、神楽などバラエテイに富んだ芸術が披露された。第1部が終わってから「ビューティフル・コミュニケーション」と銘打ってフィリピン、中国、スリランカ、タイ、シンガポール等々の国の代表の歌が始まる前に楽屋で『わかりあえる日まで』の英語バージョンの歌詞が配られた各国の出演者に口写しに教えるように言われた。みんな英語がわかるミュージシャンなので簡単に憶えてくれた。本番では、まずわたしと息子とMIYUKIが 日本語バージョンを歌った後、最後の最後に出演者全員が出てきて英語バージョンの『わかりあえる日まで』By the day we see eye to eye. を力一杯合唱してフィナーレを飾った。色々あって日の目を見ず無用の長物のように扱われてきた英語バージョンは世界の人々とわかりあいつながるというその生まれてきた役割を立派に果たしたのだ。1983~1992年と続いた「国連・障害者の十年」はこうして幕を降ろしたのである。
fumio

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 私的カウントダウンアルバム「水面に書いた物語 」 収録曲の今週のアクセス聴取ランキング
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10月9日(金)~10月16日(金)
ヒット数:1,153件中
    
順位( )内は前週の順位< >内は前々週の順位 

第1位(3)<3>ごめんなさい
第2位(1)<2>水面に書いた物語
第3位(2)<1>あやかしのまち
第4位(4)<5>軽々しく愛を口にしないで
第5位(5)<4>マイ・スィート・ライフ
第6位(9)<7>ときめきFALL IN LOVE
第7位(12)<11>Sentimentallady”M”
第8位(19)<14>まことのひかり
第9位(14)<19>素顔のマスカレード
第10位(16)<8>オーロラの町から
第11位(11)<10>それってⅨじゃない
第12位(13)<16>恋すれば魔女
第13位(8)<6>ラスト・ランデヴー
第14位(6)<13>わかりあえる日まで  
第15位(10)<15>はるかなるメロディ
第16位(18)<18>しあわせになれる
第17位(7)<9>女優(スター)
第18位(15)<17>プロセス
第19位(17)<12>Stay with me
第20位(20)<20>NEVER GIVE UP!

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 今週も第1位ごめんなさい と第2位水面に書いた物語 と第3位あやかしのまち の三曲のベストスリーは変わらず順位を移動するだけ。目立ったのは
第8位にあがったまことのひかり の動きぐらい。ご愛聴感謝。
fumio







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