( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/45923285.html からの続き)
日本では、キリスト教圏ほど 自殺を罪悪視する風潮は 少ないと言われますが、
自殺は卑怯で 負け犬の逃げだという見方も 一部に根強くあります。
でも 自殺を批判する人の中には、本物の蹉跌を 体験したことがあるのか
疑問を覚える人も ままいるように思います。
自ら 窮地をくぐってきた人ならば、死を訴える人の 胸中を推しはかることもなく、
非難を浴びせることは できないのではないでしょうか。
苦しみもがく人に さらに鞭打ち、踏みにじるような真似だけは
してほしくないと 僕は願っています。
僕は、果たして 自殺を美化してはいないだろうかと 自問しています。
僕は 実際に自殺を試みるまでに 至ったことはなく、
最後の一歩を踏み出した 心子の断末魔を 実感することはできません。
けれども、心子の最期を 単に悲運なでき事として
すませることのできないものが、僕の中にはあります。
心子は これでやっと 苦しみから解き放たれたのだと 思わざるを得ない、
そう信じるしかない というものが、どうしようもなく あるのです。
(続く)