( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/48765192.html からの続き)
柳川の水路は、単に 昔への郷愁や 懐古趣味ではありません。
水の暮らしの中の 合理性を再構築し、政治的・経済的圧迫の中で
耐え抜く人間の 英知として、未来に引き継いでいこう というものです。
今でも 柳川では定期的に、市職員や市民総出の 浄化再生に取り組んでいます。
冬には、水底の泥をすくい取る 「水落ち」 が風物詩となり、
鯉の手づかみに興じます。
春は 「川まつり」 です。
こうした “水との煩わしい付き合い” と、住民の共同精神の下に 柳川は蘇り、
その悠揚たる姿を、今日もたたえているのです。
周囲が全て 埋め立て計画という ひとつの方向へ動いていた時、
たった一人 反旗を翻す男がいました。
彼がいなければ、あるいは 彼の言葉に心を動かした 市長がいなければ、
今 あの美しい掘割は この世に存在しませんでした。
この柳川再生の思想は、現在では 日本中に普及し、
排水の浄化や 資源のリサイクルは 当たり前になっています。
しかし、高度成長時代の 真っ只中にあって、
先見的なエコロジーの考え方を 訴えることは、
果たしてどれほど 大変なことだったでしょう。
人は 易きに流れがちです。
それに逆らうのは 想像以上に困難を極めます。
世の中は決して 自分の思うように行くものではありません。
しかし、それでも敢えて 自分の信念を道連れに、
理想を実践しようとする 人間の存在が必要です。
世の中は 大半の人が保守的であるからこそ 成り立っていますが、
中には こういうことをする人がいないと、社会は変化せず 腐敗してしまいます。
一度は腐った 柳川の水路は、そんな人間の 熱意によって、
人々の心も動かして、蘇ったのでした。