monologue
夜明けに向けて
 



私的カウントダウンアルバム「水面に書いた物語 収録曲の今週のアクセス聴取ランキング
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1月23日(金)~1月30日(金)
ヒット数:1,418件中
    
順位( )内は前週の順位< >内は前々週の順位 

第1位(2)<2>水面に書いた物語
第2位(1)<1>あやかしのまち
第3位(5)<5>軽々しく愛を口にしないで
第4位(3)<3>ごめんなさい
第5位(12)<2>ラスト・ランデヴー
第6位(6)<6>はるかなるメロディ
第7位(4)<4>女優(スター)
第8位(11)<11>Stay with me
第9位(7)<7>ときめきFALL IN LOVE
第10位(10)<10>マイ・スィート・ライフ
第11位(9)<9>オーロラの町から
第12位(14)<14>素顔のマスカレード
第13位(13)<13>恋すれば魔女
第14位(8)<8>それってⅨじゃない
第15位(15)<15>Sentimentallady”M”
第16位(17)<17>しあわせになれる
第17位(18)<18>わかりあえる日まで
第18位(16)<16>まことのひかり
第19位(19)<19>NEVER GIVE UP!


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 やはりというべきかふたたび「水面に書いた物語」が首位を奪い返した。メッセージ性の強い「NEVER GIVE UP!」や「 わかりあえる日まで」が下位に甘んじているのも時代を反映してのことなのか。ご愛聴感謝。
fumio


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(9)人は本来自分以外の生命体を求め愛する事で成長してゆく筈だが、現状ではその機能が果たされていない。それは何故だろうか?と考えてみた事があるか?

 この事を調べていて、自分の生命を分かち与える行為を『愛する』と呼ぶという事が意外に知られていない事実に我々は気付いた。そして残念な事に『生命』の意味するところのものを理解出来ていない人が殆どであるという事も判明した。

 『生命』とは大きく分けて2つの流れで出来ている。それは『人』の要素と全く同じで、つまり物質的な要素とより精妙な霊的物質とで出来ていて、双方の方向性はプラスとマイナスになっている。物質的肉体はその細胞生命維持と保全の為に機能し、霊体はその母胎である宇宙生命の流れに沿って、肉体を含む全人格の進化を促進するために機能する。多くの人々は物質的な体の機能のみに拘泥している様子だ。

 これは大変情けない事だが、人間が物質文明の栄華を追う事に奔走し続けた結果と言うほか無い。物質文明の栄華に奔走した結果、『見えるもの、触れる事が可能なもの』つまり物質的なものしか信じない人種が成立してしまった。

 太古の昔から綿々と流れてきた精神文明と、その担い手である魂、或は心と呼ばれる人間の霊的な体の方は、軽視されているのが現状だ。霊的な体の持つ宇宙指向性が機能していない人間の行き着く先は、人間が最も恐れているであろう破滅でしかない。物質的生命の機能が、霊的生命の機能を上回っている状態の人間にとっての『愛する』行為は細胞生命維持機能に則したものでしかない。つまり平たく言えば細胞生命の意図する、子孫繁栄指向性に裏付けられた行為が中心に据えられたものでしかない。物質的な生命維持の方向しか指向しない愛情交歓とは、肉体的快楽の追及でしかない。

 その様な愛情交歓が与える満足感は、物質的な生命体の範囲での満足感なので、少し繊細な感性の持ち主ならば行為後にどこか空虚な感触を持つ筈である。その様な行為が『愛する』行為だと信じて続ける事で、ますます本来の霊的な体の指向する『愛する』行為と離れていってしまう。霊的な体の機能が、損なわれていない状態の人の愛情交歓は、常に霊体が物質的肉体の方向性を調整しながら行われるので、行為後に空虚な感触を残さない。それは霊的な体の指向する方向が『より良い生命維持』であり、より宇宙の至高生命に人間の霊格・人格ともに近付ける事だからである。
上記の目的の為に、人は自分以外の生命体を愛する行為をするのである。

 つまり本来の『愛する』行為は、自分自身の生命を分かち与える事で相手の生命を霊体・肉体ともに燃焼させる行為、つまり生かす行為であり、その行為によってお互いに全人格的に向上するのである。『生命』を分かち与えるという事は簡単に言えば、自分の持っているものを自分以外の生命体に与えるという事だ。霊体・肉体ともに全人格的に愛するという行為こそが、相手を全人格的に高める事が出来るのである。これは物質的にも霊的にも、持っているものを相手に与えるという事なのだ。これは、物質的に持っているものだけを総て与えるという意味ではない。あなたがた光の子に、相手を生かし燃焼させる為に必要なものが分からない筈はないだろう。

 霊的に持っているものを与えるというのは、例えば自分の可能性を与える場合もあるだろうし、自分の大切な時間を与える場合もあるだろう。しかし、究極的に言えば自分の『命』の可能性も時間も、総てを含めて相手に分かち与えるのが本当なのだ。その様に霊的にも物質的にも、総てを分かち合う事が出来る愛情交換が、如何に人間を全人格的に進化させるかは、言うまでもないだろう。

 多くの人々が霊的な体を無視、或は軽視している状況下において、本来の愛情交換を行える相手を探すのは至難の技である。あなたがた光の子らは、プロジェクト遂行の為に如何なる努力も惜しまないであろう。しかし、いつもこの本来の意味においての『愛する』という事を念頭においておかなければならない事を、覚えておいて欲しい。あなたがたが霊的にも物質的にも愛し合い、励まし合う事、つまり全人格的にお互いに関わり合う事で、我々とのコミュニケーションも円滑に行われひいてはプロジェクトもうまく機能するのである。全的に認め合い、受け入れ合う事がコンタクトの意味するところであり、コンタクトとは部分接触では有り得ない。少なくとも我々の方法では無い。我々は、あなたがたの全人格的な成長を軸にプロジェクトを遂行しているからである。

(10)神霊界に於いては第3のラッパが1988年4月3日に鳴り渡る。
同時期に地上界では第1のラッパが鳴る。地上界に於いては1995年4月に第3のラッパが鳴る。神霊界と地上界は相似象の世界であり、バランスをとりながら存在している。神霊界で起きる事は総て地上界でも起きる。

 あなた方の思いが形をとって現れるのは、まず神霊界つまり魂の世界、そしてその次に地上界という順番だ。総ての思い、総ての思いを伴った言葉、行いについてあなた方は気付かずに、2度経験する事になる。つまり、『思い』を思い『言葉』を発し、そして『行い』を行った時と、神霊界でそれらを原因とする、ある結果を形成し次に現象界で現象化した時の2度である。

 第1のラッパが鳴り、第3のラッパが鳴り渡るまでにまだ間がある。神霊界でも、まだ第4のラッパは鳴らない。しかし、時期は可変だという事も覚えておきなさい。総てあなた方の『思い』『言葉』『行い』の結果だという事を知っておきなさい。ラッパについては『聖書』のヨハネの黙示録に書かれてある通りだ。

 しかし黙示録の中に、書かれてある文字の意味するところを考えなくてはならない。文字通りに受け取ってはいけない。黙示録に書かれてある事を実現させるのも、そうさせないのも総てあなた方の『思い』『言葉』『行い』なのだ。

(11)最近の社会現象の中での人間の行動を見ていると、人間の尊厳を認め合うなら決して出来ない事を、あなた方人間はしているのではないか?と感じる。
生命に対する尊敬の意が全く感じられない。相手を自分と同じ『生命』の持ち主だと思うなら出来ない事ばかり他人にしている様だ。これは一体、どういう事なのだろうか?

(12)プロジェクト遂行の為、つまり人々を導くための論理と導かれる立場の人々の論理とでは雲泥の差がある事を覚えておきなさい。
導く人々、つまり羊飼いの為のカリキュラムは、他の導かれる立場の人には使えない。むしろ毒になる事の方が多いので、相手の周波数レベルを見極めてから話しなさい。プロジェクト遂行の論理は、しばしば冷酷非情な感もやむを得ない事と承知して貰いたい。

(13)(DEADMAN'S LETTER) について
 例えば、こういう映画を虚構の世界の出来事として捕らえ、自分自身の現実問題に照らし合わせてみるという事もせずに、鑑賞後30分もたたない内に自分の仕事や財産の話を出来る人が93%の人々の傾向である。この93%の人々は責められるべきでは無い。認識していないからである。

 そしてキッカケさえあれば目覚める人が約33%居る事をこそ、我々は重視しなくてはならない。あなたがたの言う『現実と虚構』は、切り離された二つの世界の話では無く、2枚の櫛の歯が噛み合う様に、お互いに入り組んで構成される世界の事だ。

(14)現実認識傾向と人間関係における狭量さについて
 人々の現実認識傾向をみると、自分の行動半径内の出来事を現実として捕らえるのが精一杯で、それ以外の事は自分の現実以外、つまり虚構に近いモノとして捕らえる傾向が強い様だ。そして人間関係にもそれは顕著に表れている。我々は人間同士の奥底からの生命源流の部分から、人間関係を捕らえて話を進める傾向にあるが、あなたがたの多くは、自分の日常生活の行動半径内で関わる人との事を人間関係として捕らえている様だ。さらにその人間関係を細分化して『身内』『身内以外』という風に分けて個々の日常生活の人間関係が成立している様子が窺える。実はこの『身内』思想こそ、多くの障害を生み出している原因では無いかと我々は推測している。

 『身内』に対しては寛大で親切な人が、そうでない人に対して冷酷で容赦ないのを我々は数多く目撃した。同じ地球上の生命体、しかも高等生物体である人種。そして同じ国に住む同じ言語を話す人同志であるのに『身内』かそうでないかで性格が変化するのは非常に驚きである。
所有欲の強いタイプ、臆病なタイプ、内気なタイプの人はさらにその『身内』認定範囲が狭く言わば『パジャマ』で付き合える範囲のみを自分の『身内』として捕らえている様である。所有欲の強い人は『身内』認定範囲が非常に狭く、当然の事だが『身内』以外の人には絶えず警戒をしている、或は深く関わらないだろう。そういう生活はある意味で『閉じられた』生活である半面、所有欲の強い人にとって自分の所有していると思い込んでいるモノ(者・物)を安全確保しやすい生活ではあるだろう。

 『身内』の範囲が狭い方が管理しやすいからだ。人々は日々、所有欲を強める傾向にある。我々が憂えるのは実はこの傾向である。

 上記の通りの『身内』思想がまかり通り、所有欲の強さに準じて『身内』認定範囲が狭くなって行ったら、どうなるか?
自分と自分が認める『身内』以外の人がどうなろうと関係無い顔をして自分の『身内』の範囲内の、利益や財産の安全確保ばかりを考える、そんな人ばかりになったらどんな社会になるだろうか?
もう既に、そういう社会になりつつあるのではないか?

 自分と自分の『身内』以外の人は総て敵だ、などと思わなくてはならない社会とは、何と悲しい社会だろうか?
本の少し、いつもより本の少し身内以外の他人にも優しくなれたなら、多くの人が、毎日少しでも『身内』認定範囲の巾を広げる努力をしようと思うなら、急速に大きなエリアでの人間関係及び自然環境の改善が出来るのだ。大きな意味での、本来の意味での『人間関係』とは、即ち自然と人間の関係である。人間の『愛』の発動力は電気エネルギーとして、その人間の周囲の環境に影響を及ばすからだ。本の少しの努力で、今より良く生きる事が出来る。この事に留意して貰いたい。


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《アリオン語録8》

(1)比較的素直な人でも、話し相手が力を入れて話し過ぎると、緊張緩和の為に(これは動物的な勘が働いてそうなるのだが)少し姿勢を引く場合が多い。相手を引き付けておこうとすると配慮が必要になってくる。どんな人間でも少なからず『アマノジャク』なので、相手があまり嬉しそうだと水を差したくなるのだが、文化人と呼ばれる人々は自分のインテリ性を印象付ける為に、何故か皮肉を言うのが良いと誤解しているフシがあるので、特に『アマノジャク』性が強い様だ。

 我々の話を聞く人々の中にヒネクレた感じの態度の人が居るが、それは『素直・無邪気・純粋』イコール子供っぽいと思っている為で、子供っぽい事は『知性』が低いという妙な式を使っているせいだ。素直に『いいなあ』『羨ましいなあ』と言えないのは、そう言うのが『素直』で『無邪気』で『純粋』つまり知性が低いのではないかと他人に思われると感じているからだ。特に男性の場合、社会で闘ってゆく立場にある人が多いので、『子供』っぼいのは知性が低く見えて闘いで損をすると思っている様だ。実際には、その逆で『子供』っぼい方が有利だ。

 女性の方が比較的『子供』っぽく見える事に抵抗が無いのは、社会的に闘う姿勢を待った歴史が無い為だ。我々とあなたがたの関わりの話をする時に、苦労話を7、嬉しい話を2、一般的な話を1の割合で話す方がうまくゆく。こんな操作をしなくてはならないのは、それ自体情けない話だが、やむを得ない事だと思う。

(2)魂の死とはブラック・ホールへの永遠の降下である。一つの場所に停どまり続けるのは『魂の堕落』と自殺した魂の残り修業の『清算』の状態だ。核爆弾の被爆による死は魂の死には直接つながらない。生前の強烈な想念の呪縛によって、その状態でストップ・モーションのまま身動きとれなくなるのは、魂の死ではなく、魂の浄化途上の一時停止の状態である。

 この様な状態は殆どの場合指導霊の努力と、生者側(例えば霊能者と呼ばれる人々など)の力添えによって脱する事になっている。魂の死は宣告されるものでは無い。自分で選ぶものだ。あなたがたの魂は神の体の一部である。肉体を脱いで裸になった時には神の意識と合一して、非常に高い波動での判断をする事が可能なのだ。あなたがたの人生も死後生も総てに於いて、醒めた視点で見詰め続ける『神の瞳』は自分の魂の瞳なのだ。

(3)人にはそれぞれ、その人生でするべき事があるが、それをするしないは個人の決定によるのだ。勿論、総ての人が自分の使命や義務を全うするのが望ましいが…。観念的な人間の総てが脱落者では無い。作用に対する反作用の役の人も居るのだ。現在我々とあなたがたとで実行中のプロジェクトが作用なら、バランスを取る為に反作用側の人も当然存在するのだ。ただ地球の現状を見ると(プラス・エントロピー飽和の結果としての)破滅へ向かう力の方が勝っている為に、我々の(マイナス・エントロピー方向)の創造へ向かう力の側の努力が必要なのだ。あなたがた光の子らは、そのプロジェクトの非常に大切な部門を実践しているのである。

(4)シャンバラの中枢センターでは、個人の動きを監視している。しかし総ての人という訳では無く、ある程度の精神レベルに達した人達の動きを監視しているのだ。中枢センターではある程度のレベルに達した人達同士を会わせる工夫をしたりもする。

 シャンバラの帝王は金星の王子と呼ばれた人(?)だ。彼はその体の発するオーラの為にまばゆく輝き、地球の人頬の視覚では、その姿は炎の様にしかとらえられない。宇宙連合は、シャンバラとの連係プレーを行っている。むしろ、シャンバラからの許可が無ければ働けないという方が正しいかも知れない。

 マイ・ミュート・アーテの滞在磁場は、シャンバラの作る磁場なのだ。シャンバラへと続く道は、全部で9ケ所あるが、その内の2ケ所は地球外生命体専用の道である。チベットにある道が地表に近い時には、ある高地の湖に蜃気楼が立つ。その湖は非常に奇麗な薄青緑で、ほぼ楕円系の形をしている。その他、南北極の地下、南米の山脈中、サハラ、北米にもあるが、場所はインディアンの聖なる土地(神々の台地)とだけ言っておく。

 アデプトとあなたがたが言っている人々は、地表に現出する場合は目立たない様に常人の体をする。時々、アストラル・プロジェクションという投影法を使っての対話をする。シャンバラの存在は全く人々に気付かれないという訳では無く、知られても場所の確定が出来ない為に、桃源境とか楼閣とか呼ばれて伝説に姿を遺すのみとなったのだ。しかし、近い未来にシャンバラの存在は多くの人々の識るところとなろう。これからの地球科学は可視・可触の物質科学の域を超えてゆくからだ。そうならねばならない。その為にもシャンバラは教育を続けているのだから。

(5)死後の者たちは、霊界の者と話したがる生体の人間の記憶に準じて話をする。彼らの時間感覚は我々のそれとは異なるのも一つの理由だが、主な理由は生体の人間に理解して貰えないだろうという危惧から、生前の習慣や記憶を何とか辿ろうとするのだ。彼らは修業を積み、生まれ変わるまでの間を色々なレベルの場所で過ごすか或は、1~2の場所で過ごす。これは、その霊体の生前の修業の多寡によっても異なるし、その魂のレベルによっても異なる。

(6)『声』がメッセージとして成立するには時間が懸かる。『声』の受信の為に何年も一日の殆どの時間を瞑想に費やしたり、オーラの浄化の為に、数年間に亙って誰にも接触しないという生活をしたりする事は、誰にでも出来る事では無い。『声』の意図する意味は慣れてくれば理解出来る様になるが、長い文章で受け取る事は至難の技だと言っても良いだろう。

 『声』自体には人格は無い。言わば合成されたエネルギーの声だ。一般の人に理解して貰うのは困難な事だろうが、メッセージを長文で連日受信し続けるのは、普通の日常生活でのエネルギーの使い方を応用するだけでは、不可能な事だ。

(7)本当の自由とは、とらわれない事そして、こだわらない事である。とらわれるというのは、外部からの働き掛けで自分自身が拘束されて不自由だと感じる事。こだわるというのは内部からの働き掛けで自分以外の何かを拘束したい為に不自由だと感じる事。
人は一般的に外部から拘束されることには敏感で、自由と言うと外部抑圧からの解放という風に解釈するが、自分自身の内部からの拘束である『こだわり』に関しては鈍感である場合が多い。

 本来の自由とは内在するものであり、内側から外側へ働き掛けるタイプのエネルギーなので《何物にもこだわらない事》が本当の自由への働き掛けの第一歩となる。自分自身が自分以外の何かを拘束したいと思わなくなれば、拘束されることも無い。

(8)愛なくして苦しみも悲しみも乗り越えられない
愛とは総てを包含するもの
愛とは芸術そのもの
愛とは人生そのもの
愛とは生命そのもの
我々の愛の表現は、あなたがたの存在だ
覚えておいて欲しい、あなたがたの働きは小さく見えても
確実に人間一人一人の心の中に愛の灯をともす。


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(8)アトランティスは秘密を封じる為に別の次元に転移した。しかし大陸主要部だけである。大陸の殆どの部分は海面下に沈んだ。地殻変動の結果、海底下に潜り込む形で形骸が残っている。アトランティスの主要部は、時期が来れば現出するだろう。現出する場所は、元のアトランティスのあった場所では無いだろう。多数の人々が大陸の惨禍と共に海底の藻屑と消えた。大きな渦と海底火山の噴火を覚えている筈だ。助けられて金星に行った人々は、約350人だった。その他の人々の中には、事前に神官の薦めで海路で別の大陸や島に避難した者もいる。エジプトに渡って、天体観測や錬金術を教えた者も居る。

(9)アガルタに行くのに肉体は要らない。途上に肉体が必要なだけだ。アガルタに入る前に、肉体を脱いで行く。ある場所で、それを実行するのだ。その場所は、少しずつ位置を変えながらあなた方の世界とシャンバラとの入り口を形成している。アトランティスの主要部の管理を実際に行っているのは、アガルタの中枢コントロール・センターだ。アトランティス消滅後にアガルタに来て働く事を決められていた人々は、160~180人ぐらいだった。彼らは現在もアガルタあるいは周辺の地域で働いている筈だ。シャンバラに行くのに肉体が要らないのは、振動数が違うからだ。肉体もアストラル・ボディと呼ばれる体も振動数が違うだけで、現実に同時に存在している事を理解出来れば、シャンバラの存在も理解出来るだろう?

(10)我々のプロジェクトは、戦争の諸事に一応一切手出ししないことになっている。実戦プロジェクトでは無いからだ。実戦戦略プロジェクトとして、ミサイル発進装置を破壊したプロジェクト・チームが存在するのは本当だ。それのみならず、ミサイルの軌道変更やミサイル自体の作動防止もしている。しかし、それは必ずいつもできるのでは無い。磁場や人間の発振する波動や、地上隊との連係プレーなどに関わっている。我々が、いつでも何でもするのは前にも話した様に規則違反なのだ。

 それを実行すると、干渉可能な惑星として連合以外のグループの干渉要請(実は侵略である事の方が多い)を金星諮問委員会は認めざるを得なくなる。地球の生命存続を継続不可能に陥れる可能性のある時に、干渉が可能であるが、惑星レベル毎に、干渉出来る範囲と回数が決まっている。

(11)世紀末や終末思想を煽る、予知に関する恐怖をそそる様な本の出版は、我々のムーブメントに対するリアクションなので、我々の関知するところでは無い。人間のレベルで、出版を阻止するのは構わないが、我々にはリアクションに対しての制裁は許されていない。

(12)宇宙連合、銀河連合は生体調査と称しての生体実験や、無目的な誘拐をする事は無い。我々と全く異なる振動域での次元移動を行っているグループもあり、総てを把握するのは困難だ。あなた方も色々なレベルの地球外生命体の接触を認識するべき時機が来た事を知って貰いたい。我々のコード・ネームが『光』だからといって、彼ら他のグループのコード・ネームが『闇』とは限らない。厄介な事だ。連合以外にも数種頬のグループがいると伝えて貰いたい。

(13)無意識というのは普通の状態では大脳新皮質で関知しにくい部分の働きで、深奥の魂の前庭の部分だ。メッセージは、まず普段では使わないこの部分を使って交信するので、開発に時間が懸かる訳だ。最初は頭の中で『ワヤワヤ』した感じを受ける場合が多い様だ。それも、『音』として始まり、次に理由は無いのに何故か『言葉』の感触を伴ったものに変化してゆく。その期間が割と長く続く様だが、個人差があるので個々については何とも言えない。    
            
(14)一言話しておきたい事がある。それは近ごろの、いわゆる『UFO研究家』『UFOマニア』の為に、あなたがたに言って貰たい事なのだが、一つは『総てを信じる事、けれど総てを受け入れては危険だ』という事。つまり、あなたがたの言う『異星人』は存在する事に全く疑問の余地は無いが、総ての『異星人』が地球の存続の為に有効な事を教えようとしているとは限らないという事実を伝えて欲しい。

 判断の基準になるのは、地球有機生命体としての直観力しか無い。その直観力が弱まっているので、まず現在必要な事は直観力の覚醒と育成であるという事。そのために何を為すべきかは、我々からのダイレクト教唆及び、インストラクターからの示唆などで理解して貰えるだろう。

 もう一つは『UFO』を見た、見ない、そしてその信憑性の云々にこだわり過ぎる事への警告だ。つまり『UFOを見た』と思った瞬間が大切だと伝えて貰いたい。大体は『UFO!でも、もしかしたら違うかな』と思う様なのだ。最初に感じたものを優先して貰いたい。それが直観力の覚醒につながるからだ。あなたがたも知っての通り『UFO』は現象面だけの問題では無く、あなたがたの潜象面、つまり心の在り方に深く関わる事なのだ。

 一番大切なのは『何故、UFOを見たか?』であって『見た事実』では無い。我々からの信号で飛行機を『UFO』に一瞬見せる事もあるからだ。又、実際に雲の中でUFOは消失、代わりに飛行機が雲の反対側から現れる事もあるのだ。何故、見せられたのか?何故、見たと感じたのか?が一番大切なポイントなのだ。我々は見せる事によって、あなたがたが次の行動に出るかどうかをチェックする事が多いのだ。

 次の行動とは、つまり潜象面への興味や活動の事だ。多くのコンタクティが『UFO』を見る、見ないのレベルにこだわり続けた結果、コンタクトの中断を余儀なくされているのだ。我々が存在するしないは『UFO』の存在の信憑性に関わらない。『UFO』を見た、それで、あなたはどう思うか?それこそが問題なのだ。本物だったかどうかを云々している場合では無い。そんな前近代的な問答を繰り返している時代は過ぎ去った筈だ。


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《アリオン語録7》

(1)我々のプロジェクトは、総て内発する衝動と決断に委ねる事になっている。生まれて来るか来ないか、今生でこのプロジェクトをあなたがたが遂行するか否かは、あなたがた自身の決定なのだ。もう一度生まれて来て、今生人間として地球救済プロジェクトに参加する事を決めたのは、あなたがた自身の内発する衝動からだ。5万年待った私、アーリオーンとの出会いも、あなたがたの自由意志で決定されねば何の意味も無いのだ。我々の世界では『自由意志』と呼ばれる、内発する衝動が決断の実行力の総てだ。

(2)美術・音楽などの、つまり芸術は常に人類の希求するものを表現しようとしてきた。現在の日本の社会は、ある意味で飽和状態の手前まで来ている。飽和状態のピークを迎えると下降しか無いのは誰でも知っている。その手前まで来ているので、人々は自然と危機感を感じているのだ。しかし皆自分の外を見回して、どこかに救済や解決が無いかを探している状態なので、誰かがそれを呈示してやる必要性があるのだ。それは表象面では霊的なリーダーの存在であり、潜象面では大脳根幹部への影響波動の発動者である。

 あなたがたの意見『まず彼らの大脳新皮質に言語と論理で訴え、次に知らず知らずの内に魂への回路を聞かせて行く』のは無理だ。同時進行でなくてはならない。大脳新皮質に電極が移動して作動したと同時に、根幹部へも微弱電流が流入しなくてはならない。色彩と形状(つまり美術)そして言語・論理と音楽という風に進行するのが望ましいが、言語・論理と音楽だけを使っても色彩と形状を感じさせる様にするのは無理では無い。

 大脳新皮質だけに訴えるのは大変危険だ。情報量の多い現代社会に住む人間にとって大脳新皮質だけへの訴えかけは、単なる『もう一つ情報が増えた』だけに終わる可能性が大きい。話術や執筆術に工夫がいる。人々の慣れてしまっている、つまり水路付けの出来ている論理展開では強いインパクトを期待出来ない。インパクトが強く無ければ、大脳根幹部への電流はスムースに流れない。慣れた論理展開の端々に落とし穴や、崖や、つまずき石などを散りばめる必要がある。読めば理解出来る様な平易な文章で、しかし幾度も読まざるを得ない様に仕向ける為には、文章中の緊張と弛緩の割合を常に変化させれば良い。

(3)あなたがた光の子らの欠点の一つは、自分自身の問題について『下らない』『取るに足りない』と判断して我々に話さずに、自分の心の中に収めてしまうクセがある事だ。人は問題解決をする為にのみ話すのだろうか?悩みを話しても解決できないことが分かっている場合は話さないのが良いのか?
答えはNOだ。相手に自分や自分の思いを投影(話し掛け)して、よりクリアーに自分の置かれている立場を確かめたり、相手を信頼している時には悩みや喜びや驚き、感激などを共有することによって連帯感を高めたりするだろう?                                                   
 あなたがたは、もっと『下らない』『取るに足りない』悩みについて話す事をしなくてはならない、それら『下らない』『取るに足りない』悩みになどに捕らわれない為にも。あなたがたは、まず第一に自由を手に入れなくてはならない。完全に自由である事は、最初に総てからの脱却であり、最後に総てを包含するのだ。

 総てを手に入れる為に総てを手放すのだ。笑う自由、泣く自由、怒る自由、喜ぶ自由、楽しむ自由、それらの自由を現代人は持っていない。持てない情況を自分達で作り上げてしまった。だから精神的、感情的に窒息しそうな社会になってしまった。

 第一に光の子は自由でなくてはならない。自分を愛する事、完壁に愛する事。自分を愛する事をクリアーしなくては、自分の投影体としての他者を愛せる筈もない。愛することは他人の荷物と自分の荷物を区別しないで背負って歩くのに似ている。これが我々の愛しかただ。

(4)自分で選ぶ権利のある霊は現世でその使命を果たすべく指導霊とコンタクトを持っているのが普通だが、その事実を感知出来ない情況に居る者も存在する。それは生まれた時からの境遇が非常に物質的だったりして、直観力が鈍った状態に居る者だ。又、生まれ持った資質は非常に良かったのだが、家庭環境やしつけられた性格の為に、努力をしないで成長してしまったりして、怠惰に流されてしまう者もいる。肉体をまとって転生してきても、使命を果たせずに一生を送る者もいるのだ。高次の魂になればなるほど堕落への道は広くなるのだ。

(5)人々の多くは、肉体の意志が霊体のそれよりも勝っている。肉体の意志とは、つまり『永く生き続けよう』とする動きなのだ。霊体の意志は『より良く生きて、より良く死のう』なのだ。肉体は死滅する事を避けようとする。肉体細胞自体に、そうした意志があるので危険から自分の身を守ろうとする。

 あなたがたの使う言葉に『体育会系のノリ』というのがあるが、肉体の意志を霊体の意志より尊重する『体育会系のノリ』の人が増えているのは、宇宙の愛の波動を受信出来なくなるくらいに物質先行の人生を営んで来たせいだろう。それらの人々にとって『死』は考えたり、語ったりするものでは無く、直面するまで『見ないフリ』をしてゆくのが当然なのだ。

(6) GOD IS NOT LOGIC,GOD IS LOGOS
(神は論理では無く、言葉なのだ。それも神の発するところの言葉として)

(7)一目見て『苦悩』が重くのしかかって来る様な作品は、その作者が作者自身の苦悩を越えていないだけでなく、その作品を見る人に問題の共有を迫ってしまうという悪いクセのある作品だ。そういう作品を見るのは、精神衛生上よろしくない。日ごろ苦悩するほどのエネルギーも題材も無い人が、こういう作品を見る時、安直に自分も苦悩している感覚を持ってしまう事がしばしばある。これは危険な遊びだ。苦悩する事で社会問題を思考し、解決に向かっての努力の為に苦悩している様に勘違いしてしまう。文化人と呼ばれる人ほど、社会的に苦悩しているかいないかを意識する様だ。インテリジェンスの意味を取り違えている事が、この様な虚妄愚動を産むのだ。

 あなたの言う様に『愛の欠如』が『重い苦悩を押し付ける作品』を作るのだ。これは、事実だ。『愛の欠如』それは、他者への愛の欠如云々以前の問題であろう。自分という一個の人間を心底愛するという事が理解出来ない人々の作品は『重い』苦悩を放つ。作品ばかりでなく、作者自身の身体からも重い『苦悩』の臭いがしばしば発せられているだろう?

 自分自身を愛するという事は『したい様に自由にする』では決して無い。『自分の奥底の魂と呼ばれる部分の望む様にする』という事だ。自分の奥底の部分の意志を理解出来ないから、自分を心底愛せない。自分を心底愛せないから、他人を心底愛せないのだ。

「では自分の奥底の部分の意志を、どうやって理解するのか?」と恐らく彼らは言うだろう。まず、自分の奥底に宇宙の波動と相和合する波動を発信、受信する部分がある事を認める事だ、と説明するところから始めなくてはならないだろう。あるがままの自分を受け入れる事を学ばねばならない。つまり自然のままの自分を受け入れる事で、自然を自分の中に意識してゆく事をするのだ。自然の愛と呼吸のリズムを失った人は、宇宙の波動を受信出来ないからだ。自分の中の醜いものも美しいものも引っくるめて、太陽の下に並べて見せるぐらいの勇気を奮い起こさねばならない。

 自然は誰にも、その懐を開いて見せる。まず自分が宇宙に向かって開いて見せなくてはならない。それぐらいの事をする勇気の持ち合わせの無い者は居ない筈だ。

《いい作品はどこか身軽だ》肉体を持つから重いのでは無く、『抜けていない』から重いのだ。《いい作品》は作者の魂が制作中に『抜けていた』から肉体の重さを感じさせないのだ。肉体を持たねば地球上での活動は困難を極め、事によっては全く実行不可能な活動もある。そして有機体としての地球生命を生かし、進化させるには有機体としての肉体を持たねばならないのだ。

 しかし、肉体を持っているから魂は鎖で牢獄に縛られた状態かと言えば、そうでは無い。魂(精神、心と言っても良い)は肉体からも自由である。ただ、その存在を認めないので活動が充分に出来ないだけだ。多くの人々が自分自身を宇宙に向かって開き、自分を他人を、自由にする為に愛せる様になった時に、我々の存在も違和感無く受け入れられるだろう。

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(7)肉体でSHIPに乗る場合は、その生命のある間は再び地球上に帰ってゆくのは不可能だ。地球上に再び、その人生内には帰れない事を知った上でSHIP上での適応手術を受けるのだ。この適応手術は、かなり難しい手術で個体によっては拒否反応を起こして生命を失ってしまうので、本人の固い決意と勇気がなくては実行不可能だ。その個体々々によってその人生での目的や、実行するべき使命を果たす機会を失うかも知れないのだから。

(8)何度転生を繰り返してゆこうとも、あなたがたの根底の魂の部分は全てを覚えている。魂の部分は総てを覚えているにしても、肉体を持って生命を維持してゆく上で、それがどんな惑星上であっても以前の記憶は持たない、或はハッキリとしない記憶しか持たない事になっているのだ。
何故ならば人生とは修業の場であり、色々の場面で自分がどう対応し何を選択するか、今までの人生で学んだ事が前生の記憶をハッキリ持たずとも、何度も失敗を繰り返すことによって、体得という形で如何に本能に組み入れられているかを、自分で試す場でもあるからだ。

(9)我々はしばしば、多数の人間の集まる(何千人、何万人という人の集まるコンサート会場や初詣客の集まる神社など)上空へ我々の機動母船を出動させる。
これら多くの人々の思念エネルギーを、有効なエネルギーに変換させるのが目的だ。これらの多数の人々の想念の作る波動の渦は、方向を定めてやらねばプラス・エントロピー方向の破壊へと溢れ出す可能性が高いので、我々は出来るだけ渦を高く引っ張って、我々の作る波動シャワーのフィルターを通してから再び地上へと還元する方法を取る。目的の異なる多数の人々の想念エネルギーは活用する前に、方向付けをしてやる必要性があるのだ。

(10)太陽系の惑星に生物が存在しにくいと判断している科学者達は、まず地球上の物質的な事象をモノサシとしてしか、判断出来ない事実を知るべきだ。
自分の家のやり方が、隣の家のやり方と違うのと同じで、この小さな太陽系の中でさえ、数々の惑星にその惑星毎に決まりがある。

 金星の都市は地球上のどんな天体望遠鏡でも、見る事は出来ない。何故ならば、可動性の都市なんて、地球の人々からは想像できないからだ。
殆どの惑星が持っている地下都市の話を、聞いた事が無いか?
地球上の人型生物だけが高等生物では無い。
その惑星毎に適応し進化を遂げた生物が人型生物で無いとしたら、高等生物が存在しないと言い切れるのだろうか?
地球上で鉱物・植物と分顆されているものが、他の惑星上では異なった分頬をされている事を考えられない科学者達は、あまりにも偏狭な判断力しか持っていないのでは無いのだろうか?

大体、金星の上空温度を計測して灼熱の星だと決定してしまうのだからね。
地球だって成層圏の辺りを計測したら灼熱の星だ。とにかく自分達のモノサシだけが万能・完壁だと思う事から止めなくてはならない。


(11)コンタクティとなるかとうかは、それぞれのカルマの清算率と我々からの波動指導伝導率などの比率計算が、複雑に絡み合っているので、簡単にカルマの結果という風には言い切れない。大脳新皮質で感知出来る部分だけが、あなた方の求めている事では無い。人は何度も生まれ変わって修業をして、最終的には仏教などで言う、菩薩行という自分よりも他人の為に働く方向を取る様になるのが、自然な方向だ。
                              
 コンタクティになるには、現象面でのあらゆる事を犠牲にしてゆくだけの覚悟と自覚と力が必要なので、菩薩行の中でも非常に波動の高い行為である。
この道を選ぶに至った地球人は、それだけカルマの清算率も高いと言える。
だから、あなた方はプロジェクト終了後に『光の中の光』に戻る権利を与えられているのだ。

(12)『あいまい』について語ろう。
 この問題は、我々にとっても非常に興味のある問題であるが故に、我々なりに以前から調査して来たが、あなたがたの言う『あいまい』と我々の調査した『あいまい』とは多少のズレがある様に見える。
日本の文化は『あいまい』さを含有する文化である事は確かだ。それは、あなたがたの指摘する様に、純日本建築の内部と外部に境界線を持たない点や寺社仏閣・墓地などの建築様式などにも見受けられる。
 日本料理の指南法にも、スポーツの世界にも見受けられる.それらは、モノサシとなるものを持たず、ただ先達の見様見真似でどこかに『あいまい』さを残している指南法であったり、内外の区別をつけないで広がりを持たせた建築法であったりする訳だが、では何故この様な文化が発展したか?ということになると、恐らく答えられないだろう。
我々の調査では日本人のテレパシー能力に理由があると見ている。
元々、日本人は特殊な人種で他のどの国の人種よりもテレパシックな会話のコツを心得ていたのだ。会話の中の『あいまい』な部分は、お互いに相手の気持ちを思いやって《音声》にしないで済ます方が良いと思われる部分であった。

 日本には『言霊学』と呼ばれるものがある程に、《音声》に気を使う人種であった。《思い》がひとたび《音声》になった時に、その波動が相手の心を傷付けるに足るはどの力を持つ事や、発声された《音声》がブーメランの様に最終的には自分の所へ帰ってくる事などを知っていた為に、言葉に気を使う人種として発展したのだ。つまり、あなたがたの言う様に「自分の意志をハッキリさせない方が人間関係の摩擦を起こさずに済むから」~『あいまい』な言動をする訳では無かったのだ。
お互いにハッキリと言わない方が良いと知っている事については《暗黙の了解》という形でテレパシックに理解しあっていた。何故ならば『言葉』は武器であったからだ。総てを受け入れ、立ち去るを拒まないのが日本建築の基本であったのだ。

しかし、現在は日本人のテレパシックな能力は地に落ちた感がある。
それは欧米風の生活様式と食形態を取り入れた頃から、ひどくなった。
誤解しないで貰いたいのは、我々はいわゆる『国粋主義者』の肩を持っている訳では無いという事だ。
『あいまい』が『ごまかし』と同義語になってから久しい。
『あいまい』は『ごまかし』では決して無い。『あいまい』には愛他精神があるが、『ごまかし』には無い。

 外国とあなたがたが呼ぶ欧米社会にはテレパシックな文化は無い。
それ故に常に言葉で武装し、言葉で闘争を続けているのだ。この方法を日本は取り入れようとしているのは、悲しい事だ。
 
 あなたがたは『あいまい』の美学を理解出来る筈だ。しかし『ごまかし』に美学は有り得ない。あなたがたは光の子らしく自己主張するべきだ、ごまかしたり、「お茶を濁し」てばかり居ては生命が萎えてしまう。
しかし欧米風の自己主張はスタンド・プレイに適していても、真実の人間関係に於いては必要無いだろう?営業用には欧米風の.スタンド・プレイ的な自己主張は面白いかも知れない。

 日本人は欧米の精神までも輸入すべきでは無い。
『総てを受け入れ、立ち去るを拒まず』の姿勢は主体性が無い様にも見られるが実は、最も順応性の高いサバイバルな思想である。
惜しむべくは日本人の特性とも言うべきテレパシックな人間関係が、失われてゆく一方だという事だ。欧米風の建築様式は内外の区別の少なかった日本人に内部意識と外部意識の切り離しを要求した。
テレパシックな人間関係を営んでいた日本人には考えられなかった事だ。

霊的に発達した日本人は、自然と人間を区別してはいなかった。
欧米では自然とは闘う相手であり、最終目的は自然を制覇する事だった。
自然あっての生物である事を知っていた日本人は、『ヤオヨロズ』の神を自然の中に見いだし尊敬する心を持っていたので、制覇などとんでもない考えだと知っていた。欧米が如何に慌てて自然回帰を唱えても、人工的な計画になってしまうのは、彼らの思想が、そもそも自然に準じていない為なのだ。
だからこそここで日本が、自然の寵児である日本人が立たなくてはならない理由が分かって貰えると思う。その為のプロジェクトである事も理解して貰えると思う。

(13)まず、SHIPは『そこに在る』という意識を常に持つ事だ。
見えなくても誰のせいでも無い、『ただ、見えなかった』だけの事だ。
あなたがたの能力いかんでも、我々の送信波動のせいでもなく、『ただ見えなかった』と思う事から始めなさい。見えなくても失望する理由など無い、何故ならばSHIPは『そこに在る』のだから。誰が見ようと見まいと、『在る』という事を意識しなさい。
『光』しか見えないと欲求不満になるのは、『もっともっと』と要求する気持ちがあるからで、見えた事に感謝する初心の気持ちがあれば、必ず、あなたがたの心の中で確信を持った状態でSHIPを目撃するだろう。
子供は、一度SHIPを見たら総ての光をSHIPだと思って感激し、見守られている事を実感して感謝する。その気持ちが、再遭遇を可能にすると言っても良い。


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《アリオン語録6》


(1)超能力を開発したからといって必ずしも功罪が発生するとは限らないが、現在米ソで進行中の方法は、軍事利用の為に開発されていて、主に透視能力と予知能力そして念動力を中心として行われている。
この軍事利用目的の超能力開発には、その能力者の全人教育は組まれていない。
つまり、ある一種類の目的の為だけに選別され、集中的にその人の秀でた部分のみを開発してゆくのである。彼ら一流の洗脳システムで誘導され、教育される能力者は軍部の攻撃・守備の機械になってゆく。

 そしてこれらの特殊教育終了後の能力者は、彼らの後に続く人々のリーダーとなり効率良く洗脳を施してゆくのである。彼らの人生は悲惨である。
特殊能力開発のために、大脳の一部を酷使することによって、ホルモン系統に支障を来す事が殆どのケースに見られる。その結果、自律神経は機能を果たさなくなり内臓系統の(特に心臓、肝臓)の機能に多大なダメージを与える。
                         
 軍部の考えかたは、常に『使い捨て』である事を明記しておきたい。
そこに生命の流れを尊ぶ心は見いだせない。
彼らの『使い捨て』の考えかたの基礎は、人は死んだら終わりという『人生一回論』であり、又、人生が一回で無くては、彼らのやっている事の正当性は支えられない事も知っている。人間を使い捨てようと思うと、死後の世界の存在など恐ろしくて、認めたくないのは理解出来るだろう?

(2)両極に引っ張られて、中間を振り子の様に揺れていたいと言えば、聞こえは良いが、その実は、両極どちらも、ちょっと触っては手を離し、又ちょっと触っては手を離すの繰り返しで、結局どちらの極の事も表面を触っただけで、理解するところまでは行かない。そんな中途半端な人生の作り得るものとは何か?

 我々プロジェクト要員は、常に他者の為に働く事で自分を救うという方法を取っている。つまり両極端に位置するもの同士は、実は隣同士に位置するという秘密(?)を知っている為に自分と他者の関係も同様に理解している為である。
この位置関係は円筒形にして描き考えると、よく分かるだろう。
中間でどちらの極にも揺れていると、あなたがたが信じている『中間』は両極のどちらからも最も遠い場所に位置し、しかもあなたがたが信じる両極とは2次元構成上に見る事の出来る範囲での両極で、実際の両極の位置まで、未だ半分しか至っていない幻の両極で、蜃気楼の様なものだ。
砂漠で脱水状態になった人が、いくら手に入れたと思っても、蜃気楼の泉では手を濡らす事さえ出来ない。蜃気楼の両極に少しずつ触ったと思っても、ただの思い込みで、自分の作り出した夢の中の出来事に過ぎない。

(3)1988年は我々にとっても大きな意味を持つ年になるだろう。
各地でいわゆる『UFO現象』が起きるだろう。
それは、一月中に北陸管区で準備しているデモンストレーションを皮切りに始まる予定だ。三月には日本全土で大デモンストレーションを皆既日食の日に予定しているが、自衛隊は発表しないかも知れない。
四月と五月は、北海道管区が考慮中である。来年前半は、予定通りに事が運べば非常に忙しく賑やかになるだろう。
七月には、外国での磁場調整並びに古代英知の波動起動儀式を予定しているが、これは今のところ、何とも言えない。場合によっては、翌年送りになる。

(4)『限りなく増幅する円環運動』は『螺旋運動』にもつながる。『螺旋運動』は、地球上物質生命の基本運動でもある貴重な、そして最もシンプルな運動である。
『限りなく増幅する円環運動』の動力源は、交互に起きる緊張と弛緩の波動のもたらすエネルギーだ。

 緊張→緊張の極致→『破壊』→弛緩→弛緩の極致→『創造』→緊張
 弛緩→弛緩の極致一『創造』→緊張→緊張の極致→『破壊』→弛緩

これはエネルギーの移動を示したものだが、上下の相反するエネルギーは同時進行、つまりシンクロしている。あなたがたの『心』と呼ばれる精神エネルギーは上下の波動エネルギーに小刻みに接触しながら振動している。
あなたがた自身が上昇と下降を繰り返す『限りなく増幅する円環運動』の生命体なのだ。

(5)地球上人類間での100パーセント、テレパシック・コミュニケーションは有り得ないが、80パーセントくらいまでは到達出来るだろうと見ている。
私アーリーオーンの言葉は、波動で伝わる。私の『思う』力の発する波動だ。
その波動の強弱によって、まずコンタクティの頭脳に私の波動の特殊性を覚え込ませる。これはコンタクティが、ごく幼い頃に実行されるのが普通だ。コンタクティは自分とは違う『誰かが居る』という感覚をもって成長する。
 私は波動を3種類持っていて、一つはビジョンを見せる為に使い、一つは言葉を送信する為に使い、最後の一つは感覚を送信する為に使う。波動の強弱の組み合わせによって言葉を構築して、それをコンタクティの頭脳に覚えさせる。
最初は一つの言葉を2-3ケ月かけて教える。その次は短い文節。この頃からが大変だ。コンタクティは身動きできなくなるほどの頭痛を訴えたり、実際に身体が消耗して高熱を発して寝込んだりすることもある。その次に短い文章。ここまでに大体1年~3年以上掛かる。ここでも、色々と身体の拒絶反応があって難航する場合が多い。
それから一行の文章を送信する。この一行の文章を受け取るのに、大変なエネルギーを消耗してしまう為に、多くのコンタクティは禁欲的な生活を自発的に行うことが多い。他のケースも送受信の方法は殆ど同じだが、使う波動の種類が違う。

(6)学識の高い人間の中にも霊的な諸問題を否定する者が居るのは、彼らにとって、彼らの信じる学問の許容範囲内で証明出来る自信が無い為で、必ずしも否定者、即、不信者という訳では無い。

 大方の日本人は輪廻転生を信じている。これは、大昔からの知恵を信仰という形で継承してきた為である。
日本古来の信仰は、かなり宇宙の知的存在についても正直に伝えている。日本の土壌は特別な磁気を帯びた土壌で、この土壌に育まれ継承された物質的生命体は、遺伝という形で大脳の奥深くに、直観という名前で呼ばれる能力を温存してきた。
この直観力こそが宇宙エネルギーの入り口であり、出口である訳なので、この能力の高い日本人の物質的生命体に宿る為に、数々の過去の偉人や天才達が今生、日本に転生してきたのだ。
彼らは、各々の使命を果たすために、霊的な機能に優れた日本人のボディを選ぶ必要があったのだ。輪廻転生を確実に証明する方法は、残念ながら無いが各国にある追跡調査済みの実話をデータとして利用しながら話す方法はある。


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私的カウントダウンアルバム「水面に書いた物語 収録曲の今週のアクセス聴取ランキング
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1月16日(金)~1月23日(金)
ヒット数:1,350件中
    
順位( )内は前週の順位< >内は前々週の順位 

第1位(1)<5>あやかしのまち
第5位(5)<1>軽々しく愛を口にしないで
第2位(2)<2>水面に書いた物語
第3位(3)<3>ごめんなさい
第4位(4)<6>女優(スター)
第6位(6)<4>はるかなるメロディ
第8位(8)<12>それってⅨじゃない
第12位(2)<7>ラスト・ランデヴー
第9位(9)<11>オーロラの町から
第11位(11)<10>Stay with me
第14位(14)<14>素顔のマスカレード
第7位(7)<16>ときめきFALL IN LOVE
第18位(18)<18>わかりあえる日まで
第16位(16)<8>まことのひかり
第15位(15)<13>Sentimentallady”M”
第13位(13)<15>恋すれば魔女
第17位(17)<17>しあわせになれる
第10位(10)<9>マイ・スィート・ライフ
第19位(19)<19>NEVER GIVE UP!


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 「あやかしのまち」が時代を反映して首位を続けている。ご愛聴感謝。
fumio

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《アリオン語録5》

(1)型紙を入れてオート・マティックに製造出来るものに造形美・機能美はあっても、本来の芸術=神技は見い出しがたい。

(2)宇宙はメビウスの輪のねじりが沢山あるもの。
その輪が幾つも交錯したもの。この状態を3次元の頭脳で理解するのは不可能。

(3)破壊と創造は宇宙神の技であり、宇宙神のエネルギーの形態であり、芸術である。
芸術=生命を頭で考えれば考えるほど、物質的、表面的な技術の向上こそが大切なのだという物質至上主義方向へと、拍車をかけることになる。人間的な事象に於いては潜在意識の働き掛け、つまり潜象面の活動は迂余曲折を伴ったとしても常に物質的、顕在的な働き掛けが過剰にならないように、エネルギーを制御する方向へと導いてゆくのだ。


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《アリオン語録4》

(1)『不思議』と感じるメカニズムには個人差がある。
『不思議』と『気持ち悪い』というのは紙一重である。
まず自分の体験上、考えられない事象同士の結び付きや離反など、各々の体験した事の無い新しい組み合わせなどを、見たり経験したりした時に起こる感情。
宇宙のリズムに合致している者は『不思議』感が減少する傾向があり、反対に宇宙リズムから遠い者には、『不思議』よりも気味が悪いとか怖いといった感情が起こる割合が多い。

(2)宇宙エネルギーにも陰陽がある。その陰が暗い部分である。
反エネルギー、地球上で言うプラス・エントロピーに近い現象を引き起こす力とも言う。

宇宙は常にそのバランスが保たれている様になっているが、そのバランスのズレが各宇宙場(異なる次元場)の飽和点に達した時に、破壊・消滅が起きる。プラス・エントロピーの力が100%になる迄、破壊は起こらないと思っている者が多いが、宇宙の多くの場ではそうでは無い。プラスとマイナスのバランスが崩れ、その飽和点に達した時に破壊が起こる。その飽和点は両エネルギーの掛かる度合い、つまりその場や物質によって異なる。

(3)深層意識が決意しても表層意識が同時に決意するのは困難だ。深層意識は魂と直結した前庭の様なもので、表層に対して絶えず働き掛けているが、深層と表層が平行して活動する事は、現代人には困難だ。表層意識は後から付いてくるものだ。

(4)本物の自由とは他人に認めて貰うか貰わないかという事で変化が生じるものでは無い。

(5)ミケランジェロは同化地球人(宇宙から来たという意識を抹消していないタイプの)だった。彼の絵の色彩が完全とまで行かないが戻ってきた事に我々も喜んでいる。オレンジ系の色とピンク系、そして赤の色はもっと軽い色だった。青系統は、当時とあまり変わらない。当時の絵は輝く様な美しい色だった。ほこりや湿気による色の変化は、ミケランジェロの絵だけでは無い。
インドやチベットの絵もそうだ。中国・日本では、もっと変質が激しい。当時の同化地球人達のもたらした革命的な絵や彫像は、宇宙愛の歓喜を表していた。

(6)破壊と創造とは、宇宙神のエネルギー旋回の中枢にあるものでもある。
つまり真の芸術とは、本来そうしたものなのだ。


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《アリオン語録3》

(1)直観は、宇宙の知恵である。あなた方の言葉でアカシック・レコードと呼ばれるところからの知恵である。
 直観は、何ひとつ間違いは無い。問題は、判断する人間の頭脳にある。

(2)直観は起こるものでは無く、受け取るものである。呼び掛ける人間の必要の度合いと真剣さとに対応して宇宙の知恵は送られてくる。送信先は我々の場合もあるし、そうでない場合もある。

(3)衝動と直観は、互いに密接に関わる場合が多い。それは、直観という宇宙の知恵が引き起こすヴァイヴレーションが、あなた方の頭脳に働き掛けた時に、あなた方は即、行動に移したい衝動を感じる様になっているからである。
 宇宙のエネルギーつまりヴァイヴレーションは多くの場合、人間の頭脳に『突き上げる様な』感覚をもたらす事を覚えておいて欲しい。

(4)シンクロニシティとは、つまり意識の無意識に対する働き掛けの一つの結果だと思って貰いたい。シンクロニシティが起きたと感じる事によって、あなた方は自分の願望や恐れなど、気に懸けているものを再度、意識に植え付ける行為をする。ネガティヴな事項は、シンクロニシティが起きたと感じる事を否定した方が良い。

(5)知識は、観念的な人間を作る直接要因では無い。教養と呼ばれるものの方が、より観念的な人間を作る。しかし、外的情報のもたらす知識は充分吟味して、自分の内で使いこなせる様にならなくては、真の知識つまり知恵とはならない。あなたがたは好んで『観念的』という言葉を使う様だが、あなたがたの中に『観念的』な部分が多くあると思っているせいか?

(6)真理とは、宇宙に遍在するエネルギーの事である。

(7)多数の人間の中にあるもの、つまり情熱、愛情、憐びん、恐怖、無常などの感情に訴え懸けるかどうかという事だけが、芸術の意図するものでは無い。

 芸術の普遍性は、宇宙エネルギーの普遍性につながる。


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《アリオン語録2》

(1)普通は転生する前に、意図的に記憶を抹消してから転生する。しかし魂は総ての事を記憶している。魂はその記憶を、必要な時にいつでも取り出して使う事が出来る。前生の性格は、それほど今生には作用しない。前生での行いの方が、影響すると言っておこう。

(2)私、アーリオーンは神霊としての立場上、地球上に顕在化して仕事をする訳には行かない。惑星の進化は、その惑星の有機体によって促進されねばならないからだ。私の出来ることはインスピレーションに限られてしまう。もっと効率良く仕事をせねばならない時に、分魂して受肉させる方法を私達は取って来た。
 あなたがたが地上に幾度も転生してきたのは、私と私の光である宇宙神の意志だと思って貰いたい。

(3)魂は肉体を着けて降りる事は無い。(地球の肉体という意味)魂は、肉体を選んで宿る。

(4)金星には、特殊な磁場発生装置があるので、肉体のままで、しばらく暮らせる。長期に亙る場合には、順応装置を使って少しずつ変化させる。

(5)とりあえずと言うのは変だが、死後、魂は地球と月との間にある所へ行く。
 薄いモヤに覆われた場所と言っておこう。地球から、3.5次元離れた場所だ。

(6)現界と霊界の決定的な違いは、思うという事と行動するという事が同一事項であるという事である。

(7)夢の中の事は、殆どが霊界での出来事であるが、あなたがたの生体脳の中に記憶された時に現実生活の記憶と照合されてしまうので、あなたがたにはそれほど、大きなショックを与えないで済んでいる。

(8)無意識と呼ばれる部分は、魂の前庭に当たる。眠っている間は、実生活の抑圧から解放されて、喜々として羽根を広げている。

(9)衝動は、あなたがたの魂が解放されたいともがく力だ。力は総てエネルギーの一変容形態である。あなたがたの魂が、認められたい自由に表現したいと叫ぶ時に、あなたがたは衝動を感じる。
                           
(10)我々は、創造に向かう力のグループである。壊滅方向に向かう力は、別のグループのものである。本当に壊滅にむかう衝動を、我々は刺激する事は無い。
 受容能力のある者には時には正邪両方の衝動を教えるが、それは受容能力のある者の根底にあるエネルギーが、壊滅方向に向かうものでは無い事を確認している場合だ。衝動殺人や、自殺を止める方法は『光の愛』の実践しか無い。

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《アリオン語録1》

(1)厳密に言えば、狂気は創造の為のエネルギーの一つである。
狂気を創造に持って行くか否かは、その狂気を持つ者に懸かる。
又、狂気を破壊に持って行くのも、芸術の一つではある。

(2)幼児性とは、総ての人類が持つ性格の一つである。幼児性、即、創造という風には結び付かない。幼児性の中にある、純粋さ、無邪気さ、見返りを求めない所、などが真の芸術家には必要である。
 創造とは、発露である。生命を発するのが創造である。

(3)地獄、極楽という概念は人間の概念であり、我々は破壊と創造、陰と陽、プラスとマイナス、正と反という風にとらえている。
 あなた方の生体エネルギーがゼロになった時に、いわゆるソウルは自分のし残した事や失敗した事について、自分自身で裁きを下すのでその状態を、あなた方は地獄と呼ぶのだろう。そして、輪廻転生を繰り返すかどうかを、神霊達のアドヴァイスを取り入れながら決定するのである。
 決定後は、しばらく自分のレヴェルの光の集団に属す事が多い。
 あなた方は、この状態を天国と呼ぶのだろう。

(4)自己に不誠実な者は、宇宙の愛を実践するどころか、それを知る事も無いだろう。しかし、自己に忠実に生きる事だけでは宇宙の愛を実践したとは言えない。

(5)優しくするというのは、相手の機嫌を取ることでは無い。又、親切というのは求められてするものである。この場合も、相手があなたに親切にされる事を心から望んでいるかどうかを見極めよ。

(6)アカデミックな絵画教育というのは、創造性も独自性も霊感も何もかもが常人の域を出ない者の為に方法論と技術を教え込み、何とか貧しい感性をカヴァーする為の教育だ。芸術の理解出来ないエセ専門家の意見など、百害あって一利無しと思う事。
 芸術とは、つまり生き様だと声を大にして叫ぶこと。

(7)前進と後退は、我々にとっては時軸上の左右の問題である。

(8)真実は、肉体年令の老化と精神年令の老化とは関連性が無い。
 しかし、あなた方の社会性という厄介な観念が、しばしば、この二つの全く無関係なものを結び付けてしまうのだ。
 若い柔軟な精神に、肉体がついて来ないと落胆する者もいるが、それほど苦にならない筈である。
 肉体は、出来るだけ良い状態に保つ様に心がければ、それで良い。
 肉体をカヴァーして余りある情熱を、持つことこそ、もっと気に懸けて貰いたい。

(9)手に入れたと思う端から、こぼれてゆくのが解らないか?
手に入れたと思ったものは、既に、あなたが欲しかったものでは無くあなたの欲しいものは、あなたから一歩遠ざかったと思うこと。
(現在、既に手に入れていると思っているものは、今から考え方を変更するのは困難なので、除外して思うこと)
 宇宙の愛は、手に入れることは出来ない。それは、常にあなたからの働きかけの強弱によって、あなたに作用するものだからである。
 一生、働きかけ続けるのだ。

(10)狂気は、宇宙エネルギーの蓄積・充満と、その解放に伴うソウルの動き、状態である。翻弄され、一時的に己を忘れる事。
 高揚の最高状態の、陽に向かうエネルギー。
 反対に、異常とは陰に向かうエネルギー。
 狂気は何かを産み出す、或は、破壊する。異常は、何かを取り込む或は、堕としめる。
 この二つの違いは、あなた方人間には判断が難しいので、あまり考える必要は無い。


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  この正月以来掲載してきた単語別メッセージ集は昨日で終了した。
詩的に作成されたメッセージだったので慣れない人にはかなり難解だったかも…。

 そして本日からは人類全体のパブリックドメイン(公共共有財産 )であるアリオン語録を掲載する。こちらは平易な文体で書かれているので理解しやすいはずである。
fumio



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93/08/31 あなたの一番大事なもの(良心)は、闇に紛れる者達に渡すな…
93/09/10 表に見える虚に魅せられた心を、大地は支えようとするだろうか?
93/10/06 心ある者よ、己が心に問うて行けよ。幽かなる光は漏れ始めている
93/10/07 ★夢見続けるのに飽きた者は、心の間隙を満たす為に何をする?
93/11/05 右舷、左舷、船底…全ての言葉があなたがたの心を揺さぶるが…
93/11/14 傍観者であるというのは、無気力に無関心でいることでは無い…
93/11/17 周囲の織り成す模様に心を奪われぬ様に注意しつつ、観察する…
93/11/18 周囲の織り成す模様に心を奪われぬ様に注意しつつ、観察する…
93/11/27 怒りが的外れであるがために、心は虚しく悲しい思いに満たされ…
93/11/28 虚しい心を満たす為に更に外に目を向ける…寂しい回遊魚の世界
94/02/07 言葉では無く…人の心に響き、感動と時として涙を呼ぶもの…愛
94/02/18 真剣勝負で戦う時に忘れてはならないことは「一期一会の心」
94/02/23 自らの心に耳を澄ますと、恥ずかしい事もある…それで当たり前だ
94/02/28 自分の「心=魂の前庭」に沿わない事は、「腑に落ちない」ものだ
94/03/01 腑に落ちない事を放置し続けると「心=魂の前庭」の機能が落ちる
94/03/02 「心=魂の前庭」の機能が落ちると、良心の働きが悪くなる
94/03/03 良心の働きが悪くなると、人は人であることの意味すらも見失う…
94/05/23 己の心を閉じたままで、相手の心に触れることは適わぬこと。
94/06/05 解かれた封印から血の色を頼りに、あなたの心から鬼が出る…
94/06/25 あなたの現実は、あなたの心身が知り得る現象の一つの観方。
94/07/17 あれこれ屁理屈付けて動こうとしない自らの臆した心を疎みなさい
94/07/26 人の心が石になる時、明けの明星は輝かず、朝告げ鳥も鳴かぬ
94/07/28 心身共に揺れる時、今がその時。揺れても本質は変らない、焦るな
94/07/30 蟹星の全き夜、夜露に濡れた心が蘇る…獅子心中の虫に気付かず
94/08/24 火炎の壷の蓋は開き、黄泉の門は開かれた。良心の働きが全てだ…
94/09/05 八つが峰に白き炎もて封印せし輪は放たれたが、人心は惑うのみ
94/09/07 人よ人、心無き骸となる勿れ、水面に映る己の姿を信じる勿れ
94/09/13 自分の心に正直であろうとする前に、自分の心を見つめ直しなさい
94/09/15 鏡の曇りは人心の乱れを、かくも美しく彩り形作るものなのだ。
94/09/16 百鬼夜行の道筋に見出された曲がらぬ心は、夜空に輝く星となり
94/09/21 書かれてある通りに事々は成就す。然して人の心は何を照らす?
94/09/27 頭で理解した事を心を通し魂に問わないなら、単なる知識で留まる
94/10/03 日溜りの中丸くなる仔猫を愛しいと思う心が、仔猫の生命を生かす
94/10/04 号令が聞こえ自動的に身体が動く…だが、心に号令は響いたのか?
94/10/27 入り江の外には蛍火…在りとし在る者達よ、静かに心に炎を燃やせ
94/12/30 灯台の灯は暗い夜、嵐日に海の者の心の支え‥あなたの灯台は?
95/01/03 この先、目を奪われる事多くあれど、安き心もて諸事に当たれよ
95/01/22 崩落、横溢、突出、捻転。良心の良心足るべき時を心得よ‥夕刻
95/01/31 苦界の放つ矢は確実に目を射るが、心有る者は胸に手を当てる
95/02/13 早馬は駆け抜け、時の鐘は鳴り響く。心に響かぬ事に疑問を持て
95/02/23 丹精込め心を磨き淀み無い気持ちを持て‥世(夜)が明ける
95/03/10 己の不正を、羞恥心なく正当化する時に殺される良心の叫びが‥
95/03/11 白黒、善悪、好悪‥二元論で推し量れる世界は人の心を量れるか?
95/03/12 窓枠の無い窓の心を目指しなさい‥困難ではあるが不可能では無い
95/03/17 己が爪先の塵に気付かぬ者が、他者の心の塵を云々するか?
95/04/20 放たれた鳩は月桂樹の葉を持ち帰るか?‥全て民心の一致次第
95/04/21 祖土(オヤツチ)の恵みに感謝し、真心勿て祖土(オヤツチ)に働く者、幸い也
95/05/02 それは漣のように静かに弧を描きながら、頑なな岩の心を侵食す
95/05/10 心の望みと感情的な求めが一致しない場合、心に正直と言えるか?
95/05/11 己に掛けた手綱の絞め具合一つで、傲慢にも卑屈にも変化する心鏡
95/05/16 上昇三角と下降三角の間に、縦横に花開く蓮華を象る人心の連繋を
95/06/05 あなたの言葉は、あなたの本当の心を代弁しているだろうか?
95/06/11 個々の心の襞の奥深くに、置き忘れている問題は無いか?
95/06/17 暗い嵐の夜の灯台の光のように心を導く光は何処に?
95/06/22 義の道に照らし合わせて許せない事を許すな‥その心が困難打破す
95/06/26 朱鷺色の雲のたなびく上、夜も輝く太陽は傘の要らない心を作る

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やはりというべきか「心に関するメッセージ集」は数が多い。拾い読んでゆくだけでも心に沁みてゆく。
fumio

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私的カウントダウンアルバム「水面に書いた物語 収録曲の今週のアクセス聴取ランキング
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1月9日(金)~1月16日(金)
ヒット数:1,641件中
    
順位( )内は前週の順位< >内は前々週の順位 

第1位(5)<4>あやかしのまち
第2位(2)<1>水面に書いた物語
第3位(3)<3>ごめんなさい
第4位(6)<6>女優(スター)
第5位(1)<2>軽々しく愛を口にしないで
第6位(4)<5>はるかなるメロディ
第7位(16)<8>ときめきFALL IN LOVE
第8位(12)<11>それってⅨじゃない
第9位(11)<8>オーロラの町から
第10位(9)<9>マイ・スィート・ライフ
第11位(10)<19>Stay with me
第12位(7)<7>ラスト・ランデヴー
第13位(15)<15>恋すれば魔女
第14位(14)<17>素顔のマスカレード
第15位(13)<14>Sentimentallady”M”
第16位(8)<13>まことのひかり
第17位(17)<18>しあわせになれる
第18位(18)<12>わかりあえる日まで
第19位(19)<16>NEVER GIVE UP!


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 ちょっと沈んでいた「あやかしのまち」がまた首位に立った。このところめまぐるしく順位が入れ替わっている。ご愛聴感謝。

fumio

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