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問題、以下の有名曲、三曲を聴いてその共通点はなにか?
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The Ronettes - Be My Baby
Beach Boys - Don't Worry Baby
Byrds-"Mr. Tambourine Man
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さあ、どうだっただろうか。音感の優れている方には簡単だったかもしれないが答えはリズムなのである。すこし違うように聴こえても同じリズムを使用して曲ができているのだ。
まず、米ポップ音楽界の新時代の旗手フィル・スペクターがウォールサウンドと称する分厚い音を重ねた音楽を世に送り出した。その第一弾がザ・ロネッツの「ビー・マイ・ベイビー」だった。ビーチボーイズのブライアン・ウィルソンはラジオから流れるそのビートに圧倒された。そのビートを同じミュージシャンを使って自分達の薪曲に使用したのがこれまでのシングルレコードのB面で史上もっとも名曲とされる「ドント・ウォーリー・ベイビー」であった。
そして、バーズというグループを結成してボブ・デイランの「ミスター・タンブリンマン」でフォークとロックの融合を目指したロジャー・マッギンはビートルズの映画Hard day'sNightを見てジョージ・ハリソンが映画の録音に使用したのがリッケンバッカーの12弦エレクトリックギター「リッケンバッカー・360/12」だったということを知ると早速購入した。その12弦エレクトリックギターでバッハのチェンバロ曲風のフレイズを弾くとできたのがあの「ミスター・タンブリンマン」の印象的なイントロであった。リズムにはかれの大好きな「ドント・ウォーリー・ベイビー」のものを使った。そうすることによって見事にフォークロックと呼ばれる新しい音楽が誕生した。「ビー・マイ・ベイビー」が「母、「ドント・ウォーリー・ベイビー」が子、「ミスター・タンブリンマン」が孫ということになる。同じDNAをもつ歌たちといえるのかも…。
現代ではその曾孫(ひまご)玄孫(やしゃご)などがその祖先もしらずに育ち歌われているのだろう。
fumio
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2006年7月7日、ピンク・フロイドの設立メンバーの一人で中心人物であった、シド・バレット(Syd Barrett)が糖尿病の合併症により60才で亡くなった、というニュースに、そうか、やはり、とうとう、など複雑な感慨を抱いた。英国にはビートルズ、ローリングストーンズなどビートポップグループと別の方向性をとるロックの潮流があった。その代表が芸術性を指向するピンクフロイドであった。
かれらのデビューシングルはArnold Lane で内容は女装癖をもつ下着泥棒の男の話しで不可解だったが一部では支持され、二枚目のSee Emily Play は一般受けしてヒットチャートを駆け昇りピンクフロイドは人気者になってしまった。
ところが芸術家肌のシド・バレット、本名ロジャー・キース・バレット(Roger Keith Barrett,)は、その人気に馴染めずLSDなどを乱用して精神的に病んで社会と隔絶した生活を送った。かれは破壊と創造の境の間(魔)に落ち込んでとうとう帰ってくることができなかった。しかし、かれの感性を継承したピンクフロイド 、ディヴィッド・ボウイ などは現実世界に踏みとどまって成功したのである。アートロックの先駆者の見ていた夢はなんだったのだろう。夢の途中で亡くなったのだろうか…。合掌。
fumio
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初期の頃、シカゴブルースを中心に採り上げていたローリングストーンズは先行するビートルズに倣って初めて自作の曲「ラストタイム」 を発表した。そして新曲作りに取り組んでいたキース・リチャードは睡眠中、ギターリフを思いついて夜中に夢遊病のように夢うつつでオープンリールのテープレコーダーに吹き込んで眠った。朝起きて昨夜の出来事が本当なのか確かめるためにテープを聴いてみると確かに録音されていてそのフレイズが気に入った。それが世界のロック音楽界を制する新曲 Satisfaction のイントロになったのであった。「ラストタイム」ではサイドギターを弾いていたキースはこの「サティスファクション」ではリードギターを弾いている。
当時、米ソウル界の新星、オーティス・レディング(Otis Redding)はイギリスから発信される新たな音楽の潮流に関心を寄せローリングストーンズの新曲が発表されたと知るとすぐに聴いて自分のスタイルに合っているからカバーしレコーディングして レパートリー にした。やがてアメリカでもローリングストーンズの「サティスファクション」が発売されるとファンたちは「今度のローリングストーンズの新曲はオーティス・レディングの歌のパクリだ」と噂した。オーティスのカバーがあまりに早かったためにローリングストーンズは変な濡れ衣を着ることになってしまったのであった。オーティスはその後しばらくして飛行機事故で26才という短い一生を終えることになったが、さすがに天才たちはアンテナが鋭い、と思わせられたものだ。
fumio
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アソシエイションという?ループがあった。キャッシュボックス誌1966年September 24付けCherish が首位になっている。そして翌年67年July 8 にWindy が、そしてOctober 14にはNever My Love が首位に就いている。このNever My Loveを聴くたびに惜しかったな、と思う。
1962年4月、ジャニー喜多川がかれの野球チームから4人選んで結成した「ジャニーズ」というタレントグループがあった。かれらは1966年にタレント修業のために渡米した。「You were near me」「Never my love」などをレコーディングしたのだが発売中止になり67年に帰国してしまったのだ。なんとその 「Never my love」が「アソシエイション」によって発売され大ヒットして首位になったのだ。
「You were near me」も「Never my love」もいい曲だったので、あの時かれらがアメリカでがんばりつづけていれば日本のミュージシャンの世界制覇の魁(さきがけ)になれたかも、と今でもふと思うのだ。日本国内のジャニーズ系タレントの魁とはなったけれど…。
fumio
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洋楽史の分水嶺となった1964年はどんな年であったのか。キャッシュボックス誌の年間を通じて全ての週の首位曲を以下に転載しておく。
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CASH BOX TOP SINGLES - The 1964 charts!
1964 #1
January 4 There! I’ve Said It Again - Bobby Vinton
January 11Louie Louie - Kingsmen
January 18 Louie Louie - Kingsmen
January 25 I Want To Hold Your Hand - Beatles
February 1 I Want To Hold Your Hand - Beatles
February 8 I Want To Hold Your Hand - Beatles
February 15 I Want To Hold Your Hand - Beatles
February 22 I Want To Hold Your Hand - Beatles
February 29 I Want To Hold Your Hand - Beatles
March 7 I Want To Hold Your Hand - Beatles
March 14 I Want To Hold Your Hand - Beatles
March 21She Loves You - Beatles
March 28 She Loves You - Beatles
April 4Twist And Shout - Beatles
April 11 Can’t Buy Me Love - Beatles
April 18 Can’t Buy Me Love - Beatles
April 25 Can’t Buy Me Love - Beatles
May 2 Can’t Buy Me Love - Beatles
May 9 Can’t Buy Me Love - Beatles
May 16 Hello, Dolly! - Louis Armstrong & All Stars
May 23Love Me Do - Beatles
May 30 My Guy - Mary Wells
June 6Chapel Of Love - Dixie Cups
June 13 Chapel Of Love - Dixie Cups
June 20 Chapel Of Love - Dixie Cups
June 27A World Without Love - Peter & Gordon
July 4 I Get Around - Beach Boys
July 11 Rag Doll - 4 Seasons
July 18 Rag Doll - 4 Seasons
July 25 A Hard Day’s Night - Beatles
August 8 A Hard Day’s Night - Beatles
August 15 Everybody Loves Somebody - Dean Martin
August 22 Where Did Our Love Go - Supremes
August 29 Where Did Our Love Go - Supremes
September 5The House Of The Rising Sun - Animals
September 12 The House Of The Rising Sun - Animals
September 19 The House Of The Rising Sun - Animals
September 26 Oh, Pretty Woman - Roy Orbison & Candy Men
October 3 Oh, Pretty Woman - Roy Orbison & Candy Men
October 10 Oh, Pretty Woman - Roy Orbison & Candy Men
October 17 Do Wah Diddy Diddy - Manfred Mann
October 24 Do Wah Diddy Diddy - Manfred Mann
October 31 We’ll Sing In The Sunshine - Gale Garnett
November 7 Last Kiss - J. Frank Wilson & Cavaliers
November 14 Baby Love - Supremes
November 21 Baby Love - Supremes
November 28Leader Of The Pack - Shangri-Las
December 5 She’s Not There - Zombies
December 12 Ringo - Lorne Greene
December 26 Come See About Me - Supremes
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なかなか興味深い動きを示していた。全米1位になった曲ばかりだから耳慣れていて聴くとそれぞれにかかわる思い出がふと甦える方が多いだろう。特に「オー・プリティ・ウーマンOh, Pretty Woman 」を歌うロイ・オービソンを紹介する二人の女性を見れば…。
fumio
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そして、1964年中盤を終え、次にイギリス勢として首位を奪ったのは9月に入ってSeptember 5付けキャッシュボックス誌の1位になったジ・アニマルズの「朝日の当たる家 The House Of The Rising Sun」であった。 映画「ポップギア」 でこの歌を演奏するアニマルズは、ロックヴォーカリストたちに衝撃を与えた。エリック・バードンのソウルフルな歌唱に圧倒されてなんとかあんな風に歌おうと稽古したものだった。
「朝日の当たる家」は、それまではジョーン・バエズ の演奏するような普通のフォークソングだった。
1962年、フォークとロックの改革者となる、ロバート・アレン・ジマーマン(Robert Allen Zimmerman)というユダヤ系名から改名したボブ・ディラン (Bob Dylan)は敬愛する先輩フォーク歌手ディヴ・ヴァン・ロンクDave Van Ronk の演奏する店に毎晩通った。デビューアルバムにディヴ・ヴァン・ロンクの大切なレパートリーである「朝日の当たる家」を収録したかったから。ディランはディヴ流の「朝日の当たる家」の素晴らしいコード進行をピックアップしてしまいある日、ディヴに尋ねた。。"Would you mind if I recorded your version of the house of the rising sun?"「あなたのヴァージョンで『朝日の当たる家』をレコーディングしてもかまいませんか?」
「おれにも録音の予定があるんだ」とディヴがすげなく断ると、ディランは「アッオー」と絶句したが
ディヴ・ヴァン・ロンクのコード進行のままで録音してしまったのだ。ディヴはおかげで以来、ディランのを盗んだと思われるから「朝日の当たる家 」をやれなくなった、と嘆く。
ディランはアニマルズと会った時この歌を教えた。そして、アニマルズに継承されたディヴ・ヴァン・ロンクヴァージョンのコード進行のこの曲は20世紀を代表するフォークやロック、ポップのジャンルを超えた名曲になったのである。
fumio
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1964年前半の全米ヒットランキングはビートルズ一色に染まり、追走してきたイギリス勢Dave Clark Fiveの「Glad all over」は5位停まりに終わった。しかし、しばらくすると映画「ポップギア」に出演していた ピーターとゴードンPeter & Gordonの愛なき世界World Without Love がJune 27付けキャッシュボクス誌の1位に躍り出た。イギリス勢としての快挙だった。この歌はレノン・マッカートニー作品でポール・マッカートニーが恋人のジェーン・エイシャーの兄でデュオ、「ピーターとゴードン」のピーター・エイシャーに提供した曲だったので結局はビートルズ 作品ばかりがラジオで流れていたことになる。 ファンはそんな仲の良いジェーンとポールが何時、結婚するのかと思っていたが気が付くとポールは写真家のリンダ・イーストマンと結婚していた。「愛なき世界」を聴く時、ジェーンやポールはなにを思うのだろう。
fumio
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あちこちで話題になっている今世界で最も注目を浴びている女性のひとりがスーザン・ボイル(Susan Boyle)である。47才の一見オバサン風であまりパッとしないのだがイギリスで4月11日に放送されたオーディション番組「ブリテンズ・ゴット・タレントBritain's Got Talent」 がユーチューブに配信されて一躍世界中の時の人になった。見かけと歌唱の差が人々の心をとらえる。記憶をたぐると似たようなことがあった。2007年に携帯電話会社の販売店員、ポール・ポッツ(Paul Potts)が、「ブリテンズ・ゴット・タレント」 に出場して優勝するドキュメント番組を見たことがある。あのとき妻はごく感動して何度もその番組を見たがった。今度はその女性版である。見栄えと才能は比例しないようだ。その差が大きいほど聴衆の感動も大きくなるらしい。ポール・ポッツがオペラ界のスターになったようにこの人もスターになるのだろう。すこし遅いスタートだったけれど…。
fumio
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1962年9月4日にザ・ビートルズはデビュー・シングル用に用意されたHow Do You Do It をEMIスタジオで初録音している。
ところがかれらはその与えられた他人の歌が気に入らずメンバーのジョン・レノンが作った「ラヴ・ミー・ドゥ 」でデビューすることにこだわった。それでHow Do You Do It はジェリーとペースメーカーズにまわり英国で1位になっているのだが、もしザ・ビートルズがこれまでのレコード会社の制作システム通りに「How Do You Do It」 でデビューしていれば歴史はすこし遅れていただろう。
ビートルズ出現は音楽界のシステムを変えた。1963年の ヒットパレード状況をみてもわかるようにそれまでは、作詞家が詞を書き、作曲家が曲を作り、演奏家が演奏し歌手が歌うというようにそれぞれ役割分担して専門毎に棲み分けていた。ところがビートルズは作詞作曲、演奏、歌と全部自分達でこなした。そのために従来の形にとらわれず独創的な作品を創れることになったのだ。かれらが手本を示したおかげで現在では作詞作曲演奏など当たり前になっている。だれもそのことを奇妙と思わない時代になったのである。あまり気付かれないかもしれないがビートルズは大ヒットしただけではなく業界およびミュージシャンの太平の眠りを覚ましたのだ。自分でできることは人まかせにしないで自立して自分でする。ミュージシャンといえどあやつり人形に甘んじない。それこそがかれらが後続の若者へ遺した大いなる遺産であった。
fumio
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今にして思えば、表面上平和そうにみえた1963年は実は前年デビューしたザ・ビートルズがまず地元イギリスを制覇しそのマグマの奔流が世界に噴き出そうとする嵐の前の静けさであったに過ぎなかったのだ。
1964年に入ってキャッシュボックス誌のベスト10を高校時代のノートから写すと 1月18日付の分は以下のようになっている。
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January 18
1.Louie Louie Kingsmen
2.There! I’ve Said It Again Bobby Vinton
3. POPSICLES AND ICICLES Murmaids
4. SURFIN’BIRD Trashmen
5. FORGET HIM Bobby Rydell
6. DOMINIQUE Singing Nun
7.THE NITTY GRITTY Shirley Ellis
8.Hey little cobra Rip Chords
9. SINCE I FELL FOR YOU Lenny Welch
10. Drag city Jan and Dean
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この週は評論家ピーター・バラカン氏がロック史上最も好きというキングスメンの「ルイ・ルイ」が2週連続首位に輝いていた。この「ルイ・ルイ」 は歌詞が聞き取りにくいので、きっと猥褻なことを言っているのだろう、と識者に邪推されて放送禁止になったりして話題の曲だった。
そして翌週、歴史は変わる。ついに目に見えなかったマグマが噴き出すのだ。
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January 25
1. I WANT TO HOLD YOUR HAND Beatles
2. THERE! I’VE SAID IT AGAIN Bobby Vinton
3. LOUIE LOUIE Kingsmen
4. POPSICLES AND ICICLES Murmaids
5. SURFIN’ BIRD Trashmen
6. YOU DON’T OWN ME Lesley Gore
7. HEY LITTLE COBRA Rip Chords
8. OUT OF LIMITS Marketts
9. FORGET HIM Bobby Rydell
10. ANYONE WHO HAD A HEART Dionne Warwick
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司会の小島正雄さんが興奮気味に「今週の全米1位はザ・ビートルズのI WANT TO HOLD YOUR HAND 、この曲は先々週初登場80位、先週43位でした。」と言うのを聞いて、あれっと思った。ザ・ビートルズというのは数週間前に今週の注目曲として「プリーズ・プリーズ・ミー」 という日本発売新譜を小島さんが番組で紹介していたのをテープに録音して気に入ったので何度も聴いて記憶にある名前だった。そのバンド、ザ・ビートルズが別の曲で突然1位になったのだ 、となんだかうれしかった。「プリーズ・プリーズ・ミー」はどうなったのか、と思っているとそれからI WANT TO HOLD YOUR HAND は8週連続1位を続け4月4日のベスト10は、
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April 4,
1.TWIST AND SHOUT Beatles
2.CAN’T BUY ME LOVE Beatles
3.SHE LOVES YOU Beatles
4.I WANT TO HOLD YOUR HAND Beatles
5. PLEASE PLEASE ME Beatles
6.HELLO, DOLLY! Louis Armstrong & All Stars
7.DAWN (Go Away) 4 Seasons
8.MY HEART BELONGS TO ONLY YOU Bobby Vinton
9.GLAD ALL OVER Dave Clark Five
10.SUSPICION Terry Stafford
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この日、ノートをつけているとなんと1位から5位までがビートルズだった。のちの世まで語り継がれるべき快挙。かれらは歴史を作ったのだ。この週、アメリカのラジオ局は朝から晩までビートルズを流していたのだろう。9位にDave Clark Fiveが追撃するように入ってきているがこれからイギリス勢が大挙して押し寄せ第1次ブリティッシュ・インヴェィジョンが始まることになる。アメリカ、ヨーロッパ、世界、日本は突き上げるような揺れに蹂躙されてとうとう長い太平の眠りから醒めることになった。
fumio
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わたしがキャッシュ・ボックス誌の全米ベスト10を聴き始めた1963年の洋楽界 はまだ太平の眠りの中にあった。日本のラジオ番組の年間ランキングはどこもにたりよったりで以下のようだった。
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第1位 ヘイ・ポーラ (ポールとポーラ)
2位 悲しき雨音 (カスケイズ)
3位 史上最大の作戦マーチ(ミッチ・ミラー楽団)
4位 シェリー (フォー・シーズンズ)
5位 大脱走のマーチ (ミッチ・ミラー楽団)
6位 禁じられた恋の島(エリオ・ブルーノ楽団)
7位 内気なジョニー (ジョニー・ソマーズ)
8位 ワン・ボーイ (ジョニー・ソマーズ)
9位 悲しき悪魔 (エルヴィス・プレスリー)
10位 太陽はひとりぼっち(コレット・テンピア楽団)
11位 恋の売り込み (エディー・ホッジス)
12位 北京の55日 (ブラザーズ・フォー)
13位 テルスター (トーネードーズ)
14位 さすらいのマーチ(ニニ・ロッソ)
15位 悲しきカンガルー (パット.ブーン、ロルフ・ハリス)
16位 ロコ・モーション(リトル・エバ)
17位 サマー・ホリデー(クリフ・リチャード)
18位 恋のバカンス (カテリーナ・ヴァレンテ)
19位 アイ・ウィル・フォロー・ヒム(リトル・ペギー・マーチ)
20位 エデンの東 (ヴィクター・ヤング楽団)
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前年1962年にはイギリスでは世界の音楽界を根底から揺すぶることになる、ザ・ビートルズが「ラヴ・ミー・ドゥ」でレコードデビューしていたのだが、1963年という年は年間を通じてあまりチャートに変化はなく平和な時代だった。人は実際に揺れるまで地核の変動に気付くことはできない。
わたしはこのチャートのうち7位の「内気なジョニー」 が一番好きだった。その歌手ジョニー・ソマーズが日本語で歌ったすてきなメモリー も好きだった。渡米してアメリカのテレビを見ていると「シャナナ・ショー」のような音楽バラエティ番組にジョニー・ソマーズが出演してコントをやりながらこの「内気なジョニー」など 数曲 披露していた。往年のヒット歌手が持ち歌を歌いに来るのは当たり前のことなのだろうが本物のジョニー・ソマーズが歌っていることになんだか妙に感心したものだった。
fumio
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