( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/48746537.html からの続き)
これに耳を傾けた 当時の古賀市長は、
国の助成まで決定している 埋め立て計画を一時中止し、
広松に 半年間の時間を与えるという 英断を下しました。
この限られた期間に 広松は、街中の水路を 徹底的に調査し、
埋め立て計画推進者の 説得に当たらなければなりませんでした。
それまでは 手紙を書くのさえ億劫だった という彼は、
河川浄化計画の 膨大な資料を作成しました。
そして 顎まで水に浸かりながら、自ら水草取りを 根気強く続けました。
当初は、観光行政の片棒担ぎ との批判も出ましたが、
広松の一途な姿勢を見て 住民も次第に、水の大切さを 再認識しはじめました。
忘れかけていた 水との暮らしを 思い出していったのです。
やがて、人々は 力を合わせて 川の掃除を始め、
市を挙げての 浄化作業が着手されました。
隣近所、子供たちも 総出でゴミを回収し、水草を取り、
堀の水をくみ上げて、水底の泥を除去します。
その水草や泥は 田畑の肥やしとなります。
作業を通じて、人々の連帯感も 高まりました。
そして、8年の年月をかけて、とうとう柳川は 命を吹き返したのでした。
映画冒頭の、限りなく美しい 柳川の風景が蘇ります。
合理主義の名の下に 進められる科学計画とは、いかなるものだったでしょう?
地下水をくみ上げるために 地盤は沈下する。
下水は 無媒介にパイプに流し、水が足りなくなれば 遠方から力ずくで運んでくる。
地表を コンクリートで固めれば、出水時には 水が地面にしみ込まず 街に溢れる。
それらはどれも 目先の合理性です。
自分の住む地の 水を活かし、自然のリサイクルに 身を委ねる暮らしと、
果たしてどちらが 合理的と言えるでしょう?
(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/48784187.html