monologue
夜明けに向けて
 



スパスシフィカ浮上動画
遥かなる時代を超えてスパスシフィカは回転して浮上…
そして人類は何処へ?つぎのステージを目指して!
fumio

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 『十種神宝御法(とくさのかんだからごほう)の行』の階梯が進むと禊祓のかわりにお祓いの中のお祓いというべき大祓い詞(中臣之祓詞、中臣の祭文、通称、中臣の祓)が唱えられる。それは神社では、六月三十日の「夏越(なご)しの大祓」と 十二月三十一日の「大晦(おおつごもり)の大祓」との年二回の「大祓祭」に奏上される。
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大祓詞(おおはらひのことば)
『高天原に神留り坐す 皇親神漏岐 神漏美の命以ち
八百萬神等を神集へに集へ賜ひ神議りに議り賜ひて
我が皇御孫命は 豊葦原水穂国を安国と平けく知ろし食せと
事依さし奉りき此く依さし奉りし国中に 荒振る神等をば
神問はしに問はし賜ひ 神掃ひに掃ひ賜ひて 語問ひし
磐根樹根立 草の片葉をも語止めて 天之磐座放ち
天の八重雲を伊頭の千別きに千別きて 天降し依さし奉りき
此く依さし奉りし四方の国中と大倭日高見国を 
安国と定め奉りて下津磐根に宮柱太敷き立て 
高天原に千木高知りて皇御孫命の瑞の御殿仕へ奉りて
天の御陰日の御陰と隠り坐して 
安国と平けく知ろし食さむ国中に成り出でむ
天之益人等が 過ち犯しけむ種々の罪事は 天津罪 国津罪 
許許太久の罪出でむ
此く出でば 天津宮事以ちて 大中臣
天津金木を本打ち切り 末打ち断ちて
千座の置座に 置き足らはして 
天津菅麻を本刈り断ち
末刈り切りて八針に取り辟きて 
天津祝詞の太祝詞事を宣れ

(秘言)

此く宣らば 天津神は天の磐門を押し披きて 
天の八重雲を伊頭の千別きに千別きて聞こし食さむ
国津神は高山の末 短山の末に上り坐して
高山の伊褒理短山の伊褒理を掻き別けて聞こし食さむ
此く聞こし食してば 罪と云ふ罪は在らじと
科戸の風の天の八重雲を吹き放つ事の如く
朝の御霧 夕の御霧を 朝風夕風の吹き払ふ事の如く
大津返に居る大船を 舳解き放ち 艫解き放ちて
大海原に押し放つ事の如く彼方の繁木が本を 焼鎌の敏鎌以ちて
打ち掃ふ事の如く 遺る罪は在らじと祓へ給ひ清め給ふ事を
高山の末 短山の末より 佐久那太理に落ち多岐つ
速川の瀬に坐す瀬織津比売と云ふ神 大海原に持ち出でなむ
此く持ち出で往なば
荒潮の潮の八百道の八百道の潮の八百会に坐す速開都比売と云ふ神
持ち加加呑みてむ
此く加加呑みてば気吹戸に坐す気吹戸主と云ふ神 
根国 底国に気吹き放ちてむ
此く気吹き放ちてば根国 底国に坐す速佐須良比売と云ふ神 
持ち佐須良ひ失ひてむ 
此く佐須良ひ失ひてば今日より始めて罪と云ふ罪は在らじと
祓へ給ひ清め給ふ事
天津神国津神 八百万神等 共に聞こし食せと白す』


 以上の大祓詞の中程に(秘言)として秘されたまま不明の箇所がある。
その箇所で、かつては灯火を一斉に消して
斎主が秘伝の「天津祝詞の太祝詞事」を唱えた。
現在は平伏して一、二拍おいて、かく宣らば、に続ける。
「天津祝詞の太祝詞事」とは吉田神道の遠い祖である天児屋根命が
天の岩戸開きの時に奏上したとされる。
その(秘言)が神道の最大の謎となっている。

本居宣長はこの大祓詞自体が「天津祝詞の太祝詞事」であるとしているが、
様々な人が(秘言)の部分を様々に解釈してあてはめた。

伝統的な『トホカミエミタメ』、
『禊ぎ祓い詞』、『ひふみ祓い詞』などを「天津祝詞の太祝詞事」とする説は
有力であるが普通の辞書にも載っていない
『アヂマリカム』という珍しいことばが秘言であるとする説もある。
それは絶対神のことを指すとされ、
「十字架を負う神の子羊」、すなわち天皇の義であるという。
宮中で『アヂマリカム』ということばの唱名が行われている、
という噂が流れ、南無阿弥陀仏の称名や南無妙法蓮華経の唱題に転訛した
という説を佐藤定吉氏は唱えている。
わたしには『アヂマリカム』の言霊が『始まり神』であるように聞こえて納得で
きる。
 また、天照太神が天の岩戸からお出ましになった際、
八百万の神々が口々に発したという、
『あはれ、あなおもしろ、あなたのし、あなさやけ、おけ』が
『古語拾遺』に収録されていて、
それが「天津祝詞の太祝詞」であるという説もある。
「あなおもしろ、あなたのし、あなさやけ」まではそれなりにわかることばだ
が「おけ」は木の葉が揺れる状態を意味すると言われる。
しかし、天児屋根命が天の岩戸開きの時に奏上したというのは
『開けゴマ』のような戸を開ける力を持った秘言であろうと思われる。
お出ましになったあと『あはれ、あなおもしろ、あなたのし、あなさやけ、お
け』と八百万の神々が騒いだのなら合わない気がする。
 あるいは伊勢神道の秘言「一切成就祓」説。
『極めて汚きも滞(たま)りもなければ 汚きものはあらじ
内外(うちと)の玉垣 清く淨しと申す』等々、諸説が紛々として入り乱れている。
現在の神道系の新宗教ではそれぞれの教祖が作った独自の『天津祝詞』を
奏上しているらしい。
 大祓詞は天皇即位後初の新嘗祭である大嘗祭でも奏上されて、
その際、下のように宣(の)るという。
大嘗(オオニエ)の祭
 「集侍(ウゴナ)はれる神主(カムヌシ)・祝部(ハフリ)等、諸(モロモロ)聞(キコ)しめせ」と
宣(ノ)る。
 「高天(タカマ)の原に神留(カムヅマ)ります、皇睦(スメムツ)神ろき・神ろみの命もち
て、天(アマ)つ社(ヤシロ)・国つ社と敷(シ)きませる、
皇神等(スメガミタチ)の前に白さく、今年十一月(シモツキ)の中の卯(ウ)の日に、
天つ御食(ミケ)の長御食(ナガミケ)の遠御食(トオミケ)と、
皇御孫(スメミマ)の命の大嘗(オオニエ)聞しめさむための故に、
皇神等あひうづのひまつりて、堅磐(カキワ)に常磐(トキワ)に斎(イワ)ひまつり、
茂(イカ)し御世に幸(サキ)はへまつらむによりてし、
千秋(チアキ)の五百秋(イオアキ)に平らけく安らけく聞しめして、
豊の明(アカ)りに明りまさむ皇御孫の命のうづの幣帛(ミテグラ)を、
明るたへ・照るたへ・和(ニギ)たへ・荒たへに備へまつりて、
朝日の豊栄(トヨサカ)登りに称辞(タタエゴト)竟(オ)へまつらくを、諸聞しめせ」と
宣る。
 「事別(ワ)きて、忌部(イミベ)の弱肩(ヨワカタ)に太襁(フトダスキ)取り挂(カ)けて、持
ち斎(ユマ)はり仕へまつれる幣帛を、
神主・祝部等請けたまはりて、事落ちず捧げ持ちて奉(タテマツ)れ」と宣(ノ)る。
                  〈日本古典文学大系〉
         (広辞苑CDロム第四版より)
  これらの祓い詞に本当の秘言が存在して、それを人々が奏上したとき、
真の天照太神がお出ましになるのだろうか。
現代人には祓い詞を読むだけでも疲れてわけがわからなくなってしまうが
この秘言の謎はだれがいつ解くのだろうか。
fumio

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「かぐや姫」の名前をバイオ的に「CAGU八姫」と考えるのはまるでジョークみたいだけどバイオテクノロジーの話は日本神話のイザナギイザナミの国生み子生みの段
「于時伊弉諾尊恨之曰。唯以一兒替我愛之妹者乎。則匍匍頭邊、匍匐脚邊、而哭泣流涕焉。其涙堕而爲神。是即畝丘樹下所居之神。號啼澤女命。遂拔所帶十握劔斬軻遇突智爲三段。(日本書紀原文)」という部分で古代にすでに語られていた。
イザナギイザナミの国生み子生みの作業の最後にイザナミは火神軻遇突智(かぐつち)を生み陰部(ホト)を火傷して黄泉に赴く。
この火神の名前をバイオの方面から見れば軻遇突智とはRNAの四塩基CAGU(カグ)ツチでツチとは生物の体の生成原料を指すことばということになる。
イザナミはあらゆる生物に肉体を与えるために四塩基のツチを遺して黄泉に去ったのだった。
イザナギは「唯、一児を以て、我が愛しき妹に替へつるかな」といって泣き十握(とつか)の剣で軻遇突智(かぐつち)を三段(みまた)に斬る。
この部分はわが子に対する残酷で奇矯な振る舞いのようにドラマチックに書かれているが実はイザナギはイザナミの提供した原料を前にしてバイオ・テクノロジーに腕を揮ったということを伝えているのである。これは四つの塩基、C(cytosine)シトシン、A(adenine)アデニン、G(guanine)グアニン、 U(uracil)ウラシル、、を三つずつの単位(トリプレット)に「十握(とつか)の剣(制限酵素)できったということである。
遺伝暗号の一つの配列(コドン)を神とみなして斬った刀の血から八神が化成(な)る、と表現し、斬られた軻遇突智の体からもう八神がなった、と八で括って表現する。 八かける八で塩基配列の総数、六十四種類のことを示唆している。ありとあらゆる生物はこの暗号の組み合わせによってできあがったのだ。
ワトソンとクリックによってDNAの構造が解明されるまでただの神話や伝承と思われてきた物語がバイオテクノロジーの発達によってやっと本来の意味を伝えることになったのである。これは本当にすごい…。
fumio




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竹取物語の書き出しは「いまは昔、竹取の翁といふものありけり、
野山にまじりて、竹を取りつつ、よろづのことに使いけり」となっていて「いまは昔」で始まるのは後の『平中物語』や『今昔物語』と同じ。
その意味は今でもあり、昔のことでもある、時間を超越した普遍的な物語、ということ。
「竹取」ということばに秘められているのは竹鳥でこの鳥は飛び立って仲秋(穐)八月十五夜に月に帰ることになる。つまり籠から竹冠を取れば龍となって昇天する。三ヶ月で竹のように成長して一人前の成人女性の儀礼である、髪あげと裳着(もぎ)をして「三室戸斎部(みむろどいんべ)の穐田(あきた)に『なよ竹のかぐや姫』と命名される。(斎部氏は宗教的な祭祀を司った氏族で讃岐の国の忌部氏は毎年朝廷に竹を八百竿献上していた。江戸時代の国学者、加納諸平は「三室戸」を三輪山に比定して斎部氏は大神神社の神職祝部(ほうりべ)という。三輪山の祭神は、大物主、饒速日尊(ニギハヤヒ)でその大物主がその時代の為政者たちの愚かな行動を戯画化した風刺物語であったらしい。
 加納諸平は求婚する五人の皇子を
石つくりの御子-丹比真人島
くらもちの御子-藤原朝臣不比等
右大臣あべのみむらじ-阿部朝臣御主人
大納言大伴のみゆき-大伴宿禰御行
中納言石上のまろたり-石上朝臣麻呂
と比定して、みかどを707年に二十五才で夭折した繊細で感性豊かな天皇、文武天皇とみている。
 竹取物語の結末は富士語源説話となり、「なよ竹の」は「よ(節、夜、世」「ふし」にかかる枕詞なので「なよ竹のかぐや姫」とは富士(不死)の姫という。
かぐや姫は人々を残し、竹を取って龍となって月に帰った。
fumio

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kaguya  


夏休み昔話講座
「竹取物語と遺伝子」

かぐや姫伝説
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『竹取の翁によって竹の中から見いだされ、育てられたかぐや姫が、
五人の貴公子の求婚を退け、帝の召命にも応じず、八月十五夜に月の世界へ帰る』
「小学館、大辞泉」より

籠屋の娘である「かぐや姫」が籠屋姫ではなく「家具屋」の娘であるかのように「かぐや」と名付けられたのは
遺伝子工学のDNAにかかかわるから。
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 DNAとはデオキシリボ核酸(deoxyribonucleic acid)の略語のことで、
生物の細胞の主成分である蛋白質を合成するためのプログラムを記した譜面あるいは設計図である。
DNAを構成するのは糖とリン酸と塩基。そのうちの塩基が譜面で言えば音符のような符号であり書類なら文字。
DNAの塩基は、A(adenine)アデニン、T(thymine)チミン、 G(guanine)グアニン 、C(cytosine)シトシンの四種類。
その四つの塩基からたとえばATGのように三つ選んで並べた塩基配列(コドン)を遺伝暗号(gene code)と呼んで塩基配列(コドン)の数は六十四種類ある。
それらを様々に組み合わせて設計図は描かれている。 塩基配列によって指定されたアミノ酸を順に使用して蛋白質を合成する。

DNAに書き込まれた設計図を読みとるとき、まずDNAからRNA(ribonucleic acid)、リボ核酸に遺伝情報が転写される。
DNA上ではチミンの配列場所にRNAではU(uracil)ウラシルが組み込まれ、 四つの塩基はAアデニン、Uウラシル、Gグアニン、Cシトシン、となる。
DNA上でATGという開始暗号ならRNA上ではAUGと転写される。このAUGという開始の合図になる塩基配列に対応するアミノ酸はメチオニンで
これが蛋白質合成に指定されて使用されることになる。
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かぐや姫は遺伝子の構造を象徴する竹の節と節の間から見出される。かの女は不死と不死を繋ぐ遺伝子情報「八かける八の64種類」の塩基配列を組み合わせて書かれた設計図を秘めていた。諸説入り乱れて意味不明であった「かぐや」の「かぐ」が示唆しているのはDNAからRNA(ribonucleic acid)に遺伝情報が転写された時の塩基「Cシトシン、Aアデニン、GグアニンUウラシル」の「CAGU」で、あらゆる生物の設計図に使用する塩基を名前にして永遠(不死)を象徴していたのである。ということで「かぐや姫」とは「CAGU八秘め」だったのである。時代が進みDNAの仕組みが解明される時が来ればわかるように仕組んであったのである。どうして竹取物語の作者が現代の遺伝子工学でわかったDNAから転写されるRNAに使用される塩基の名前を知っていたのかといえば、この作者が人ではなく過去、現在、未来の時空を超える存在であるからと思われる。
fumio

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「桃太郎」
あらすじ
老夫婦の妻が川で洗濯をしていると、大きな桃が流れて来たので、夫と二人で桃を割ると中から男の子が生まれ、「桃太郎」と名付けて育てる。桃太郎は、鬼ヶ島の鬼退治をするために両親からもらった黍(きび)団子でイヌ、サル、キジを家来にして鬼ヶ島で鬼と戦い、勝利を収め、鬼の財宝を持ち帰り、故郷に帰る。
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この童話、「桃太郎」は日向族の東方侵攻作戦のプロパガンダ童話。
主人公、桃太郎とは総大将、伊波礼彦(いわれひこ)。
かれは東方侵攻を思い立って黍団子を報償にして傭兵部隊を募り募集に応じたイヌ、サル、キジとともになにも知らず平和に暮らしている相手を襲った。
自らの非道な行為を正当化するために襲撃した相手の地を鬼ヶ島ということにして虐殺作戦を鬼の征伐と言い換えてまるでいいことをしたような手柄話に仕立てあげて世間を欺いた。
fumio

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浦島  


夏休み昔話料理講座第六回>
  献立「浦島太郎」

 今回は『浦島太郎』を採り上げようと思う。
これは本当に名作で人々のイマジネーションを刺激するよくできたストーリーなのでタイムパラドックスや円盤、アブダクションなどSF的な様々な解釈が展開されているがそちらの方面に足を踏み入れると出られなくなる。
 わたしがアメリカに留学した頃、ロックヴォーカルコーラスバンド、スリードッグナイトがよく流行っていて留学先学校で先生たちに毎週ライヴパフォーマンスを求められて「マイウエイ」「思い出のグリーングラス」などお決まりのレパートリーとスリードッグナイトの喜びの世界シャンバラなどもよく歌ったものだった。
そのシャンバラの意味はよくわからなかったけれどどどうも異界伝説の歌のようだった。フォークグループ「ポコ」の「シマロンのバラ」もそのころヒットしてシャンバラとシマロンには共通するなにかを感じたものだった。日本では極楽という表現に近い場所のようだが浦島は西洋ではシャンバラと呼ばれるのかもしれない…。

それではまずは浦島太郎伝説の歌とされる『万葉集』(萬葉集)巻九、高橋虫麻呂の水江(みづのえ)の浦の嶋子(しまこ)を詠む歌
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春の日の霞める時に墨吉(すみのえ)の岸に出で居て釣舟のとをらふ見れば古(いにしへ)のことそ思ほゆる水江(みづのえ)の浦の島子が堅魚(かつを)釣り鯛(たひ)釣りほこり七日(なぬか)まで 家にも来ずて海界(うなさか)を過ぎて榜(こ)ぎゆくにわたつみの神の娘子(をとめ)にたまさかにい榜(こ)ぎ向ひ相かたらひ言(こと)成りしかばかき結び常世に至りわたつみの神の宮の内の重(へ)の妙なる殿にたづさはり二人入り居て老いもせず死にもせずして永世(とこしへ)にありけるものを世の中の愚か人の我妹子(わぎもこ)に告(の)りて語らくしましくは家に帰りて父母に事も告(の)らひ明日のごと我は来なむと言ひければ妹が言へらく常世辺(とこよへ)にまた帰り来て今のごと逢はむとならばこの篋(くしげ)開くなゆめとそこらくに堅めし言(こと)を墨吉(すみのえ)に帰り来たりて家見れど家も見かねて里見れど里も見かねてあやしみとそこに思はく家ゆ出でて三年(みとせ)の間に垣もなく家失せめやとこの筥(はこ)を開きて見てばもとのごと家はあらむと玉篋(たまくしげ)少し開くに白雲の箱より出でて常世辺にたなびきぬれば立ち走(はし)り叫び袖振りこいまろび足ずりしつつたちまちに心消(け)失せぬ若かりし肌も皺みぬ黒かりし髪も白(しら)けぬ ゆなゆなは息さへ絶えてのち遂に命死にける水江の浦の島子が家ところ見ゆ
反歌
常世辺に住むべきものを剣大刀(つるぎたち)汝(な)が心から鈍(おそ)やこの君
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ということで、水の江の浦島の子が七日ほど鯛や鰹を釣り帰って来ると、海と陸の境で海神の娘、と出会い、常世にある海神の宮で暮らす。三年ほどして、父母に知らせたいと、娘に言うと「これを開くな」と化粧道具を入れる篋(くしげ)を渡され、水江に帰ると三年の間に家や里はなくなり、箱を開けると常世との間に白い雲がわき起こり、白髪の老人になって息絶える。
 反歌で常世辺(あの世、隔り世、シャンバラ)に住んでいれば良かったのに自分の心からこんなことになってしまった、というようになるほどこの話しは常世辺での夢のような生活とこの世に帰って現実に目覚めることが主題になっている。
舞台は日本書紀や丹後国風土記では丹後国(京都府北部の日本海に面したあたり)だが、この歌では摂津国住吉のあたりの入江ということになっている。「水江浦嶋子」は丹後国風土記逸文では「嶼子(しまこ)」。墨吉は今の大阪市住吉区あたり。その摂津国とは現代の摂津富田。わたしは高校卒業後、その富田にあった松下電器のブラウン管工場でテレビのブラウン管を七年間製造して働いていたので馴染み深い。日本の古代、そのあたりは長髓彦(ながすねひこ)が統治していたが出雲の後継者饒速日(ニギハヤヒ)の器量を見込んで妹、三炊屋姫(みかしぎひめ)を娶(めあわ)せて大同団結して饒速日をその地の王として立てたのだった。ところがのちに日向の後継者、伊波礼彦(いわれひこ)が東征と称して東の方面を征服しに来た時、抵抗して戦ったが、敗れてしまったのだった。それでそれ以来、王であった饒速日は現世の政権を神武に譲り、自らはツキヨミとして冥界の王となる。

それでは以下に「御伽草子」を少し長いけれど掲げよう。
「御伽草子」
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昔、丹後の國に浦島といふもの侍(はべ)りしに、其の子に浦島太郎と申して、年のよはひ二十四五の男ありけり。あけくれ海のうろくづを取りて、父母(ちちはは)を養ひけるが、ある日のつれづれに釣をせむとて出でにけり。浦々島々入江々々、至らぬ所もなく釣をし、貝をひろひ、みるめを刈りなどしける所に、ゑじまが磯といふ所にて、龜を一つ釣り上げける。浦島太郎此の龜にいふやう、「汝、生(しゃう)あるものの中にも、鶴は千年龜は萬年とて、いのち久しきものなり、忽(たちま)ちここにて命をたたむ事、いたはしければ助くるなり、常には此の恩を思ひいだすべし。」とて、此の龜をもとの海にかへしける。
かくて浦島太郎、其の日は暮れて歸りぬ。又つぐの日、浦のかたへ出でて釣をせむと思ひ見ければ、はるかの海上に小船(せうせん)一艘浮べり。怪しみやすらひ見れば、うつくしき女房只ひとり波にゆられて、次第に太郎が立ちたる所へ著(つ)きにけり。浦島太郎が申しけるは、「御身いかなる人にてましませば、斯(か)かる恐ろしき海上に、只一人乘りて御入り候やらむ。」と申しければ、女房いひけるは、「さればさるかたへ便船(びんせん)申して候へば、をりふし浪風荒くして、人あまた海の中へはね入れられしを、心ある人ありて自らをば、此のはし舟に載せて放されけり、悲しく思ひ鬼の島へや行かむと、行きかた知らぬをりふし、只今人に逢ひ參らせ候、此の世ならぬ御縁にてこそ候へ、されば虎狼も人をえんとこそし候へ。」とて、さめざめと泣きにけり。浦島太郎もさすが岩木にあらざれば、あはれと思ひ綱をとりて引きよせにけり。
さて女房申しけるは、「あはれわれらを本國へ送らせ給ひてたび候へかし、これにて棄てられまゐらせば、わらはは何處(いづく)へ何となり候べき、すて給ひ候はば、海上にての物思ひも同じ事にてこそ候はめ。」とかきくどきさめざめと泣きければ、浦島太郎も哀れと思ひ、おなじ船に乘り、沖の方へ漕ぎ出す。かの女房のをしへに從ひて、はるか十日あまりの船路を送り、故里へぞ著きにける。さて船よりあがり、いかなる所やらむと思へば、白銀(しろがね)の築地をつきて、黄金の甍をならべ、門(もん)をたて、いかなる天上の住居(すまひ)も、これにはいかで勝るべき、此の女房のすみ所(ところ)詞(ことば)にも及ばれず、中々申すもおろかなり。さて女房の申しけるは、「一樹の陰に宿り、一河の流れを汲むことも、皆これ他生の縁ぞかし、ましてやはるかの波路を、遙々とおくらせ給ふ事、偏(ひとへ)に他生の縁なれば、何かは苦しかるべき、わらはと夫婦の契りをもなしたまひて、おなじ所に明し暮し候はむや。」と、こまごまと語りける。浦島太郎申しけるは、「兎も角も仰せに從ふべし。」とぞ申しける。さて偕老同穴(かいろうどうけつ)のかたらひもあさからず、天にあらば比翼(ひよく)の鳥、地にあらば連理の枝とならむと、互に鴛鴦(えんおう)のちぎり淺からずして、明し暮させ給ふ。さて女房申しけるは、「これは龍宮城と申すところなり、此所(ここ)に四方に四季の草木(さうもく)をあらはせり。入らせ給へ、見せ申さむ。」とて、引具(ひきぐ)して出でにけり。まづ東の戸をあけて見ければ、春のけしきと覺えて、梅や櫻の咲き亂れ、柳の絲も春風に、なびく霞の中よりも、黄鳥(うぐひす)の音も軒近く、いづれの木末も花なれや。南面をみてあれば、夏の景色とうちみえて、春を隔(へだ)つる垣穗(かきほ)には、卯の花やまづ咲きぬらむ、池のはちすは露かけて、汀(みぎは)涼しき漣(さゞなみ)に、水鳥あまた遊びけり。木々の梢も茂りつゝ、空に鳴きぬる蝉の聲、夕立過ぐる雲間より、聲たて通るほとゝぎす、鳴きて夏とは知らせけり。西は秋とうちみえて、四方の梢紅葉して、ませのうちなる白菊や、霧たちこもる野べのすゑ、まさきが露をわけわけて、聲ものすごき鹿のねに、秋とのみこそ知られけれ。さて又北をながむれば、冬の景色とうちみえて、四方の木末も冬がれて、枯葉における初霜や、山々や只白妙の雪にむもるゝ谷の戸に、心細くも炭竃(すみかまど)の、煙にしるき賤(しづ)がわざ、冬としらする景色かな。かくて面白き事どもに心を慰め、榮華に誇り、あかしくらし、年月をふるほどに、三年(みとせ)になるは程もなし。浦島太郎申しけるは、「我に三十日のいとまをたび候へかし、故里の父母をみすて、かりそめに出でて、三年を送り候へば、父母の御事を心もとなく候へば、あひ奉りて心安く參り候はむ。」と申しければ、女房仰せけるは、「三とせが程は鴛鴦(ゑんわう)の衾(ふすま)のしたに比翼の契りをなし、片時みえさせ給はぬさへ、兎やあらむ角やあらむと心をつくし申せしに、今別れなば又いつの世にか逢ひまゐらせ候はむや、二世の縁と申せば、たとひ此の世にてこそ夢幻(ゆめまぼろし)の契りにて候とも、必ず來世にては一つはちすの縁と生まれさせおはしませ。」とて、さめざめと泣き給ひけり。又女房申しけるは、「今は何をか包みさふらふべき、みづからはこの龍宮城の龜にて候が、ゑじまが磯にて御身に命を助けられまゐらせて候、其の御恩報じ申さむとて、かく夫婦とはなり參らせて候。又これはみづからがかたみに御覽じ候へ。」とて、ひだりの脇よりいつくしき筥(はこ)を一つ取りいだし、「相構へてこの筥を明けさせ給ふな。」とて渡しけり。
會者定離(ゑしゃぢゃうり)のならひとて、逢ふ者は必ず別るゝとは知りながら、とゞめ難(がた)くてかくなむ、
日かずへてかさねし夜半の旅衣たち別れつゝいつかきて見む
浦島返歌、
別れゆくうはの空なるから衣ちぎり深くば又もきてみむ
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この『御伽草子』のあらすじでは、
浦島太郎は丹後の漁師で釣り糸にかかった亀を逃がしてやる。数日後、一人の女人が舟で姫の使いとして浦島太郎を迎えに来る。亀を逃がした礼に宮殿に迎えられ三年暮らした太郎は両親が心配になり帰りたいと申し出ると、姫は自分は助けられた亀であったことを明かし玉手箱を手渡す。太郎が帰ると村はもうすでになく近くにあった古い塚が太郎と両親の墓だと教えられる。太郎が玉手箱をあけると、三筋の煙が立ち昇り太郎は鶴になり飛び去る。
舞台は丹後の國で主人公は「浦島太郎」という名前をもち、年は二十四五の男性となっている。この名は「浦々島々入江々々、至らぬ所もなく釣をし」というように海辺の不特定の地域の長男というだけで特別な情報を排除してあるようにみえる。それでもこの名前をつけた真意を探ると結局、「裏島太郎」ということである。つまり裏の世界に行った男という意味。龜を一つ釣り上げる「ゑじまが磯」は「會者定離(えしゃぢゃうり)」の「會島(えじま)」であるのだろう。つまり太郎と亀が会った島としてその名前をつけたのだ。龍宮城とは裏の世界、(隔り世、シャンバラ)。ここにはなぜかヒロインの名前は出ていないがわたしたちはかの女の名前が乙姫であることを知っている。乙姫とはもちろん「音秘め」ということ。龍宮城の主「音を秘めた亀」は○の存在で北の玄亀。太郎は最後に鶴になって、虚空に飛びのぼるが鶴のイメージは一。鶴と亀が揃うと一〇でめでたい噺に仕上げてある。
「鶴と亀が統べった、釣ると亀が術った 蔓と瓶が滑った。」などと考え、後ろの正面「誰」と歌うと、誰の言に「フル鳥」で饒速日の幼名「フル」の鳥がやっと表われる。すなわち裏の世界とは冥界で太郎はツキヨミである、饒速日であったという結論にようやく辿り着いた。今回は古代史に踏み込んだのでずいぶんむづかしい料理でした。
fumio


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<夏休み料理講座第五回>
  献立「したきりすずめ」
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 これは『宇治拾遺物語』の「雀報恩の事」の二人の老婦人の話しで雀を助ける婦人のひょうたんからは米がたくさん出て怪我をさせる婦人のひょうたんからは蜂、むかで、とかげ、蛇などが出てきて刺され、死ぬという説話が元になったというのだがまず、以下にその「したきりすずめ」のあらすじを載せておく。
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 ある老夫婦の夫が山で、柴刈りをして弁当を食べようとすると雀がすでに食べて寝ていた。おじいさんは雀に「ちょん」と名づけてかわいがる。
 「おじいさんが家に「ちょん」をおいて山へでかけたとき、おばあさんは洗濯のりを「ちょん」に番させて洗濯に行く。帰るとのりが舐められてなくなっていたので、かの女は「ちょん」の舌を切り、追い出した。
おじいさんは「ちょん」を探しに出る。川で牛洗いにたずねると「牛の洗い水を七杯のまないと教えない。」と言われ飲む。そして馬洗いに「馬の洗い水を七杯のまないと教えない。」と言われ飲むと「竹やぶに行けば、雀の宿がある。」と教えられ竹やぶでついに「ちょん」に出会う。おみやげに大きな葛籠(つづら)か小さな葛籠(つづら)か、どちらかを「ちょん」に選ばせられ小さいほうを選んで帰宅して葛籠(つづら)を空けると宝が詰まっていた。
おばあさんはそれを聞いて大きい葛籠(つづら)を貰うために出かける。途中出会った牛洗いのいうことも馬洗いのいうこともせず竹やぶに入って「ちょん」に会う。おみやげには大きな葛籠(つづら)を選び帰りの道中で葛籠(つづら)をあけると、蛇や百足や化け物が出てくる。
*************

 まず老夫婦には特定の名前はなく「おじいさん、おばあさん」であるのに対して主人公の雀に名前がついているのが面白い。「花咲爺」の愛犬も不特定の犬ではなく「ボチ」という名前があった。もちろんそれは意味があるからに違いない。この雀の名前は「ちょん」である。なぜか「ボチ」と似ている。金銀財宝や化け物をコントロールする力を持つことなどをみてもこれは神の仮の姿としか思えない。その神の名前が「ちょん」だったのだ。老人は「ちょん」の神探しの旅に出る。それは艱難辛苦を乗り越えて進むわたしたち人類の姿のようだ。
雀が舐めた「のり」とはなにか。他のバージョンでは障子の「糊」の場合もあるようにそれは「のり」と読めなければならなかった。結論をいえばそれは「法」であった。おばあさんは法を「ちょん」に番させて洗濯に出かけた。すなわち「ちょん」は法の番人になって国を治めたのだ。しかしかの女はそれが気に入らず「ちょん」の舌を切り、追い出した。食べたことに腹を立てたのならくちばしを壊すはずだが舌を切ったのは政治への発言を封じたということ。
「雀」とはなにか。「素主目」であったり主皇(スメ)であり、「雀」をそのまま解字すれば「少」と「隹」で少名彦名の「フルトリ」である。フルは出雲族の後継者、饒速日(ニギハヤヒ)の幼名であるからやはり時の権力集団日向族が饒速日の影響を排除した裏の歴史が浮かび上がってきた。為政者に正しい法による支配を奨める勧善説話のようだ。
fumio

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<夏休み昔話料理講座第四回>
  献立「かちかち山」

 今回は「かちかち山」をまな板に乗せよう。
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』によれば
「この話は、もとはウサギがタヌキを散々いじめる後半部だけの内容で、同じような動物説話は世界各地に見られる。江戸時代になって、前半部である、タヌキが悪事を働く部分が付け加えられ、ウサギの行為を正当化する、いわば仇討ちの物語になった。これが勧善懲悪や忠義を重んずる江戸時代の人々に受け入れられ、広まったと考えられる。」という。
 地域によって違うバージョンが多くて混乱するがだいたいのあらすじは以下のようなもの。
 「ある老夫婦の夫が畑を耕しているとタヌキがやってきてまいた種や芋をほじくり返して食べてしまうので、老人はタヌキを捕まえて、老婆に狸汁にするよう言う。タヌキは老婆をだまし、殴り殺して老婆に化けて老人に老婆の肉を煮た料理を食べさせる。老夫婦と親しかったウサギはタヌキを成敗するために柴刈りに誘い出す。ウサギはタヌキの背負う柴の束に火打ち石で火をつける。ウサギが背後で火打ち石を打つ音を聞いたタヌキが「かちかち言うのは何だ」と聞き、ウサギが「かちかち山のかちかち鳥だ」と答える。そしてやけどの薬と偽って芥子(からし)を渡す。最後にウサギは木の舟に乗りタヌキは泥舟に乗りたちまち沈み、ウサギはタヌキを櫓(かい)で沈める。」
とこのままではずいぶんおぞましいストーリーなので最後にタヌキが改心して仲良くなるバージョンもある。

 まず「タヌキ」とはなにか。それは「田」を抜いた存在。「狸」から逆卍と卍を重ねた「田」を抜くとケモノ偏と土が残る。ツチは生物を形成する元になるDNAなど。この話しのタヌキはそんな存在なのだ。出雲政権を奪った日向族を逆卍と卍を重ねた「田」を抜いたケモノと示唆している。
ウサギとはツキヨミとしての饒速日(ニギハヤヒ)の使者。「火打ち石」は父スサノオが創ったとされている。「かちかち山のかちかち鳥」とは可血可霊山の可血可霊鳥。
最後にウサギが木の舟に乗ることでウサギの正体が明かされるが「木の舟」とは貴船のことでそれは京都市左京区鞍馬貴船町にある貴船神社の神で貴布禰明神、またの名はクラオカミなのである。現世ではなく冥界の王とされる。
日本書紀を参照すると、妻、伊奘冉尊が軻遇突智(かぐつち)を生んで死んだ時にイザナギが軻遇突智を三段に切り分けた剣の頭から滴った血がクラオカミになったという。
そのクラオカミは「小学館、大辞泉」には「くら、は谷、おかみは、龍神の意。記紀神話で、高オカミとともに水を司る龍神。京都の貴船神社奥宮の祭神」とある。高オカミはスサノオのことだからこの話しにもまた出雲のスサノオ、ニギハヤヒ親子がかかわっていた。
日本の昔話は古代の日向族と出雲族の権力争いを民話や伝承の形で継承しているものが多いようだ。
fumio

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<夏休み昔話料理講座第三回>
  献立「さるかに合戦」

 今回は「さるかに合戦」をまな板に乗せよう。
だいたいのあらすじは以下のようなもの。

 おにぎりを持っている蟹に猿が柿の種との交換を迫る。蟹は交換した柿の種を植えて「早く芽をだせ柿の種、出さなきゃ鋏でちょん切るぞ」と歌うと柿がなるが柿が取れない蟹の代わりに猿が木に登り青くて硬い柿の実を蟹に投げつけると蟹は子を産んで死んでしまう。子蟹達は仲間の栗、臼、蜂、牛糞と図って、栗は囲炉裏の中に、蜂は水桶の中に、牛糞は土間に、臼は屋根に隠れる。やがて猿が囲炉裏で身体を暖めると栗がはじけて水で冷やすとき蜂に刺され、牛糞に滑りころげると、屋根から臼が落ちてきて猿は潰れる。
牛糞はきたないので登場しなかったりクリではなく卵が登場して爆発したり牛糞の代わりに昆布に滑るなど様々なバージョンがある。

 さてこの中に盛られた象徴を材料として並べる。
「蟹に猿、おにぎり、柿の種、栗、臼、蜂、牛糞。」
これは申し訳ないが料理するまでもなくお湯をかけて三分間待てばできあがってしまうインスタントラーメンのようではないか。ではお湯をかけて三分間待とう。するとこれらの材料からできあがったのは出雲と日向の闇の歴史。

 「蟹」とは解字すればわかるように「虫」を解けばそれは竜蛇で海洋民である竜蛇族の出雲。出雲の象徴数は八、頭領であったスサノオは牛頭天王というように方角は丑、、その子ニギハヤヒの象徴数は九。日向の象徴数は三で方角は申、それでこの話の「猿」とは申で日向族を示唆している。「おにぎり」とは「鬼剪り」で日向から見てスサノオは怖い鬼でその影響を切ってしまいたい存在だった。「柿」とは市の木で数霊一のカイのこと。

スサノオが植えたカイの種(シュ)すなわち主が立派に育って実(数霊三)をつけると日向族が奪ってしまった。仇討ちをする子蟹(ニギハヤヒ)の仲間は栗(九理)、臼(キュウ)、蜂(八)牛、糞(九祖)とすべて出雲族の象徴で統一されている。クリではなく卵が爆発したり牛糞の代わりに昆布に滑るのでは裏の意味が不明になってしまう。

「さるかに合戦」はただの仇討ちものと思ってだれでも簡単に色々と違うバージョンを考えそうな話しだが創作過程ではかなり慎重に登場する物を設定してわかるものにだけ伝わるように制作されたようだ。今回の料理は三分間クッキングのようだったけれどお口に合っただろうか…。
fumio

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日本の初代皇后御歳(みとし)は伊須気依姫、あるいは高照姫と呼ばれ、
『記紀』では比売多多良伊須気余理比賣(ひめたたらいすけよりひめ)、
媛蹈鞴五十鈴媛(ひめたたらいすずひめ)、などと表記されたが、それは大和の継承者であることを示す名であった。
伊須気依(いすけより)は祖父須佐之男命の須の気が依っているという意味なのである。
fumio


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昨日は「建国記念の日」だった。
それは辛酉の年元旦、西暦二四一年二月十一日(紀元節、建国記念の日)に、日向と大和との宥和のために
日向の跡取り息子、磐余彦(いわれひこ)を大和の跡取り娘の御歳のもとへ婿入りさせて奈良県桜井市三輪の地で神武と御歳の結婚、初代天皇即位式が執り行われたことに由来する。
日本の初代皇后御歳(みとし)は伊須気依姫、あるいは高照姫と呼ばれ、
『記紀』では比売多多良伊須気余理比賣(ひめたたらいすけよりひめ)、
媛蹈鞴五十鈴媛(ひめたたらいすずひめ)、などと表記され、御歳という名の方は父、大歳(ニギハヤヒ)の末子で大和の後継者だったので歳という文字を継いでいた。
fumio


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昔から芸事は6歳の6月6日から始めると上達するといわれているので
今日は邦楽の日と京邦楽器商協会(東京邦楽器商工協同組合)が1985年に制定したという。
3月3日のひな祭り、5月5日の子供の日と月日の数が重なるとなにかがありそう。
fumio


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どうしてアクセスが多いのかと自分で「水面に書いた物語」シリーズを読んでみて驚いた。
ずいぶん忘れていた。結末はOTOKAMだった。 闇の門に隠れた音だったのだ。
OTOKAMのお出ましを語っていた。
fumio


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このところ、水面に書いた物語シリーズにアクセスが集まっている。
fumio

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