monologue
夜明けに向けて
 



 *赤い月の形としての物語*
      〔プロローグ〕
     銀色の舟の娘は、葦の夢の中に分け入る。
      ゴーマは、星の形を散りばめた布の国から。
      暗い日々の夜明けは、黒い羊の葬られた所へ。
        「見よ」と声がする。
      叫びは鳥の鳴き声と共に、夜明けの町にこだまする。
      人は赤い月の表面に、メイオウの影を読み取る。
     その時、隠されていた嘆きは壺の中から出てくる。

         1
      子供の柔らかい肌に、悲しみの黒い雨。
      その染みは、大人になっても残るだろう。
      この染みは岩屋の向こうから狙っている獣の標的となるだろう。
      多くの人が口にする言葉はもはや何の力も持たない。
      バビロンの夢は、シバの思い。
      イカヅチと共に、鷲の巣を砕く。

         2
      ジャンヌはもはやフランスから来ないだろう。
      黒い旗はむしろカリブの方向から来るだろう。
         「さて」と娘は話す。
      「私は何処に着くのでしょう」
      そう、娘の舟は月の影を回り、そしてヴィナスの夢を見る。
      大いなる「海王」と、大いなる「眠りの王」との
      楕円の舞踏会では、「火の王」と「木の王」とが密談を交わす。
      ひとり外れて「土の王」が嘆く。
      「水の王」は娘のために舟を出す。

         3
      わざわいは、あなたがたの胸ポケットの中から。
      苦しみは、海の水から来るだろう。
      火を吹く6頭立ての戦車は、日本の国の頭の部分に攻撃を加える。
      日本の国は、大いなる虐殺の後にアジアの稲を自国に蒔く。
      日本の国は「鯨の夢」を貪るだろう。
      国賓と呼ばれる影の人々が、この国を手中に収めようとしている。
         4
      銀色の 娘は、その形をもって判断する。
      血と水を分ける。
      鉛と銀を分ける。
      風を空気から、分ける。
      石を岩から散り出す。
      そして、太陽の下へと帰るだろう。
        
             〔エピローグ〕
       地には這いずりまわる者の音が満ち、
       天には炎が満ちる。
       オメガはアルファであり、点であり線であることを
       その黄金の火柱の中に、人々は見いだすだろう。
       自分たちの望み、願うものがこの中にあるのかを
       翼を切り取られた者たちは、考えるだろう。
       火を吹く楕円には解答は無い。
       線を描く卵にも、解答は無い。
       解答は地を這う者の中にある。
       現実と呼んでいる夢の中から、砂金を探すように目を凝らし
       耳を澄まし、声を大にして探せ。
       これより先に舟を見つける手だては無い。



 1991年3月21日に 宇宙神霊ARIONの媒介者、北川恵子氏がA氏の詩(3/4)として発表されたこの「赤い月の形としての物語」は発表当時ほとんど意味不明で無視されたが数々の読み違いがあっても2007年2月末現在、一応全文解読することができた。この預言詩がいまふたたび人々の目に触れることに秘められた意図に思いを馳せながら筆を措こう。
fumio



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             〔エピローグ〕
       地には這いずりまわる者の音が満ち、
       天には炎が満ちる。
       オメガはアルファであり、点であり線であることを
       その黄金の火柱の中に、人々は見いだすだろう。
       自分たちの望み、願うものがこの中にあるのかを
       翼を切り取られた者たちは、考えるだろう。
       火を吹く楕円には解答は無い。
       線を描く卵にも、解答は無い。
       解答は地を這う者の中にある。
       現実と呼んでいる夢の中から、砂金を探すように目を凝らし
       耳を澄まし、声を大にして探せ。
       これより先に舟を見つける手だては無い。



 現実に目を凝らすと「現実」とは
王(タマ)がヒトアシに目をのっけて見ている実であることがわかる。
すなわち、われわれの霊(たま)が人としてこの世に降りて見ている夢なのだ。

 耳を澄まし心に浮かぶのは「聖」という字。
この字は耳と呈がくっついている。
呈はよく通ることで神の声が耳によく通る人のことを聖という。
「聲」を大きくしてよく見ると、声と耳とハと又の組み合わせである。
聖(せい、しょう)と同じ音の聲(せい、しょう)は通じるものがある。

 舟をどうしても見つけなければいけない大切なものような書き方をされてい
る。フネと訓で読むからピンとこない。シュウやセンと音で読む。
その次の「手だてはない」という表現も手の音、シュがヒントになっている。
そう、手だてはシュ立てということ。すなわち、主が立つということなのだ。
そうすると舟も音「シュウ」から主の音に通じる。つまり、われらの真の主を見つけるということである。シュウの音で辿ると終、祝、秋などに関連し一旦終わりの秋(とき)を迎えること。

 現実の「現」は王と見る。「主」を「見」つける、と読める。
主の上のゝはひとつだが舟に乗っているチョンは二つである。
これは「母」の二つのチョンにも通ずる。
毋(なかれ)はよく似ている字であるがこちらは女が犯されるのを拒止する意という。
それゆえチョンが入っていない。
父も二つのチョンから発した交(かい)の字である。
この二つのチョンの特定がわれわれに委ねられているようだ。
父も母もその源を辿れば伊奘諾尊伊奘冉尊両神の二つのチョンから発する。

「これより先に」というのも「先」は之(ゆく)とヒトアシを合わせた文字で先に行った主ということを指している。
それが素盞鳴尊であり、饒速日尊であるのだろう。
以上をまとめると伊奘諾尊伊奘冉尊両神から発して先に行った主を見つけ
一旦終わりの秋(とき)を祝い、新たな現実の主を立てようということである。
fumio

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             〔エピローグ〕
       地には這いずりまわる者の音が満ち、
       天には炎が満ちる。
       オメガはアルファであり、点であり線であることを
       その黄金の火柱の中に、人々は見いだすだろう。
       自分たちの望み、願うものがこの中にあるのかを
       翼を切り取られた者たちは、考えるだろう。
       火を吹く楕円には解答は無い。
       線を描く卵にも、解答は無い。
       解答は地を這う者の中にある。
       現実と呼んでいる夢の中から、砂金を探すように目を凝らし
       耳を澄まし、声を大にして探せ。
       これより先に舟を見つける手だては無い。



「火を吹く楕円には解答は無い。
       線を描く卵にも、解答は無い。
       解答は地を這う者の中にある。」

天地を貫いて新時代創造の「黄金の火柱」が立つが自分たちの望み、願うものの解答は結局「地を這う者」すなわちわたしたち自身の中という。
fumio

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*赤い月の形としての物語*

             〔エピローグ〕
       地には這いずりまわる者の音が満ち、
       天には炎が満ちる。
       オメガはアルファであり、点であり線であることを
       その黄金の火柱の中に、人々は見いだすだろう。
       自分たちの望み、願うものがこの中にあるのかを
       翼を切り取られた者たちは、考えるだろう。



 どうも「翼を切り取られた者たち」というのはわたしたちのことのようだ。
よく考えよう。
「地には這いずりまわる者の音が満ち、天には炎が満ちる。」ことが「オメガはアルファであり、点であり線であること」すなわち終わりと始まり、極微極大の一致を示し、それが「黄金の火柱」であるという。この「黄金の火柱」こそは新時代の幕開けに立つ火柱のようだ。自分たちの望み、願うものがこの中にあるかを考え、より良き希望や願いを実現するために努めねば…。
fumio






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*赤い月の形としての物語*

             〔エピローグ〕
       地には這いずりまわる者の音が満ち、
       天には炎が満ちる。
       オメガはアルファであり、点であり線であることを
       その黄金の火柱の中に、人々は見いだすだろう。
       自分たちの望み、願うものがこの中にあるのかを
       翼を切り取られた者たちは、考えるだろう。
       火を吹く楕円には解答は無い。
       線を描く卵にも、解答は無い。
       解答は地を這う者の中にある。
       現実と呼んでいる夢の中から、砂金を探すように目を凝らし
       耳を澄まし、声を大にして探せ。
       これより先に舟を見つける手だては無い。



「赤い月の形としての物語」の解読もついにこの〔エピローグ〕を残すのみとなった。
わかるようでわからない記述を繰り返し読んでその意味するところを思考するしかない。
はたして解答にたどり着けるのだろうか。
fumio



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     *赤い月の形としての物語*

     4
      銀色の娘は、その形をもって判断する。
      血と水を分ける。
      鉛と銀を分ける。
      風を空気から、分ける。
      石を岩から散り出す。
      そして、太陽の下へと帰るだろう。



「判断」は半分に断つこと。
 「血と水を分ける。」
血と水を分ける前の元の語は洫(きょく)(みぞ)田間の水路のこと。
それは水を血の形の水路に通したもののことである。
出雲の種蒔き人の一族はそういう形の水路を通った。

 「鉛と銀を分ける。」
鉛と銀から金だけを溶かすと、八口と艮(ウシトラ)が分かれる。
これは八の数霊の出雲族が呂、艮に押し込められたことを示している。
 
 「風を空気から、分ける。」
「空気」を分解すると空のウカンムリと気の気構えが消えて残った中身の八とエとXが融合して虫という形にまとまって最後の仕上げに愛を一匙かけると「風」の字が…。
 空が母であり、気が父であり、風は、その愛の結晶である子であったのだ。
fumio




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*赤い月の形としての物語*

         3
      わざわいは、あなたがたの胸ポケットの中から。
      苦しみは、海の水から来るだろう。
      火を吹く6頭立ての戦車は、日本の国の頭の部分に攻撃を加える。
      日本の国は、大いなる虐殺の後にアジアの稲を自国に蒔く。
      日本の国は「鯨の夢」を貪るだろう。
      国賓と呼ばれる影の人々が、この国を手中に収めようとしている。



      「日本の国は、大いなる虐殺の後にアジアの稲を自国に蒔く。」
  平成15年9月29日新高輪プリンス・ホテル において
第3回アフリカ開発会議で小泉総理大臣は以下のように演説した。
「経済の成長なくして貧困の削減はありません。我が国は特に農業生産性の向上、ひいては食糧輸入依存からの脱却に向けた協力を一層重視していきます。アジアの稲とアフリカの稲の長所を組み合わせたネリカ米の普及は、こうした日本の取組みを象徴するものです。」

「鯨の夢」とは捕鯨国としての夢とゲーム大国としての夢。

「国賓と呼ばれる影の人々」の存在は表面からはなかなか見えない。
fumio



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*赤い月の形としての物語*

         3
      わざわいは、あなたがたの胸ポケットの中から。
      苦しみは、海の水から来るだろう。
      火を吹く6頭立ての戦車は、日本の国の頭の部分に攻撃を加える。
      日本の国は、大いなる虐殺の後にアジアの稲を自国に蒔く。
      日本の国は「鯨の夢」を貪るだろう。
      国賓と呼ばれる影の人々が、この国を手中に収めようとしている。


「火を吹く6頭立ての戦車」とは北朝鮮のミサイル。
2006年7月5日、北朝鮮から7発のミサイルが日本海に向けて発射され、数分後に日本海に着水した。
北朝鮮江原道安辺郡にあるミサイル基地、旗対嶺(キッテリョン)からスカッドC 、
ノドン、ノドン、ノドンB、新型スカッド 、新型スカッド など6発発射され北朝鮮北東部の舞水端里(ムスダンリ)からテポドン2号が発射された。幸いどれも日本には届かなかったがアメリカは航行距離の長いテポドン2号の開発に神経をとがらせている。
fumio



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        *赤い月の形としての物語*

         2
      ジャンヌはもはやフランスから来ないだろう。
      黒い旗はむしろカリブの方向から来るだろう。
         「さて」と娘は話す。
      「私は何処に着くのでしょう」
      そう、娘の舟は月の影を回り、そしてヴィナスの夢を見る。
      大いなる「海王」と、大いなる「眠りの王」との
      楕円の舞踏会では、「火の王」と「木の王」とが密談を交わす。
      ひとり外れて「土の王」が嘆く。
      「水の王」は娘のために舟を出す。



 「私の舟は、何処に着くのでしょう」以下の記述はシュメールの宇宙創世叙事詩エヌマ・エリシュ(Enuma elish)に基づいている。ややこしい物語 だがそのあらましをみておこう。
エヌマは時間(When)で、エリシュは上(high)(天)ではと言う意味で絶頂の時などとも訳される。
「混沌の中に、水の男神太陽アプス(Apsu)と、海の雌竜、原地球ティアマト(Tiamat)と、生命の源、水星ムンム(Mummu)が存在した。
アプスとティアマトから、火星ラフム(Lahmu)と金星ラハム(Laha
mu)土星アンシャール(Anshar)と木星キシャール(Kishar)
天上神天王星アヌとその息子の知恵の神海王星エアが誕生した。
アヌやエアたちの喧騒に耐えかねてアプスは子供たちを滅ぼそうとしたので
エアがそれに気づいてアプスを眠らせしムンムも動けなくした。
今度はティアマトが二番目の夫キングウ(Qingu)と一緒になって戦いに
臨む。エアは敗れアヌも敗れた。それでエアはダムキナとマルドゥクを生む。
アンシャールはマルドゥクにティアマト平定を命じ、マルドゥクはティアマトの身体を裂き天と地に分けた。かれは太陽、月、惑星を造り、時を十二分割して、
ティアマトの身体からバビロニアの国を造り主神となった。エアはキングウの血で奴隷となる人間を造った。」
大いなる「眠りの王」という表現は海王星、エアによって眠りを与えられた祖神太陽(アプス)のことであろう。イナンナ(ヴィナス)を主役にして太陽系の惑星の運行を描いているのである。
fumio


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        *赤い月の形としての物語*

         2
      ジャンヌはもはやフランスから来ないだろう。
      黒い旗はむしろカリブの方向から来るだろう。
         「さて」と娘は話す。
      「私は何処に着くのでしょう」
      そう、娘の舟は月の影を回り、そしてヴィナスの夢を見る。
      大いなる「海王」と、大いなる「眠りの王」との
      楕円の舞踏会では、「火の王」と「木の王」とが密談を交わす。
      ひとり外れて「土の王」が嘆く。
      「水の王」は娘のために舟を出す。



この場合「ジャンヌ」は世界をリードして闘う義士ということのようだ。
カリブの方向とは南はベネズエラ、コロンビア、パナマに、西はコスタリカ、ニカラグア、ホンジュラス、グアテマラ、ベリーズ、そしてメキシコのユカタン半島に、北はキューバ、イスパニョーラ島のハイチとドミニカ共和国、ジャマイカ、プエルトリコといった国々が考えられる。
2007年1月10日、2期目に就任したベネズエラ大統領ウーゴー・チャベスはシモン・ボリバルの南米連合自由平等思想とキリスト教の精神にのっとった「21世紀の社会主義」を掲げ米国のブッシュ大統領と対決する姿勢をとり人々から新しい救世主として英雄視されたり、反対派からペテン師として敵視されたりしている。
fumio


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 *赤い月の形としての物語*

         1
      子供の柔らかい肌に、悲しみの黒い雨。
      その染みは、大人になっても残るだろう。
      この染みは岩屋の向こうから狙っている獣の標的となるだろう。
      多くの人が口にする言葉はもはや何の力も持たない。
      バビロンの夢は、シバの思い。
      イカヅチと共に、鷲の巣を砕く。


「子供の柔らかい肌に、悲しみの黒い雨。
      その染みは、大人になっても残るだろう。」
この詩句によって浮かぶのは様々な生物化学兵器。イラクはそれゆえ標的とされた。
愛や平和の声は虚しく響いた。
鷲の巣(世界貿易ビル・ツインタワー)はイカヅチと共に砕かれた。
fumio






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*月の形としての物語*
      〔プロローグ〕
     銀色の舟の娘は、葦の夢の中に分け入る。
      ゴーマは、星の形を散りばめた布の国から。
      暗い日々の夜明けは、黒い羊の葬られた所へ。
        「見よ」と声がする。
      叫びは鳥の鳴き声と共に、夜明けの町にこだまする。
      人は赤い月の表面に、メイオウの影を読み取る。
     その時、隠されていた嘆きは壺の中から出てくる。



「嘆き」はニギハヤヒのニギの言い換えでナゲ鬼。「壺」は前方後円墳の形にみえるように黄泉の壺で、隠されていたニギハヤヒが黄泉から出てくる。
これでプロローグの解読はすべて終わった。
fumio



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*月の形としての物語*
      〔プロローグ〕
     銀色の舟の娘は、葦の夢の中に分け入る。
      ゴーマは、星の形を散りばめた布の国から。
      暗い日々の夜明けは、黒い羊の葬られた所へ。
        「見よ」と声がする。
      叫びは鳥の鳴き声と共に、夜明けの町にこだまする。
      人は赤い月の表面に、メイオウの影を読み取る。
     その時、隠されていた嘆きは壺の中から出てくる。



「見よ」はいつもいうように三四で四三が返っているから「甦る(黄泉帰る)」と声がするのだ。「叫び」は酒の神であり日の神である大物主(ニギハヤヒ)の言い換え。かれの叫びが夜明けの町にこだまする。

 「人は赤い月の表面に、メイオウの影を読み取る。」
赤い月(mono)はやはり隔り世にある大鬼(mono)主であろう。
人は大物主(ニギハヤヒ)が冥王、明王(メイオウ)でもあることを読みとる。
fumio



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 *赤い月の形としての物語*
      〔プロローグ〕
     銀色の舟の娘は、葦の夢の中に分け入る。
      ゴーマは、星の形を散りばめた布の国から。
      暗い日々の夜明けは、黒い羊の葬られた所へ。
        「見よ」と声がする。
      叫びは鳥の鳴き声と共に、夜明けの町にこだまする。
      人は赤い月の表面に、メイオウの影を読み取る。
     その時、隠されていた嘆きは壺の中から出てくる。



 「暗い日々の夜明けは」
「暗」は音が日のかげにあること。その音(のん)が日陰から出てれば夜が明ける。

「黒い羊の葬られた所へ」
「黒」は田の回転している赤。赤の世界(隔り世)からお出ましになる天照太神が羊(ヨウ)、陽として暗喩されている。血液も体外に出れば黒くなる。ヒツジと読めば日継ぎ(ヒツギ)の皇子の意味もかけている。
葬られた所は「黒」は五行では北であるから北から夜が明けるらしい。
fumio


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 *赤い月の形としての物語*
      〔プロローグ〕
     銀色の舟の娘は、葦の夢の中に分け入る。
      ゴーマは、星の形を散りばめた布の国から。
      暗い日々の夜明けは、黒い羊の葬られた所へ。
        「見よ」と声がする。
      叫びは鳥の鳴き声と共に、夜明けの町にこだまする。
      人は赤い月の表面に、メイオウの影を読み取る。
     その時、隠されていた嘆きは壺の中から出てくる。


「星の形を散りばめた布の国」
「星の形を散りばめた」合衆国の最後に散らばった星、ハワイ州は布哇と書く。
布哇(ハワイ)からの轟魔(ゴーマ)とは有名なキラウエア火山の噴火のマグマ。
キラウエア(Kilauea)はハワイ島南東部の活火山で標高1222m。山頂に大カルデラがあり、その中央のハレマウマウ火口では溶岩湖がよく出現する。
キラウエア火山には霊的あるいは物質的な改革をもたらし封印を解くための地球の血液、マグマ(ゴーマ)がたぎっているのだ。地球の血液(マグマ)も人の血液もともに四十数億年前に分かれた兄妹で、月の引力の作用を常に受けている。ゴーマをGoohrrmaというスペルにしてアナグラムすると創世記18-19のGomorrah(ゴモラ)の破滅に関わりが出てくる。轟魔(ゴーマ)は月讀の合図を待っているのか。
fumio


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