monologue
夜明けに向けて
 



94/05/19 蘇る力、水と火、火と水、狭間に雷電と風の夢乗せて
わたしたちが古代にもっていた力とはなになのか。何日思考し続けてもなかなか答えが見えてこない。それはこれまでの流れからしてニギハヤヒ、そしてその祭主「御歳」「太田田根子」らが行っていた「たたら」の秘法なのだろう。「雷電」の文字も解字すると「田田螺」を示唆している。どうもこのメッセージ全体が「たたら」の作業工程であるようだ。
fumio


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94/05/19 蘇る力、水と火、火と水、狭間に雷電と風の夢乗せて

在りとしてあるものは生物を造るとき六十四種類の塩基配列によって想像できるありとあらゆるものを設計し創造した。実に賑やかな世界であった。
しかし、失敗作は絶滅し削除され整理されてずいぶんさっぱりした宇宙になった。それが現在の地球なのだがあまり成功とはいえないらしい。
在りとしてあるものが意図した地上天国がいまだに実現できていないのだから。
わたしたちは宇宙の始源にまで遡ることはできないが少なくとも古代にもっていた力を蘇らせなければばならない。その力を蘇らせる法がこのメッセージに示されているのである。
fumio


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94/05/19 蘇る力、水と火、火と水、狭間に雷電と風の夢乗せて

「蘇る力」の「蘇る」を更に生きるの「甦る」とせずに
草魚禾にして生物の元々の租にしているのは始源にまで遡りヨミガエルということ。
「力」は「血、地(土、也)、霊」から。
土(ツチ)は構成要素を指している。以下にこの宇宙の始まりについて述べておこう。

 宇宙の始源は無、そこに在りとしてあるものの意識が現れた。
0の空間に1(存在)が現れ、果てしない0と1の繰り返し(それをことばとも光とも呼ぶ)の果てについに最初の物質、原子番号1の水素が生じた。

在りとしてあるものはプラズマ状態の二つの水素原子を陽子-陽子連鎖反応させてヘリウムを生成し、ヘリウムからCNOサイクルという核融合反応で炭素、窒素、酸素を生成した。そして水素と酸素から水が生じた。
在りとしてあるものはこうして宇宙構成元素と炭素という有機物として全ての生物の構成材料を手にした。蛋白質、脂質、炭水化物に含まれる原子の過半数が炭素である。光合成や呼吸など生命活動全般に炭素が関わる。

「水と火、火と水、」とは初めの水素と融合反応のための火、そして水素と酸素と火によって生成された水。それがすべての元になった。
狭間に雷電と風の夢乗せて」の雷電はプラズマ状態の核融合や生物では神経を伝わる信号、風は虫(64)で生物の体を造る蛋白質を合成するアミノ酸を指定する遺伝暗号(gene code)の塩基配列の数は六十四種類。そしてフイゴのように風を取り入れる肺呼吸も指している。
これらが「血、地(土、なり)、霊」からヨミガエルという。
はたしてわたしたちは蘇れるのだろうか。
fumio





fumio


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雷電  


94/05/19 蘇る力、水と火、火と水、狭間に雷電と風の夢乗せて

オオラのミコトは次(継ぎ)の時代に導くためにこんな預言を用意していた。
発表当時意味不明であったがやっと解ける時が来たらしい。
わたしたちにももう解く力がついているはず…。
fumio


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 古来オオクニヌシの別名とされる「大己貴」という名前がある。明治維新の際、全国の神社の祭神を確定すべきとの宣布にょり、ニギハヤヒが祭神のために祭神不詳となってしまっていた多くの神社の祭神にこの「大己貴」という名前を与えて封印してしまったことがあった。
この大己貴」を考察してみる。
「大己貴」の「貴」は日向族がヒミコにつけた尊称であった。
なぜかそれを借用している。
もちろん「貴」は封印として機能していた。
「大己貴」は封印をとって普通一般に書けば「大己尊」のはずである。
「己」は以前述べたように竜や蛇を示しハングルで「リウル」といってラ行。
すると「大己尊」の読みは「オオラのミコト」。
ニギハヤヒはタタラの主であり「オオラオオラ」と田田螺は回る。
封印のはずの大己貴」は奇しくも「オオラのミコト」ニギハヤヒの本質を示していたのであった。
fumio

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95/01/30 夕闇に紛れる銀色の月の粉、穿つ夢、磐石の片隅に光る眼
95年に発表された当時には不気味なだけで意味不明だったこのメッセージもこのプログの読者にはそれほど難解ではなくなった。
「銀」が艮(うしとら)の金神、月が月讀、磐石が石神(シャクジ )など、どれもニギハヤヒの多くの名称を示唆していることを思えばこのメッセージの中核を成している「穿つ夢」の意味もほどけてくる。
すなわち「宇迦の夢」ということなのである。ニギハヤヒは「宇迦魂(ウカノミタマ)」でもあった。
そんなかれの夢は夕闇に紛れる継承者、愛児(マナコ)たちが夜明けを迎え光ることなのだ。
fumio




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95/01/30 夕闇に紛れる銀色の月の粉、穿つ夢、磐石の片隅に光る眼
この「片隅に光る眼」の主はもちろん片目のジャック、 ニギハヤヒ。
ついに終わりの時を迎えて「夕闇に紛れる銀色の月の粉」の「色」は継承者で「粉」は「子名」。
かれは夕闇に紛れていても「光る眼」すなわち「光る愛児(マナコ)」を見守っている。
fumio


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94/06/21 架ける橋の橋桁は、他人の作った物であってはならない… 
94/06/22 さて、円環から炎環に至る橋を渡る者はどのくらい居るのだろう…


 この二日間の預言を並べてみると「物」と「者」、「渡る」と「居る」「くらい」に目がむく。
「円環から炎環に至る橋を渡る者」をこれらの言葉で特定しているようなおもむきがある。「物」と「者」はこのブログの名称monologueにも使用している「大物主」そしてモノリスのmono、そして「渡る」は「度会」「居る」は古で「布留」。「くらい」は「倉稲魂」とそれぞれが示唆するのはニギハヤヒの霊統。ニギハヤヒの血の継承者が高い理想を掲げて円環から炎環に至るということのようである。はたしてどのくらい居るのだろうか。
fumio







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94/06/20 円環と炎環の間には橋は無い、橋は自分で架けるしか無いのだ。


この橋はなにを示しているのか。「橋」を解字すると「高い木」。
「架」も解字すると「木を加える」。
円環と炎環の間には自分で高い木を加えるしかないという。
「高い木」が象徴するものはもちろん貴い気(志)理想。
fumio




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94/06/19 終わりの無い円環に終わりが生じ、新たなる円環は炎環から生じる
 このメッセージを分析すると「終わり」が2回「生じ」が2回。
そして「環」がなんと3回も使用されている。この短いメッセージ中に同じ文字をこんなにどうして繰り返したのか。
それはやはり「環」がタマキであるから。「田巻き」と書けば見えるように田の回転すなわち「田田螺」を示唆するためであった。
新たなる円環は炎の環(田田螺)から生じるのである。
fumio




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94/06/19 終わりの無い円環に終わりが生じ、新たなる円環は炎環から生じる
 このメッセージの後半「新たなる円環は炎環から生じる」の部分はなぜか解読に多くの時間を割いた
炎と水、そして風=「水(ミ)」→「火(カ)」→「タタラ・アタタラ」
のメッセージそのもののようだ。導かれるままに進んできたわたしたちは「新たなる」が「アラタタ鳴る」ということをもうすでに知っている。どうもこれは「新たなる円環」の構築にかかわるメッセージであったらしい。
fumio

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94/06/19 終わりの無い円環に終わりが生じ、新たなる円環は炎環から生じる 

これまでの支配者たちつまり日向族が形成した円環には元々無理があったので絆創膏のように封印を貼り巡らさなければならなかったのであった。ともに円環を成すべき出雲族を闇に封じてしまったばかりにマホロバがカリマホロバとなってしまったのだ。
その場しのぎの絆創膏は剥がれ落ち新たなる円環の構築が求められている。
fumio


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94/06/19 終わりの無い円環に終わりが生じ、新たなる円環は炎環から生じる 

 さてこれまでわたしたちが培った目でこのメッセージを解読してみると
「円環」と「終わり」ということばがそぐわないように感じる。
円環はサークルでこの世のすべては回りまわって終わりがないものが円環なのだから。
なにかでクラックが入ったとしか思えない。
その原因が封印解きであった。
これまでの支配者たちは要所要所に封印を貼り巡らして永遠に続くはずの支配構造の円環を形成していた。
しかし残念ながらその封印も解かれる時がきてしまった。ついに「終わりの無い円環に終わりが生じ」たのである。
それが今この時…。
fumio


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94/06/19 終わりの無い円環に終わりが生じ、新たなる円環は炎環から生じる 
94/06/20 円環と炎環の間には橋は無い、橋は自分で架けるしか無いのだ。 
94/06/21 架ける橋の橋桁は、他人の作った物であってはならない… 
94/06/22 さて、円環から炎環に至る橋を渡る者はどのくらい居るのだろう…


昨日の記事を見直すと94/06/21のメッセージが抜けていたので宇宙神霊アーリオーン媒介者、北川恵子さんが掲載された元のメッセージ集にあたってみると94/06/21の日付には「架ける橋の橋桁は、他人の作った物であってはならない… 」とあった。
94年/06/19から06/22までの4日間に「円環と炎環の間の橋」のメッセージが集中して発されていたのだ。まとめて読むとやはり自立を促すような内容に思える。
fumio

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94/06/19 終わりの無い円環に終わりが生じ、新たなる円環は炎環から生じる
94/06/20 円環と炎環の間には橋は無い、橋は自分で架けるしか無いのだ。
94/06/22 さて、円環から炎環に至る橋を渡る者はどのくらい居るのだろう…



ひっかかりもっかかりしてやっとここまでやってきたわたしたちをニギハヤヒはどこへみちびこうとしているのだろう。上の預言がその答えらしい。
funio



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