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このところ Beatlesの
Across The Universe をよく耳にする。
ジョン・レノン自身、もう一度ちゃんと再録音したかった、と言っていたように演奏は簡素だがこの歌には多くの人の心を 捉えるなにかがあるようだ。
わたしがロサンジェルスで弾き語りをしている時、白人の客がBeatlesの Across The Universe をやってくれ、とリクエストしたので演奏すると途中の
「Jai guru deva, om,
Nothing's gonna change my world,
Nothing's gonna change my world.
Nothing's gonna change my world.
Nothing's gonna change my world.」というところを一緒に歌う。
それで、長年気にかかっていた「Jai guru deva, om,」の意味をアメリカ人でレノンのファンならわかるかと思って尋ねてみた。すると「さあ、ほら、あの、ジョンのいつもの、ほら、意味不明の…」と要領を得ない 答えが返ってきた。グルはマハリシ・マヘシ師 のような導師を指し、デーヴァは神名のように思ったが、結局ジョン・レノン以外にはわからない呪文のような気がした。ジョンは人を煙に巻くのが好きだったから意味を知りたがっている人たちをあの世で笑っていることだろう。
fumio
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最近、よくキンクスの>All Day and All of the Nightをバック音楽に使用したCMが流されるがアメリカにビートルズ以来第一次ブリティッシュ・インヴェージョンが起こりオタク・ウンチク派に受けたのがキンクスだった。わたしたちバンド関係者はみんなキンクスが好きで玄人受けするバンドだった。
以前、レナード・バーンスタインが音楽の講義をする番組があった。
かれが愛娘ジェイミーにコード進行の理論を教えている時、娘が「じゃあ、わたしの好きなキンクスのYou Really Got Me の進行は間違ってるの?」と父に尋ねた、するとウエストサイド物語作曲その他で有名な大指揮者は「あの曲は隣のコードに進行しているから合っているんだよ」とやさしく答えていた。クラシックで巨匠と呼ばれる人もキンクスを聴いているのがわかって面白い講義だった。
fumio
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ユーチューブで Rolling Stonesの
I Wanna Be Your Man を見つけたので懐かしくなってちょっとひとこと。
ビートルズが「Please please me」という曲で日本デビューしてしばらくするとローリング・ストーンズがI Wanna Be Your Man という曲でデビューした。それはリンゴ・スターも歌ったビートルズの曲だった。いい演奏で好きになった。
C.W.ニコル氏の友人だったブライアン・ジョーンズがリードギターを弾きキース・リチャードはリズムギターを担当してひたすらリズムを刻んでいた。その頃はかれらにはまだ自作曲がなかったのでビートルズの曲でデビューしたのだ。当時のかれらのパフォーマンスはのちの大成功を予感させる得体の知れない魅力に溢れていた。
fumio
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§出会い、今の共有=存在の共有
人は人と出会い、各々の『今』を共有する。そこに愛の相互照射が行われ、お互いの自己確認行動が行われる。ここに仮に2本の針金があるとしよう。Aさんという人とBさんという人が居て出会うことにしよう。この針金を、それぞれAさんとBさんに当て嵌めて考えることにする。AさんとBさんとの出会いは針金の一番端に定める。3cm毎順番に、1、2、3…と印をつけておく。この針金が真っすぐで平行の場合にはAさんとBさんの付き合いは成立しない。針金を絡み合わせることでAさんとBさんとの付き合いが成立する。AさんとBさんとの出会った地点を1と定める。2本の針金の両方に同じ力を加えた時には綺麗な弧を描いて絡み合うが、どちらかの針金に力を余計に加えたり、反対に力を加えなかったりすると綺麗な弧は描けない。両方の針金に同じ様な力が加わった場合に、先だって付けた番号も同じ番号の所で双方が接触してゆくのが分かるだろう。力が不均衡な場合には接触場所の番号もズレてゆくだろう。
『今』の共有もこの針金と同じことで、AさんBさんの両方が『今』を共有しようと望み努力している場合には、一致点で愛が満たされ爽やかな喜びや透明感を感じることができる。どちらかが一方的に望んだり努力している場合やどちらかが自分のやり方を貫き通そうとしていて、相手のやり方を認めることが出来ない場合には一致点に間隙が生じる為に愛が満たされず、何となく不満足感や不透明感が残る。例えばAさんの努力がBさんの努力を上回る時、Aさんの成長進行速度とBさんの成長進行速度とにズレが生じてきて、その分共有時間の『今』の番号にもズレが生じる。針金で考えれば簡単だと思う。AさんがBさんと『今』を共有しようと努力しているのに、Bさんは努力をしない。つまりAの針金が曲がってゆこうとしているのに、Bの針金は真っすぐ伸びたままであるということは3cm刻みでつけた番号の位置も変わってくるということなのだ。
例えばAの5番目の『今』とBの5番目の今とが重なると非常にしっくりした時間を共有できるが、Aの10番目の『今』とBの8番目の『今』とが重なると2個分のズレがあるために少し不満が残るだろう。共有時間の番号は最初は少し違うだけかも知れないが少しずつ少しずつ間隙が大きくなり、最後には『今』を共有することは全く不可能になってしまう。
成長進行速度は人それぞれに異なるが、互いに相手を成長させよう、つまり『生かそう』という努力が、『今』の共有をなるべく同じレベルで続け少しのズレで抑えて続けてゆくことができる。
§存在を愛することについて
存在するというのは、心が状態を認め識ること、つまり心が『今在る状態』を認識することだ。人間は実体を持っている。その実体の状態を曇りなく見詰め、心・魂がその状態をハッキリ認識する時に、存在していることの意味性や理由などのずっと以前に『在る』ことそのものを識るだろう。『今』というのは、その認識した状態の連続する部分そしてそれら部分と部分との間の作っているエネルギー場である。理解の為に少し簡略化して言うと、『今』とは意識と意識の間の部分を含めた連続するエネルギー場である。
『今』
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│意識│間│意識│間│意識│間│意識│間│意識│
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意識の部分にも間の部分にも実在することが『今』を形作ると言える。意識と間とは、間/意識/間というぐあいに1セットになっているのが普通で、まず『間』の部分で何かの対象を心・魂で感じ取り、それらを実体の大脳神経に伝える。この伝える部分が『意識』の部分だ。実体(大脳)に認識されたものを再び心・魂の部分に映すことで『今』の第1の部分が成立する。そしてこの連続が『今』なのだ。そしてこの連続を認識することが『存在』なのだ。
存在を愛するということは、自分或いは自分以外の生命体の実体の場と心・魂の場の連続性を認め受け入れることだ。存在を愛することは『今』を大切にすることにつながる。何故ならば何度も述べた様に、存在とは『今』の連続に外ならないからだ。『今』を大切にできない人は、存在を大切にする方法が分からない。存在することを大切に出来ない人は、結局『無』の方向へとつながるエネルギー場に立つことになる。存在の対極にあるものが『無』だからだ。存在を丸ごと認めることの出来ない人は分断された『今』の破片と付き合うことになるだろう。存在を丸ごと認めない、愛せないということは自分或いは自分以外の生命体の『今』の連続性をも無視しかねないことなのだ。この存在の連続が『生命』であることから考えると、自分或いは自分以外の生命体の存在自体を愛せないということは積極的では無いにしても、自分や自分以外の生命体を『無のエネルギー場』へと送り込む行為につながるだろう。そして、この行為は宇宙生命潮流からの逸脱を意味している。
どんな生命体でも愛せる-もし愛せないと言う人が居るなら、その人は大切な事を誤解しているに違いない。愛は『無』から作るものではない。愛は元々、全ての生きとし生けるものの中にある定理なのだから。生かす、生きて行くというエネルギーの力として、愛がそこに在る。生命、愛の定理は大自然・大宇宙に偏在する生成エネルギーの法則なのだから『在る』わけなのだ。人は人と出会い、その人の中に光る愛を見付けるだけなのだ。
生命体の個体差によって、見付け易い場合と見付けにくい場合とがあるが、決して『無い』わけではない。この点をよく覚えておいて欲しい。
15 JUL 1989
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筒状に貼り合わせた紙を見てごらん、創造力の飽和点と破壊力の飽和点は隣合わせているのが理解出来るだろう。
厳密に言うと、この創造力と破壊力の飽和点の間には『間(魔)』がある。この『魔』を理解することは一般的に必要ではないが一応説明しておこう。『魔』は聖邪併せ持つ場だ。創造力の飽和点と破壊力の飽和点との交わる『エネルギー域』で、これを使うことは普通の生き方をしている状態の個体には無理なことだ。生まれ持つエネルギーの量と質及びその個体の成長過程での訓練度によって『魔』を使いこなせるかどうかが決まる。非常に僅かな個体が『魔』を理解出来る。そしてその中でも些少の個体が『魔』を使いこなせる様になる。自分に素質があると思われる個体は自他共に気付いていることが多いものだ。素質を持つ個体は多くの試練と訓練(グルと呼ばれる師が携わる)を経て『魔』に接する。
筒状のモデルによって、創造力と破壊力が隣合わせるものだということを理解して貰えたと思う。では先だって設けた中庸点はどこにあるか?そう、両方の飽和点から最も遠くに位置している筈だ。完璧な中庸点は聖邪、創造・破壊、など相反するエネルギーから最も遠くに位置するものなのだ。簡単に『双方のバランスを取る』と人は言うが実は非常に難しい事であることが分かるだろう?
ここで『飽和点』ということを考えて欲しい。飽和は最大限まで満たされた状態だということは既知のことと思う。では、その飽和から最も離れた『場』である中庸とは、どんな性質のエネルギー場なのだろうか?最大恨まで満たされた状態の反対側に位置するつまり最小限まで空いている状態、未だ創造エネルギーにも破壊エネルギーにも変換するという固定された流れを持たない状態という風に理解できるだろう。
飽和とは最大限にまで満たされた状態で『充足』とは異なる。充足は欠乏との相互作用のエネルギーなのだ。充足と飽和とを間違えないように。中庸点の性質はこの様に無方向・無性質な為に『空』の状態とも呼ぶ。『空』は『悟り』の状態として知られる言葉だ。多くの人々が辿り着きたいと願っている状態でもあろう。人はこの『空』に近付きたいと思って『聖なる方向』と近付く。それを諦めても聖なる方向性から邪なる方向性へと少し変化するだけだ。その人が筒状の紙のどの辺りに位置しているかも問題だが、要は平面的な思考移動や感覚移動だけでは『空』に至ることは不可能だということを理解しなくては『空』から遠ざかるばかりだということなのだ。禅で『あなたはもう既に悟っている』『空を求めても手に入らない』といった類いの言柴を言うが、先程も述べた様にこの中庸点つまり『空』は無方向・無性格性のエネルギーなので、何かになろう、何かをしようと方向を自分で定めた時に、あなたは『空』から出発してしまうという事なのだ。
方向を定めた途端に人はある到着点(結果)を求め、定めてしまう。存在とは『今』の連続なのだから『未来』に到着点を定めた途端に、その人の目は『今』の連続する時間帯から『未来の連続する時間帯と移行してしまう。『結果』を追い求めたら『今(存在)』の意味が見失われてしまう。過去・現在・未来という時間の流れは、あなたが『今居ること』を現在だとしたら両脇を流れる川の様なものだ。あなたの右側に『過去』という川が流れ、あなたの左側に『未来』という川が流れている。そしてあなたの前後には『今』という川が流れている。過去は終わり続ける時間、未来は始まり続ける時間。そして『今』は在り続ける時間なのだ。
未来ばかりを見詰めようとすると『出発』の連続になり『過去』ばかりを見詰めようとすると『終結』の連続になる。だから『今』しかない。『今』が一番大事、『在り続ける今』を愛することだ。これがつまり『存在』を愛することなのだ。『今は駄目だけど、将来にはできる』というのは『今』じゃなくもっと先に出発点を設けているのでいつまでたっても存在しないことになる。どんなに追い掛けても追いつかないのが未来であり過去なのだ。そしてどんなにそこに存在しようとしても存在できないのが未来であり過去なのだ。
だから『今』できないことは『未来』にもできないし『過去』にもできなかったことなのだ。だから『今』愛せないと、どの時間にも愛せない。今は連続している。あなたの目の前、あなたの後ろ…あなたは一体どの辺りの『今』に居るのか知らない。知る必要もないだろう。『今』が一番大切なのだから…
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存在と時間と愛
『今』のこと
人は結果を追う時『今』を見失う
『存在』とは『今』の連続
『スタイル』は結果である
創造力の飽和点で創造が行われ、創造力の賜物として何物かが産まれる。破壊の飽和点で破壊が行われ、破壊力の賜物として何物かが産まれる。飽和点に至るまでに膨大なエネルギーが消費される。飽和点に至るまで膨大なエネルギーが消費されるにも拘らず、何も行われない、何も産み出さないのが『無』とそれに付随する関係である。
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§中庸点、バランス点について
物事を説明する時に人はよく一枚の紙上に図を描いて説明するが、例えば創造力の飽和点と破壊力の飽和点、そしてその中庸点を描くとしたら、どう描くだろうか? 恐らく紙の両端に創造力と破壊力を分けて描くだろう。(A)が創造力の飽和点(B)が破壊力の飽和点だとすると中庸点はどこにあるか?一般的に人は創造力と破壊力の双方から測って同じだけ離れている点を中庸点だと思うだろう。そしてそこがいわゆるバランス点だと思うだろう。
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│(A)創造力 中庸 (B)破壊 │
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そしてこれが勘違いのもとだ。創造力の飽和点と破壊力の飽和点は、本来拡げた紙という二次元の世界の上で説明出来るものではない。紙を筒状に貼り合わせてみて初めて理解出来るようになるだろう。
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大衆は飼い慣らされた羊の群れだ。
自分達には何もできないと思わされ教育されて来たが、決してそうではない。
あなたがたが体制と呼ぶ怪物の中枢を握るのは、ほんのわずかな人達で実は体制の本体を支えるのは自分達ひとりひとりだと気付かなくてはならない。それに気付いた時、自分達が動く事で体制を動かせる事に気付くだろう。ほんのひと握りの権力者達の意のままに動かされていると思っているが実は自分達こそ、それを支えて動かしているのだ。
結局は、自分に帰る。
個の話をするのに全体を話さなくてどうするのか?
個の確立が無い限り、全体の確立はあり得ない。それだからこそ、私達は、個人レベルのことを大きな命題としてとらえる。全体をとらえようとすれば、個の問題をこそ突きつめてゆかねばならない。しかし、盲点がある。個の問題を突きつめるという事は個の問題にこだわるという事では無く、ましてや個の問題に終わらすという事でも無い。
この点を取り違えたのが欧米社会である。個人主義と利己主義の取り違えにつながるので大いに注意を促したい。個の問題の向こうに横たわる全体の問題を常に横目でチラチラとみながら、つまり常に全体を意識して個としての問題という風にとらえなくては意味がない。個の問題から全体へとつなげる為にも。
命とは個の問題であり全体の問題である。ほんの少しでいいから命の尊厳について沢山の人が考えてくれるなら、この地球はずっと良くなる。
5/22
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今日は『愛する事』について少し我々の考えを伝えておこう。
人は本来自分以外の生命体を求め愛する事で成長してゆく筈だが現状ではその機能が果たされていない。それは何故だろうか?と考えてみた事があるか?この事を調べていて、自分の生命を分かち与える行為を『愛する』と呼ぶという事が意外に知られていない事実に我々は気付いた。そして残念な事には『命』の意味するところのものを理解出来ていない人が殆どであるという事も判明した。
『命』とは大きく分けて2つの流れで出来ている。それは『人』の要素と全く同じで、つまり物質的な要素とより精妙な霊的物質とで出来ていて双方の方向性はプラスとマイナスになっている。物質的肉体はその細胞生命維持と保全の為に機能し、霊体はその母胎である宇宙生命の流れに沿って肉体を含む全人格の進化を促進するために機能する。多くの人々は物質的な体の機能のみに拘泥している様子だ。これは大変情けない事だが、人間が物質文明の栄華を追う事に奔走し続けた結果と言うほか無い。物質文明の栄華に奔走した結果、『見えるもの、触れる事が可能なもの』つまり物質的なものしか信じない人種が成立してしまった。太古の昔から綿々と流れてきた精神文明と、その担い手である魂、或は心と呼ばれる人間の霊的な体の方は軽視されているのが現状だ。霊的な体の持つ宇宙指向性が機能していない人間の行き着く先は、人間が最も恐れているであろう破滅でしかない。
物質的生命の機能が霊的生命の機能を上回っている状態の人間にとっての『愛する』行為は細胞生命維持機能に則したものでしかない。つまり平たく言えば細胞生命の意図する子孫繁栄指向性に裏付けられた行為が中心に据えられたものでしかない。
あなた方プロジェクト要員は、プロジェクト遂行の為に如何なる努力も惜しまないであろう。しかし、いつもこの本来の意味においての『愛する』という事を念頭においておかなければならない事を覚えておいて欲しい。あなた方が霊的にも物質的にも愛し合い励まし合う事、つまり全人格的にお互いに関わり合う事で、我々とのコミュニケーションも円滑に行われひいてはプロジェクトもうまく機能するのである。全的に認め合い、受け入れ合う事がコンタクトの意味するところであり、コンタクトとは部分接触では有り得ない。少なくとも我々の方法では無い。我々は、あなた方の全人格的な成長を軸にプロジェクトを遂行しているからである。以上の事をコンタクト第2期の年頭の今、よく考えて貰いたい。
そして、もう一度コンタクトの一番最初の自分の意識状態を思い出し現在の意識状態と較べてみて欲しい。
宇宙連合・銀河連合地球救済計画進行委員会
1988年3月26日
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ARIONより 光の子らへ
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あなたがたは遊園地の観覧車に乗って風景を眺めていてはいけない。観覧車はあなたがたに同じ場所からの見方しか提供しない。あなたがたは自分自身を回転する車輪にしてしまいなさい。その車輪の中心にこそ、あなたの「心」を据えなさい。そうして「心」はいつもしっかりと保ちながらあらゆるところへと転がってゆく勇気を持ちなさい。
あなたがたのあずかり知らぬところで火の手は上った。この火の手はジワジワと、しかし確実にあなたがたの地図を焦してゆくだろう。火の手をさける為には風上へと転がらねばならないだろう。そう、風の吹いてくる方向へと顔を向けながら、しかし「心」はちゃんと火の手を見つめて転がってゆきなさい。
あなたがたは固定された風向計になってはいけない。自らの力で転がってゆく、愛の車輪となりなさい。あなたがたの心に希望と愛が在る限り、私達は、あなたがたと共に居るのだから。
---ARION,O∴O---
OCT.1.1990 17:45~18:00
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〔カミ・コメ・ツチ・ヒト〕
カミとヒトの間には、コメとツチがある。
カミはコメとツチによってヒトを養い、
ヒトはツチに働き、コメを供することでカミと交わる。
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万物霊象、精霊のこだま。カミとヒトの間の万物の移り替わり。
これらは全て、カミとヒトとの間の契りの移り変わりを示す。
日本の民がコメとツチを失い始める時、流砂の中の磐としての列島は、流砂の流れに止まることを忘れるだろう。
大地が血を噴き上げ、その身体をよじって嘆く時に、木々も身を潜め、鳥は住処(スミカ)を失うだろう。
ツチとコメをないがしろにすることの先にあるものは、ツチの無い大地と実りの無い稲刈りだ。これを、そのままカミとヒトとの契りの言葉に直すと、中身の無い身体と、創造の期待の出来ない人間関係だ。
つまり、肉体があっても肉体の機能の低下した人間と、生殖器があっても、子を成さない男女関係、そして目的の無い破壊だ。これはカミとヒトとの契りであって、カミの一方的な怒りの表現では無い。一人一人の顕在的・積極的・意志的な契りでは無いが、ヒトは、その意図と予定を自分たちの大地に表現することになっているのだ。
あなたがたが、よく話題にするナスカの地上絵も、契りの表現の一つだ。古墳や大規模な石造建築も同様だ。大昔から、ヒトはカミと契りをしてきた。
カミ・コメ・ツチ・ヒト、これが基本的な世界の構図だったのだ。カミは神ではない。カミは人間の似姿ではない。カミは、万物霊象のオコリだ。
ヒトがオコル時、カミである万物霊象のオコリである揺すぶりを受けていた。しかし、今、ヒトは人間となり、オコリでは無くイカリ(怒り)を表現する。オコリとイカリは異なる。オコリは大きなカミの身休的な揺すぶりであり、イカリは小さな局部的な滞りだ。
あなたがたは、恐らく上記のことを論理的に解釈しようとしても理解は出来ないだろう。あなたがたの中にある、カミ・コメ・ツチ・ヒトが理解するのを待たねばならないだろう。
---ARION,O∴O---
1991/07/04/3:52
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From ARION,O∴O
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物質的な波動により近い波動を持った人間は物質的なものにとらわれやすい。
他人を妬む人間は逆の面から見れば「そうなれない自分」を嘆き悲しんでいる状態を認めていることになる。
素直に自己表現しないで屈折した表現をする時、人は「当然これはバカな事」と識っているからこそ、表現する以前に判定をつけてしまっているからこそ素直にストレートに表現できなくなる。本心をだますのは至難のワザだと言うのはこのことからもわかる。
自分に起きる事柄について、いつも自分の外に理由を見い出そうとしていると最終的には自分の1番欲しいものまで自分の外に発見するだろう。つまり、いつも誰か、あるいは何かに依存したり」、自分の責任じゃないと逃げていると他力本願の世界におちいってゆく。全く自分のせいじゃない『自分は関係ない』と思う心、『誰かが何かをしたから自分はこうなったんだ』と思う生活を続けていると幸福も喜びも全て自分の外側にしか実現しなくなる。外側に実現してしまった幸福を自分のものにしたいなら、全てが自分自身に起因することを認めることから始めなくてはならない。しかも、「自己憐びんの甘い罠」にとらわれないように気を付けながら。
井戸の底に映っている青空は本物じゃない。本物の空は頭上にある。
'89 11/22 14:52
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光よりの光、オリオンの神の座より来たりて伝える
我が名はアーリオーン、愛の真実を伝える
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光の子らに伝える
薄明かりの中に在りて」現状を言葉で表せばこうなる。この薄明かりを夕刻の光と取るか、暁の光と取るか? それは、あなたがた次第のことだ。
太古の力は大地を通じて心ある人々の魂に揺さぶりをかけてゆく。後ろを向く者にとっては、後ろが未来で、前を向く者にとっては前が未来だ。人は自分の身体を中心に前後に未来と過去を持っていると思っているが、本当のところは自分の意識の向かう方向が未来なのだ。
大体において人は自分の意識の方向へ顔及び身体の前面を向けるという傾向があるので、自分の身体・顔の方向に未来があると思って良い。ところが、このところ人は知っているのにウソを付いたり、わかっていても悪いことをしたり…と自分の魂にそぐわないことばかり繰り返している為に、自分の立っている足先さえ見えなくなり、自分の居場所すら信じられなくなってきている。その結果、何が起きるかわからない未来、つまり前の方向を向くことができなくなってきている。(既に通った道は磁性化されているので向き易い。)
本当の未来ではない方向へ顔を向け、(例えば後ろ向き)昔から何も変化していない…と思いこもうとする。後ろ向きの未来は常に自分の経験してきた道の繰り返しに過ぎないので、何も変化していない様に見えるが、まずこういった人々は、自分を客観的に離れて見ることはしようとしないので、自分が右往左往していることには気付かないだろう。磁性化されていない見知らぬ方向へと身体を向けるのは、勇気のいることだがその方向にしか未来は無い。
光の子らよ、勇気を持って未知の未来へ一歩を踏み出しなさい。
---ARION,O∴O---
JUNE.21.1990
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ARIONより全ての人へ
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私は、1993年までに全力を挙げて「本当のこと」を追求して欲しいと、以前伝えたが、これがどうもオカシナことに「1993年に何かが起こる」と誤解されているようだ。1993年に何かが起こるのではなく、それは既に始まっている。私が1993年まで、と言ったのはその後に続く1994年、1995年のことを考えてのことで、1993年が「関が原」となるという意味では無い。この年までに、全力を挙げておかないと後が切り抜けにくくなるということだ。くれぐれも誤解の無いように。
地球を含む太陽系は、新しい変革のバイブレーションに影響されているが、これは1990年頃に影響が表立って現れてきたのであって、それまでにも少しずつ影響下にあったのだ。こういった波動の帯は、地球上の年度交代のようにキッチリ何年から、という風に変化する訳では無い。
1993年までに努力して貰いたいと言うのは、1994年、1995年と続く新世紀の為の、懐妊状態の地球の負担を軽くしようということだと解釈して欲しい。懐妊状態とは、新しい創造の為に孕んでいる状態と解釈して差し支えない。
特に、あなたがた日本人は先祖代々受け継いできたモノ(力と言っても良い)を、新世紀に失うか、どうかの瀬戸際にあるので、頑張って欲しいと思う。日本人、日本という言葉が歴史書だけの記録とならない為にも。その為に、何を具体的にするか?あなたがた、一人一人が次にあげる事等を真剣に考えてみて欲しい。
「明日、死ぬとしたら、今、何が大切なのか?」
「政治や経済から目を背けず、何が行われているか見張る」
「たった一人の実行でも理想は現実となる」
「他人にも自分にも正直であること」
「嘘と方便は異なる、嘘は相手も自分も活かさないが、方便は活かす為にある」
「自分と自分の身内だけ良ければいいという考え方が、この日本を駄目にした」
「当たり前のことを当たり前と言えない、表現できない社会を作るな」
「自分と呼ぶ個体は、この世界中に満ちている」
流言飛語に惑わされずに生きる為には、自分の歩く方向に自信を持てなくてはならない。その為に、一瞬一瞬を精一杯生きることを目指して欲しい。あなたがたに出来ることは沢山あるのだ。まず、あなたから今までの考え方や生き方を検討してみて欲しい。
---ARION,O∴O---
91/06/07 22:24
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