monologue
夜明けに向けて
 



今週の「GRACE ofJAPAN」は秋田県男鹿市の赤神神社(あかがみじんじゃ)を採り上げていた。一般には赤神神社五社堂として知られている。
ウイキペディアによれば、
「72年(景行天皇2年)(80年(景行天皇10年)とも81年(景行天皇11年)ともいう)、赤神と称した漢の孝武帝が天から降りてきたという伝説がある。一方、縁起によると、860年(貞観2年)、慈覚大師円仁が当地に来て赤神山日積寺永禅院(永禅坊とも)を創建したのに始まり、1216年(建保4年)、比叡山の山王七社を勧請して造営されたが、うち2社が廃れたため五社堂となったとする。」ということだがどうして日本の秋田県男鹿で漢の孝武帝を祀らねばならないのか腑に落ちない。慈覚大師円仁が勧請したという比叡山の山王七社の山王とは天照国照彦天火明櫛玉饒速日(ニギハヤヒ)命のことなので結局赤神とは孝武帝のふりをしたニギハヤヒらしい。円仁は赤神の秘密を見破って山王を勧請したようだ。
fumio

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神奈川県横浜市中区山手町114に「 港の見える丘公園(みなとのみえるおかこうえん)」と称する公園がある。この名称は昭和22年東辰三作詞作曲、歌手平野愛子でヒットした流行歌『港が見える丘』に由来するという。原曲を聴いたことがない人も映画「男はつらいよシリーズ〈リリー篇〉」(男はつらいよ寅次郎忘れな草、男はつらいよ寅次郎相合い傘、男はつらいよ寅次郎ハイビスカスの花、男はつらいよ寅次郎紅の花)などで売れない地方回りのクラブ歌手リリーに扮する浅丘ルリ子が歌う持ち歌として耳にした人は多いだろう。作詞作曲をした東辰三はコーラスグループ、コロムビア・ナカノ・リズム・ボーイズ でバスのパートを受け持ちこの山寺の和尚さんでは2番でリードをとっている。本名は山上松蔵で赤い鳥 の「翼をください」などで有名なヒューマニズム系の作詞家山上路夫の父として知られている。かれ東辰三は日本のジャズポップス界の草分けアーティストだった。戦後間もなく発表した『港が見える丘』の詞と曲に秘められた感性には感心する。数年間の活躍後1950年(昭和25年)9月27日、50歳の時脳溢血によりスタジオで急逝されているが息子はその詞の才能の方を継いだようだ。合掌。
fumio

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私的カウントダウン、アルバム「水面に書いた物語 」、「プロセス」「カリフォルニア・サンシャイン」「ひかりのくにへ」「現代の愛 」シリーズインストルメンタル曲集「夢神楽」などの今週のアクセス聴取ランキング
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9月19日(金)~9月23日(金)
ヒット数 552件中  
順位前週前々週 
第1位(1)<1>祭りの夜
第2位(3)<2>夢の旅
第3位(4)<6>はるかなるメロデイ
第4位(7)<3>あやかしのまち
第5位(6)<->水の中で
第6位(10)<5>水面に書いた物語
第7位(16)<12>ごめんなさい
第8位(11)<16>そしてなにが残った
第9位(15)<->しあわせになれる
第10位(9)<7>マイ・スィート・ライフ
第11位(8)<17>ラスト・ランデヴー
第12位(23)<19>わかりあえる日まで
第13位(5)<8>素顔のマスカレード
第14位(-)<->まことのひかり
第15位(25)<->Wake you
第16位(-)<->それってⅨじゃない
第17位(2)<15>小舟がひとつ
第18位(13)<13>軽々しく愛を口にしないで
第19位(12)<9>STAY WITH ME
第19位(19)<->Sentimental lady ‘M’
第20位(-)<->夢神楽
第21位(-)<->
第22位(-)<->オクラホマシティナイト
第23位(-)<->恋すれば魔女
第24位(-)<->Never give up!
第25位(-)<->光闇ツアー

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今週は25位に光闇ツアーが入ったのに驚く。曲が複雑なのでこれまであまり聴かれなかったらしい。ご愛聴感謝。
fumio

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昨日、25日、将棋順位戦B級1組5回戦一斉対局が行われ、将来名人を争うであろう注目のライバル対決▲佐藤天彦七段-△豊島将之七段戦が大阪将棋会館御下段の間で行われた。豊島将之七段の後手ゴキゲン中飛車を佐藤天彦七段が超速3七銀戦法で撃破した。佐藤七段はこれで今期B級1組で五連勝して5勝0敗、順位戦連勝記録を18に伸ばした。この分ではB級1組を一期で抜け来期A級に駆け昇りそう。はたしてA級でも連勝できるだろうか。
fumio

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このところの格安スマホブームでパソコンとガラケーで十分といっていた妻がついにスマートフォンを買ってきた。
初期設定がむづかしいので店の電話指導でスマホの設定をやっと終えた。それから使用法がさっぱりわからないのでわたしに教えてくれというのでわたしがまず3日間そのスマホを触ってみて基本操作を覚えてから妻に教えた。どんな便利なものでも慣れるまではむづかしい。これで妻も時代に乗り遅れず生活できそうだ。
fumio

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今週の「GRACE ofJAPAN」は「なまはげ神事」で有名な 秋田県男鹿市北浦真山字水喰沢97に鎮座する真山神社を採り上げていた。
社史によれば、12代、景行天皇の御世、武内宿禰(たけのうちのすくね)が北陸北方地方視察のあと男鹿半島の秀峰、湧出山に登り、使命達成、国土安泰、武運長久を祈願して瓊瓊杵命(ににぎのみこと)、武甕槌命(たけみかづちのみこと)の二柱を祀ったことが始まりで平安時代以降、円仁慈覚大師によって湧出山は二分され、北を真山、南を本山と称し天台宗僧徒によって比叡山延暦寺守護神の赤山明神と習合し明治維新以後は、神仏分離令により元の神域に復し、名称も赤神神社から真山神社と改められる。
「主祭神は
瓊瓊杵命(ににぎのみこと)
武甕槌命(たけみかづちのみこと)
合殿神は
天照大御神(あまてらすおおみかみ)
豊受大神(とようけのおおかみ)
豊玉毘女神(とよたまひめのみこと)
少彦名神(すくなひこなのみこと)
大山咋神(おおやまくいのかみ)
大名持神(おおなもちのみこと)
塞神三柱神(さえのみはしらのかみ)」となっているので日向系の神社であることがわかる。しかし「なまはげ」といえば出雲系のスサノオのことなので腑に落ちない。習合された赤山明神に秘密がある。
それは円仁が入唐中冥加を得た中国山東省の赤山の神,泰山府君を勧請し,京都の修学院にある赤山禅院にまつったものだが安倍晴明が使った陰陽道の最高奥義「泰山府君の祭」の泰山府君とは祇園祭りの祭神「スサノオ」。真山神社も表向きは日向の祭神を祀り特殊神事では裏の祭神「スサノオ」が活躍するのである。
fumio


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昨夜、1時頃、灯りをつけてふと見ると玄関の床をコオロギが歩いていた。変な気がした。この家の中に虫が入ってくることはほとんどないから。2時頃、トイレに起きると、ドアを閉めてあるトイレの中にそのコオロギがいた。玄関の上がり框をのぼってトイレに入ったらしい。むづかしかっただろう。そして朝5時に起きてトイレに行くともうそのコオロギは消えていた。捜しても家の中には見当たらずまた玄関から出て行ったのかと思った。朝、玄関の前を歩いてもコオロギらしきものの姿はなかった。彼岸なのでだれかがコオロギの姿をとってやってきたのか。不思議な気がした。だれだったのだろう。
fumio

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彼岸のせいなのか、わたしの意識にMR.HERB YATES(ハーブ・イェーツ先生)が浮かびあがってきた。もう亡くなっているのだろう。
わたしは渡米後、政府が援助して授業料がタダの学校があると聞いて私立の学校から転校することにした。それはアダルト・スクールで大人を対象にしてENGLISH AS A SECOND LANGUAGE (ESL) PROGRAM、すなわち英語を第二国語とする人を育成することが目的の公立校だった。そこは学校とはいうもののそれらしくない家具屋の二階で授業料はまったくのタダではなく半年に50セント。一応払っているという形をとっていた。米国政府の対外政策は毎年変わりその年はパーレビ王政権下のイラン人留学生を大量に受け入れていた。ミスター・イェーツはその学校の先生。かれはわたしの人生で出会った中で最高の先生だった。授業を劇のように進めて生徒たちの興味を惹いた。プロフェッサー(教授)と呼ぶとわざと喜んでみせ、生徒が厳しいことを言うとウウッ、と胸を抑える。いつも楽しく身振り手振りを交えて教えた。インディアンとアイルランドの血が流れているといい、セント・パトリック・デイには緑の服を着てきた。わたしが学校へオリンピック通りを歩いていると車で拾ってくれた。毎週金曜にはそれぞれの生徒に得意なことを披露させてわたしにはギターの弾き語りのミニコンサートをさせたり、姓名判断や手相を見させた。それでわたしはミスター・イェーツは外国に関係のある仕事をする相が出ていると言った。そんなある日、クラスに入ってきてわたしの席の後ろに座ったのが現在の妻である。それで妻もミスター・イェーツの教え子になった。今も、妻とミスター・イェーツの話をすると互いに「いい先生だったね」とうなづく。
Mr.Yates,
Thanks for having taught us.
We love you!
fumio

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私的カウントダウン、アルバム「水面に書いた物語 」、「プロセス」「カリフォルニア・サンシャイン」「ひかりのくにへ」「現代の愛 」シリーズインストルメンタル曲集「夢神楽」などの今週のアクセス聴取ランキング
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9月12日(金)~9月19日(金)
ヒット数 302件中  
順位前週前々週 
第1位(1)<1>祭りの夜
第2位(15)<->小舟がひとつ
第3位(2)<3>夢の旅
第4位(6)<5>はるかなるメロデイ
第5位(8)<22>素顔のマスカレード
第6位(-)<->水の中で
第7位(-)<->UFO ROCK
第8位(17)<11>ラスト・ランデヴー
第9位(7)<6>マイ・スィート・ライフ
第10位(5)<9>水面に書いた物語
第11位(16)<10>そしてなにが残った
第12位(9)<8>STAY WITH ME
第13位(13)<16>軽々しく愛を口にしないで
第14位(4)<4>オーロラの町から
第15位(-)<->しあわせになれる
第16位(12)<7>ごめんなさい
第17位(3)<2>あやかしのまち
第18位(11)<12>ときめきFALL IN LOVE
第19位(-)<->Sentimental lady ‘M’
第20位(-)<->セイ・トゥ・ミー・マイ・ベイビー
第21位(-)<->わんだふるわーるど
第22位(22)<->Good-bye Sue
第23位(19)<->わかりあえる日まで
第24位(-)<->今すぐに
第25位(-)<->Wake you

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今週は先週15位の小舟がひとつが2位に上がってきたのが目玉。
参考までにこのブログのアクセス数を述べておけば、一昨日の記事「ロサンジェルス発祥の地」のアクセス数は閲覧数4,149で昨日の記事「口笛と指笛の違いが聞き分けられるだろうか 」は閲覧数2,182だった。ご愛聴感謝。
fumio

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わたしは小学生時代からの友達淵田茂美がハーモニカでその頃流行っていた歌をなんでも吹いたことに衝撃を受けて口笛や指笛でなんでも吹けるように練習したのだがあなたには口笛と指笛の違いが聞き分けられるだろうか。指笛は鋭く美しいけれど口笛は息使いが感じられて人間臭い。シングル盤「カリフォルニア・サンシャイン」のB面セイ・トゥ・ミー・マイ・ベイビーの間奏には指笛を使い、夢の旅には口笛を使用している。聴き手にとっては大した違いはないかもしれないがやはり曲によって用途が変わり使い分けているのである。
fumio

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ロサンジェルス西南区クレンショー地区10thアベニューにあった日本人学生がシェアハウスして共同生活している大きな家に居候させてもらっていた頃、夜みんなでオルベラストリート(オルベラ街)に遊びに行こうということになった。わたしはそのころ付き合っていた妻を同伴した。オルベラストリートは1779年から1781年にかけてメキシコから移ってきた人達が住み着き「天使たちの女王の広場(El Pueble de Nuestra Senora la Reina de Los Angeles de Porciuncula)」と命名した街。それがロサンジェルス(Los Angeles)の由来なので、ロサンジェルス発祥の地とも呼ばれる。
オルベラ街はレンガ敷きの小さな路地でメキシコ料理店や土産物屋が軒を連ねている。わたしたちはそのうちのクラブらしき店に入った。みんなで酒を飲んでいるとステージで大きなギターや小さなギターなどを抱えたメキシコ音楽のショーが始まった。そしてなにか歌を歌えと客席をまわる。わたしたちが日本人であると気づくと「上を向いて歩こう」を歌い始めた。そして一緒に歌えと促す。友達がみんなでわたしに奨めるのでわたしは席を立って妻とステージに上がった。バンドがバックを弾き始めるとバンドの歌手がリードするように歌うのでわたしもマイクを持って歌った。すると途中でバンドの歌手は歌うのをやめた。それでわたしは「上を向いて歩こう」を初めから最後まできちんと歌った。店中がどよめき拍手で湧きかえった。「上を向いて歩こう」は米国で1位になった曲で大好きだったので幸いそのとき歌詞を覚えていたのだ。あれから数十年たったけれどロサンジェルスに行ってオルベラストリートに遊びに行く日本人は「上を向いて歩こう」を歌わされる可能性が強いから練習しておいた方がいいなどと思う。
fumio

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幼い頃からのお母さんを亡くした小学生以来の友達、淵田茂美の家に新しいお母さんが来た。飲み屋で働いていたということで着物が似合う世なれた感じの人だった。茂美はべつにそのことに対してなにも言わなかった。わたしの方がその新しいお母さんになじめずあまり茂美の家に行かなくなった。わたしに衝撃を与えて音楽を志させた茂美は飽きたのかよく吹いていたハーモニカを吹かなくなった。ハーモニカはただの一時の遊び道具で音楽にはそれほど興味を持ってなかったのかもしれない。 わたしは中学二年になると隣のおじいさんがくれたただの竹の管のような尺八から苦労して音を出してその頃流行っていた「北上夜曲」を吹けるようになった。そして尺八の音階が使えるヨナ抜きの歌ならなんとか吹けるようになった。高校に入ると洋楽に目覚めギターを練習した。茂美は高校ではタイプクラブで活躍していた。それぞれ進む道は違ったようだ。淵田茂美、ありがとう。きみがあの日ハーモニカで動機を与えてくれたおかげで音楽を一生の仕事とすることができた。
口笛、指笛、尺八、ギター、ブルースハープ(ハーモニカ)、ベース、シンセサイザー、ヴォーカル、となんでもかんでもやってきた。その始まりにきみがいたことに感謝…。
fumio

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わたしには小学校一年二年を一緒のクラスで過ごした同じ町内の淵田茂美という友達がいた。
かれのお母さんはかわいくてきれいで町内にある日本映画館島原劇場(八雲座)の入場券売りをしていた。それでわたしはいつもただで入った。
茂美はある時、ハーモニカを買ってもらったといってわたしに見せびらかした。そしてそのころ流行っていた三橋美智也の曲を吹き始めた。それだけではなく知っている曲ならなんでも吹けるといってわたしのいう曲を全部吹いた。わたしはびっくりしてしまった。それがわたしの音楽を始める動機になった。ハーモニカはないので茂美を目標にして口笛や指笛でなんでも吹けるように練習したり歌を練習した。
そしてわたしが中学生になったある日、記念に父が自分が愛用していたコニカのカメラをくれた。
わたしはなにを撮ったらいいのかわからず、憧れていた茂美のきれいなお母さんに被写体になってくれるように頼んだ。
島原劇場の横の広場で初めて触る写真機をおどおど操作して近づいたり離れたり何枚も何枚も撮った。お母さんはまだ若くてうれしそうだった。
それからしばらくして近所のおばさんが突然わたしの家に来て「淵田さんの写真をください、この間撮ったでしょ。淵田さんのお母さん、電車にはねられて死んだの。葬式の写真がいる」という。その時は気づかなかったが電車にはねられたというのは嘘だった。のちに知ったことは茂美のお母さんは恋人と心中を図ったということだった。わたしはその時、大人の世界の不可解さを垣間見た。あのすてきなお母さんがどうして死んだのか、裏にそんなどろどろを抱えて生きていたなんて…。合掌。
fumio

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京都は千年の都だけど古くて新しい町で全国に先駆けてなにかが始まる。
ディスコやゴゴー喫茶も早かった。ライヴスポットも多かったが 「オペラ 」という ダンス喫茶 に弟と入ると「ユー・リアリー・ガット・ミー」や「オール・デイ・アンド・オール・オブ・ザ・ナイト」などキンクスの曲ばかり演奏しているロックバンドがあった。そのバンドのベースプレーヤーは途中から一点を見つめて憑依状態になり客席まで近づいて来て危ない感じだった。そのバンドのギタリストは日本人なのに髪を金色に染めブーツに細い縞ズボンでキンクスのギタリスト、デイヴ・デイヴィスそっくりだった。プロらしくパワーコードで演奏するのでキンクスの雰囲気がよく出ていた。そしてしばらくして「月世界」というゴーゴー喫茶に行くとそこでも「オペラ 」のバンドが演奏していた。弟がそのバンドのギタリスト「シバ マサキ」と仲良くなって家に連れてきたので一緒に演奏した。ベースも弾けるというのでわたしの反核反戦歌「そしてなにが残った」のベースを弾いてもらった。ビートルズの「レイン」でポールが弾いているような奏法で弾いてほしいと注文するとその通り弾いてくれた。それから「シバ マサキ」は家によくやってきた。髪はビールで色を抜くといっていた。万博会場でも演奏したという。わたしが渡米して以来接触がなくなったが今頃どうしているだろうか。「シバ マサキ」あの頃きみは時代の最先端を走っていた。かっこよかったよ。出会えてよかった。元気ならいつかまた会おう。
fumio

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私的カウントダウン、アルバム「水面に書いた物語 」、「プロセス」「カリフォルニア・サンシャイン」「ひかりのくにへ」「現代の愛 」シリーズインストルメンタル曲集「夢神楽」などの今週のアクセス聴取ランキング
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9月6日(金)~9月12日(金)
ヒット数 594件中  
順位前週前々週 
第1位(1)<1>祭りの夜
第2位(3)<2>夢の旅
第3位(2)<5>あやかしのまち
第4位(4)<->オーロラの町から
第5位(9)<3>水面に書いた物語
第6位(5)<4>はるかなるメロデイ
第7位(6)<7>マイ・スィート・ライフ
第8位(22)<22>素顔のマスカレード
第9位(8)<25>STAY WITH ME
第10位(-)<->今すぐに
第11位(12)<14>ときめきFALL IN LOVE
第12位(7)<10>ごめんなさい
第13位(16)<23>軽々しく愛を口にしないで
第14位(20)<->手をかざしてごらん
第15位(-)<->小舟がひとつ
第16位(10)<6>そしてなにが残った
第17位(11)<24>ラスト・ランデヴー
第18位(23)<15>Sentimental lady ‘M’
第19位(-)<->わかりあえる日まで
第20位(19)<->それってⅨじゃない
第21位(-)<->まことのひかり
第22位(-)<->女優(スター)
第23位(-)<->シャンバラのほとりで
第24位(-)<->愛し疲れて
第25位(-)<->恋すれば魔女

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今週も祭りの夜 がアクセス数182でトップだった。
かならずしもいい曲がアクセスを集めるわけではなく変なもの、おかしいものが人気を得ることが多い。 ご愛聴感謝。
fumio

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