monologue
夜明けに向けて
 



先日、BSドキュメンタリーで「核汚染大国」と称するドキュメンタリーが放送された。それは「ロッキー・フラッツ」と呼ばれるコロ ラド州デンバー近郊ロッキー山脈に存在した核施設についてのリポートであった。

 
第二次世界大戦後米ソ核兵器開発競争の一環として1950年、トルーマン大統領が水爆開発を推進して1952年 4月に水爆の核融合の「起爆装置」としてプルトニウム・ピットの大量生産に入った。

 「起爆装置」とは小型の長崎型(爆縮)原子爆弾のことでそれが水素爆弾の核融合反応を誘発し莫大なエネルギーを放出させるのだ。

 1957年と1969年に人間の手に負えないプルトニウムが自然発火して工場が焼け、ビル関連施設が汚染し、土壌、地下 水、周辺の小川、湖などが汚染された。汚染物質を除去して安全に処理する目的の「ロッキーフラッツ閉鎖プロジェクト」はうまくゆかずただ闇雲に埋め立てるしかなかった。ロッキーフラッツで働いた人々の多くはガンや白血病で亡くなっているという。大量の人々を殺戮する兵器を作る人がそれによって被害を受けることの皮肉。

 そんな人間の手に負えないプルトニウムを再利用するプルサーマル発電が日本の福井県や静岡県で地元の同意を背景に、実施に向かって進んでいるという。もうエネルギーは原発から脱皮して汚染のないクリーンエネルギーへと向かわねば先はないというのに…。
fumio

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私的カウントダウンアルバム「水面に書いた物語 」 収録曲の今週のアクセス聴取ランキング
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1月22日(金)~1月29日(金)
ヒット数:1,056件中
    
順位( )内は前週の順位< >内は前々週の順位 

第1位(3)<1>水面に書いた物語
第2位(1)<4>ごめんなさい
第3位(4)<3>軽々しく愛を口にしないで
第4位(6)<5>女優(スター)
第5位(2)<2>あやかしのまち
第6位(9)<7>ラスト・ランデヴー
第7位(5)<8>ときめきFALL IN LOVE  
第8位(7)<12>マイ・スィート・ライフ
第9位(8)<11>オーロラの町から
第10位(10)<6>はるかなるメロディ
第11位(12)<16>素顔のマスカレード
第12位(14)<13>Stay with me
第13位(18)<14>Sentimentallady”M”
第14位(15)<15>恋すれば魔女
第15位(17)<10>プロセス
第16位(11)<9>それってⅨじゃない
第17位(21)<->もっと自由に
第18位(16)<19>わかりあえる日まで
第19位(19)<20>しあわせになれる
第20位(20)<17>We all need love
第21位(13)<18>NEVER GIVE UP!
第22位(20)<17>まことのひかり
第23位(-)<->リアル・リアル・ラヴ
第24位(-)<->ハロー!・エンドレス・ドリーム
第25位(-)<->わが人生(いのち)の日々
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 今週は水面に書いた物語 ごめんなさいからふたたびが首位の座をを奪いかえした。そして最後尾のほうにアルバム 「カリフォルニア・サンシャイン」 から珍しくリアル・リアル・ラヴ 、そしてアルバム「ひかりのくにへ」からハロー!・エンドレス・ドリームそしてアルバム 「プロセス」から わが人生(いのち)の日々 が入ってきた。なにか新たな動きを感じさせる。ご愛聴感謝。
fumio

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Paul Revere and The Raiders のKicks という曲が1966年に流行ったことがある。全米4位まで上がった。この曲はアニマルズのために書かれた歌だったがエリック・バードンが気に入らなかったためにレイダーズにまわされたという。キックスというのは麻薬の効いている状態を表すことばだった。そんなものはいらないと、さとすこの歌は初のアンチドラッグソングだった。1967年1月14日サンフラシスコ、ゴールデンゲート・パークの「Human be-in(ヒューマンビーイン」などでドラッグカルチャー、ヒッピーカルチャーがまだ勢いを増して米国全土を覆い尽くす前にドラッグの危険性を世に訴えていたのだ。わたしは当時この歌のカッコ良さばかりに耳を奪われその訴えるところを理解していなかった。米国で暮らしてわかることはドラッグは昔も今も米国の最大の問題のひとつなのだということである。

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今朝、日本時間午前11時に米国下院でオバマ米大統領による一般教書演説が行われた。

  まず初めに経済を採り上げ、「銀行救済問題について、これはわたしはイヤだった。大嫌いだった。民主党も共和党もみなさんもみんな嫌いだった。歯の神経を抜く(root canal)治療ぐらいの人気だった」と話し出した。実にうまいと思った。意外な例えによるツカミのテクニックは天性のものかスピーチライターの腕なのかは判然としないが、オバマ人気が急落しているこの時期に全体としてかなりの好印象を与える演説で人気回復のきっかけとなりそうだった。暗礁に乗り上げている健康保険問題もなんとか切り抜けて困っている貧民層も等しく医療を受けられるようにしてほしいものである。
fumio

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それではその翌年1961年はどうだったのかとまたまたビルボード年間チャート から以下にコピーさせていただくと

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1961年のヒットシングル/ビルボード年間チャート
順位 シングルタイトル アーティスト
 1 Tossin' And Turnin'
トッシン・アンド・ターニン Bobby Lewis
ボビー・ルイス
 2 I Fall To Pieces
ひどい仕打ちに Patsy Cline
パッツィー・クライン
 3 Michael
漕げよマイケル Highwaymen
ハイウェイメン
 4 Cryin'
クライング Roy Orbison
ロイ・オービソン
 5 Runaway
悲しき街角 Del Shannon
デル・シャノン
 6 My True Story
マイ・トゥルー・ストーリー Jive Five
ジャイヴ・ファイヴ
 7 Pony Time
ポニー・タイム Chubby Checker
チャビー・チェッカー
 8 Wheels
峠の幌馬車 String-A-Longs
ストリング・ア・ロングス
 9 Raindrops
悲しくないさ Dee Clark
ディー・クラーク
10 Wooden Heart(Muss I Denn)
ウドゥン・ハート Joe Dowell
ジョー・ダウエル
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  このうち当時、耳にした覚えのある曲はない。聴いてはいても記憶に留まらなかったらしい。もちろん後年、オールデイズ番組などで聴いてよく知ることになるのだが…。

そこでその翌年1962年のビルボード年間TOP10シングルもコピーさせていただく。
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1962年のヒットシングル/ビルボード年間チャート
順位 シングルタイトル アーティスト
 1 Stranger On The Shore
白い渚のブルース Mr.Acker Bilk
アッカー・ビルク
 2 I Can't Stop Loving You
愛さずにはいられない Ray Charles
レイ・チャールズ
 3 Mashed Potato Time
マッシュ・ポテト・タイム Dee Dee Sharp
ディー・ディー・シャープ
 4 Roses Are Red
涙の紅バラ Bobby Vinton
ボビー・ヴィントン
 5 The Stripper
ストリッパー The Stripper
ストリッパー
 6 Johnny Angel
ジョニー・エンジェル Shelley Fabares
シェリー・フェブレ
 7 Loco-Motion
ロコモーション Little Eva
リトル・エヴァ
 8 Let Me In
レット・ミー・イン The Sensations
センセーションズ
 9 The Twist
ツイスト Chubby Checker
チャビー・チェッカー
10 Soldier Boy
ソルジャー・ボーイ The Shirelles
シュレルズ
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 そう、この年の年間第2位に レイ・チャールズの「愛さずにはいられない(I Can't Stop Loving You )が 入っている。この曲がターニングポイントだった。中学3年のクラスメイトが教えてくれた 「愛さずにはいられない」を聴いた時、ことばの意味もわからないのに涙があふれた。今でもあの時のことを思い出すと涙がこみあげる。それはそんな名曲だった。
fumio

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自分が一体いつの頃からの洋楽ヒット曲を知っているのか、とビルボードチャート のサイトから1960年のビルボード年間TOP10シングル年間チャートを以下にコピーさせていただく。
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1960年のヒットシングル/年間チャート

順位 シングルタイトル アーティスト
1 Theme From"A Summer Place"

夏の日の恋
Percy Faith

パーシー・フェイス

2 He'll Have To Go

浮気はやめなよ
Jim Reeves

ジム・リーヴス

3 Cathy's Clown

キャシーズ・クラウン
Everly Brothers

エヴァリー・ブラザーズ

4 Running Bear

悲しきインディアン
Johnny Preston

ジョニー・プレストン

5 Teen Angel

ティーン・エンジェル
Mark Dinning

マーク・ダイニング

6 It's Now Or Never

イッツ・ナウ・オア・ネバー
Elvis Presley

エルヴィス・プレスリー

7 Handy Man

ハンディ・マン
Jimmy Jones

ジミー・ジョーンズ

8 I'm Sorry

ごめんなさい
Brenda Lee

ブレンダ・リー

9 Stuck On You

本命はおまえだ
Elvis Presley

エルヴィス・プレスリー

10 The Twist

ツイスト
Chubby Checker
チャビー・チェッカー


******************」
 このうちまともに知っているといえるのは情けないことに 「夏の日の恋」「悲しきインディアン」 「イッツ・ナウ・オア・ネバー」 そして 「ツイスト」ぐらいであることに気が付いた。洋楽に興味のなかった中学生のわたしの耳にもそれらの歌は届いていたようである。「夏の日の恋」はサンドラ・デイとトロイ・ドナヒューの映画「避暑地の出来事」のテーマ曲として流れてきた。「悲しきインディアン」は河を挟んだインデアンの恋人達の切ない恋を歌っているという話しを聞いて心に刻まれた。「イッツ・ナウ・オア・ネバー」はプレスリーが歌うイタリア民謡「オオ・ソレ・ミオ」ということでなじみ安かった。「ツイスト」は「ツイスト」という腰をひねるダンスがブームになって日本では歌より踊りが流行った。わたしは京都の大丸というデパートの屋上で踊りながら歌うオジさんとオバさん達のグループを呆然と見守っていた。そのグループはなぜかあまり好きにはなれなかった。わたしが洋楽に目覚めるにはもう数年の時が必要だったのである。
fumio

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  昨日に続いてビルボード年間チャート のサイトから1963年のビルボード年間TOP10シングルを以下にコピーさせていただく。
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1963年のヒットシングル/ビルボード年間チャート
順位 シングルタイトル アーティスト
 1 Sugar Shack
シュガー・シャック Jimmy Gilmer&The Fireballs
ジミー・ギルマー&ザ・ファイアーボールズ
 2 Surfin' USA
サーフィンU.S.A. Beach Boys
ビーチ・ボーイズ
 3 The End Of The World
この世の果てまで Skeeter Davis
スキーター・デイヴィス
 4 Rhythm Of The Rain
悲しき雨音 Cascades
カスケーズ
 5 He's So Fine
イカシタ彼 The Chiffons
シフォンズ
 6 Blue Velvet
ブルー・ヴェルヴェット Bobby Vinton
ボビー・ヴィントン
 7 Hey Paula
ヘイ・ポーラ Paul&Paula
ポール&ポーラ
 8 FingertipsⅡ
フィンガーチップス・パート2 Little Stevie Wonder
リトル・スティーヴィー・ワンダー
 9 Washington Square
ワシントン広場の夜は更けて The Village Stompers
ヴィレッジ・ストンパーズ
10 It's All Right
イッツ・オール・ライト The Impressions
インプレッションズ

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 こうしてみるとほとんど日本でもヒットした曲だけど数曲あまり知られていない曲がある。第5位のChiffons の「イカシタ彼」「He's So Fine」 はあまり日本のラジオで流れないけれどよく聴いてみると思い当たることがある。 そう、ジョージ・ハリソンの My Sweet Lord とそっくりなのだ。わたしたちファンはビートルズが解散してからジョージが個人的に My Sweet Lord をリリースした時さすがジョージと喜んだものだがやがて盗作疑惑が取りざたされてジョージは訴えられた。ミュージシャンはいつも知らないうちに耳にしたメロデイを自作に使用してしまったのではないかという不安を抱えているが「He's So Fine」 は全米年間チャートで5位に入るほどのヒットだったので残念ながらジョージの申し開きは聞き入れられず敗訴したのである。それでもわたしはメロデイは似ていても曲想は違うし歌としては My Sweet Lord のほうが優れていてジョージ・ハリソンの代表曲にふさわしいと思う。ジョージは今頃天国で「マイ・スイート・ロード」と歌っているのだろうか。
fumio


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  ビルボード年間チャート というサイトから1966年のビルボード年間TOP10シングルを以下にコピーさせていただく。
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1966年のヒットシングル/ビルボード年間チャート
順位 シングルタイトル アーティスト
 1 The Ballad Of The Green Berets
悲しき戦場 S/Sgt.Barry Sadler
サージェント・バリー・サドラー
 2 Cherish 
チェリッシュ The Association
アソシエイション

 3 (You're My)Soul And Inspiration
ソウル・アンド・インスピレーション The Righteous Brothers
ライチャス・ブラザーズ
 4 Reach Out I'll Be There
リーチ・アウト・アイル・ビー・ゼア Four Tops
フォー・トップス
 5 96 Tears
96粒の涙 ? & The Mysterians 
クエスチョン・マーク&ザ・ミステリアンズ
 6 Last Train To Clarksville 
恋の終列車 The Monkees
モンキーズ
 7 Monday,Monday
マンデイ・マンデイ Mamas&The Papas
ママス&パパス
 8 You Can't Hurry Love 
恋はあせらず The Supremes
スプリームス
 9 Poor Side Of Town
僕らの街 Johnny Rivers
ジョニー・リバース
10 California Dreamin'
夢のカリフォルニア Mamas&The Papas
ママス&パパス
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 この年の第1位はなんとバリー・サドラー 軍曹の歌う「悲しき戦場」だった。
あの頃は特になんとも思わなかったが1965年の北爆から始まったとされるベトナム戦争たけなわの高揚感がこの歌を年間第1位に押し上げたのだろう。今現在イラクやアフガン戦争を題材にしたこの手の歌がヒットする可能性はないけれどそれだけでも世界は進んだと言えるのかもしれない。

 わたしのような全米ヒットチャートファンにとっては1966年の年間シングルチャートの第1位がバリー・サドラー 軍曹の「悲しき戦場」であったことは全米ヒットチャートの歴史の最も恥ずかしい場面の一部と思える。「悲しき戦場(ヒットチャート)」ということかも…。
fumio




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私的カウントダウンアルバム「水面に書いた物語 」 収録曲の今週のアクセス聴取ランキング
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1月15日(金)~1月22日(金)
ヒット数:1,191件中
    
順位( )内は前週の順位< >内は前々週の順位 

第1位(4)<3>ごめんなさい
第2位(2)<4>あやかしのまち
第3位(1)<2>水面に書いた物語
第4位(3)<1>軽々しく愛を口にしないで
第5位(8)<10>ときめきFALL IN LOVE  
第6位(5)<5>女優(スター)
第7位(12)<6>マイ・スィート・ライフ
第8位(11)<14>オーロラの町から
第9位(7)<9>ラスト・ランデヴー
第10位(6)<7>はるかなるメロディ
第11位(9)<15>それってⅨじゃない
第12位(16)<8>素顔のマスカレード
第13位(18)<19>NEVER GIVE UP!
第14位(13)<18>Stay with me
第15位(15)<13>恋すれば魔女
第16位(19)<11>わかりあえる日まで
第17位(10)<20>プロセス
第18位(14)<12>Sentimentallady”M”
第19位(20)<17>しあわせになれる
第20位(17)<16>まことのひかり
第21位(-)<->もっと自由に
第22位(-)<->ハロー!・エンドレス・ドリーム

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 今週はごめんなさいが首位を奪った。そして最後尾の第21位にもっと自由にそして第22位にハロー!・エンドレス・ドリームが入ってきたことはほのかな希望の芽のふくらみを感じさせる。ご愛聴感謝。
fumio

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先日、洋楽番組を見ていると司会のクリス・ペプラー氏が、死ぬ時にはピンク・フロイドのアルバム「狂気」を聴きながら死にたい、と言っていた。なるほどそれらしいアルバムだと思った。あなたならどうだろう。わたしの場合はと考えるとアルバムではなくザ・ビートルズのI WANT TO HOLD YOUR HAND を聴きたいと思った。名曲は多いけれどそれはわたしにとってもっとも印象の深い歌だからである。

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January 25 1964
1. I WANT TO HOLD YOUR HAND Beatles
2. THERE! I’VE SAID IT AGAIN Bobby Vinton
3. LOUIE LOUIE Kingsmen
4. POPSICLES AND ICICLES  Murmaids
5. SURFIN’ BIRD Trashmen
6. YOU DON’T OWN ME Lesley Gore
7. HEY LITTLE COBRA Rip Chords
8. OUT OF LIMITS Marketts
9. FORGET HIM Bobby Rydell
10. ANYONE WHO HAD A HEART Dionne Warwick

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 1964年初頭の「9500万人のポピュラーリクエスト」というラジオ番組で全米のトップ10を紹介する司会の小島正雄さんが10位から2位まで読み上げ最後に興奮気味に「今週の全米1位はザ・ビートルズのI WANT TO HOLD YOUR HAND 、この曲は先々週初登場80位、先週43位でした。」と言った。しかしその週にはまだレコードが手元になかったのでかけられず翌週に流れた聴いたことのないすごいイントロからみんなで叫ぶようなコーラスに完全にノックアウトされた。この曲のイントロを聴くと今でもわくわくする。末期の時にこのイントロが流れるとあの時の感動が迫って簡単には逝けないかもしれない。それでは末期の歌には向かないかも…。
fumio


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 ビートルズがアルバム「アビーロード」ピンク・フロイドが「狂気」をレコーディングした「アビー・ロード・スタジオ」のエンジニアにアラン・パーソンズという男がいた。かれはビートルズやピンク・フロイドの音作りを学びかれらが没にするアイデアをも自身の引き出しに収めていた。1970年にビートルズが解散して時が来て、1976年にかれアランもエリック・ウルフソンとプロジェクトを組んでアルバムを制作する時エンジニア時代の勉強が役立つことになった。ファースト・アルバムは『怪奇と幻想の物語~エドガー・アラン・ポーの世界』というオタク向けのような内容でグラミー賞にノミネートされたがその後プログレッシブ・ロックともポップロックともつかない独自の音楽世界を構築していった。それまでこの手の音楽はヒットパレードには上らなかったのだがどうしたわけか米国のトップ40ラジオ局で "TIME"が頻繁にかかりだした。わたしはサンタモニカ海岸で車のカーステレオをつけるとこの曲がかかりこういう雰囲気のある曲もヒットするようになったのかとうれしくなったものだった。そしてしばらくするとアメリカンコミックをヴィデオに使用したDon't Answer Me が大ヒットしてヒットパレードの常連のようになってしまった。ウイキペディアによれば相棒エリック・ウルフソン(Eric Wolfson)は2009年12月2日にガンで亡くなっている。64歳だった。すばらしい音楽の数々をありがとう。合掌…
fumio


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ちょっと気になってわたしがホームページを開設したのはいつかと調べると1998年に準備を始めどのように構築すればいいか試行錯誤して1999年にやっと開設している、初めはまだ「炎で書いた物語」のログを置いていただけであった。だんだん他のページも増設してゆき、やがては音楽ファイルなどもアップロードして名前もようこそmonologueへ としてまともなサイトとして充実してきたのは2000年ぐらいだった。そして2005年5月にアップツゥデイトの話題を扱い発信できるこのブログを始めることができた。今年は2010年だからホームページを始めてから約十年が経過したことになる。だれにでも紆余曲折があるけれどわれながらよく続いたものだと思う。役目が終わるまでは続けてゆくことになるのだろう。ご愛読感謝。
fumio

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ジャンとディーンの全米ナンバー1 ヒット「サーフ・シテイ」を一緒に作ったのは友達のブライアン・ウイルソンであった。かれはサーフィンはできなかったけれど音楽の才能があった。兄弟親戚友達を集めビーチボーイズを結成してカリフォルニアの若者たちの生き様をとらえた、サーフィンやホット・ロッド音楽を世界に送り出して時代を揺り動かしたのだ。そのうち特筆すべきはかれのアイドルであったチャック・ベリーのSweet Little Sixteen を下敷きにした Surfin' USA である。その曲は米国にとどまらず世界中でヒットしてサーフィンブームをひき起こした。わたしたちの島国にもその波は波及してサーフィンそのものはできなかったがサーフィンという名前のダンスは踊ってみたものだった。

 ビーチボーイズでドラムを担当したデニス・ウイルソン は見かけがいいのでアイドル視されセックス・シンボルとしてもてはやされたがグループでただひとりサーフィンが得意だったのに1983年12月28日深夜、ロサンジェルスのヨット・ハーバー、マリーナ・デル・レイで泥酔状態のままヨットから海に飛び込み39歳で水死した。自殺とも事故死ともいえる不審な死だった。アイドル視されたりもてはやされることに耐えきれなかったのだろうか。ポップ界の人気者はなぜか不幸な死に方をしてしまうことが多い。合掌。
fumio

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ローズパレードの行われるパサデナにはプロユースの録音機材の店があるのでよく行った。フリーウエイを走っているといつもJan & Deanの Little Old Lady From Pasadenaを思い出して口ずさんだものである。ザ・スパイダ-スが「エレクトリックおばあちゃん」という変わった歌を出したことがあるがその下敷きになったのだろう。ジャンとディーンはわたしが高校時代 初めてキャッシュボックス誌のトップ10をノートに記録した週の第1位 サーフ・シテイを歌っていたポップ・デュオだった。
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July 27, 1963  

1 SURF CITY Jan & Dean
2 SO MUCH IN LOVE Tymes
3 EASIER SAID THAN DONE Essex
4 FINGERTIPS (pt. 2) Little Stevie Wonder
5 WIPE OUT Surfaris
6 (You’re The) DEVIL IN DISGUISE Elvis Presley
7 MEMPHIS Lonnie Mack
8 TIE ME KANGAROO DOWN, SPORT Rolf Harris
9 BLOWIN’ IN THE WIND  Peter, Paul & Mary
10 PRIDE AND JOY Marvin Gaye


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しかし、Dead Man's Curve すなわち「死者の曲がり角」とでも訳すべき不吉な歌をトップ10に送り込んで2年後の1966年4月12日にジャンは愛車コルベットでビバリーヒルズのサンセット通りの交差点近くの ウイッター・ドライヴ(Whittier Drive)に駐車していたトラックにぶつかる事故を起こして頭部に重傷を負った。それから脳の損傷によって失った機能回復の長いリハビリの人生が始まった。

そして長い間、かれの噂を聞かないうちに2004年3月26日に62歳で亡くなった、とわたしの青春の日のヒーロー「ジャン・ベリー( Jan Berry )」の死の報に接したのであった。合掌
fumio

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息子からメールが来た。今年のローズ・パレードにサンバ音楽のクラブ でサッカーのカナリア軍団ブラジルのチームカラーの緑と黄色の衣裳で揃えて出場して大太鼓を叩いている。重くて大変だっただろう。

 ローズ・パレードというのは毎年元日にカリフォルニア州パサデナのローズボウル・スタジアムで、行われるカレッジフットボールのボウル・ゲーム「ローズ・ボウル」のあとで町に繰り出して行われる盛大なパレードである。わたしも米国滞在中はパサデナに出かけて見物したものだ。 「KTLA: 2010 Rose Parade - Part 2」 のKTLAというのはロサンジェルスの有力ラジオ局で先日の記事のカウントダウン番組「ソリッド・ゴールド」の収録はかつてはこの局のスタジオで行われていたのである。
fumio

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