sekiの徒然日記

旧布野村に週末帰農を始めて18年で遂に解散。今後は尾道からsekiの徒然日記として再スタート。

三江線の旅

2018-03-21 16:33:32 | 
 川本駅での乗り換え、奥が木次線の車両とか。

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 昨夜遅く三江線と有福温泉の旅から、クタクタになって帰ってきた。
 
 三江線の旅と有福温泉に分けてアップするが、今日は三江線の旅だ。

 廃止が迫った三江線は、うわさどおり最後に一度は乗っておこう・・
・の人々でごった返していた。

 三次駅ホームのダイヤ表。

 3番ホームからの始発だ。

 我々が乗ったのは三次発10.02⇒石見川本着12.18の列車、三江線終
着駅の江津に行くには、川本で1時間30分程待って13.45に乗り換えだ。

 川本駅での待ち時間に昼食を食べたが、何せ小さな町数件の食べ物や
さんはすぐ満杯、小雨の中昼食をとるのに少しばかり苦労した、三次の
コンビニで弁当買っておくのも手だろう。

 車両は通常は1両だったのが3両編成に出世していた、なんでも木次線
や芸備線の車両を借りてきての編成だそうだ、最後尾の車両が木次線の
ものとかで人気があった。

 川本駅 5分程前までごった返していたが食事に散った。

 ルートのほとんどが江の川沿い。

 今からラストに向けて行かれる方は、立っていくのを覚悟して置いた
方が良い、我々も川本駅の乗り換え後は1時間10分ほど立っていた。

 通しで乗って感じたことは、面白いことに三次駅や川本駅そしてその
周辺の住民は燃えているが、江津側はビックリするほどクールだ、この
温度差が凄い。

 まぁほとんどの人が江津駅で折り返すのだから・・・江津に15.54に
到着して15.15で折り返す、つまりホームを移動してすぐ順番待ちなの
だ。

 江津駅で乗り換えに向かう人々。

 江津駅前、静かだった。

 川本駅で周辺住民の代表の方が挨拶されていたが、この三江線と同じ
ように廃線になりそうな鉄路は全国に沢山ある、皆さんが行って乗って
一日でも延命できるようにしてほしい。

 廃線が決まり、ラストラン近くになって乗った我々には耳の痛い話で
した。

 当初は有福温泉に泊まった翌日、三江線でコトコト帰る予定でしたが
、あまりに待ち時間が長いのと座れる感じがしないので、特急で松江に
移動し松江から高速バスで三次に帰って来た。

 特急スーパー隠岐で松江に移動。

 さすが石州瓦の本場 駅のホームに。

 松江で出雲そば食べて三次に帰った。

 後からの話ですが、行きは三江線泊って翌日は木次線でぐるっと回て
鉄路を楽しむコースがあったようです。

 廃止までに乗ることを検討されている方は、参考にして下さい。

 

 


湯村温泉(3)丹後半島

2018-02-04 18:58:07 | 
 天橋立、全長3.6k、逆さで見ると天につながって見えるとか・・・どうです?

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 湯村温泉シリーズ(3)は丹後半島だ。

 ただ村長、この但馬地方とか丹波地方とか丹後半島とかの区分
理解できていない、多分広島県東部外の人が備後・備中・備前と
言われても分からないイメージか?

 それはともかく、丹後半島といえば天橋立、そして最近では伊根
の舟屋だ、そのコースを雪の中行って来た。

 伊根の舟屋には、伊根湾めぐりの遊覧船で出かけるが、ビックリ
したのは船にカモメが沢山いついている事、船が出航すると何十羽
というカモメが。

 種明かしは、お客がカッパえびせんをやるから、カモメも慣れた
もので空中で巧くキャッチするし、うかうかしていると手に持って
いるのを持っていく。

 少し離れた地点からの伊根の舟屋群、今は民宿等になっているところもあるそうだ。

 近づくとこんな感じ、その名のとおり船が家の中に入る。

 かっぱえびせん投げると恐ろしいほど群がってきます。

 成相寺(なりあいじ)西国三十三所 第28番札所に行ったが、
昼食場所がこのお寺の近くだったから覗いただけ。

 本命の天橋立のケーブルカーの乗り場は対岸なのだ、しかしこ
のお寺の横の松並木は天橋立の松並木、徒歩で40分くらいで行け
るようだ。

  成相寺 山門。

 山門を入るとこんな感じの境内、右手の松の向こうが天橋立。

 昼食後の散歩が終わったら、対岸のケーブルカー乗り場にバス
で湾を半周、着いたら今度は神社だ。

 籠神社(このじんじゃ)、別名 元伊勢籠神社といい主祭神を
彦火明命(ひこほあかりのみこと)とする由緒?ある神社だそう
だが、村長には理解不明・・・

 本営御鎮座1300年ですぞ・・・ともかくこの横やら中を通ってケーブルカー乗り場へ。

 籠神社 神門、この神社の駐車場にバスを止めたので、多角経営ですね・・・

 こちらがご先祖さまとか・・・よく分かりません。

 天橋立、人がいる向こうの台から股ごしに見るのだ。

 

秩父長瀞ライン下り

2017-10-26 18:29:29 | 
 こんな感じの川下り。

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 日光東照宮と草津・鬼怒川温泉のツァーの最後は長瀞ライン下りだ。

 これ長瀞(ながとも)と読むそうだ、読み方も難しいが、PCのも出てこなかった。

 それはともかく、羽田までの帰りの道中での時間つぶし?の川下り、埼玉県秩父郡
の長瀞ライン下り約20分の船旅?させてもらった。

 1隻に24人ぎゅうぎゅうに詰めてスタートすると、おりからの渇水で船底が川底に
当たってガリガリ、そのたびに女性軍(シニアですが)から黄色い声。

  陶器の峠のかまめし。

 お店も立派でした。

 その長瀞ライン下りに行く前、バスの中で食べた名物駅弁「峠の釜めし」は結構い
けた、陶器の釜めしと弁当の釜めしがあり選べるが、陶器を頼んだ人は責任もって
空陶器は持って帰ることになっている。

 村長は陶器、女房殿は弁当を食べたがもちろん中身は同じ、この陶器の釜めしが出
来た由来はずーと昔温かい駅弁を提供しようと考えたそうだ。

 羽田につくころには夕暮れ、その夕やみにライトアップされた東京タワーが・・・
そーいえば到着して初めの観光はスカイツリーでした。

 夕やみに浮かぶ東京タワー、バスからパチリ。

  東京出発の時行ったスカイツリー

 これ食べましたが若い人向けでした。

 フロア350の展望デッキまでエレベーターで一気に上がり、展望デッキ350から345
そして340から東京を眺望、またエレベーターで5Fまで下った。

 2F・3Fの東京そらまちで各自昼食をしたのだ、村長が食べたのはビビンバ、これ
が食べたいと思ったのでなく、他にいいものがみつからなかったから・・・

 そんなことで2泊3日のツァー終わりました。

 草津温泉に再度行きたい・・・

 おまけ

 もう一つ帰りによってました軽井沢の雲場池、別名スワンレイクとか、鴨しかいませんでしたが。




華厳の滝

2017-10-20 17:10:44 | 
  華厳の滝、凄い水量です。

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 日光東照宮を参拝した後は、当然「華厳の滝」だ。

 男体山の噴火によって堰き止められてできた中禅寺湖、その湖の唯一の
流出口である大谷川にある滝、落差97mで一気に落ちる、日本三名瀑の一つ。

 発見者は勝道上人と伝えられ、仏教経典のひとつである華厳経から名づけ
られたといわれている。

  下側をアップするとこんな感じ、凄い迫力と霧雨だ。

  すぐ上の中禅寺湖、このまま戦場ヶ原経由で草津へ。

 その華厳の滝を見るのは駐車場の観瀑台からも見えるが、有料エレベーター
を使って下から見るのがお勧め。

 確か30年ほど前は観瀑台から見ただけだったが、今回550円を投資?して下
りて見ると、3階仕様の観瀑台があり迫力満点、滝の霧を風によっては浴びる
がこれはお勧め。

  いろは坂、カープには案内板がついている。

 日光東照宮方面から華厳の滝に行くには「いろは坂」を登っていく、今回
ガイドさんの説明を聞いてて理解したが、登りと下り合わせて48のカーブだ
そうだ。

 ちなみに登りを第二いろは坂といい、い~ね の20カーブ。下りを第一いろ
は坂といい な~ん の28カーブ、標高差は500mだそうだ。

 残念なのはまだ紅葉には少し早かったこと、それでも男体山の山頂付近は赤く
なりつつあった、今行けば絶景の紅葉でしょう、しかし昨日雪がふったとか・・・

 



 

日光東照宮(2)

2017-10-14 18:24:57 | 
  これ境内で説明員の方から、改修にお金がかかるので寄付をといわれ500円したら、お返しとしてお神酒と猪口がかえってきた、葵の門ですぞ。

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 前回に続いて日光東照宮だ、陽明門、御水屋、神輿殿、坂下門、本地堂紹介する。

 日光東照宮は、当初から天海僧正の主張もあり山王一実神道による神仏混合を採用し薬師如来
を本地仏を祀り他の日光山内の寺社と渾然一体となっていたが、明治当初に発令された神仏分離
令により日光東照宮、二荒山神社、輪王寺の二社一寺に集約され、日光東照宮は正式の神社とな
っているそうだ。

 前回も言ったが平成の大改修を今年3月に終え公開されたので、どこに行っても人人ばかりホ
ント疲れたというのが実感、しかも迷子にならないように専門の説明員さんについていくのが
精一杯、説明は聞こえたり聞こえなかったり・・・

 もう少し落ち着いて見てみたい・・・が実感、しかしすべての建物、構築物は灯篭にに至るま
で各藩の寄進なんですねー、莫大な財産と労力を各藩に強いて武力を削いだ、よく考えたもの
です。
 
  中央奥が陽明門、右側に鐘楼、左側に鼓楼が配置されている。

  陽明門、寛永12年(1635)に建てられた、陽明門の名称の由来は京都御所にある十二門の東の正門が陽明門と呼ばれていたところから授かったそうだ。

  御水屋、寛永12年(1635)に建てられた、人ごみで写ってはいないが、手水鉢は元和4年(1618)に九州鍋島藩主が徳川家康3回忌に奉納した。

  神輿殿、寛永12年(1635)に建てられ、内部には千人行列で渡御する徳川家康(中央)豊臣秀吉(左)、源頼朝(右)を祭った神輿が安置されている。

  坂下門、元和4年(1608)に建てられ、この奥が徳川家康が眠る奥宮に続いていた爲、普段は閉められ開かずの門といわれていたそうだ、奥宮に続く欄干には有名な眠り猫の彫刻がある。

  眠り猫、イガイに小さく、え これ といった感じ、左甚五郎の名作。

  本地堂、寛永12年(1635)に建てられ、規模としては東照宮最大の建物、天井には狩野永真安信が描いた8mの竜があり、その下で手を打つと鳴き竜現象が起こる。(鳴竜)

  昼食、近くの団体ツァー専門の食堂兼土産物屋で食事だ、山伏の昼食とかで精進料理風ゆばばかりやけに多かった、この器の下は空です。


日光東照宮(1)

2017-10-12 18:10:53 | 
  平成の大改修を終えた陽明門、入ると唐門、拝殿、本殿と続くが人人人だ。

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 鬼怒川・草津温泉と日光東照宮のツァー、見どころはやはり
平成の大改修を張るに終えた陽明門。

 前回紹介した初の開帳となった大猷院ご本尊も凄いが、やはり
良く知られているのは日光東照宮、見どころが沢山あるので2回
に分けて紹介。


 1回目は石鳥居、五重塔、表門、上神庫・中神庫・下神庫の3神
庫、神厩舎まで。

 石鳥居、元和4年(1618)黒田長政が奉納、石材は九州から切り出し運ばれたそうだ。
高さ9m、柱の太さ3.6m柱間6.8m、日本3大鳥居の一つ。

 よく知られているように、元和2年(1616)徳川家康が死去し遺言
により一瑞久能山に埋葬され、翌年に日光に改葬され朝廷から東照
大権現の称号と正一位を与えられ東照社とした。

 その後正保2年(1645)に宮号を賜り日光東照宮と改称。世界遺産。

 五重塔、初代は慶安3年(1650)若狭小浜藩主酒井忠勝の奉納、高さ35m吊られた心柱により振動の調整をする造り。文化12年(1815)火災により焼失し文政元年(1818)酒井忠近が再建。

 表門、寛永12年(1635)に建てられ、東西120間に及ぶ彫子塀がついている。切妻・銅瓦葺き。

 上神庫、創造の像の彫刻がある。

 アップすると想像の像の彫刻。

 中神庫。

 下神庫、3つを総称して三神庫といい、寛永12年(1635)に建てられた、3棟とも校倉造りで内部には武者行列に使用される1200人分の装束等が入っているそうだ。

 神厩舎、寛永12年(1635)に建てられ、東照宮境内で唯一の白木造り、当初は徳川家康が関ヶ原の合戦時乗馬していた馬が神馬とされていたそうで、長押上には猿が馬の守り神であるという信仰から猿の彫刻が。

 有名?な3ザルの彫刻、これを含め8面の猿彫刻が彫り込まれ、子育てから恋愛、結婚、妊娠といった人間の一生があらわされているのだそうだ。

 ちなみに「創造の像」「三猿」「眠り猫」が日光三彫刻と言われている。

 今回はここまで次回に眠り猫をアップ。

 


大猷院

2017-10-08 17:59:42 | 
 竜神破魔矢 大猷院境内にある夜叉門の背面左側に安置されている「うまろきゃ」
が右手に携えている矢を象った御守護。悪いものを払い、願い事を叶える力があるとされている。
 3000円で買ってしまった・・・・

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 日光山輪王寺大猷院、徳川三代将軍家光の廟所、家光公は慶安4年4月
20没(1651年)。

 祖父である家康公(東照宮)を凌いではならないとの遺言により、金
と黒を使用した重厚で落ち着いた造りとなっている。

 仁王門、二天文、展望所、夜叉門、拝殿・相の間・本殿、皇嘉門から
なっている。

 仁王門 一つ目の門で左右に金剛力士が安置されている。

  阿形(あぎょう)金剛力士像、吽形(うんぎょう)金剛力士像と合わせて「阿吽の呼吸」
はここから着ているといわれているそうだ。

 二天門は工事中。

 夜叉門 四体の夜叉が安置されていることから夜叉門。

 その一つ毘陀羅(だったと思う・・・)の膝に像の彫り物、ここから膝小僧となったとか。

  拝殿・相の間・本殿、ここは撮影禁止。別名金閣殿と呼ばれ沢山の金が使われ、天井には140枚の竜の絵、52kもある家光公の鎧兜が提示されている。

 皇嘉門 この門の先に家光公のお墓所がある、非公開。

 

 

今から温泉ツァーだ

2017-10-03 05:05:59 | 
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 今から女房殿と、日光東照宮と鬼怒川温泉・草津温泉のツァーに出る。

 世の中から、この選挙でバタバタする時に・・・・

 との声もあるが、この時期の選挙を想定してツァーを申し込んだ訳で
もなし、今 解約すれば8~9割ロス これは行かねばならず。

 ・・・と自分を納得させて行って来ます。

 何せ鬼怒川・草津温泉は初めてのなもので、ちなみに日光は行ってます。

 後のためにゆっくり保養して来ます。

備中の旅

2017-09-25 18:14:27 | 
  頼久寺 小堀遠州 作庭の蓬莱式枯山水庭園。

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 先般の湯原温泉の旅、前日に蒜山高原、翌日勝山街並み保存地区経由
で、高梁市の備前松山城、頼久寺と回った。

 すでに備中松山城はアップしたので、勝山街並み保存地区と高梁市の
頼久寺を備中の旅としてまとめた。

  寺の入口。

 頼久寺

 地理的には備中松山城の麓にあり、市役所からも近い住宅街にあった。

 足利尊氏が命じて再建させ備中の安国寺とした、後に永正年間(1504
年)松山城主 上野頼久公が大檀越となり寺観を一新し逝去したので、
頼久の2字を加えて安国頼久寺となった。

 その庭園を元和5年頃(1619年)小堀新助正次(小堀遠州)が作庭、
蓬莱式枯山水庭園で愛宕山を借景し、白砂敷の中央に鶴島、後方に
亀島の石組が配置されている。

  庭園の回廊に入る手前。

  頼久寺の部屋

  同

 庭そのものはさほど大きくないが、他の客もいないこともあって静寂感
があった、ただ説明のアナウンスが良く響く。

 まぁ一見の価値ありといったところか、つつじの咲くころがいいかも?

  これ酒屋。

 勝山・街並み保存地区

 湯原温泉からR313を下ってくると川向うに町屋が見えてくる、橋を渡
って旧出雲街道の跡の街が街並み保存地区。

 なまこ壁の土蔵、武家屋敷等が並ぶノスタルジックな通りだ、通りも石畳
で整備されていい感じですが、生活道路として使用されており車も通る。

  こんな感じの通り。

  新旧の道案内。

 ただ思ったほど長い通りでなく、さーっと通ったらおしまいの感じ。

 おっさんにはむいてなかった・・・

 

備中松山城

2017-09-21 19:44:03 | 
  山頂の備中松山城天守。

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 天空の城塞として近年有名になった備中松山城に行った。

 岡山県の湯原温泉の帰りに寄ったが、場所は高梁市の小松山の山頂。

 この登坂?ルートが凄かった、山の麓の駐車場に車を止めて、そこから
はマイクロバスでふいご峠まで、後は山頂のお城まで30分ほどの歩きだ。

 その歩きがきつい、竹の杖を突きゼイゼイとなりながら大汗かいて上る
と、最初に大きな石垣が見えてくる。

  こんなタイトルバック覚えていませんか?

  見事な石垣群が続いて出てくる。

 この石垣群が平成16年大河ドラマ「真田丸」のタイトルバックに流れて
いたものだそうだ。

 石垣群からさらに5分ほど登ると山頂の備中松山城天守、二重櫓だ。

 歴史的には鎌倉時代の延応2年に築かれた砦が始まりで、その後時代と共
に変化し現在の城塞となるが、天守の現存する山城としては随一の高さ
を誇るそうだ。

  右が五の平櫓、左は六の平櫓、奥は天守。

  天守の裏側にある二重櫓。

  天守の場内。

 

 お城はさほど大きくはないが、標高430mの天険にその昔築いたことに感嘆
する、登りながら何で好き好んでこんな所にと何度思ったか。

 しかし、登りきるといい風が吹きあがってくるし、歴史ある山城だった。

 一度登ってみることを皆さんに勧めたい。