『十種神宝御法(とくさのかんだからごほう)の行』の階梯が進むと禊祓のかわりにお祓いの中のお祓いというべき大祓い詞(中臣之祓詞、中臣の祭文、通称、中臣の祓)が唱えられる。それは神社では、六月三十日の「夏越(なご)しの大祓」と 十二月三十一日の「大晦(おおつごもり)の大祓」との年二回の「大祓祭」に奏上される。
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大祓詞(おおはらひのことば)
『高天原に神留り坐す 皇親神漏岐 神漏美の命以ち
八百萬神等を神集へに集へ賜ひ神議りに議り賜ひて
我が皇御孫命は 豊葦原水穂国を安国と平けく知ろし食せと
事依さし奉りき此く依さし奉りし国中に 荒振る神等をば
神問はしに問はし賜ひ 神掃ひに掃ひ賜ひて 語問ひし
磐根樹根立 草の片葉をも語止めて 天之磐座放ち
天の八重雲を伊頭の千別きに千別きて 天降し依さし奉りき
此く依さし奉りし四方の国中と大倭日高見国を
安国と定め奉りて下津磐根に宮柱太敷き立て
高天原に千木高知りて皇御孫命の瑞の御殿仕へ奉りて
天の御陰日の御陰と隠り坐して
安国と平けく知ろし食さむ国中に成り出でむ
天之益人等が 過ち犯しけむ種々の罪事は 天津罪 国津罪
許許太久の罪出でむ
此く出でば 天津宮事以ちて 大中臣
天津金木を本打ち切り 末打ち断ちて
千座の置座に 置き足らはして
天津菅麻を本刈り断ち
末刈り切りて八針に取り辟きて
天津祝詞の太祝詞事を宣れ
(秘言)
此く宣らば 天津神は天の磐門を押し披きて
天の八重雲を伊頭の千別きに千別きて聞こし食さむ
国津神は高山の末 短山の末に上り坐して
高山の伊褒理短山の伊褒理を掻き別けて聞こし食さむ
此く聞こし食してば 罪と云ふ罪は在らじと
科戸の風の天の八重雲を吹き放つ事の如く
朝の御霧 夕の御霧を 朝風夕風の吹き払ふ事の如く
大津返に居る大船を 舳解き放ち 艫解き放ちて
大海原に押し放つ事の如く彼方の繁木が本を 焼鎌の敏鎌以ちて
打ち掃ふ事の如く 遺る罪は在らじと祓へ給ひ清め給ふ事を
高山の末 短山の末より 佐久那太理に落ち多岐つ
速川の瀬に坐す瀬織津比売と云ふ神 大海原に持ち出でなむ
此く持ち出で往なば
荒潮の潮の八百道の八百道の潮の八百会に坐す速開都比売と云ふ神
持ち加加呑みてむ
此く加加呑みてば気吹戸に坐す気吹戸主と云ふ神
根国 底国に気吹き放ちてむ
此く気吹き放ちてば根国 底国に坐す速佐須良比売と云ふ神
持ち佐須良ひ失ひてむ
此く佐須良ひ失ひてば今日より始めて罪と云ふ罪は在らじと
祓へ給ひ清め給ふ事
天津神国津神 八百万神等 共に聞こし食せと白す』
以上の大祓詞の中程に(秘言)として秘されたまま不明の箇所がある。
その箇所で、かつては灯火を一斉に消して
斎主が秘伝の「天津祝詞の太祝詞事」を唱えた。
現在は平伏して一、二拍おいて、かく宣らば、に続ける。
「天津祝詞の太祝詞事」とは吉田神道の遠い祖である天児屋根命が
天の岩戸開きの時に奏上したとされる。
その(秘言)が神道の最大の謎となっている。
本居宣長はこの大祓詞自体が「天津祝詞の太祝詞事」であるとしているが、
様々な人が(秘言)の部分を様々に解釈してあてはめた。
伝統的な『トホカミエミタメ』、
『禊ぎ祓い詞』、『ひふみ祓い詞』などを「天津祝詞の太祝詞事」とする説は
有力であるが普通の辞書にも載っていない
『アヂマリカム』という珍しいことばが秘言であるとする説もある。
それは絶対神のことを指すとされ、
「十字架を負う神の子羊」、すなわち天皇の義であるという。
宮中で『アヂマリカム』ということばの唱名が行われている、
という噂が流れ、南無阿弥陀仏の称名や南無妙法蓮華経の唱題に転訛した
という説を佐藤定吉氏は唱えている。
わたしには『アヂマリカム』の言霊が『始まり神』であるように聞こえて納得で
きる。
また、天照太神が天の岩戸からお出ましになった際、
八百万の神々が口々に発したという、
『あはれ、あなおもしろ、あなたのし、あなさやけ、おけ』が
『古語拾遺』に収録されていて、
それが「天津祝詞の太祝詞」であるという説もある。
「あなおもしろ、あなたのし、あなさやけ」まではそれなりにわかることばだ
が「おけ」は木の葉が揺れる状態を意味すると言われる。
しかし、天児屋根命が天の岩戸開きの時に奏上したというのは
『開けゴマ』のような戸を開ける力を持った秘言であろうと思われる。
お出ましになったあと『あはれ、あなおもしろ、あなたのし、あなさやけ、お
け』と八百万の神々が騒いだのなら合わない気がする。
あるいは伊勢神道の秘言「一切成就祓」説。
『極めて汚きも滞(たま)りもなければ 汚きものはあらじ
内外(うちと)の玉垣 清く淨しと申す』等々、諸説が紛々として入り乱れている。
現在の神道系の新宗教ではそれぞれの教祖が作った独自の『天津祝詞』を
奏上しているらしい。
大祓詞は天皇即位後初の新嘗祭である大嘗祭でも奏上されて、
その際、下のように宣(の)るという。
大嘗(オオニエ)の祭
「集侍(ウゴナ)はれる神主(カムヌシ)・祝部(ハフリ)等、諸(モロモロ)聞(キコ)しめせ」と
宣(ノ)る。
「高天(タカマ)の原に神留(カムヅマ)ります、皇睦(スメムツ)神ろき・神ろみの命もち
て、天(アマ)つ社(ヤシロ)・国つ社と敷(シ)きませる、
皇神等(スメガミタチ)の前に白さく、今年十一月(シモツキ)の中の卯(ウ)の日に、
天つ御食(ミケ)の長御食(ナガミケ)の遠御食(トオミケ)と、
皇御孫(スメミマ)の命の大嘗(オオニエ)聞しめさむための故に、
皇神等あひうづのひまつりて、堅磐(カキワ)に常磐(トキワ)に斎(イワ)ひまつり、
茂(イカ)し御世に幸(サキ)はへまつらむによりてし、
千秋(チアキ)の五百秋(イオアキ)に平らけく安らけく聞しめして、
豊の明(アカ)りに明りまさむ皇御孫の命のうづの幣帛(ミテグラ)を、
明るたへ・照るたへ・和(ニギ)たへ・荒たへに備へまつりて、
朝日の豊栄(トヨサカ)登りに称辞(タタエゴト)竟(オ)へまつらくを、諸聞しめせ」と
宣る。
「事別(ワ)きて、忌部(イミベ)の弱肩(ヨワカタ)に太襁(フトダスキ)取り挂(カ)けて、持
ち斎(ユマ)はり仕へまつれる幣帛を、
神主・祝部等請けたまはりて、事落ちず捧げ持ちて奉(タテマツ)れ」と宣(ノ)る。
〈日本古典文学大系〉
(広辞苑CDロム第四版より)
これらの祓い詞に本当の秘言が存在して、それを人々が奏上したとき、
真の天照太神がお出ましになるのだろうか。
現代人には祓い詞を読むだけでも疲れてわけがわからなくなってしまうが
この秘言の謎はだれがいつ解くのだろうか。
fumio
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