雪時々晴れ時々曇り。最低気温−12.1℃、最高気温−4.0℃。
厚別東小学校前バス停から
昨日のことです。
我家へ除排雪車が一日前倒しで来てくれたので、ご近所の皆さんと除雪作業に取り掛かることに。
13時半から開拓の村ボランティア木曜班の学習会があり、それに向けて予定していたバス時刻(11時39分)が迫るも作業が終わらず、次のバス(12時43分)に乗車することにしました。
開拓の村行きのバスに乗車するために新札幌まで行こうと最初思っていたのですが、そうすると村で行われる木曜班の学習会の開始時刻13時半に間に合いそうもないなと。
思い切って、厚別東小学校前のバス停で降りることにしました。この時点で12時55分。
歩けるだろうかと少々心配だったのですが、約25分かかって、無事に開拓の村に到着することができました。喉はカラカラでしたが、そのまま学習会に参加。休憩時間に自動販売機で水を購入し、やっと喉を潤して一息つくことができたのでした。
このように予想外の展開になり、バタバタ感があったものの、何とか間に合って参加した学習会は大いに刺激的であり、楽しいものでした。
最後まで諦めなかった!ことが良い方向へ導いてくれた鍵だった気がしています。
解説に柳田国男氏の「遠野物語」に登場する雪女の例が取り上げられています。
寂しいときにどこかの誰かの戸を叩いてもよいなら、そして、おおらかに受け止めてくれるなら、誰しもが心を凍らせたままにならずに済むのだろうと思います。
その誰しもが雪女であっても。
今日の新北のうた暦の句は、民の暮らしの圏内に雪女が存在しているように詠まれていて、興味深かったです。
此の話はすべて遠野の人佐々木鏡石君より聞きたり。昨明治四十二年の二月頃より始めて夜分折々訪ね来り此話をせられしを筆記せしなり。鏡石君は話し上手に非ざれども誠実なる人なり。自分も亦一字一句をも加減せず感じたるままを書きたり。思うに遠野郷には此の類の物語猶数百件あるならん。我々はより多くを聞かんことを切望す。国内の山村にして遠野より更に物深きところには又無数の山神山人の伝説あるべし。願はくは之を語りて平地人を戦慄せしめよ。此書の如きは陣勝呉広のみ。
— 柳田國男「序文 『遠野物語』」
ウキペディアより『遠野物語』の序文とその解説をここにアップします。
あらゆる事象を西洋的な解釈でもって説き伏せようとする明治にあって、未だ前代的な精神で生き続けている人たちが日本に存在している「現在の事実」を当時の社会に知らしめんとする柳田の考えが書かれている。これまでの考えを否定するかのような都市部に生活する一部の「平地人」に対する警告とも、あるいは山中には列島渡来の民族とは異なる先住異民族がいまだに生存していると考えた柳田の、山人論を立証しようとする意気込みが窺える。
現代にあっても、理屈通りに収めようとして無理がある時には、先人から受け継がれた言い伝えに耳を傾け、そこから叡智を得ることがあっても良いのではないかと思います。