透明な気圏の中から

日々の生活の中で感じたこと、好きな作家についての思いなどを書いてみたいと思います。

「夷酋列像」展へ

2015-11-04 20:58:05 | 日記

晴れ。最低気温-2.9℃、最高気温15.7℃。

北海道博物館で開催されている「夷酋列像ー蝦夷地イメージをめぐる人・物・世界ー」を見に出かけました。以前訪れた時は人影まばらな博物館でしたが、今日は大勢の人で賑わっていました。館内に入るとチケットを求める人の行列ができていたのにも驚きました。それでも、約20分後には展示室内に入ることができました。

この展覧会は、蠣崎派響(かきざき はきょう)の筆による「夷酋列像」がフランス・ブザンソン美術考古博物館と函館市中央図書館のコレクションから、また、後に画人たちが描いた模写、粉本(下書き等)などの絵画の他に民俗資料、地図、文書などの資料が一堂に集められたという点でかつてない大規模な展示だということです。

貴重な資料への配慮でしょうか。室内は照明がかなり落とされていました。展示は第一章から第四章までの構成となっていました。第一章から順に夷酋列像の系譜、第二章・夷酋列像をめぐる人、第三章・夷酋列像をめぐる物、第四章・夷酋列像をめぐる世界です。

配布資料によると、蠣崎波響(1764~1826)は後に松前藩の家老となる人物です。「夷酋列像」は1790(寛政2)年に12人のアイヌを描いた作品とのことで、波響26歳頃でしょうか。翌年の1791(寛政3))年、京都に持ち込まれ、時の光格天皇の目に留まり、その後、諸藩の大名たちによって模写も作られたということです。

描かれた12人は、前年の1789(寛政元)年に起こった「クナシリ・メナシの戦い」の際、松前藩に協力した首長たちとされています。肖像画を描いた意図は松前藩がこうした者たちを従えることができる藩であることを主張するところにあったとされています。アイヌの人々の異質性を敢えて強調しているのはそのためであると。

さて、これらのことを知る以前にポスター等で見た時の印象としては装束が細部に至るまで精緻であでやかに描かれていることやどことなく中国風だということでした。松前藩に協力したことで生き残り、肖像画が後世の私たちの目に留まることになった12名の方々。何だか複雑な気分で鑑賞することになったのでした。

                        

                 

                 

                 

                 

                 

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