93/10/05 ★隼の目は全てを射貫く為に光り、麒麟の怒号は天地を揺るがす
わたしの生家の地名、京都市下京区櫛笥通の「櫛笥」の語源は大物主伝説で蛇が入っていたという櫛の笥(け)に因(ちな)んでいるのだがそれは大物主の妻となった倭迹迹日百襲姫命が、昼来ないで夜だけくる夫の大物主に朝、姿を見たいと頼んだので大物主が「あしたの朝あなたの櫛函(くしばこ)に入っていよう。」と約束して翌朝、櫛函を開けた倭迹迹日百襲姫神が中にいた小さな蛇を見て驚き叫ぶと、蛇はたちまち若者の姿となり、恥をかかされたことを激怒して、大空に飛び上がって三輪山に登ってしまった。それを見て自分の行為を後悔した倭迹迹日百襲姫神は、箸で女陰を突き刺して死んでしまう。その倭迹迹日百襲姫神が葬られた墓は、昼は人、夜は神が作って箸墓と呼ばれその奈良県三輪山麓西側にある箸墓古墳は日本でもっとも古い全長約280mの巨大古墳である。
この説話の主人公「倭迹迹日百襲姫」は実に読みにくい名前で困る。
古事記では、夜麻登登母母曾毘賣命と表記されているので普通は「やまとととひももそひめ」あるいは「やまとととびももそひめ」と読まれてきた。どちらにしてもアナウンサー泣かせの名前である。どうしてこんな名前なのだろう。
それでは全てを射貫く隼の目でこの封印を外そう。妹は「倭飛羽矢若屋比賣」で自然な名前である。出自や美称を変換すると「倭鵄速若屋比賣」で「わかや」が名前の核だった。「鵄」は「登美」「鳥見」などと表記する、ニギハヤヒの義父長髓彦がいた地域。「倭迹迹日百襲姫」も同じ構造の名前にすると「倭速鵄百襲姫」となる。速は「と」と読めるのでこれでも「やまとととびももそひめ」と読める。記紀の編纂者は敵対する出雲の美称である速や「鵄」という地名を隠したかったのだ。
問題は名前の核である「百襲」だが数字の「百(もも)」は日向族の印でそれを「襲(かさ)ねる」のはおかしい。五百を「いほ」と読むようにこの場合の百は「ほ」と読むのだ。そうすれば「百襲」は「ほそ」であることがわかる。つまり父、孝霊天皇の妃のひとり「細(くはし)比賣」の「細」を継いでいるのだ。これは「天細女(あめのうずめ)」の霊力を継ぐ名前であった。
大物主神(ニギハヤヒ)が三島溝咋(みぞくい)の娘、勢夜陀多良比売(せやだたらひめ)を見添め、丹塗矢となって用便用の溝を流れ下り、彼女が川を跨ぐと陰部(ほと)を突いた、という、丹塗矢伝説もこの箸墓伝説も、ともにセクハラめいた話しに貶められているが神とまじわり妻であり巫女として依り代となるための儀式を説話化したものなのである。
「倭迹迹日百襲姫」は大物主神(ニギハヤヒ)の依り代として「細」の田の回転をして時代を拓いた。それゆえ、奈良県三輪山麓西側に人と神の共同で巨大な箸墓が建設されたのであった。大物主神(ニギハヤヒ)の「倭速鵄百襲姫(やまとはやとびほそひめ」、「細」さんに対する愛の深さがしのばれる。
fumio
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