「境界に生きた心子」

境界性パーソナリティ障害の彼女と過ごした千変万化の日々を綴った、ノンフィクションのラブストーリー[星和書店・刊]

自死について思うこと(1)

2007年03月10日 22時29分51秒 | 自死について
 
 心子は自らの手で 人生の幕を引きましたが、

 否定的に捉えられがちな  「自殺」 というものについて、

 僕なりに思うところを 記してみたいと思います。

 ただし、これはあくまでも 心子が世を去ったあとに、

 彼女の夭逝を 悲しみだけに終わらせないため 僕が思ったことです。

 いま自殺企図のある人には 必ずしも当てはまらないところが

 あるかもしれないと思います。

 決して 自死を安易に認めるものではない ということを、

 強く承知していただきたいと お願いいたします。
 
 

 元々 僕は理想が高く、生きる観念しかない人間でした。

 どんなに苦しくても、逆にそこから 何かつかみ取って生きてやると、

 昔は思っていました。

 しかし、かつて 僕は大いなる挫折をし、

 泥沼の底を のたうち回る懊悩に 苛まれた体験をしました。

 奥底のない 生き地獄の中で、

 胸が押しつぶされて 呼吸もできない苦悶に 七転八倒したのです。

 町を歩くと、道の両脇の建物が 赤錆びた廃墟と化して のしかかってくる、

 いても立ってもいられない 妄執に襲われました。

 一刻も早く この惨状から逃れたい,この場から 消えてなくなりたいという、

 どうしようもない衝動に 駆られました。

 がん末期の苦痛のために、死にたいと思うのと同様です。

(ただし 実際のがんの疼痛は、緩和療法で ほぼ取り除けます。)

 精神的な苦しみは 肉体的苦痛となって現れます。

 そこから逃げ出したい という欲求は、僕には納得できます。

 あと一歩のところで、僕も向こう側の世界へ 行っていたかもしれません。

 死生観は 人によって異なるもので、自殺を認めない人もいますが、

 僕は 心子の死を責めたり 卑しめたりしてほしくない と思っています。

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/45866742.html
 
コメント
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